牛引き刑

・ギロチン・東海村JCO臨界事故・アイアンメイデン・石打ちの刑・白 暁燕

1: 名無しさん 01/11/20 01:15
経過が知りたい。


2: 名無しさん 01/11/20 01:17
バカボンのパパ

3: 名無しさん 01/11/20 01:20
>>2の人

8: 名無しさん 01/11/20 01:29
国で拷問をやるとこって、いったい全体どこまでやってるんですか? 

特にブラジルとかはすごいことヤッテルと思うんだけど。 情報求む。

9: 名無しさん 01/11/20 01:31
尾崎豊がボコられて死んだってほんと? 写真があったらしいんだけど。

※閲覧注意「尾崎豊 死体」画像検索結果。 

11: 名無しさん 01/11/20 01:34
牛裂きの刑で死にたくね~な。

牛裂きの刑
 
12: 名無しさん 01/11/20 01:34
死はどんなものであれ理不尽だと思う。 

強いてあげれば「自分の死」が、ほかのどんな死よりもひどいのでは?

13: 名無しさん 01/11/20 01:35
世界史板の方がこういう話くわしい人多いだろうな…拷問の歴史とか、死刑の歴史とか、そういうスレあったから。

17: 名無しさん 01/11/20 02:30
ドイツに中世拷問博物館ってのがあるんだけど、ありとあらゆる拷問道具があって面白いよ。針(というか5寸釘並)だらけの椅子とか、張りつけ台とか、ありとあらゆる物がある。日本語案内所も置いてある親切さ。

ちなみに中世で一番残酷といわれていたのは、「死の車輪」だそうです。

鉄で出来たソレ用の「車輪」で、罪人の身体のあらゆる可動部分(手、腕、足、腿、顔など)を一つ一つ押し潰します。当時の刑法に示された”絵”では、罪人の目玉が飛び出てるので、顔はやっぱり潰すようです。その時点で既に罪人は発狂というか、苦しみは極地に行ってます。

あらかた潰したら、罪人をその車輪に縛り付け高く掲げ、ワシなどに食わせるそうです。罪人は「生きてるだけの肉塊」にさせられたまま、ジワジワと息絶えるまで数日間かかるそうです。

あまりに見てて悲惨?なので、禁止になったとか。

18: 名無しさん 01/11/20 03:35
>>17 
ベルセルクでもやってましたなぁ。

19: 名無しさん 01/11/20 03:47
そういえば、「ギロチンに掛けられた罪人は即死しない」 「よって、残虐過ぎるギロチンは廃止すべきである」、 なんて言った偉い人?が、それを証明すべく、自らの命を投げ出しギロチンにかかった、なんて話あったよな? 

で、「もし首が切れた後にも意識があったら、まばたきして見せるから、切り離された自分の生首をよ~く見ていてくれ」ってな言葉を残して実際、それをやってのけたとか。 

これって作り話だっけ?

55: 名無しさん 01/11/21 14:00
>>19 
なんかの本に、ギロチンで落とされた首(処刑直後)に呼びかけたら目を開けたって書いてあった。試したのは医者だったそう。

何度か目を開けたそうだから、切られた直後の感覚/意識ってあるのかも。それ考えたら、スゲェ怖い。

81: 名無しさん 01/11/21 22:04
>>55 
ギロチンが発明される前は斧や刀で首を切ってたけど、一発で首が切れるのは稀で、悲惨だったらしいね。それで一発で首が切れるギロチンが発明されたって。 

だから>>19の話は、ギロチンでさえ死刑される人間に苦痛があるという事。 

同じ首を切る殺し方では、日本で「ノコギリびきの刑」というのがあったらしいね。ノコギリで少しずつ首を切っていくらしい。

「ノコギリびきの刑」でさらにキツイのが竹製のノコギリを使うもので、鉄製のものより切れ味が悪くて、中々首が切れなかったらしい。

25: 名無しさん 01/11/20 03:59
フランスの医師ギョタンが、死刑囚に苦痛を与えず即死させる器具を使うように提案したため、彼の名にちなんで「ギヨティーヌ」と呼ばれた。 ギロチンは、日本的な読み方。

※ ギヨティーヌ:ギヨタン博士の装置(子供)の意味(wiki:ギロチン

26: 名無しさん 01/11/20 04:01
ギロチンの「まばたき」ネタに関しては諸説あるが、その実験が実際に行われたことは間違い無さそうだ。 

※アントワーヌ・ラヴォアジエの処刑
酸素・水素・窒素の命名、および質量保存の法則を発見したフランスの化学者、アントワーヌ・ラヴォアジエがフランス革命の際に処刑されることとなった。彼がギロチンにかけられる際、処刑後の人に意識があるのかを実験するため、周囲の人間に「斬首後、可能な限り瞬きを続ける」と宣言して実際に瞬きを行なった」と言う話がある。

しかしながらラヴォアジエの処刑は35分間で26人を処刑する流れ作業の途中で行われ、その場にはラグランジュら数名の科学者が立ち合ってはいたものの、警察官の列によってギロチンから隔離されており、そのような実験をする時間も猶予もなかった。また実験を依頼されたのはしばしばラグランジュとされているにも関わらず、ラグランジュの著書にそのような記述は全くない。

よってこれらの話は事実ではなく、1990年代以降創られた都市伝説であると考えられる。(wiki:アントワーヌ・ラヴォアジエ

23: 名無しさん 01/11/20 03:55
そんなに前の話じゃないと思うけど、どっかの飛行機で強盗やって空中から飛び出して逃げたら、パラシュートがひらかなくて、地面に激突死したアホがいたよね。

※D.B.クーパー事件:
1971年11月24日にアメリカ合衆国で発生した、身代金を要求したハイジャック事件である。単独犯による事件であり、パラシュート降下による逃亡という大胆さなどから、アメリカ国内においてもっとも有名な未解決事件の一つとされる。
 
犯人は、身代金を受け取った後、飛行中のボーイング727の後部にあるエアステアを開けさせ、現金200,000ドルを持ってパラシュートで脱出した。検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には犯人は死亡したともいわれているが、死体は発見されていない。 (wiki:D.B.クーパー事件

24: 名無しさん 01/11/20 03:57
スキーのジャンプ競技ってさ、もともと罪人の処刑方法だったみたいね。 

それが今やオリンピック競技になるとはね…。

28: 名無しさん 01/11/20 04:31
>>24 
確か無事に飛び越えられたら無罪になるって、何かで聞いたか読んだ事がある。

44: 名無しさん 01/11/20 22:27
>>24 
それはただの俗説だって2、3日前のテレビでノルウェーの人が言ってたよ。普通に遊びから始まって、だんだん距離を競うようになったとかなんとか。 

それとも、あまり触れられたくない過去とか?(邪推)

※スキージャンプ競技:
1840年ごろのノルウェーのテレマーク地方が発祥の地とされる。スキーで遊んでいるうちに自然発生的に競技となったという説がある。 ジャンプを含むノルディックスキーがテレマーク地方を中心に発達してきたため、最も美しいとされ高得点に結びつく着地時の姿勢は、前述のように「テレマーク姿勢」とよばれている。(wiki:スキージャンプ

27: 名無しさん 01/11/20 04:08
なんだかなぁ。

29: 名無しさん 01/11/20 04:40
バケツで臨界起こしちゃった人たち。 

いくらあがいてもどうせ助からん状況なのに、メンツの為に生き地獄を何日も。

34: 名無しさん 01/11/20 17:27
>>29 
(ノд;)

※東海村JCO臨界事故:
1999年9月30日、JCOは、燃料加工の工程において、臨界事故防止を重視した正規のマニュアルに沿わず、ステンレス製のバケツを用いてウラン化合物の粉末を溶解していた。その結果、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、「むき出しの原子炉」の状態となり、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち2名が死亡した。

東海村JCO臨界事故」画像検索結果。閲覧注意。

・作業員A(当時35歳):16 ~ 20グレイ・イクイバレント(推定16 ~20シーベルト以上)被曝。

高線量被曝による染色体破壊により、新しい細胞が生成できない状態となる。まず白血球が生成されなくなったため実妹から提供された造血幹細胞の移植が行われた。移植術自体は成功し移植直後は白血球の増加が見られたが、時間経過と共に新細胞の染色体にも異常が発見され、白血球数が再び減少に転じた。59日後の11月27日、心停止。救命処置により蘇生したものの、心肺停止によるダメージから各臓器の機能が著しく低下、最終的に治療手段が無くなり、事故から83日後の12月21日、多臓器不全により死亡した。

・作業員B(当時40歳):6 ~ 10グレイ・イクイバレント(推定6~10シーベルト)被曝。

Aと同様に高線量被曝による染色体破壊を受け、造血細胞の移植が一定の成果をあげたことにより一時は警察への証言を行うまでに回復した。しかし放射線障害により徐々に容態が悪化、さらにMRSA感染による肺炎を併発し、事故から211日後の2000年4月27日、多臓器不全により死亡した。

・作業員C(当時54歳):推定1 ~ 4.5グレイ・イクイバレント被曝。

をしたは、一時白血球数がゼロになったが、放医研の無菌病室において骨髄移植を受け回復。事故から81日後の1999年12月20日に放医研を退院した。

※グレイ・イクイバレント:急性の影響を及ぼすX線の吸収線量。長期的な影響についてはシーベルトが用いられる。

(wiki:東海村JCO臨界事故

32: 名無しさん 01/11/20 17:22
アイアン・メイデンも辛いらしいね。

35: 名無しさん 01/11/20 17:31
アイアンメイデンは内側に巨大な針がつけられており、締められると全身を針が刺す!

しかし、急所は外しているので、入った人間は、出血多量で意識を失うまで、ずっと狭い鉄のなかで孤独を味わうのです。

アイアンメイデン
アイアンメイデン。「鉄の処女」ともいう。

36: 名無しさん 01/11/20 18:45
タリバン兵に捕まった人たちは、どんな方法で殺害されたの?

37: 名無しさん 01/11/20 18:54
>>36 
銃殺だって。

38: 名無しさん 01/11/20 19:34
北部同盟に殺されたタリバン兵って、結構酷い殺られ方されたんだろーなー。

39: 名無しさん 01/11/20 19:49
生首写真載ってたもんね。

40: 名無しさん 01/11/20 20:01
ポルポト派の少年達が行った拷問は、生きたまま縛り付けて、ハサミでジョキジョキ切ったりしたらしい。

42: 人間が一番恐ろしい 01/11/20 20:14
わりと近代まで宙獄で行われていた処刑で、広場に縛られて見物人がこぞって石をぶつけた後、生きたままちょこちょこ切っていくってのがあったらしい。 

しかもそれが連続写真に撮られていて、その上(笑)、フリージャズ(アバンギャルド系?)のミュージシャンがアルバムのカバーに使ってる。同ミュージシャンは残酷ジャケシリーズとかって何枚かあるよ。わりと有名でしょ。

51: 名無しさん 01/11/20 23:16
>>42 
「ジョン・ゾーン」、アルバム・タイトルはその処刑法名である、「レンツェ」。 

「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」はファースト・アルバムで、ベトナム戦争時に焼身自殺した僧侶の写真を使ってたっけな。

LENG TCH’E
ネイキッド・シティ
トイズファクトリー
1992-11-01


Rage Against the Machine
Rage Against the Machine
Sony
1992-11-12


※レンツェ(凌遅刑:りょうちけい)
清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。(wiki:凌遅刑)※wikiに刑執行写真あり。閲覧注意。

53: 名無しさん 01/11/20 23:27
>>51 
ジョンゾーン死体写真すきだよね。 

4頭の馬に手足ばらばらに繋がれてちぎられるのは、痛そう

名無しさん
>>53 
カランバという映画にそんな感じのシーンがあったな。 

170: 名無しさん 01/11/25 15:35
カランバもう一度見たい。

※残酷を超えた驚愕ドキュメント・カランバ:
1984年に日本公開された映画。世界各国のカメラマンが映し出した新聞やテレビで報じられない残酷なシーンを取り上げる。公開当時のテレビCMではジープに腕をくくりつけられた男の腕がちぎれるシーンが話題になった。

内容はヒマラヤの奥地での鳥葬の儀式、中東の戦線での凄絶な現場、映画撮影中のスタントマン転落事故の決定的瞬間、ボリビアでの牛の頚動脈を切って出た血を飲む奇祭、プエルトリコでの20階建てのビルの間の綱渡りで失敗し、道路に落下する決定的瞬間、アンデスでの聖ペテロと聖パウロの祝日に住民が二手に分れ石を投げ合う風習、インディオの収穫祭での市民同士でのムチを使った殴り合いなど。

なお現時点で日本国内でビデオ、DVDは発売されていない。原題「Dolce e selvaggio」英題「Sweet and Savage」で根気よく検索すればどこかで見れるかも?大手動画サイトでは見つからなかった…。(wiki:カランバ

31: 名無しさん 01/11/20 16:59
ニルヴァーナのコバーンはどう?

14: 名無しさん 01/11/20 01:40
カート・コバーンは喉に銃を当てて自殺だよ。怖いね。怖いと思わないかい?

43: 名無しさん 01/11/20 20:17
ニルヴァーな?

※カート・コバーン:
アメリカのロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカリスト兼ギタリスト。少年時代からのうつ病と薬物依存症に苦しみ、自殺未遂を経た末、1994年4月8日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見された。警察によると、死亡推定日は4月5日。遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が引用されていた。(wiki:カート・コバーン

45: 名無しさん 01/11/20 22:32
るろ剣の宇水

※るろうに剣心「魚沼宇水」。マンガです。

46: 名無しさん 01/11/20 22:33
鷹の団の面々

※ベルセルク。マンガです。

47: 名無しさん 01/11/20 22:35
>>46 
あれは、酷かった!

48: 名無しさん 01/11/20 22:51
15世紀末イタリアの話。 

自分の政敵の家族を、すり減って無くなるまで馬で引きずり回したカテリーナはイモラの女城主。今でもこの地方では、子供が悪さをすると「カテリーナが来るよ」と言ってビビらせるとか。 

生きながら体がすり減っていくなんて...ヒィィィィィィコワイヨ~!

63: 名無しさん 01/11/21 21:04
>>48 
日本でも、珍走の抗争で負けた方のリーダーがバイクで引きずられて、骨になったというのを聞いたことがあるよ。 

49: 名無しさん 01/11/20 22:52
実際すり減るもんなの? 皮がむけるだけならわかるけど。

50: 名無しさん 01/11/20 23:04
実際に試す訳にもいかんしなあ。

※カテリーナ・スフォルツァ(1463年~1509年5月10日):
ルネサンス期の女傑として知られる女性領主。上の話も含め真偽のほどは不明ですが、彼女に関してはこんな逸話も。

夫であるジローラモが暗殺された際、カテリーナと子どもたちは城外で反乱側に捕えられた。しかし、城の守備隊は降伏しなかった。そこでカテリーナは反乱側には守備隊を説得してくると言って、子どもたちを残し城に入っていった。彼女が城に入ったまま出てこないので、反乱側は人質の子どもたちを殺すと脅した。すると、カテリーナは城の屋上に立ってスカートを捲り上げると「子どもなどここからいくらでも出てくる」と叫んだのだった。これには反乱側もあっけに取られた。やがて援軍が到着し、反乱は鎮圧された。(wiki:カテリーナ・スフォルツァ



30: 名無しさん 01/11/20 16:57
やっぱ人間ミキサーでしょ。

52: 名無しさん 01/11/20 23:25
人間ミキサーみてええええええええ!

54: 名無しさん 01/11/20 23:29
人間ミキサーって、ジャッキーチェンのなんとかって映画に出てたような、扇風機みたいな奴? 頭からミンチになってくってやつ? 詳細キボーン!

56: 拷問ではナイが…。 01/11/21 15:38
梶原一騎の娘は中国で誘拐された後、身体の部分があちこち無い状態で、ドブに捨てられているのを発見されたね。

※梶原 一騎:
「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。

名無しさん
>>56 
脅迫に使うために本当に指を切られてたね。レ○プとかもかなりされてたみたいだし。死因は内臓破裂か何かでしょ。

68: 名無しさん 01/11/21 21:45
>>56 
そんな事件あったんすか?いつごろ? 梶原一騎の娘を誘拐してどうするの? しかもなんで中国?梶原一騎って中国人なの?

72: 名無しさん 01/11/21 21:52
>>68 
梶原一騎の元奥さんの、台湾人の女優さんの娘さんが誘拐されて残殺されました。李前総統が総統命令で犯人を銃殺させました(台湾には死刑が無いので)。

74: 名無しさん 01/11/21 21:55
>>72 
遺体は子宮が破裂して、肝臓にいたる傷がつくほどレ○プされたとか。あと、パーツがなくなってたらしいね…鬱だ…

※白 暁燕(パイ・シャオイェン):1980年6月23日、人気歌手、女優の白冰冰(パイ・ピンピン)の一人娘として、日本の漫画原作者の梶原一騎との間に台湾で生まれた。

1997年4月14日、17歳の暁燕が通学途中に誘拐された。犯人グループは500万ドルの身代金を要求した。冰冰はなんとか身代金全額は揃えたが、身代金受け渡しの失敗により、犯人グループは暁燕を殺害し遺体を遺棄した。
 
発見された暁燕の遺体は、胸、腹、肩や頭に殴打された跡や裂傷が多数みられた。肝臓破裂による大量出血で腹腔が膨張しており、左小指の一部を切断されていて、止血のためと思われる針金が巻かれていた。さらに強姦による処女膜断裂痕があり、首にロープが巻かれていて、死因は絞殺。直接の死因は窒息だったが、暴行による打撲で肝臓が破裂しており、その内出血で腹腔は大きく膨張し、肋骨もほとんど折れていた。

遺体発見時の写真を一部のメディアが掲載し、日本の写真週刊誌にも転載された。身代金受け渡しの際のマスコミの不手際が殺害の原因になったため、メディアへの批判が高まり、白母娘の住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた抗議の垂れ幕を下げた。当時の総統李登輝は、「犯人らを発見次第問答無用で射殺せよ」との命令を発した。
 
4月25日に警察が犯人グループのアジトをつきとめて急襲し、4人が逮捕されたが、3人の主犯格(林春生・高天民・陳進興)を捕り逃がした。

8月19日、台北市内で3人の主犯格と警官800人との銃撃戦が起こり、警官2人が死傷したが、林も6か所に銃弾を受けて自殺した。
 
10月23日、残る高と陳は台北市の整形外科病院で顔を強引に整形させた後、医師夫妻と女性看護師の3人を殺害して逃亡した。
 
11月17日、高が警官隊に包囲されると、再び銃撃戦を起こすが、逃げ切れずに拳銃で自殺した。
 
11月18日、最後に残る陳は、南アフリカ大使館の駐在武官官邸に人質5人を取って、立て籠もり事件を起こしたが、翌日、民進党の謝長廷の弁護の約束を受けて投降し、逮捕された。
 
1998年1月22日、裁判所は陳に対し5件の誘拐・殺人・強盗に対し死刑5回、別の暴行事件などで懲役刑合計59年9ヶ月を言い渡した。
 
1999年10月6日に陳の死刑が執行された。

  

【その2へ】