【その9】
都市伝説

・星を見る少女・深夜の挨拶・姉さん・首都圏最終防衛都市つくば・走る幽霊・土葬。

681: 名無しさん 2000/08/14(月) 20:49
そろそろ筑波大学ネタ見つけた人いませんか~(泣

716: 名無しさん 2000/08/17(木) 11:40
筑波での話ってもしかしてこれかな? 

とある筑波の学生が夜に、あるマンションの前を通った時ふと見あげると、窓を開けて外を見てる女子大生みたいな人が見えた。星を見てるのか、ず~っとその姿勢のままだったと。 

翌日も、その翌日も同じ場所を通ると、同じ窓が開いていてその女の子が外を見てる。なんかロマンチックな感じがして、その学生は大変気になってしまった。 

で、ある日決心をして、その女の子の部屋まで行ってみると、鍵が空いてるし返事が無い。本人は外を見てる姿はさっき見たから、不在と言うことはない。 

だから変だと思って中を覗くと.....その女の子は首をつって死んでたと。 

なんと、窓の近くで首をつっていた女の子が外を見てる感じに見えていた、というお話だそうです。 

あとは、筑波学園内で女子大生が行方不明になり、数ヶ月後学内で遺体で見つかるという事件がありました(←これは実話)。交際してた中に怪しい素性不明な外人がいたということでしたが、結局迷宮入りになったそうです。
 
726: 名無しさん 2000/08/18(金) 04:50
筑波大学の学生が固化・コーラの原液の抽出に成功して、そのまま行方不明になってっていう話があったね。

767: 名無しさん 2000/08/20(日) 23:50
筑波の話の少し違うバージョン。

茨城は筑波にある学園都市での話である。 

大学院で研究職につく男性がいた。彼は抱えている研究が忙しくなり、早朝に部屋を出て深夜に帰宅する生活が続いていた。そんなある日の帰宅時のことである。 

マンションの駐車場に車を停め鍵をかけようとした時、ふと向かいのマンションを見上げると、屋上の手摺り越しに女性の姿が見えた。 

ちょうど吹いてきた風に、「寒くないのかな、彼女。」と思っていると、向こうもこちらに気づいたようで挨拶をしてきた。 
   
その次の日のことである。駐車場に車を停めていると、風が吹いてきた。昨日のことを思い出した彼は向かいの屋上を見ると、そこには彼女がいた。今日はすぐに気づいたようで、見上げるとすぐに会釈してきた。 

新興の住宅街で入居者のほとんど無い一角であり、また研究職という仕事ゆえ、女性との接触のほとんど無かった彼は、少しだけうれしい気持ちになった。 

こうして帰宅時に向かいの屋上を見上げ、彼女との短い逢瀬を楽しむようになった。 

彼の抱えている研究が大詰めを迎え、明け方に帰宅した日のことである。 

いつもの逢瀬の為の儀式をするかのように、彼は向かいの屋上へ顔を向けた。そうしながらふと我に帰った彼は「まさかな。」と思いつつもそこに目をやると、彼女はそこにいたのである。 

いつものように会釈してきた彼女だったが、その姿に違和感を感じた彼は彼女のもとにむかうべく、向かいのマンションに足を向けた。 

ロビーに入ったあと、不思議なほどに生活臭の無い廊下を通り抜けて階段をのぼり、屋上へと足を踏み入れた。 

そこには、給水タンクを固定するワイヤーに結び付けられた縄に、首を吊られた彼女がいた。 

風に吹かれて揺れるその姿は、まるで眼下の道行く人へ挨拶しているようだった。

770: 名無しさん 2000/08/21(月) 02:22
>>767 
シンプルな「星を見る少女」から誰が屋外に設定を変えたんだろ? 

844: 名無しさん 2000/09/05(火) 09:55
筑波学園都市関係の話といえば、 アパートの外壁にでっかく「姉さん」とヒビだかしみだかが入ってる話。ファミレスの向かいにあるらしい。 

845: 名無しさん 2000/09/05(火) 10:56
「姉さん」ネタも多いね。
 
※壁に浮き出る「姉さん」
かつて、筑波学園都市にある団地の壁に、「姉さん」と読める文字らしきものが浮き出ていた。

そしていつしかこんな話が広まるようになった。

この団地に、とても姉想いの少年がいた。ある日、その姉が久しぶりに会いに来ることになり、少年は大喜びで迎えに表に飛び出した。姉を目にしたとたん少年は我を忘れ道路に飛び出し、不運にも車にはねられ即死してしまった。

直前、少年は叫んだという。「姉さん!」と…。
姉さん
「姉さん」と読めなくははい…かなり大きい文字であることが分かる。いたづらで書くことは難しいだろう。少年の強い想いがこの壁に刻まれたのであろうか。

この噂を聞きつけ文字を見学しに来た若者が、冗談で近くの壁に「兄さん」といたづら書きをしたらしい。その若者は、その帰り車の事故で亡くなったという。
 
853: ふまじめ院生 2000/09/05(火) 17:25
筑波大の話を。

高校の担任は筑波大出でした。その人から聞いた話です。 

筑波大の施設の下には、広大なダンジョンが広がっているそうです。戦時中の防空壕だという説や、計画の頓挫した施設跡だとかする説があるそうですが、 真相は謎だそうです。

なんでも、ダンジョンに入り込んだ者は問答無用で除籍になってしまうためで、事実過去にも

854: 名無しさん 2000/09/05(火) 20:02
>>853 
最後まで書けゴルァ(゚д゚)

858: 名無しさん 2000/09/06(水) 16:54
 
>>853 
気になるので続きをぜひお願いします。書いてくれたら、わた
 
861: 名無しさん 2000/09/06(水) 18:39
>>858 
無限ループ(笑 

863: 筑波大学の話 2000/09/06(水) 19:08
ほい! 
ttp://www.human.tsukuba.ac.jp/%7Es-isobe/tsukuba/main.html
※リンク切れ。ウェブアーカイブより。ドメインが筑波大人間系なので、かつては公式でこんなこと書いてたのかな? ちょっと長いので一部要約&抜粋してます。

●なぜ、研究学園都市、なのか?
1960年代、日本は高度経済成長の中、過疎と過密という大きな問題を抱えていた。
 
上野駅や新宿駅、東京駅は上京してきた人々でごった返し、東京の住宅事情や都市公害はにっちもさっちも行かないところに来ていた。このままでは、東京はどうしようもなくなる...そういう考えから政府も東京への一極集中を見直さなくてはならなくなっていた。

東京への一極集中を是正するには、まず官庁が地方へ移転すべき、という主張はいまも当時も変わらない。そして移転する官庁と移転先が探され、移転する官庁は国の研究所に、移転先は茨城県県南の筑波・稲敷台地上に決定。閣議決定がなされ、総額3兆円ともいえる巨大国家プロジェクト、筑波研究学園都市建設が始まったのである。

しかし、この決定までの過程では、いくつか奇妙な点がある。

まず第一に、もともと「東京の過密解消」を目的として始まったこの計画が、いつのまにか科学技術の集積を目的とした研究学園都市計画に変わってしまった点である。研究機関が移転する事によって人口が大幅に移動するとはとうてい思えない。

事実、当時の計画では筑波研究学園都市の人口は周辺まであわせて30万人とされている。これでもいまのつくば市の倍の人口であるが、東京圏の人口約1000万人に比べるとあまりにもささいな数ではある。そんな少数だけを移転させるために、なぜ国はこれほどの巨額を投じたのか?
 
また、本当に過疎・過密の問題の解消を狙うのなら、何も関東地方に作る必要は全くないのである。実は、東京と筑波は距離的には非常に近い。東京−筑波の距離は東京−八王子の距離とほとんど変わらないという。筑波が東京のベットタウンとなり、東京への一極集中に拍車をかける危険性も充分考えられる。それなのに、なぜこんな近距離に作らなければならなかったのか?
 
さらに、科学技術の集積を目的にするのなら、民間の研究所にも積極的に加わってもらうべきである。日本は国家としての研究費や研究力は欧米諸国に比べると弱いが、民間企業のそれは海外のそれをしのぐほどであるといわれる。研究機関にとって民間との協力は必要不可欠であろう。

ところが、学園都市の中心部には企業の研究所がほとんど立地していない。一度筑波に来たことのある人なら分かると思うが、企業の研究所は学園都市の中心部からかなり離れたところに立地している。なぜ、民間企業の研究所をここまで邪険にあつかったのか?

これらの「なぜ」を様々な角度から検討してみた結果、一つのある事実に気がついたのである。すなわち、筑波は東京が攻撃された場合に臨時に首都機能を代行できる都市、すなわち、首都機能代行都市なのである。表向きは「研究学園都市」だが、実際は「首都機能代行都市」なのである。
 
以降、この筑波の隠された側面を例を挙げて論じてゆく。
tfig1-1

なぜ、この地に作られたのか?
いざというとき、首都機能が移転できる街を作る....いま考えるとちょっと現実味のない話だが、冷戦下の60年代・70年代には緊急かつ重大な問題であった。
 
どこに作るか...それには様々な条件があった。まず第一に、東京からある程度は近いこと。北海道や九州などに作ってしまえば、確かに安全かもしれない。しかし、有事の際無事に政府が移転することもまた難しくなる。現実問題としては首都圏の近く、あるいは周辺部に限られてくる。

さらに、災害が少ないことや有形無形の力によって守られているところ、地元住民が純朴で疑い深くないこと、などたくさんの条件があった。その中で選ばれたのが茨城県南部、筑波山の麓の筑波・稲敷台地である。
 
この地は数々の不思議な力で守られている。まず、北には霊峰・筑波山がある。筑波山は男体山と女体山の二つの峰を持っている山である。遠くから見て高く見える方を男体山としたそうだが、実際のところは女体山の方が高い。その影響か、筑波では女性が見かけよりも強い、という弊害も生まれてきてしまっている。ともあれ、筑波山は言うまでもなく筑波の守り神である。
 
そして、南方の土浦・阿見には自衛隊の基地がある。特に阿見は、英語で陸軍を表す「アーミー」が地名の由来と言われるほどの日本有数の軍事の街である。また、阿見には「ト○ザ○す」というアメリカ資本の大規模なおもちゃ屋がある。

これも表の顔はおもちゃ屋だが、その倉庫には数多くの銃器や弾薬が隠されているといううわさもある。開店当初はなぜこんなへんぴな場所にあんな大規模な店ができたのか不思議であったが、こう考えれば納得できるだろう。(この話は、『こばんざめ新聞』の情報による。)
 
西方は何もないように見えるが、実は平将門ゆかりの地である。平将門と言えば、首塚の例を持ち出すまでもなく、その怨念には定評がある。ただ、なにしろ彼が死んでからかなりの時代がたっていため、その怨念の強さも江戸時代ほどではなくなってしまっていた。

そこで、その怨念を増幅するべく、一つの建物が建造された。それが、石下町の「豊田城」である。どうみたって街に不釣り合いな、時代考証など全く無視した、緑色の屋根の天守閣を持つ「豊田城」、なぜ町の年間予算の約半分という巨額を投じてあんなに意味のないものを作ったのか不思議であったが、こう考えれば納得できるだろう。
 
ただ、「豊田城」のせいか、その怨念が増幅されすぎてしまい、筑波ではいろいろと怪現象が起きてしまっている(後述)。また、将門の怨念か、自殺や交通事故も後を絶たない。そのため、今になって怨念を鎮めるためあわてて、牛久に日本最大の大仏を建設するという始末になった。筑波は計画された都市ではあるが、しばしばこのように計画が裏目にでることがある。
 
残った東方は、実は筑波のウィークポイントである。桜川という川があるぐらいで何もないのである。「さ○・あ○お」というショッピングセンターを作ったりして人々の誘致を狙っているものの、いっこうに人口は増えず、畑のど真ん中にショッピングセンターがぽつんと建っているという変な光景は当分変わりそうにない。

ただ、筑波の東方には山を崩して採石している場所があり、ここに米軍をつれてきて射撃訓練に使ってもらおうという計画も持ち上がってはいる。そうすれば、沖縄の人たちは県道越えの射撃演習に悩むことなく、米軍は演習する場所が見つかり、採石業者はダイナマイトを仕掛ける必要がなくなり、筑波の東方の守りも完璧になる。一石四鳥のプランである。

このように筑波地区は有形・無形の力に守られている。首都機能代行都市を作る場所としては、非常に適していたのである。

なぜ、公務員が多いのか?
筑波は公務員の多い町である。というのも町の中心部は、一部の商業施設をのぞいてほとんどが国立の研究所や施設、公務員住宅だからである。近年、民間の研究所もかなり増えてきたが、そのような民間の施設は研究学園都市の中心部からはかなり離れたところにある。
 
民間との協力という点からは、なにもここまで国立研究機関と民間研究機関を分離してしまう必要はない。むしろ、この距離は官民の交流を阻害してしまっているとさえいえる。やはり、この官民の分離も、筑波が単なる研究学園都市として建設されたわけではないことの傍証なのであろう。
 
筑波が首都機能代行都市である、ということは、筑波にすんでいれば遅かれ早かれ肌で感じられてしまうことである。ただ、それをあちこちでべらべらとしゃべられてしまっては、国家機密もなにもあったものではない。そこで国としてはできるだけ口の堅い、また自分が操ることのできる人間を筑波におくことにしたのである。

その条件に最も合うのは、国が雇っている人間、つまり公務員である。実は最近まで、筑波地区の公務員には「筑波手当」という特別手当が給料の約10%も支払われていた。これは一種の「口止め料」といえなくもない。逆に、筑波の秘密を他人に漏らさないように、人事や昇格の点で脅しをかけていた。つまり、アメとムチの政策で筑波の公務員を操っていたのである。
 
もちろん、採用の時点から選別は始まっている。できるだけ社会的な事柄や政治的な事柄に興味がない、けれども特定の技術については非常に優秀な人を集めることが、首都機能代行都市には必要だった。そこで、理系の研究者が集まる町にしたのである。つまり、「首都機能代行都市」が主で、「研究学園都市」は後からついてきた、ともいえなくはない。
 
公務員以外の民間人も、できるだけノンポリで、しかし知能的には優秀な人間が集めるようにしている。その最たるものが、筑波大学の推薦制度であった。開学当時、国立大で推薦制度を取り入れている大学はほとんどなかった。それにも関わらず、筑波大は定員の25-30%を推薦でとるようにしたのである。

これは、地方のノンポリで、純朴で、何も疑うことなど知らないような学生だけを筑波に集めたいという国の意向の現れである。推薦入学者の存在は、筑波大での学生紛争を押さえるのに大きな役割を果たしたようである。
 
さらにいうと、スーパーの店員からタクシーの運転手まで、実は国の基準によって選別されているのである。スーパーを例に出すと、筑波はこんなに小さな町なのに、様々な資本のスーパーがある。これらの親会社が、首都機能代行都市を筑波に作るという政府の方針に秘密裏に賛成して、とりあえず赤字覚悟で店を出店しているのである。こうやって国に忠誠を誓っておくことが、その後の許認可などで有利に働くことはいうまでもない。

そういえば、ある財閥がどう見たって筑波には必要ないようなビルを中心街に建てているが、あれも必要性があったからというよりは、むしろ国に忠誠を示しているといったほうがよいだろう。そして、そこで働く従業員も特に精選しているのである。

ともあれ、筑波は国によって選ばれた「選良が住む町」なのである。

なぜ、変な地名が多いのか?
先にも行ったとおり、筑波は完全に計画されて作られた都市である。ところが、筑波研究学園都市の地名(町名)はなにぶん統一性がなく、地名を聞いただけではどこだか分からない。せっかく計画された都市なのだから、それこそ北から「第一街区」「第二街区」とつけてゆけば、一言聞いただけでそれがどのあたりか分かりやすいのだが...。

それでは、あまりに無味乾燥だというのなら、別の方式もある。せっかく研究学園都市の北部に「一の矢」という地名があるのだから、これにちなんで「めぞん一刻方式」(?)で地名をつけてゆけばいいのである。つまり、北から「一の矢」「二風谷」「三宮」「四日市」「五木」...とでもつけていけば、地名として変ではないし、風情もある。
 
ところが実際には、筑波の地名には全然統一性がない。これはもともとあった地名にちなんだ訳ではなく、全く新しく地名を作ったのである。すなわち、筑波の地名は何らかの意図があってつけられたと見て差し支えないだろう。ここでは、筑波の地名に込められたなぞについて、判明しているいくつかの地名についてのみ解説する。
 
春日…春日といえば、春日大社のことであるのは言うまでもないだろう。奈良の春日大社は昭和天皇がご病気であった際にも連日祈祷を繰り返したように、天皇家との関わりも深い。筑波首都代行都市を守るという意味でこの名前が付けられた。

吾妻…吾妻と言えば日本武尊の故事が思い出される。東征の折りに自分の妻を失った日本武尊が碓氷峠から東の方を見て、「ああわが妻よ」と嘆いたという故事である。なぜこの故事を取り上げたのかは不明だが、ともあれ古い神話にちなんだ地名である。

竹園・梅園…実はこの地名自体に大きな意味はない。しかしながら、よく考えてみると「竹・梅」はあるのに「松」がないというのは奇妙な話である。すなわち、「一番大切で貴重なものはもっと別の場所にあるのだよ」ということを暗示しているのである。

並木…日本で代表的な並木といえば、日光の杉並木であろう。また、新しいところでは表参道の並木道も人気がある。東大正門から安田講堂へかけての並木道もなかなかよかった。並木道を越えていったその先には、非常に重要な何かが存在するのが一般的である。

千現…「浅間」の当て字。全国に「浅間神社」という神社があり、どこも天皇家との関係が深い。

松代…長野県長野市の松代町にちなむ。第二次大戦の終わり頃、日本軍の大本営は松代への疎開を計画したが、結局その前に終戦を迎えてしまった。軍関係者の中には「あのとき松代に移っておきさえすれば神風が吹いて日本が勝ったのに」という思いを抱いている人も多い。そのため、筑波首都代行時の統合幕僚本部になる場所に「松代」という名前を付けた。

感のいい人ならもう分かっただろう。首都機能代行、とは結局どのようなことなのかを。そして、何を守ることが一番大切とされているのかを。

いよいよ「筑波のなぞ」の最重要部である。心してほしい。

天王台…言うまでもなく、「天皇」のすむところ。代理皇居。現在この地名にあるのは、筑波大学。
 
なぜ、池の鯉をとったら除籍なのか?
ところであなたはオランダの首都を知っているであろうか?多分あなたは「アムステルダム」と答えるだろう。確かにその通りなのだが、実は行政の中心や国会はアムステルダムではなく、「ハーグ」という町にある(国際司法裁判所で有名ですね)。アムステルダムにあるのは国王のいる王宮なのである。すなわち、首都と言うときに重要なのは行政でもなく国会でもなく、元首の行方なのである。
 
天皇が日本の元首であるかどうかはとりあえずおいておくにしても、首都機能移転の際、天皇を東京にほってくるわけにも行かない。国民の象徴が捕虜となってしまっては、国民全体が捕虜になったようなものである。有事の際に天皇とその一家をうまく「移転」させる必要があるのは言うまでもないだろう。
 
この代理皇居をどのように用意するかは、首都機能代行都市建設の中でも大きな問題であった。それなりに大きな建物で、かといって目立ちすぎてはならず、あまり目立たないほど狭くても困り、かといって平時に全く使えないような施設でも税金の無駄遣いとの批判がでるだろう。

そこで白羽の矢を立てられたのが、「大きな建物を持ち」「自家発電装置や病院なども持ち」「さらに農場まで持ち」「大量に調理できる食堂も持ち」「いざとなったら追い払うことのできる人たちの多い」大学であった。

筑波大学は他の大学に比べても学生の管理が厳しいと言われる。たとえば普通の大学なら至る所に見られる立て看板やビラは、筑波大学では一切禁止。それどころか、学内での政治活動・宗教活動もいっさいダメ。学園祭で政治家を呼ぶのも全く御法度。また、大学のくせにクラスがあり、担任までいる。

「学内公安」と揶揄された学生担当教官という人々が筑波大にはおり、1学ペデストリアン横の学内でもっとも目立つところに事務所を構えて、学生の活動や動きを常に見張っている。また年間15単位を取れないと即除籍という非常に厳しい制度もあった。このような事実の他にも、「学内にある池の鯉を捕ったら除籍」「学内の地下に張り巡らされている地下道に忍び込んだら除籍」などといった、様々な伝説が筑波大学には残っている。
 
除籍というのは、その人が大学にいたという過去をも消してしまう、すなわち、その人の学籍簿から何から消してしまうと言うことである。実はこの措置は、懲戒行為としては明らかに法律違反の規定なのである。そこまでしても学生を管理したかったというのは、やはり筑波大学がただの大学ではないことをよく示している。
 
ところで、日本の国立大学には2種類の大学があることをご存じだろうか。「帝大」と「駅弁」とか、「女子大」と「共学」と答えるかもしれない。しかし、実は違う。日本には「筑波大学以外の大学」と「筑波大学」が存在するのである。

冗談だと思われるかもしれないが、それならば「国立学校設置法」を見てみればよい。ちゃんと、「大学」とは別に「筑波大学」の章がある。(これは本当の話で、この部分がいわゆる筑波大学法案、衆議院で強行採決されたものです。)筑波大学の特殊性は単に大学が決めたと言うよりもむしろ、文部省、もっといえば国が決めたものなのである。
 
この「筑波の謎」の読者なら、なぜ筑波大学がこれほど厳しい学生管理をしているのかもうおわかりだろう。筑波大学はいざというときに皇居になるべき場所である。天皇制反対の学生がいたりしては困るのである。さらに、皇居になるべき場所であるから、いつもきれいに保っておく必要がある。そのため、ビラや立て看板は御法度とされた。

また、石畳を敷き詰めた広場を大学の中心部、中央図書館前に作り、いつでもヘリコプターが発着できるようにしてある。普段の利用という点から考えると石畳を敷き詰めた広場は使い道がないし、雨が降ると転びやすくて困りものなのであるが、このような理由なのでしょうがないのである。意味のない噴水とかも、皇居としての華やかさを少しは出すために存在するのである。
 
また、いざというときに篭城できるように、農場も筑波大学内にある。普段は農学の研究と言うことになっているが、それにしては立派な農場であり、また飼育している家畜も多い。このような作物や家畜も有事の際には天皇家の食卓に並ぶことになるのである。これは、正式に研究用として飼育されている動物に限った話ではない。

たとえば、第二学群と第三学群の間にある池の鯉もいざというときには食料となるものである。つまり、これらの動物はいわば皇室の財産なのである。単に池の鯉を捕まえただけで除籍というのはいまいち腑に落ちない感じだが、皇室の財産を勝手にとったとなればそれは非常に不敬なことであり、除籍もやむ終えないだろう。
 
このほかにも筑波大には、いざというときに脱走できるように地下道が張り巡らされている。この地下道はいざというときには防空壕としてもしようできるものらしい。筑波大学内を走るループ道路脇に何カ所か怪しい入り口があるので、筑波大に来られたときは是非見ておくと良いだろう。

もちろん、大学の様々な建物からも直接地下道に行けるようになっている。たとえば、第二学群C棟のエレベーターをご存じだろうか。エレベーターはちゃんとあるくせに押すべきボタンが1個も無く、全く使えない状態になっている。

何でこうなっているか分からなかったが、実はこのエレベータこそが秘密の地下道への入り口であり、特殊なリモコンによってのみ使えるのである。二学C棟には学類長室などが多く、いざというときに逃げ出せるようにしているのであろう。他学群についてはまだ調査を行っていないが、同様のシステムがあることが予測できる。
 
ほかにも、迷路のような筑波大学の建物配置、1階にいたと思っていてもいつのまにか2階になってしまう独特の構造など、これらどれをとっても筑波大学がいかに要塞化を中心に計画されたかが良く分かる。しかし、そのために平時に暮らしている私たちには不便なところも多いのだが.... 。

先日、茨城県で世界湖沼会議が開かれ、筑波大学が会場となった。そのため、皇太子殿下と雅子様が筑波大学を訪れになった。私はミーハーなので、わざわざお二人の姿を見に行ったのである。そして、その気品と優雅さにあふれる姿を見るにつけても、彼らがここで暮らさなくてはいけない日が決して来ないでほしいと、ただただ祈らずにはいられなかったのである....。 

なぜ、筑波の道はまっすぐなのか?
筑波に来た人がまず驚くのは、その田舎なところと道があまりにも立派なところである。筑波の街は東側の東大通り、西側の西大通りに挟まれた区画であるといっても良い。片側2車線(場所によっては片側3車線)の道路がすっとまっすぐに伸びている。

横を見れば最先端の研究をしてそうな研究所群。遥か北には筑波山。街路樹に囲まれ、目障りな電線や電柱も少ない。東大通りは日本の道100選にも選ばれているが、なるほど納得できる道なのである。
 
しかし、このような道も単にきれいな道を作りたいという建築家の意見とか、住民に優しい都市計画の結果とかでこうなったのではない。あくまでも首都機能代行都市としての必要性に答えるために作られているのである。
 
いうまでもないことだが、筑波の道はそのほとんどが滑走路として使えるようになっている。特に重要なのは西大通りの広くなった部分と、西大通りから西側の土浦学園線である。ここがメイン滑走路として使われるのである。そのため、いまだにこの部分には陸橋を作ることができないのである。

司令部は松代におかれ、ここで臨時大本営が戦闘の指揮を執る。壊れた飛行機などは西大通りから南大通りへと持っていって、いま電気屋街と言われているところで修理されることになっている。筑波のような田舎でなぜあれほどたくさんの電気屋がやってゆけるのか不思議であったが、これも各店がいざというときに飛行機を修理できる技術を持っていて、国から多額の援助がでているからである。
 
南方の守りは気象研究所のレーダーである。このレーダー、実は以前東京にいる人を傷つけてしまったというほどの威力を持つ。この「事故」があって以来、東京の方は向かないようレーダーは改修されたとのことだが、これはとりもなおさずまた直せば東京方面から来る敵を撃墜できるということを示しているのである。

さらに南方には生物系の研究所が多い。P3やP4の実験室で危険な病原菌などを扱っているところも多く、たとえばエボラ熱やマースブルグ病の病原菌などを兵器として使うことも当然検討されるだろう。
 
さらに衛星を使って地上にいる敵を攻撃することも考えられる。宇宙開発事業団は研究所が筑波にあり、そこでは衛星やロケットの管制を行っている。打ち上げるのはほとんどが種子島であるので、なぜ種子島に管制室を作らないのかということは若干不思議でもある。

現在は打ち上げ成功後しばらくしてからわざわざ管制を筑波に移すというめんどくさいことをしている。この理由も明白である。いざというとき筑波だけは守るために、筑波の中で衛星などを操作する必要性があったのである。文字どおりの空からの攻撃には敵も面食らうであろう。
 
いざ、筑波大の中に入ってもこれを制圧することはなかなかに難しい。なんと言っても最大の難所は「南大門」である。体育専門学群と芸術専門学群の建物であるが、まるで門のような形をしているため、「南大門」と呼ばれている。しかし、実際白昼戦の時にはこの建物が文字どおり筑波大の南の守りとなるのである。体専の屈強な男たち・女たちが集められ、この門を死守することであろう。

さらに南の宿舎地区では様々なレジスタンス活動が繰り広げられるに違いない。宿舎も非常に入り組んだ作りとなっているが、これも抵抗運動をしやすいようにパリの下町をモデルに造られたものだからである。

そして、こうして時間を稼いでいるうちに、筑波首都機能代行都市の最終兵器を準備するのである。

筑波の最終兵器、それは高エネルギー物理学研究所のもつ大加速器である。周回が3kmとも言われる大加速器に日本中の電力を集め、それを陽電子砲を使って敵にぶつけてやるのである。

実は筑波山の裏側には、「新筑波線」という日本有数の大容量を誇る電線が通っている。これは福島の原発などで作った電気を首都圏に運ぶためのものであるが、これを中断してしまって、さらに日本中すべての電気を高エネ研の大加速器に集めるのである。

東海村の原発、新潟の柏崎原発、福井県の原発、果ては北海道の泊原発まで最大出力にして、その電気を筑波へと送り込み、この最後の一撃にかけるのである。発射地点はおそらく、筑波山山頂であろう。
 
日本国が生き残れるか否か。起死回生の一撃、肉を切らせて骨をたつことができるのか?少なくとも、それを試す日が来ることはないことを望むのではあるが...。

これはフィクションです。おそらくフィクションだと思うのですが...。

※日本の秘密基地については、まとめ記事【日本の秘密基地、秘密組織、秘密部隊】にも。

870: 筑波の伝説 2000/09/08(金) 14:15
まあどっちかというと都市伝説ではないが、筑波の寮での話。

ある体育学部で陸上の選手だった学生が、不慮の死をとげてしまった。その後から彼が住んでいた寮で、夜中に誰かが走る音が聞こえるようになった。 

住んでいた学生達が、どうすれば死んだ彼が走るのを止めるのかを考えた。そしてゴールをつくれば走るのを止めるだろうとなり、ゴールをつくり、彼をゴールさせ、それ以来夜中に走る音は聞こえなくなった。

しかしある時、一人の学生が悪ふざけでスタートの鉄砲(名前わすれた)を鳴らすと、また彼は走り出してしまった… 

872: 名無しさん 2000/09/08(金) 14:28
>>870 
補足。 

その学生が「出る」ときは、まず寮の端っこの部屋の中から「うわぁっ!」って声が聞こえる。 

そして、その隣の部屋からも「うわぁっ!」って声があがる。驚く声は隣の部屋にどんどん連鎖していき、自分の番になって理由がわかる。ランナーの幽霊は、壁の中を突き抜けて走っていたのだ。 

そんなのが続くので、誰かが「ゴールさせてやろう」と言い出し、壁にゴールの紙テープを貼り付けておいたら、もう出なくなったという話。
 
914: 名無しさん 2000/09/12(火) 19:27
筑波学園のはなし。こどものころから筑波学園で育ちました。
 
色々怖い話はありますねぇ。これは、小学生の当時、担任から聞いた話です。

第三住宅と呼ばれる住居群を建設している建設作業員が、夜な夜な宿舎からでていくので、不思議に思った同僚があとをつけてみると、土葬の死体をほじくりだして召し上がっていたそうです。

あの地方にはもともと土葬の習慣があり、その上に都市が建設されているのです。
 
あちこちに公園がありますが、その多くには片隅に小さな神社みたいなのがあるのは、そういったものを鎮めようということのようです。