【その2】
親子猫

愛するペットの死、動物の死についての描写があります、ちょっと閲覧注意。けど、いいお話もいっぱい。

60: 炒豆発芽 02/02/02 19:12
りんごっこ様、久しぶりにゾーっとくる文章読ませていただきました。 

今年の正月、飼い犬が死にました。 

老犬で立つのもやっとでしたが、大晦日の夜、尋常ではない泣き声で必死に訴えるような感じだったので、犬小屋から玄関に移し、しばらく傍におりました。

観た感じ、体を撫でても気休めにしかなっていない様子で、肉体を維持するのに必死で頑張っているようでした。見ていても痛々しく、その場をはなれました。 

朝方、私の体(主に肩)が急に軽くなったため、「ひょっとして?」と思いましたが、母によると、朝方に息を引き取ったとの事でした。

自分勝手な解釈ですが、苦しみから開放されて良かったと思います。

冷たい飼主ですまんかった、と。 

死期が間近な人が、最後に美しい顔に見える事がたまにありますが、年末に不思議としおらしい表情で、散歩をねだる彼の顔に「?」と思っていただけに、多少の霊体験あるせいか、「また見過ごしてしまった」 「怨まないで下さい、反省してます」 と、ふと思い出しています。

ところでイキナリDQN?な質問で申し訳ありませんが、飯綱(イズナ:使い魔の一種)って、眼はあるのでしょうか? 以前、恋愛関係でヒドイ思いしてる時、始終、白くて丸いものが私を睨んでたのです。

動物霊の一種であると聞いていますが、飯綱使いに使役されるといった程度の知識しかありません。
 
63: りんごっこ 02/02/02 21:22
>>60 
さてさて、イズナですか? 

私は見た事はありませんが、狐を小さくしたものだとか、ヤマネだとか、という話は聞いた事があります。どちらにしても、人間に使われるためにがんじがらめにされた、小さな魂でしょう。

りんごっこは前にも申し上げましたが、かなり動物よりの考えをしていますので、人を呪ったり、陥れたりするのに動物の霊なんか使うんじゃないよ、やるんだったら、自分でやれボケが…!! って思ってしまう。 

狐にしたって、かわいいですよ。北海道に行くたんび、キタキツネにあうけれど、くりくりしたかわいい目です。

ヤマネはもっとかわいいです。 ハムスターより一回りか二回り大きくって、しっぽにはふっさり毛がはえていて、なにがかわいいってお寝坊さんなのがかわいいんです。 

春まだ浅いころ、もりの木の拳くらいの穴にヤマネが冬眠しています。そっと手にとって体温で温めてあげると、薄目あけて「あや~なんですかぁ~。」って、しばらくぼけぼけでいるのがかわいいんです。 

おお…話が飛んでしまいました。恋愛問題でヒドイ思いしていたころって、ライバルでもいたのかな…? 生霊でも飛ばされたと違う? 

今年亡くなったわんちゃんは、恨んだりしてませんって、感謝の意でいっぱいですよ。楽しかった。思い出をいっぱいありがとう…って。 貴方の育つ姿を、ずっと見続けていたわんちゃんでしょ。ね。 

私は、大事にしていた動物が亡くなると、いつも思う事があるのです。このちっちゃな脳みそにつまったデーターを取り出して、CDかなんかに保存できないかなぁー 、なんて。 

あー…私ってアフォでし…

73: 炒豆発芽 02/02/03 07:33
りんごっこ様 、レス感謝です。 先の首吊り犬の件での犬の健気さを思いまして、あらためて、胸がキュっとなりました。ありがとう。 

飯綱は竜みたいに、既に肉体の存在しない霊だと思ってました。ヤマネかぁ~あんなカワイイのを悪事に使っちゃイカンだろ!まったく、生霊だけでも相当厄介なのにぃぃぃぃぃ! 

そう、辛い恋愛とは、人妻に騙された事なのですが、生霊の凄まじい事…京都の女性だったし、竹筒
(飯綱を入れとくため?)を持ってるの見かけた!こともあって、未だに引っ掛ってます。
 
夜中はうなされたし、昼間でもオカズにされたのを見てしまうし、果ては心配になった彼女の娘さんまで生霊になって現われた…
 
どうやら旦那の浮気へのアテツケだったようですが、「結婚してる」と言われた時には数秒ですが失神しました。ショック! 

だけど、ココまで霊の存在を感じてしまうと、死んで楽になれるとは絶対に思えなくなりました。肉体を失うってだけのことで。 

で、一年ホド鬱な状態で、仕事から帰ると寝込んでました。 

向こうが捨てといて未練たらたらで生霊送られるのも理不尽ですが、そんな彼女を、私は見捨てたのだ…と、発作のように繰り返し苦しんでました。 

と、スレズレして来ましたのでお詫びに動物の神秘なお話を 

ttp://www.cainer.com/japan/animal1.htm 
※現在では違うとこにリンクしてます。ウェブアーカイブより元サイト一部抜粋。「動物の超能力」というフォーラム。

母が、久しぶりに友人の自宅に遊びに行った。そこで飼っている手乗りインコの内の一匹が、すごくカゴの中で暴れ始めて、彼女(=母の友人)がなだめようと、カゴから出したら、母の肩に乗り、ずーと動かないので、周りにいた仲間が「あんたに飼われたいって、言ってるのよお」って話になって、そのインコをもらってきちゃった!

1年後、みょーに太り始め、もとの飼い主が遊びに来たときも「えさのあげすぎじゃないのお?」といわれるくらいでしたまた、そのころ、婦人病で悩んでいた母は、薬が不要になるくらい健康になり、「ペットで癒されているんだねえ」といっていました。

そして、あまりに太ってきたので、気になり、動物病院に行ったら、「癌」で「大きすぎて治療不可、このままでは、苦しみ出すのも時間の問題のはず、しかし、ここまで癌が大きくなっているのに、こんなに元気なのは珍しい、研究解剖させてくれ」と言われてしまいました。

苦しむのを見るのもいやだったし、もとの飼い主の了解も得られたので、獣医さんにお任せしました「私の病気を全部持って行くためだけに、我が家にきて、このインコは幸せだったのかねえ?」、あのときのボソッと言った母の言葉が…ありがとう、そして、ごめんっ!
simaさん(男性)

私の飼っていたオス猫のチャーコちゃんは10歳で腎不全で亡くなりました。彼は私が高校の時に、学校の裏で拾いました。 最初は目も見えないほど小さかったのに、あっという間に大きく成長し、 7kgの巨猫になりました。

当然けんかは抜群に強く近所のボスに君臨していましたが、 私にだけは心を開いて素直に抱かせてくれました。私たちは相思相愛で、 私には彼の言葉が理解できました。

彼が10歳になった頃、私が腎臓の調子を悪くして体調を崩してしまいましたが、 滅多に病気をしない丈夫な体質だったので、彼はとても心配してくれました。 そしてしばらくすると彼も体調を崩し始めました。

病院に連れて行くとなんと腎不全。 まさかと思いましたが、その頃から急激に私の体調が回復し始めました。 その後彼は更に体調を崩し、 尿毒症で食事ができなくなり毎日の点滴生活に入りました。

私はとにかく彼に生きていて欲しかったので、 毎日病院に連れて行きましたが、 ある日病院で点滴している彼がじっと私を見ていることに気づいた時、 彼の言葉が聞こえてきました。

「もういいよ。十分だよ。ありがとう。」そう、 彼は無理矢理延命されてとてもつらかったんだと思います。 そして彼を生かすのに賢明な私を見るのも辛かったんでしょう。 

その日をきっかけに私は彼への点滴をやめました。当然急激に体調は悪くなり、 水も食べ物も全くとれず、立ち上がることもできなくなりました。

そんなある日、私が寝ようと二階の寝室にいると、 自分で立ち上がれないはずの彼が、 二階の私の部屋の前にしっかりと座ってこちらを見ています。 「今日、一緒に寝ても良い?」という彼の言葉を受けて、 普段は決して一緒に寝ない私たちが共に眠りました。 今晩が最後かなと覚悟していましたが、何とかもちこたえてくれました。

次の日も一緒に寝ようと誘ったところ、 「今日はやめておく」ときっぱり言われたので、 「じゃあ、また明日」と言って別れました。 それが生きている彼と交わした最後の言葉です。

彼は私の腎臓の病気をみんな引き受けてくれました。 彼の命を惜しげもなく私にくれて、その上、 死ぬ前の日に力を振り絞って私の部屋に来て、 一緒に寝ることで心からの愛情と感謝を示してくれました。

彼の生き様、死に様を見て、動物は本当に偉大だと感じました。 惜しげのない生き方、愛情や感謝の表現の仕方を心から教えられました。 今も彼はどこかで私を見守ってくれていると思います。

ありがとう、チャーコちゃん。 またいつか、会いたいね。
こぐまさん(女性)

私が小学校5年の時、 猟師のいきつけの床屋のおじさんが狩りの途中で子タヌキを拾ってきたというので、 (本当は保護してもらうか、野生に返すかどちらかしなければいけないのですが) まだ小さく野生に返すことは無理そうなので、一応私の家で飼うことにしました。 

もともと野生の動物、なつくことはしませんでした。 ただ子供なのは変わりなく、私のおなかの上で寝たりしていました。

私の祖父はちょうどそのとき体の調子が悪く入院をしていました。 ある日私が少年野球の合宿をしていたとき、親から祖父が危篤状態だと聞かされ、 合宿をしていたところから帰りました。家に帰ったときタヌキはまだいたのですが、 その日に祖父が死んでしまい、それとほぼ同時にタヌキがいなくなってしまいました。

逃げるのはいつでも出来たはずなのですが、 祖父の死と同時にいなくなったのには家族全員で驚きました。 そして祖父の葬式が終わり、親戚一同でお墓参りをしたときでした。 逃げたはずのタヌキが祖父のお墓の前にいたのです。

私が名前を呼んだらこちらを向き、山に帰って行きました。 たんなる偶然かもしれませんが、あの時私は心底動物の不思議な力を感じました。 
ゴウさん(男性

皆さんこんにちは。動物にまつわる、話を紹介させて頂きます。 結構たくさんありますが、その中でも一番心に残る話です。

私が16歳頃、家の近所に、白のぶちの猫がいて、 私の後をずっとついてくるんです。結局家の中まで。アパートだったのですが、 飼うことにしました。大人しく、頭が良く、 しつけも出来て全く手のかからない猫でした。

その頃、 不安定で俗にゆう悪い子だったので、学校もあんまり行かず、毎日遊んでいました。 家族にも反抗的で、周囲にも気持ちは開いてない。そんな中で、一緒に昼寝したり、 いつも一緒でした。

そんな中、雨が少し降って、 遠くまで原付でバイトに行かなければいけませんでした。その日、 何か朝から変な感じがして、予感的中、帰りに消防署の前で、ブレーキが聞かず、 転倒して、救急車で運ばれてしまいました。

それがとても不思議で、 県道で交通量の多い道を進んでいたのですが、誰かが引き返しなさいって、 このまま行ってはだめって、なので私は、行きに来た、農道のような広い、 田舎に道にわざわざ引き返しました。

そして、消防署の前で事故。 これは偶然ではなく、避けれない事故で、 それを最も最小にしてくれたんだと思いました。その日、病院に運ばれたのに、 自分で電車で家に帰りましたから。後で調べても、バイクは全く故障まなく、 何故ブレーキが利かなかった不明です。

そして、事故の夜、ぶち(猫)は、 アパートの目の前で車に轢かれて亡くなりました。その瞬間すぐに、 母も私も家にいたのですが気づきました。 きっと私の身代わりになってくれたのだろうと話しました。 不思議の上に不思議なことでした。

あれから15年、今でも、忘れることなく感謝と愛情を持って接してます。
umiさん(女性)

私の猫はパウダーとバニラと言う名前で、 大学時代からずっと一緒にすごしてきました。 バニラは7歳くらいで亡くなってしまったのですが、 パウダーは社会的には自立していても、 いつも不安でぴりぴりしていた私の精神的な支えで、仕事がうまくいかないとき、 彼との関係がうまくいかないときなど、 辛いときよくふわふわのお腹に顔をうずめて泣いたものでした。

私はパウダーのお世話はしているけど、 実は助けてもらっているのは私だな…といつも思っていました。

2年前、私がオーストラリアに仕事で出かけているとき、 出張の間中パウダーのことが気になって会いたいな...と感じていました。 帰国して早朝に家に戻ると、 主人が寝ぼけ眼で「パウダーが昨日からいなくなったんだよ。」と言いました。 

近所を探しに行きましたが見つかりません。そのときなんとなく、 もう会えないのかも、そしてもしや赤ちゃんができたのかも、と思いました。 ちょうどそろそろ子供を…と思っていたときだったし、説明は出来ないのですが、 そう思ったのです。

家に戻ってすぐ妊娠検査薬で調べてみるとなんと陽性。 「ぼくの役目はもう終わったね。」と去っていったような気がしてなりません。 

それにパウダーはもう13歳で、 もし彼の死に目を目にしていたらきっとすごく辛かったと思います。 神様のお恵みとしか思えません。 その後息子が生まれましたがが彼は私に生きるパワーをくれました。 

もちろん彼に変な期待はしたくないですし、 私のために生きているわけでもないので私は精神的に自立しなくてはなりません。 ですが、実際につきものが取れたように、 前向きで強くなった自分を感じます。
パウダーさん

65: 名無しさん 02/02/02 23:57
ある本から抜粋。 

65歳のおばーちゃんは、近頃体調がすぐれないので、検査を受けたところ、ガンが再発していた。進行が遅いとはいえ、ガンの再発は、ゆっくりと確実に訪れる死を約束するものでしかない。

(誰かにこのことを話し、何でもいいから言葉をかけて欲しい。) 

一人身の彼女は心底そう思った。自宅から50メートルのコンビニで訳もなく時間をつぶし、真っ暗なアパートへと帰っていった。アパートの階段を上がろうとすると、かさかさと音がした。

(何だろう?)物音のする方に近づくと、ダンボールが置いてある。そっと開けると、中には、夜目にも鮮やかな白い毛をした子猫が一匹いた。 

どうせ一人身だし、話し相手もいない。ペットを飼うのは禁じられていたが、彼女は子猫を飼うことにした。何より、彼女は部屋に自分以外の生き物がいることを想像して安堵した。 

子猫は見るからに弱っている。温めた牛乳を飲ましてあげる。 

彼女は子猫を愛おしい表情で見ていた。事情を知らない他人から見れば、何でもない話だが、彼女にとって、この子猫は、生きる意義を確認する存在となった。 

生きる意義は、人それぞれ。彼女はいつ激変するかわからない体を抱えながら、ユキちゃんと名づけたこの子猫と生きる事にした。 

彼女は小さな小料理屋を営んでいたが、店が終わると、すぐに帰ってユキちゃんと過ごす時間に充てた。彼女とユキちゃんは、一緒にいればいるほど、濃密な物になっていった。そして、不思議な事に定期検査の結果、ガンの進行がストップしていた。 

(ペット療法)そんな言葉が脳裏をよぎった。 

ユキちゃんと暮らすようになってから、彼女には心の張りがでて、病気の事も忘れ、懸命に働いた。全てはユキちゃんのおかげである。そんな、ユキちゃんとの生活が2年になった頃、さらなる悲劇が起こった。 

ユキちゃんの食が細くなったので、気になって獣医を訪れた。様々な検査を行った結果、猫型白血病にかかっている事が知らされた。

ユキちゃんと会えたおかげで、自分の体調はよくなった。しかし、張り合いを与えてくれたユキちゃんが死病に冒されてしまったのだ。 

彼女にとってユキちゃんは、家族以上の感情を抱く対象であり、生きる意義を教えてくれた大切なパートナーなのだ。悲しい響きかもしれないが、彼女にはユキちゃんしかいなかった。 

(私も病床に伏せる事もなく、元気に過ごす事ができている。それに対しては、感謝の言葉もない。でも、その何事もない日々の代償が、ユキちゃんの命というのでは、割が合わない。

割が合わないどころか、残酷この上ない。何を望むでもなく正直に生きてきた自分が、なぜ、こうも悲しい目に遭わなければならないのだろうか。) 
                      
彼女は店を手放す決心をした。

売り渡したお金を少しずつ使って、ユキちゃんが最後の時を迎えるまで、片時も離れまいと考えたのだ。 

つづく。                               

66: 名無しさん 02/02/03 00:45
ユキちゃんの体調は、3日良いと3日悪いという状態が続き、やがて完全に寝込むようになった。

ストーブのそばに特性のベットを作り、夜中に何かあっても、すぐに手当てができるようにしていた。店も手放してしまった今、彼女の生きる理由は、できるだけユキちゃんと多くの時間を過ごす事だけだった。 

そんな生活が続く中、彼女も体調を崩してしまった。心労が元で寝不足が続き、風邪をひいたのだが、これがそれまで眠っていたガン細胞も起こしてしまったようだ。 

かなり安定していたガン細胞の数が次第に増え、医師からしきりに入院を勧められた。しかし、彼女は自分の意志で体を動かせるうちは、決して入院などすまいと、心に決めていた。 

それで多少命が延びたところで、ユキちゃんとの時間が削られるだけである。それは彼女にとって、耐えがたい事であった。 

春の気配が感じられる頃、ユキちゃんの体調は最悪になった。 

食べ物も受け付けなくなり、ミルクもスポイトからしか飲めなくなった。いよいよ、別れの時が近づいている。彼女もその事実を頭で理解していても、決して認めようとしなかった。 

しかし、その時は突然やってきた。

いや、涙も出ないほど悲しい事は、いつも突然やてくるのかもしれない。 

ユキちゃんがまったく動かなくなったのは、桜が満開を迎えたある夜のことだった。 

彼女も何だかんだ言って、いずれやってくる悲しい別れを、心のどこかで覚悟していたのだろう。彼女の口をついて出たのは、感謝の言葉だった。 

 今まで、一緒にいてくれてありがとう。

 私に生きる意義を教えてくれてありがとう。 

冷たくなってしまったユキちゃんを毛布にくるみ、彼女は、去年と同じように満開の桜を見せた。 

翌日、電話帳で一番近いペット霊園を探し、迅速に手配し、ユキちゃんを埋葬した。手元に置いておく時間が長ければ長いほど、悲しみが深くなる気がしたからだ。 

その日の夜、彼女は高熱を出し、即、入院となった。病魔が一気に牙を剥き出したようだ。かなり衰弱して、食べ物も喉を通らない。無理もない。最愛のペットを亡くしたのだ。心のより所をなくした人は、想像以上に脆弱な存在となる。もうどうでもよくなったのだ。 

点滴を受けながら、ひたすら眠った。眠っていれば辛い事を忘れられる。 

彼女は長い夢を見ていた。ユキちゃんの夢だ。 

彼女の意識は、ユキちゃんの白い毛、金と銀の目、桜の淡いピンク色が、ないまぜとなった 楽しいイメージの中で、漂っていた。それが夜桜に変わり、ユキちゃんを包んだタオルの柄に変わり、ペット霊園の風景に変わった。 

(そうだ。ユキちゃんはもうこの世にいないのだ。私も、時期にこの世からいなくなるだろう。私と言う人間が存在した意義は何だったのだろう。) 

夢の中での思考が苦難の回廊に入りかけた時、病室の片隅でかすかな物音がしたような気がした。

彼女は目を開けた。病室の中は真っ暗だ。じっと耳を澄ますが、何の音もしない。夜の病院がこれほど静かだとは想像もできなかった。 

(もう一度眠ろう。眠っていれば楽しいイメージの中で過ごす事ができる。)

そう思って、再び目蓋を閉じた時だった。 

つづく。 
 
68: 名無しさん 02/02/03 01:19
 ニャア…

(!) 

今度は確かに聞こえた。目を大きく見開き、暗闇の中を凝視する。しかし何も見えない。頭だけ動かして周囲を見回すが、どこも真っ暗だった。 

 ニャア 

鳴き声はベットの方へ近づいてきている。何かはわからないが、それが部屋にいる事は間違いない。しばらく息を殺していると、ベットの端の足がある方に、とん、と何かが乗った。 

それは徐々に胸元の方に上がってくる。ひとつひとつの肉球まで感じられるくらいに、ゆっくりとした足取りだ。やがて、彼女の顎のすぐ先まで上がってきた重みは、そこでぴたりと止まった。 

彼女は点滴が繋がっていない方の手をそれに持っていった。

暗くて何も見えないが、彼女がその柔らかい毛並みの感触を忘れるわけがなかった。しばらく撫でていると、親指の一部分が温かくなった。舌で舐めているのだ。 

温かみを感じた時、彼女はすべてを悟った。 

 ユキちゃんなのね。 

 ニャア 

もう、間違いなかった。ユキちゃんが返事をしたのだ。 

この上なく幸せな気分になった彼女は、再び深い眠りに落ちた。それは子供の時以来、体験した事がないような、安らかで暖かい眠りだった。 

翌朝、目覚めると、看護婦さんが脈を取っていた。視線が合うと彼女がにっこり微笑んだ。 看護婦さんが、今後の検査などの話をした後に、かけてる布団を見て、不審な表情を浮かべた。 

「やーね。新しい布団なのに…。ごめんなさい。すぐに取り替えてもらいますからね。」 

ハッとして、彼女が布団を見ると、足から胸元にかけて、猫の足跡が点々と続いている。 

「やっぱり、ユキちゃんだ。天国からお見舞いに来てくれたのね。」 
「ユキちゃんって誰なんですか?」 
「私が愛して共に暮らした猫よ。」 

彼女は看護婦に、ユキちゃんとの出会いと生活、そして死んだユキちゃんが昨夜、病室に現れた事を打ち明けたのである。 

と、突然彼女は、窓辺に向かって話し始めた。 

「ユキちゃん、これから先どのくらい生きられるかわからないけど、自分から諦めるなんて気持ちは捨てるわ。そうじゃないとユキちゃんに悪いものね。もう少し長い事一緒にいて、また桜を見たかったけど…。でも、ユキちゃん、来てくれてありがとう。ほんとうにありがとう…」 

この時、看護婦さんは窓際の壁に、猫の形をした影が走っていくのを見て、背筋が寒くなったという。 

この世には彼女とユキちゃんのように、種の違いを超えた関係も存在するのだ。そして、その絆が不思議な現象となって、この世に「具現化」することも、また事実なのである。 

以上、長文失礼致しました。読んだ事ある人はゴメソ。 

69: 名無しさん : 02/02/03 03:00
いい話だな~…やっぱり、命の大切さを共感できる人はいいね。 

世の中にもっとそう言う人達が増えてくれるといいなー。。

71: 名無しさん 02/02/03 04:48
>>69 
こんな安い感動話に共感はしないけど、命の大切さは分かってます。  



67: 名無しさん 02/02/03 00:52
もう十年以上前の夏のことでした。私も未だ学生の時分で(歳がばれますね)、家で親友と酒を飲んでいました。

朝、親友が帰る時に玄関まで送ると一匹の子猫(チャトラ)が植木の陰で鳴いていました。左目があいていない子でした。

家で飼えないか親とも相談したのですが、どうしても駄目とのことで諦めていたら、その親友が、「うちの実家だったら大丈夫」と言うのです。彼の実家は猫を十匹位?飼っているそうで、彼の好意に甘えて、引き取ってもらうことにしました。

のびたを病院に診せたのですが、結局左目は閉じたままでした。

彼は当時下宿中で、実家は私の家から150キロくらい離れたところです。卒業後も何度か彼の家を訪ねて(卒業後は彼は実家に戻った)、そのたびにその猫、のびたと一緒に遊んだりしました。

酒を飲んでいると、つまみを何かもらえると思って二階に上がってくるのが可愛かったです。 

数年後のある冬の日(2月です)、私はのびたとじゃれ合っている夢を見ました。のびたは私と遊んだ後、一度だけ振り返ってどこかへ行ってしまいました。

その時は気にとめていなかったのですが、数日後、友人から電話があり、のびたが死んでしまったことを聞きました。よくよく話を聞いてみると、私がのび太の夢を見た日にのびたは死んだそうです。 

のびたはお別れに来てくれたのだと、今でも信じています。

最初に拾ってあげたのが私だったことを、のびたは覚えていたのでしょうか?

81: りんごっこ 02/02/03 14:51
>>67 
片目ののびたくん…>>67 さんのいうとうり、お別れに来たのでしょう。
 

動物の場合、体に障害があるという事は、即、死を意味します。

ましてや子猫の場合、五体満足でも親猫と引き離され、たった一匹でいると
ここぞとばかりに、カラスや他の動物の餌食になったりするのに、片目しか見えない状態で外に捨てられてしまったら、その心細さは大変なものだったでしょう…。母さん猫もいないし… 

必死で助けを求めていた時に、貴方の暖かい手にだきあげてもらったんですもの、忘れる訳ありませんよ。それに、ときどき会いにいって遊んでいたならなおさらです。 

それだけうれしかったんですね、貴方の手のぬくもりが…。 

きっと、のびたくんは姿を変えて貴方のところに戻って来ますよ。甘えっこしに…?

75: 「目の前で見た人の死の瞬間を教えて」スレにあった話 02/02/03 11:31
小学校時代、ずっと好きだった男の子がいた。ちょっと無口だけど力持ちでみんなに優しくて、クラス全員が慕ってた。本当に『ヒーロー』だった。 

その彼(S君)が、中学2年の春休みに死んだ。 

私の家の真裏の線路で、うちから20mくらい離れた場所で電車に轢かれた。その日の夜、私の母がその事故を目撃した近所の人から話を聞いてきた。
 
S君は夕方、犬を散歩させていたという事。その犬が何を思ったか突然走り出し、土手を登って線路に飛び出したという事。S君は「チビ!」と叫びながら犬を追いかけ、線路上で捕まえたという事。その瞬間、電車がきたという事。 

葬式当日、彼の両親にかける言葉は見つからなかった。 

その事故から一年、私の両親と彼の両親が顔見知りだった事もあり、私は両親と一緒にS君の家を訪ねる事になった。S君のお父さんとお母さんは、なんとか笑えるようになっていた。そして事故の話をしてくれた。 

現場に駆けつけた時、S君の体は腰の辺りから真っ二つになっていたと。そして彼の両腕には尻尾が切れ、震えてるチビがしっかりと抱き締められていたと。 

事故からしばらくの間、お父さんは「あの子は何の為に生まれてきたんだ?」「犬を助ける為だけに生まれてきたのか?」「もうチビを見るのはつらい。よそにやろう」そんな事ばかり考えていたらしい。
 
けれどお母さんが「あの子がせっかく助けた命。せめて私達が精一杯かわいがってあげなくてどうするの?」そう言ってくれたから、ちょっとだけだけど心の整理がついたと。 

帰り際、S君のお母さんが裏口の方へ私達を呼んだ。そこには尻尾の切れたチビがいた。お腹の大きいチビがいた。 

「あの子が残してくれた命、未来につなげていかなくちゃね」 

S君のお母さんは優しく笑ってそう言った。 

やっぱり彼は『ヒーロー』だった。

【まとめ記事】目の前で見た人の死の瞬間を教えて

84: りんごっこ 02/02/03 17:10
>>75 
貴方の好きだったヒーローくんは、この世での修行が終わったのです。その最後の試練が、自分の命を投げ打って別の命を救う事だったのです。 

「ちょっと無口だけど力持ちでみんなに優しくて、クラス全員が慕ってた。 」 

こういう既に人格者なひとは、そういうことがありがちなのです。これからこの少年の魂は、神様のお使いとして霊界で活躍されるのだと思います。 

お母さまも立派な方ですね。さすがこの少年を産んだお母さまだと、思いました。 

77: 名無しさん 02/02/03 12:55
いいね。このスレ。 和むよ。

【その4へ】