【その4】
牛引き刑

・三菱銀行猟銃強盗殺人事件

328: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/03 00:42
やっぱ三菱銀行の立てこもり事件か。酷い死に方というか、あまりに酷い空間。人質の耳切断したり、女を裸にしてバリゲード作ったり。 

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/mitubisi.htm
※リンク切れ。ウェブアーカイブより。
 
梅川昭美の42時間
1979年(昭和54年)1月26日午後2時半ごろ、梅川昭美(あきよし/30歳)は、ニッサン・ミロク社製の上下2連式12番口径(口径18.5ミリ)猟銃1丁、散弾実包33発(うち2発はすでに装てんしてあった)を携え、友人に盗ませたライトバンで、大阪市住吉区ある三菱銀行(現・東京三菱銀行※現・三菱東京UFJ銀行)北畠(きたばたけ)支店の駐車場前に乗りつけ、北通用口から同店1階に押し入った。


1973年(昭和48年)7月26日付けで梅川は猟銃所持の許可を得た。許可申請を受けた住吉署は当然、資格をチェックした。そのとき、梅川の少年時代の犯歴が判ったが、少年法60条には「少年のとき犯した罪で刑に処せられ、執行を終わったりした者は資格に関する法令の適用を受けない」と規定している。

また、銃刀法5条の許可基準もクリアしたので、住吉署は、この見るからに危なそうな男に猟銃の所持を許可せざるを得なかった。所持許可は5年ごとに更新されるが、このときも梅川は法令違反をしておらず、住吉署は許可の更新をした。

梅川は許可がおりて4日後の7月30日、大阪の浪速区の銃砲店で、住吉警察署の鉄砲所持許可書を見せて、20万円でこのときの猟銃を買っている。以来3年間、クレー射撃ばかりしていたが、その後、狩猟にも出かけるようになった。

梅川は午前中に理髪店で、パーマをかけたばかりのアフロヘアの頭に黒いチロル帽を斜めに被り、黒い服、サングラス、白マスクをしていた。ゴルフバッグから猟銃を取り出して構え、行員34人と来客17人に対し、大声で2回連呼した。

「みんな伏せろ!伏せろ!」同時に、天井に向けて連続2発威嚇発射した。すざまじい轟音が響きわたり、銃弾はコンクリートの天井をえぐった。破片がバラバラと床に降り注いだ。

女と子供たちの悲鳴が湧き起こった。客も行員たちも一斉に腰を浮かせていた。このとき、何人かの客が慌てて逃げ出した。男女の2人の行員もこれにまぎれ込んで逃げた。奥の方にいた数人の行員は2階への階段を駆け上がって逃げた。

支店長の森岡浩司(47歳)は、2階にいたのだが、銃声を聞くと1階へ駆け降りていった。森岡は1週間あまり前の17日に、ここの北畠支店に着任したばかりだった。

「金を出せ、出さんと殺すぞ、10数えるうちに、5000万円出せ」と怒号して、持ってきた赤いリュックサックを荒々しくカウンターに投げ出した。

そのとき、カウンター北東角の非常電話で2階に「強盗だ。早く110番してくれ」と連絡した営業係員の萩尾博(20歳)に対し、「何をしやがる!」とわめき、猟銃を発射し、数10個の散弾が顔や首に命中して死亡させた。

散弾の破片は萩尾さんの直ぐ脇でしゃがみ込んでいた、貸し付け係の古谷邦彦(当時26歳)の後頭部にも命中し、治療約8ヶ月の傷害を負わせた。

同時に、その散弾の一部が床や壁に当たってはずみ、カウンター東側、当座預金窓口下で身を伏せていた女子行員の左腕に命中し、ケガを負わせた。

観念した営業課長代理の森岩重悦(当時45歳)は震える手で、赤いリュックサックに、現金283万3000円を詰め込み、恐る恐る梅川に差し出した。梅川は不満げに周りを見渡すと定期相談窓口にあった12万円をわしづかみにし、さらに、多額のお金を要求した。

あらかじめ、梅川は逃走用として愛車の「コスモ」を銀行から西へ500メートルの路上に停めておいた。すぐにでも、発車できるようにエンジンキーを差し込んだままだった。

さらに、トランクに入れたナップザックには、その後の銃撃戦に耐えられるように、散弾が5ケース(125発)とバラで3発、合わせて128発用意していた。銀行に乗り付けたライトバンにも70発の散弾を残しておいた。

梅川は警察が駆けつけるまで3分はかかると読んでいた。だが、ここで予期せぬことが起こってしまった。

自転車で警ら中、銀行から命からがら難をのがれた女性客に「強盗や」と知らせれ、駆けつけてきた大阪府住吉警察署警ら第2係長の楠本正己警部補(52歳)は、ピストルを構え、「銃を捨てるんだ」と叫んだ。梅川は「撃てるなら撃ってみろ」とすごみ、楠本が天井に向け1発威嚇発射すると、梅川は猟銃を2発発射して、顔と胸に命中させ殺害した。

梅川はカウンターの内側に入り込み、行員に金を集めさせた。

そのあと、パトカーのサイレンを鳴らし、駆けつけてきた大阪府阿倍野警察署警ら第2係の前畠和明巡査(29歳)と大阪府警察本部二方面機動警ら隊の寺田伸司警部補(当時37歳)の2人に対し、猟銃を発射し、2人の胸に命中させ前畠巡査を殺害した。寺田警部補は防弾チョッキを着ていたため命拾いしており、その場から逃げ去った。

前年の4月、兵庫県にあるクレー射撃場の支配人は一心不乱に射撃訓練する梅川を観察していた。左右から発射されたクレー(標的皿)の撃ち損じが多いのに、正面から発射されたクレーに対してのミスは1発だけで、こちらの命中率はプロ並みだったという。

銀行の周りには、次々にパトカーが到着し、ジュラルミンの盾が築かれていった。梅川はこの時、篭城する決意を固めた。

梅川は支店長席に陣取り、男子行員に1階東・北各出入り口、キャッシュコーナー、窓などのシャッターを閉鎖させた。このとき、東出入り口にいた警官が傍らにあった自転車をシャッターの下に置いた。さらに、他の巡査が立て看板を運んできて噛ませた。これでやっと、40センチほどの隙間を確保できた。

これによって、北出入り口のシャッターも東出入り口のシャッターと連動する仕掛けになっていたため、同じような隙間ができてしまった。だが、カウンターが邪魔をしてその内側を見ることができなかった。

この時、2階の階段の方から住吉署長の説得が始まった。トラメガで増幅された声が店内に響きわたった。「こちら警察・・・」その言葉を鋭い銃声がぶっちぎった。女たちの悲鳴が湧いた。梅川は銃を構えたまま怒鳴った。「やめえ!やめんとぶっぱなすぞ」説得は中止になった。

客の中に、7歳と5歳の男の子2人を連れた主婦(当時32歳)がいた。小さい方が大声で泣き続け、なかなか治まらない。「ボク、立てや。あんたら、帰っていいで。2階から出るんや」客の中に妊婦がいた。梅川はこの女性も解放した。

その後、女性行員に命じて、楠本警部補の死体から拳銃1丁と実包2発を奪い取らせた。

午後2時45分ごろ、カウンター内に入り、1階店内に伏せていた行員31人(男性11人、女性20人)と来客8人(男性3人、女性5人)合わせて39人に対し、猟銃を突きつけながら「全員、手を上げて集まれ、逃げると撃つぞ」と怒号して、カウンター内に集め、支店長席を囲むように背中を向けて扇形に並ばせた。そして、梅川はその支店長席を陣取った。女子行員の何人かは同僚の肩に顔を伏せ、手を取り合って泣きじゃくった。

実は、梅川には気づかれてはいないが、行内には脱出できずに一夜を明かした5人の客が他にいた。1階フロアにいながらカウンターの陰に隠れていた女性(当時51歳)1人と、地下金庫室に隠れていた眼科医(当時72歳)とその妻(当時61歳)、貸金庫応接室にいた会社社長(当時69歳)と息子(当時32歳)である。これらの人も人質とするなら、合わせて44人が人質になったことになる。

梅川は客に対して「お客さんは、椅子にかけてもええぞ」と言って、客たちにいちいち座る椅子を割り充てた。「俺の方に背を向けて座れ。間はきっちり詰めて、隙があかんようにせえ。立ったり座ったりせずに、じっとかけとるんやで」

梅川は人質1人ひとりの名前を尋ねた。おびえきった女子行員はかすれて聞き取れない声である。「聞こえん。名前ぐらいしっかり言わんかい」と怒鳴りつけると、女子行員の中から悲鳴に似た泣き声があがった。胸の名札を確認しながら、ひと通り、名前を聞き終えた。

梅川の記憶力は、姓名に関しては抜群だった。バーテンやツケ取り立て人として、不特定多数の客と永年接してきた体験が育てたものであった。

午後2時50分ごろ、梅川は男子行員に向かって叫んだ。「責任者は誰や。支店長は前へ出ろ」しばらくして、森岡浩司支店長は1歩前に出て「私だ」と言った。

そのとたん、梅川は「お前が支店長か、何で、すぐ金を出さんかったか。こうなったのはお前の責任や」などと怒号して、2メートルの至近距離から猟銃を発射した。森岡は胸が蜂の巣となり、即死した。
これで、行員2人と警官2人の合わせて4人を殺害したことになる。

日本での人質事件において、これまでは、犯人がそれぞれ要求を出したり、主張をアピールし、警察側はそれを手掛かりに説得作戦を展開し、うまく解決してきた。警察官の死傷、犯人の自殺、射殺という結末はあったが、人質に死者が出た事件はこれが初めてであった。

梅川が人を殺害したのは、この日が初めてではなかった。15年ほど前の1963年の12月に、高校を半年ほどで中退した梅川は、生まれ故郷の広島県大竹市の土建会社で作業員として働いていたが、バイクを盗んで補導され退職。

その後、その土建会社の社長宅に侵入して、社長の義妹(21歳)をナイフで殺害し、現金や通帳を奪う事件を起こしている。梅川はそのとき、16歳に1ヶ月足りない15裁だったが、犯行の残虐さから中等少年院に入れられた。

広島家庭裁判所の資料によると、<少年の知能はIQ=101で普通域にあるが、その性格は内向的で、情緒が蓄積すると爆発する傾向があり、短気、わがままで、主観的判断に基づいて短絡反応を示しやすい。また、同情、あわれみ、良心など高等感情に乏しい情性欠如性の精神病質者である。

少年の病質的人格は既に根深く形成されていて、容易に矯正し得ない段階にきていること、また、少年が社会に出れば同様に多種の非行を繰り返し、再び犠牲者の出る可能性のあると思料されることなどを併せ考えるとき、少年の将来については非常に多くの問題が残されていると言わねばならない。>とある。

中等少年院を1年ほどで出てくると、大阪に行きバーテン兼ツケ取り立て人として働いた。以後、15年間、何事もなく過ぎていったのだが・・・。

支店の建物は、装甲車、パトカー、放水車などでびっしり取り囲まれている。機動隊、制服、私服の警官はすでに1000人以上に達していた。ロープの向こう側には、黒山の群集がひしめきあっていた。

男子行員に命じ、通用階段下、エレベーター昇降口、西側通路などに、机やロッカーなどでバリケードを作らせた。その2階には大阪府警による現地指揮本部が設置された。

梅川はもう、どこにも逃げられない、と覚悟していた。どうせ逃げられないなら、好き勝手なことをして死のうと心に決めた。

人質に「答弁係」「電話係」「見張り係」など新しい役割を与え、“独裁者”として振舞った。「答弁係」は支店の構造などを梅川に教える役であり、「電話係」は梅川に代わって外部に向け、意思を電話で伝える役をやらされた。

「見張り係」は現地指揮本部が設置された2階への階段口や東と北と出入り口付近に交代で立たせ、警察が近づくと手で合図する役をさせられた。
すでに、4人を殺害している梅川の命令に逆らう者など1人もいなかった。

梅川は毎月の本代が1万円を超えるほどの読書家だった。『ヒトラー』『ムッソリーニ』『スターリン』『チャーチル』『フロイト』『ドストエフスキー』『ニーチェ』などの伝記ものの他、『女をつかむ商法』『自己表現術』などのハウ・ツーものもあるが、その中心は大藪春彦で、『野獣死すべし』『狼は復讐を誓う』『機銃の裁き』『みな殺しの歌』『静かなる殺し屋』などのハードボイルド小説が本棚にズラリと並んでいた。

大藪の小説に登場する主人公はほとんどが、暗い過去を背負い貧しく孤独である。そして絶望の果てに、銃を取り自分の野望を実現させるためなら・・・。梅川は、そんな主人公と自分の姿を重ね合わせていった。
本好きのため、中学、高校の成績は他の教科は平均以下なのに、国語だけは10段階で「7」と良かった。

女子行員に対し、「服を脱げ、10秒以内に脱がんと順番に撃ち殺すぞ」と脅迫して、電話係の1人を除く女子行員全員の着衣を脱がせて全裸にして、支店長の机に外向きに座らせて人間バリケードを築いた。ちょっとでも、隙間があくと、詰めんかい、と怒鳴りつけた。

「俺は遊び人やからな。オナゴの裸はようけ見てきとる。今さら、ヌードの女が見とうて、服を脱がせたんやないで。お前らは、俺の家来や。家来は殿様の言うことはなんでもきかなならん。それを証明するために、裸にしただけや。妙な気はあらへんよって、その点は心配せんでもええ。

けど、マスコミのやつらがどう書くかは、保証でけへん。あいつら、エロ記事を書きさえすりゃ、新聞や週刊誌が売れると思うてるさかい、面白おかしゅうに書きたてるかもしれへん。そこまでは、俺の責任やない。はっきり言うとくけど、俺はオナゴの裸なんかに興味はない。そんなの、ガキが嬉しがるだけやからな」

その後、何を思ったか、「片親のもん、手をあげい」と言って、挙手した1人の女子行員には、服を着ることを許している。

梅川昭美は1948年3月1日、広島県大竹市で生まれた。父親46歳、母親42歳のときだった。両親はいずれも再婚で、昭美はひとりっ子だった。父親は脊髄を患い両足が不自由となり、レーヨン工場を退職した。と同時に、母親は昭美が小学5年生の頃に父親と離婚。

その後、母親に育てられたが、レーヨン工場の寮の炊事婦としての仕事に忙しく、昭美は放任されていた。また、その母親が文盲で無教養であったため、次第に母親を軽蔑するようになる。中学に入る頃には暴力行為などにより補導されることが多くなった。

中学卒業の頃、母親に現金、テレビ、バイクなどをねだるが、これが聞き入れられないと、母親を引きずり回し、刃物を突きつけ首を絞めるなどの異常な行動に走った。その後、電波高校(現・広島工大付属工業高校)に入学したが、1年生の夏に窃盗を犯し退学した。

父親は母親と離婚後、本籍地の香川県で易者として生計を維持していたが、昭美の非行を知って母親と相談した結果、復縁した。だが、昭美は両親とは共にせず大竹市に残った。その後、2度ほど両親の元へ帰るが、元々、両親とは親愛感が薄かったこともあって再び、大竹市に戻る。

「よう、見とれ。これからもの凄い惨劇が始まるんやさかい」「家内や子供がいてるんです。どうか命だけは助けてください」土下座して泣き伏した男子行員がいた。

梅川は顔をひきつらせて怒鳴った。「そんなの、関係ないわい」人並みな家庭生活を経験していない梅川には女房、子供への愛情など分かるはずもなかった。

最年長の行員らしく、比較的冷静沈着に行動するのが気に入らなかったのか、竹内貞夫(当時47歳)に対し、「お前が一番生意気や、何かをたくらんでいる」などと怒号し、猟銃を胸をめがけて発射したが、竹内が素早く身をよじり、心臓は避けられたものの、右肩に散弾が命中し、加療6ヶ月の傷害を負わせた。竹内はこのとき、10分後に血がひいて眠くなるのをこらえながら、死んだふりをした、とあとで述懐している。

動揺した中年行員が、ご機嫌を取るように言った。「もう撃たんでください。なんでもしますよって」「ほう、しおらしいこと言うやないか。なんでもするんやな、ほなら、これで、自分の耳切ってみい」梅川はポケットから100円硬貨を取り出して投げつけ、嘲るように言った。

ええかっこ、するんやない。そこいらの薬莢でも拾うてこい」行員は言われた通りに、10個あまりのつぶれた薬莢を拾い集めた。そうさせたのは、証拠を消すつもりだったのである。

梅川は女子行員の1人に訊いた。「死体はいくつになったんや? バンバン撃ちまくったさかい、数える暇がなかったんや」行員は倒れている人間の生死は確認できないが、少な目に答えた方が無難と判断した。「4人です」

梅川はニヤリとして言った。「ちゃう。4人やない。死体はもう人間やないんや。モノや。4個と言え、4個と・・・」その後、梅川は女子行員だけ裸になるのは不公平だと言って、男子行員に対して、上半身だけ裸にさせた。

午後4時過ぎ、また、トラメガの声が響いてきた。梅川は銃を構えたまま、受話器を掴むと110番を回した。責任者を呼ぶと早口でわめきたてた。「三菱を乗っ取ったもんや。マイクで怒鳴るのやめさせえ。警官も来させるな。言うこときかんと、人質を殺すぞ」

梅川は人質に向かって訊いた。「『八つ墓村』の映画、観たもんおるか?」誰も迂闊に手を挙げようとしない。「そいじゃあ、『ソドムの市』ちゅう、映画観たもん、いてるか?」話題作だったから、観た者がいたかもしれない。だが、誰もそれに応えない。

『八つ墓村』・・・1938年(昭和13年)に起きた津山30人殺し事件を元に、横溝正史が小説に書いているが、同じタイトルで映画化されたことはあまりにも有名。野村芳太郎が監督し、金田一役を渥美清が演じたこの映画は松竹系で1977年に公開されている。

『ソドムの市』・・・マルキ・ド・サドの小説『ソドム百二十日』を映画化した作品。ナチスの支配する第2次世界大戦末期の北イタリアの都市サロで、傀儡政権の大統領、僧正ら4人のファシストグループが狂暴な権力にものを言わせ、多数の美少女、美少年を古びた館に監禁、ゆがんだ欲望と悪徳の限りをつくした上に虐殺してしまう、といった内容。

この映画が日本で上映されたのは1976年の秋。梅川は大阪でこの映画を観て、よほど強烈な印象を受けたのだろう、友達に得意げに猟奇に満ちた異常なシーンを説明した。ちなみに、欧米ではあまりの過激な表現ということで上映禁止になった。

梅川は男子行員の1人に、刃渡り6、4センチのナイフを渡し、床に倒れた竹内さんの方を見て「まだ、生きとるやろ。とどめを刺せ。肝をえぐり取るんや」と言った。行員は「もう、死んでいますよ」と弱々しくつぶやいた。

「そんなら、耳を切り取れ。この世の生き地獄『ソドムの市』で、死人の耳を切る、あの儀式をするんや。恐怖の極地をお前らに見せてやる」

「切れません。切れません」行員は泣きながら哀願したが、梅川は「人間は極限状態になれば、命惜しさに何でもできるんや」と冷たく言い放ち、「お前も死にたいか」と銃口を向けた。

言われた通り、その男子行員は「すまん、すまん、どうか生きていてくれ、助かってくれ」とつぶやきながら、転倒していて拒否不能の竹内貞夫の耳の上半分をそいだ。竹内はあまりの痛さに失神してしまう。梅川はその耳片を口に入れ、「堅い、まずいなあ」とつぶやいてその場に吐き捨てた。

「ナチやったら、もっとひどいんやぞ」「戦争やったら、人を殺したら勲章もらえるんやで」「俺は精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」

女子行員を銃口でこづいたりしながら、梅川はゆっくりと歩き回った。男子行員も同じ運命だった。屈辱に耐え、怒りに肩をふるわせている者もいた。この間にも、事件のことを知らない取引先から電話が次々とかかってきていた。梅川は行員の何人かを指名して電話の応対にあたらせた。

気に食わない態度を見せた女子行員の髪をつかんで床を引きずり回したり、胸に銃口を押し付け「撃つぞ」と脅したりした。その度に女子行員たちは「助けてください。助けてください」と両手を合わせて哀願した。

梅川は自分の優位を誇り、行員の顔や肩スレスレに威嚇発砲した。その度に「キャー」という女子行員の悲鳴がシャッターを通して外の報道陣まで聞こえた。

午後4時50分、住吉署長は中断していた説得を再開した。2階からの階段を半分ほど降りていき、「落ち着いて聞いてくれ」と大声を出した。そのとたん、梅川の銃が火を噴いた。通用口の硝子が派手な音をたてて砕けた。

2分後、女子行員が110番に電話した。「近づくのはやめて。警察がくれば、人質を1人ずつ殺すと言っています」

しばらくして、2階の現地本部から電話が入った。電話に出た女子行員はヒステリックに叫んだ。
「電話なんかしないで。何もしないでよ。そうしないと、うちらが殺されるんよ!」別の女子行員に代わった。「何度言ったら分かるのよ。何も手出しはしないでよ。警察は人質の安全を少しは考えてくれてはるの?」

見張り役の男子行員や女子行員は、中の様子をうかがおうとする警官の姿が見え隠れすると、「近寄らないで下さい、近づくと私たちが殺されまーす」と切羽詰まった叫び声をあげ、梅川に積極的に知らせさえした。梅川と行員との間に奇妙な連帯感が生まれた。

断続的に猟銃などの威嚇発射を繰り返し、警察の現地捜査本部に対し20数回に渡り、電話をかけさせ、「警察官が1歩でも入れば人質を殺す」「1人ひとり殺してゆこうと思っている。弾丸はいくらでもある」「女の行員はみな裸で、死体がごろごろ転がっている。強行突破するなら裸の女の死体が並ぶぞ」と言わせて、人質行員らを脅迫した。

このあとも梅川は人質たちに屈辱的な行為を強要した。トイレの使用を禁止し、カウンターの陰で済ますように命じた。

2階の現地本部が1階に電話をかけ、梅川と初めて直接、話しをした。

「2階の警察や。人質は元気かね?」
「元気や。みんな、ピンピンしとるわ」
「きみは誰かね?」
「ミスターXや。そう呼んでもらおう」
「そうしとくか。じゃ、次だ。要求を聞こうやないか。言うてくれ」

返事はなかった。電話は素っ気なく切れた。

警察は東と北のシャッターに、ドリルで直径1センチの7つの覗き穴を作った。音を立てないように作業が進められたため、1つの穴を作るのに20分以上かかった。最初の穴が開いたのは、午後6時半過ぎであった。この穴から行内を見ることができたが、全裸の女性によって築かれたバリケードの陰になって、梅川の姿が見えなかった。

午後7時、梅川が要求したサーロインステーキとぶどう酒が差し入れられた。梅川が口にする食べ物に睡眠薬を入れる作戦も考えられたが、梅川が要求したビフテキのソースに睡眠薬を入れて、試しにソースを舐めた捜査員が舌を刺激するという理由で断念している。

あとで分かったことだが、梅川は食事の差し入れがあるたびに人質に毒味させてから口にしていた。ちなみに、こういった事件で、睡眠薬が使われたことは1度もないという。

現地指揮本部長となった大阪府警本部長の吉田六郎は「説得するにせよ攻撃するにせよ、まず、犯人の名前の割り出しが先決だ」と捜査員に檄を飛ばした。

犯人が銀行に押し入り発砲を始めた段階で、あわてて逃げた客や2階へ駆け上がって難を逃れた行員らの証言から警察は犯人を「30歳くらい、身長165センチ(実際は168センチ)、やせ型、胸に刺青」と第1報で流した。

刺青は、右胸に手のひら大の牡丹が1輪。左腕の上部から肩先にかけて、青黒い龍がうねり火を吐いている。だが、梅川は暴力団に出入りしたことはなかった。その理由は組織に対する拒否反応、もうひとつは気位の高さが考えられた。

犯人割り出し捜査は、犯人が乗りつけたライトバンに注目して調べることになったが、この車は盗難車であった。後部には「四日市市諏訪○○の○ □△焼肉店」の文字があった。日付は翌日の27日になろうとしていた。

だが、ライトバンを盗んだという男を捕まえたという報せが意外にも、岐阜県警から飛び込んだ。国鉄中央線多治見駅前にある交番の前を、まるで泥酔者のような落ち付かない素振りでうろつく男がいた。

警官が声をかけると、男は「大阪の銀行強盗はワシの友達だ。ウメカワという。ワシはあいつに車を盗んで提供してやった。車には四日市の焼肉屋の名前が書いてあるはずだ」と言った。「梅川昭美」はこうして浮上した。

梅川は大阪・ミナミのクラブでバーテン兼ツケ取り立て人などをして10数年働いていたが、1年ほど前にそのクラブがつぶれてしまったため、職を失っていた。それから2ヶ月後に、バーやクラブに客用の贈答品や景品を売り歩く商売を始めるが、うまくいかず開店休業状態だった。

その頃、友達の鍋嶋に銀行強盗への参加を説得していた。「15で殺しをやった。もう、あれから15年目の30歳だ。ここらで何か一発でかいことをやらんとあかん」強引に梅川に頼まれた鍋嶋は、1月12日に犯行に使用する車を盗んだ。このときすでに、三菱銀行北畠支店に決めていた。

梅川は鍋嶋に、銀行強盗する日に銀行の前で車に乗って待つ役を頼んでいたが、鍋嶋は「オレはおりる」と言ってそのまま姿を消してしまった。
梅川の友達というこの男、タクシー運転手の鍋嶋孝雄を窃盗容疑で逮捕。事件後、強盗殺人幇助罪で起訴された。

27日午前0時ごろ、梅川は警察側がドリルで開けたシャッターの穴に気づいて、行員に命じて、丸めた紙で内側から塞がせた。この穴はそのあと、開けられては塞ぐ、といういたちごっこが何度か続いた。現地指揮本部は、この穴から特殊カメラで梅川を撮影しているが、このときの写真が2月1日付けの毎日新聞に載った。

梅川はわずかな物音にも反応して発砲した。店内の要所に張り番させられた女子行員たちは、警察が近づくのを見つけるなり「こないでっ」と叫んだ。「今度、警官が近づいたら女を殺す」と宣言していた。

午前1時ごろ、女子行員たちは全裸、男子行員たちも上半身は裸で、警察の配慮で暖房は暖められたが、真夜中なので冷え込む時間帯であった。梅川は退屈しのぎのように言った。「寒いもん、疲れたもん、おったら、手をあげい」

思わず、2、3人が手を挙げた。
「文句の多いやっちゃな、お前ら、いっそ、死んでもろたら、寒くも辛くもないで」慌てて手を下す。「トイレの使用を許可する。ただし、1人20秒だけや。1秒でも遅れたら、誰か死ぬことになるさかい、よう、憶えとき」

カップ麺が2回に分けて20個と、熱湯を入れたポットが差し入れられた。行員たちはカップに熱湯を注いで回った。女子行員が近くの同僚にカップを差出そうとした。突然、怒声が飛んだ。

「何しとる!お客さんから先にせんかい、それが当たり前やろ」「こんなんじゃ、お前らの体がもたん。もっとカロリーの高いもん入れてくれるよう言え。こちらかて、神経すり減らしとるんやからな。それから栄養剤もな」

しばらくして、サンドイッチが10人分が差し入れられた。続いて、アリナミン、胃腸薬が届いた。梅川は全員にアリナミンを2、3粒ずつ配らせて言った。「こいつは疲労回復に効くさかい、みな、必ず飲むんや。まだまだ先は長いんやから」

梅川は健康と肉体に異常な執着を見せ、月刊の健康雑誌『壮快』を3年ほど前から毎号欠かさず読み、紹介されている食事法や体力づくりを試みていた。

午前2時40分(※事件発生から12時間経過)、客の老人が、トイレに行かせてくれ、と申し出た。

「爺さん、あんた、いくつや?」76と答えると、そないに見えへんかった、悪いことしたな、と詫びるように言い、まだ働いとるんか、仕事はなんや、財産はあるんか、と訊き、帰ってもええで、と宙で手を振り、長生きせなあかんで、と声をかけた。老人はよろめきながら2階に上がっていった。

午前3時53分ごろ、梅川はラジオの差し入れを要求していたが、30分経っても、差し入れられなかったことに、腹を立て、ロッカーに向かって発砲した。散弾の一部が、跳弾となって、行員の平尾小一郎(当時54歳)の顔をこすった。傷はたいしたことはなかったが、平尾は、そのまま、死んだふりをして床に倒れた。

また、その散弾の一部が、客の島光増太郎(当時57歳)のあごにも当たり、ケガを負わせた。島光は元刑事であった。刑事生活30数年のベテランで、西成警察署捜査係を3年前に退官していた。

梅川が銀行に入ってきたとき、島光は応接の長椅子にかけていたが、刑事根性が頭をもたげ、どうせ、モデルガンやろ、ひっ捕まえてやる。そう思い、周りの客の何人かが逃げ出したが、島光はカウンターに向かって、伏せろ、と叫んでいる梅川に、にじり寄ろうとした。そのとき、威嚇の2発が轟いた。あかん、本物や。気づいたときには島光は人質になっていた。

梅川は人質にいろいろと質問していたが、その中に職業があった。島光は元刑事、と答えたら間違いなく殺されると思い、大工の手伝いしていると答えている。

午前4時40分ごろ、冷え込みが一段ときつくなった。梅川は烈しく咳こむ人質の24歳のOLを解放した。

午前4時50分ごろ、捜査員は東側の現金自動支払機のキャビネットをはずし、幅5センチ、長さ1メートルの隙間を作り、日光が内部にもれて梅川に気づかれないように外から毛布を吊るした。そこは梅川を真横から見ることができる位置にあった。内部の様子もほぼつかめることになった。さらに、集音マイクで内部の声や音を知ることができた。

午前6時15分、要求したラジオが差し入れされた。梅川は会心の笑みを漏らし、しばらくはニュースに耳を傾けていたが、急に跳び上がり、荒々しく電話のダイヤルを回した。

「ニュースじゃ、えらい威勢のいいこと、言うとるな。強行突破する気か?でけるもんならやってみい。仏さんがゴロゴロ転がるでえ。それはそれとして、名前が違うとる。ラジオで言う俺の名前はテルミや。俺はテルミやない。アキヨシいうんや。よう調べてから放送せい」

受話器を机の上に転がしたまま、銃口を北側の壁に向け、1発ぶっ放した。白い粉がバラバラと床に飛び散った。

午前7時40分、カップ酒が1本と差し入れられ、人質の41歳の主婦を解放した。

梅川は「顔を洗いたい」と言って、洗面器と水を女子行員に取りに行かせた。指揮本部は色めいた。洗顔するとき、必ず銃を離すと確信したからだ。人間なら誰でも両手で水をすくう。最低5秒は目も水でくもり、銃を持ち直すまで時間がかかる。

ところが、梅川は片手で銃を持ったまま、もう一方の手で洗面器の水をすくった。顔半分を洗ったあと、銃を持ち替えて、別の手で残りの半分を洗い、同じようにタオルで顔をぬぐう。銃口は自分の前に立たせた女子行員に向けたままだ。突撃のために待機していた捜査員も舌打ちした。

午前8時過ぎ、錠前技術協会会員が、地下貸金庫室に通じる、銀行裏のドアを開けるのに成功した。密かに地階へ降りた捜査員は、貸金庫室にこもっていた老夫婦2人を救出した。

午前9時ごろ、梅川は突然、元刑事の島光増太郎に対し手招きした。「オッサン、お前の番じゃ」島光はいよいよ、やられると思い、ビクついていたが、梅川は「2階へ上がる番や」と言った。島光は、ホッとして2階に行こうとすると、梅川が呼び止めた。

「慌てるな、今、コーヒーを注文したがな」島光はコーヒーが嫌いで飲んだことがなかったが、断るとイチャモンつけられると思い、椅子に座ってコーヒーが来るのを待っていた。だが、そのコーヒーがなかなか来ない。島光にはこの時間が永く感じられた。

やっと、コーヒーが来た。島光はすぐに飲んでしまった。梅川は冷やかすように、「オッサン、そんなに慌てて帰らんでええやないか」と言った。島光は格好つけてゆっくりと階段を上がった。だが、上の方に行くと足の動きが速くなり、最後は駆けていた。

午前9時15分ごろ、梅川は自分のマンションの1階にある喫茶店「D」に電話した。そこの店主とはマージャン仲間であったが、他の仲間もそこに丁度、来ていて、電話に1人ずつ代わって、仲間への最期の挨拶をした。午前9時38分、朝刊が差し入れられた。

捜査本部は最後の切り札を出した。香川からヘリコプターで到着した梅川の母親の静子(当時73歳)だ。支店の西側階段をのぼり、2階の捜査本部に入った。捜査員の1人が受話器を取り上げ1階につないだ。

「もしもし」
「なんや」
「あのね、お母さんがあんたの声だけ聞かせてほしいと言うねん」
「・・・」
「ちょっとだけ話してくれるか」
「えっ?」
「あんたのお袋さんやがな」
「そらあかん、切るわ」

素早く、捜査員は静子に受話器を渡した。だが、遅かった。

「もしもし」
「(プー、プー)」

犯人の説得にその母親が呼ばれた前例として、1972年の連合赤軍によるあさま山荘事件がある。坂東、坂口、吉野の母親は息子に対し呼びかけたが、返事の代わりにライフルの発射音が返ってきた。「あきらめるのはまだ早い」捜査員は静子にボールペンと便箋を渡し、手紙を書いてくれるよう頼んだ。

「昭美」やっとの思いで書いた字はふるえていた。「お母さんが来ていますのよ」だが、次の言葉が浮かばない。
 
「朝のてれびで知ったのですが、おまえどうしたことをしたのです。いま、でんわをかけてもらったけれど、なんですぐ、きってしまったのか。いまそこにいるおかたを、わけをはなして、母上のたのみですから、ゆるしてあげてください。早く(人質を)だしてください、母上のたのみです、母より。」

捜査員はこの手紙を階下に差し入れた。梅川は手紙を女子行員に代わりに読ませた。行員は読みづらい字なので、ときどき、首をかしげて言葉を切る。梅川はそれを見て、自嘲するように言った。

「お袋は、そないな字しか書けへんのや。そんなお袋やけど、俺にはお袋だけしかいてへん。子供の頃から一緒に苦労したもんや。お袋は大好きや。一緒に暮らしたいと思うてたんやが・・・。」続いて、少年時代の強盗殺人、今回の事件の計画などをしゃべった。

梅川は狙撃されることを恐れ、常に自分の周りに人質を置いていた。その人質の間をついて梅川の頭を狙撃するには、照準器つきのライフルしかないが、たとえ梅川を倒しても、その弾丸が金庫室の鉄扉やカウンターのコンクリートに跳ね返り、人質の命も奪いかねない。ライフルの使用は断念せざるをえなかった。

午前10時10分、梅川は全員に服を着る許可を出した。午前11時48分、ビール差し入れの見返りとして、25歳の主婦を解放した。午後1時13分、弁当33人分が差し入れ、その見返りとして24歳のOLを解放した。

梅川は今朝、差し入れられた新聞を取り上げ、女子行員に命じて、声を出して読ませた。だが、緊張のあまり、ときどきつかえたり読み間違いをした。「新聞ぐらい、よう読まんかい。お前、どこの学校出ているんや?」行員は女子短大の名前を言った。

「短大出てりゃインテリや。俺みたいに高校もいっとらんかて、新聞くらい読める。しっかりせんかい」
梅川は新聞をひったくると、すばやく残りの部分を読んで聞かせ、「どや、こういうふうに読むんや」と胸を張った。

午後2時40分ごろ(※事件発生から24時間経過)、梅川は事業の失敗による負債やサラ金など、500万円の借金をかかえていたが、支店長席の電話を使い、借金先のダイヤルを回して「俺や、ごつい事件をうったのは、ニュースで知ってるやろ」と得意がり、「これから金を返しに、人をやるから待っとけ」などと、10ヶ所ほどに連絡した。

この借金の返済役を買って出た人質の業務係長の嶋崎溥(当時40歳)は、「私に行かせてください。必ず戻ってきます」と梅川に懇願した。警察もこれ以上の殺傷をしないこと、人質の解放を条件にこれを認めた。嶋崎は1階にあった501万円を持ち、2階に上がり、カバンに金を詰め込むと、午後2時55分ごろ、西口通用口から呼んでおいたハイヤーに乗り込んだ。

車は、厳重な包囲網をフリーパスして雑踏に消えていった。嶋崎には知らせてなかったが、ハイヤーのあとを覆面パトカーが尾行した。
だが、この場合の支払いは法律上無効で、警察は返済先を回り501万円を回収した。

1日以上の接触で、感情の動きを読み取れるようになっていた男子行員の1人が、思い切って申し出た。「負傷者だけは出してやってくれませんか」他の数人の男子行員も同じように懇願した。梅川は3人の負傷者を解放した。その後、要求したリポビタンDの差し入れと引き換えに、人質の19歳のOLを解放した。

午後5時ごろ、客の人質の25歳の男を解放した。その直後、要求した高級ワインのシャトーマルゴーが差し入れられた。午後6時5分、貸金庫応接室にいた客の父子2人が、ドア越しの捜査員の手招きに誘導され、廊下伝いに西側通用口から脱出に成功した。

午後6時45分、カウンターの陰にいた客の中年女性が廊下伝いに這って脱出した。これで、梅川に知られずに行内に残っていた5人全員が脱出に成功し、合わせて13人の客全員が生還した。

午後7時20分ごろ、要求した正露丸とパンシロンが差し入れられた。午後8時半、要求したうどんが差し入れられた。

午後10時10分、嶋崎は梅川の借金返済のため、5軒回って、再び人質として行内に戻るが、その前に、捜査員は突入時の手引き役を彼に頼んでおいた。この後、梅川は電話で実際に払われたかどうかを確認した。

このあと、熱を出して衰弱していた40歳の女子行員を解放した。これで、人質は、女性行員18人、男性行員7人計25人になった。

28日午前0時過ぎ、7人の警察の特殊部隊が38口径ニューナンブ回転弾倉式拳銃を携え、音が出ないように靴を脱いで、銀行西側の廊下に入り、突入の機会をうかがっていた。東南角の現金自動支払機と壁との隙間から偵察する警備部幹部が、梅川の動きを逐一、無線で知らせていた。

梅川は男子行員に命じて、北出入り口ロビー上に倒れていた前畠巡査から、拳銃1丁と実包5発を奪い取らせた。梅川はこびりついた血をチリ紙で拭き取ると、宙に向かって構え、引金を引いた。だが、発射しない。安全ゴムが引金にはめてあるのに気づかなかったのだ。

「故障しとるわ。ポリもいい加減なもんや。こんなもん持ってたかて、何の役にも立てへん」梅川は吐き捨てるように言った。5発の弾を抜いて、そのうちの4発を楠本の拳銃に詰めた。

午前0時55分、梅川は電話で、ブラシ、鏡、乳液、剃刀、石鹸、タオル、パッチを要求した。本部はすぐに差し入れた。

その頃から、遺体の腐臭が強烈になってきた。男子行員が外へ出させてくれと懇願した。梅川も異臭にはまいっていたらしく、すぐに許可した。

午前2時3分、4人の遺体を階段の下へ運ばせ、そこへ、担架を持って降りてきた救急隊員が受けとって2階へ運び上げていった。午前2時半(※事件発生から36時間経過)、非常階段から遺体が次々と運び出された。

梅川は銀行に入ったときにかけていたサングラス、帽子、散弾を抜いた猟銃を男子行員(当時19歳)に身につけさせ、替え玉にした。

午前3時25分、女子行員がビタミン剤と朝刊の差し入れ要求を出した。本部はすぐに、ビタミン剤を差し入れた。

午前4時、梅川は眠気を追い払うように立ち上がった。「お前ら、顔色がようない。そこへ並んで、体操せえ」一同は言われたままに、体を動かし始めた。

午前4時45分、梅川は人質たちを見回して言った。「飯を食おう。なんでも好きなもんを注文せえ。豪華メニューでいこ」

世話係が各人の注文を聞いてメモし、本部に電話した。ローストビーフ、サーロインステーキ、サラダ、握り飯、味噌汁、アイスクリーム、コーヒー、メロンなどであった。

午前6時57分、握り飯20個、スパゲティ3皿、味噌汁12人分、トースト3枚、きつねうどん1人分、バター1本、アラレ3袋、アイスクリーム25個、メロン5個が差し入れられた。

「うん、これが、最後の晩餐ちゅうやつやな。いや、朝やから、晩餐とは言えへんか」

食事が終わってから朝刊が差し入れられた。午前8時35分、特殊部隊のリーダーに渡されたメモには「両手で新聞を広げ、読む。猟銃、拳銃とも机、ウトウト、首落とす」と、書かれていた。

このとき、たまたま見張り役に立っていた嶋崎が右手の平を小さく前後に振って、合図を送った。午前8時42分、特殊部隊7人はバリケード代わりのキャビネットの隙間から、梅川に向かって突進した。

「伏せろ」7人のうち何人かが叫ぶ。ハッとして頭をあげる梅川。右手で拳銃をつかみ、撃鉄を起こそうとあせる。梅川から7、8メートルの距離で、6丁の拳銃を一斉に発射させた。

梅川の右首付近から鮮血が噴出し、椅子から崩れ落ちた。特殊部隊は死亡したと思い、顔面に白いハンカチをかぶせ手を合わせたが、梅川はうなり声をあげた。まだ、生きていたのだ。

大阪警察病院へ急送されるが、弾丸の摘出手術に入ったとき、すでに絶命していた。8発の発射のうち、3発が頭、首、胸に命中していた。こうして、42時間の惨劇は終わった。

だが、梅川の脳波は微かに動いていた。人工呼吸と2600CCにのぼる輸血が行われたが、意識は回復しなかった。

手術室の片隅で、梅川の母親の静子は小さな背をすぼめ、人目をはばかるように立っていた。「私だけは最後まであの子の味方でいてやりたかった・・・」とポツリとつぶやいた。

午後5時43分、脳波の動きを止めた。

 

330: あのろに名無・・・ 01/12/03 17:43
>>328 
これもヒドイ!人間一人でもあそこまでやってしまうんだ・・・銃は恐ろしいな。ついでに梅川地獄落ちろ! あの世でも死ね。

331: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/03 18:26
お母さんがかわいそうだよね・・・。

335: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 03:07
梅川母の神経おかしい。息子はもっとおかしいけど。

336: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 05:28
>>335 
ん?どんなとこが? 

世間に対しての謝罪とは別に「自分だけは息子の味方でいたかった」って気持ちは、親の本音としてありがちな感情なんでない。バカな子ほどカワイイとかってよく言うしさ。

337: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 11:18
>>336 
だね。愚かで哀しい母親のサガってか?

341: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 12:24
梅川の事件って映画化になってたよね「刺青(タトゥー)あり」宇崎竜童主演だったヤツ… 。
 
自分は公開処刑で殺されるのだけは…衆人環視の中で好奇の目に晒されつつ死んでゆくのは、何かくやしい。 



342: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 14:27
生きてる存在価値の無いやつに限って、ハデに死にたがるね。大勢が見てる前で電車あぼーん、とかさ。迷惑だっつーの。一人でひっそりジミーに逝って欲しいよ、マジ。

343: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 15:10
>>342 
俺はそういう心理が分かるような気がするよ。

そういう人たちって、目立たないから、自分の存在を認めて貰いたがる。そういう人は結構いると思うよ。または、最後に何か残したい、というのもあるかな。 前者が大きいと思うけどね。 

梅川は、確かに極悪だと思うけど、何ていったっけ・・・人質のいる篭城戦で、犯人が人質に対して親近感を覚える症状。あれに陥っていたんじゃない?

最初は凄かったけど、最後の辺りは割りと優しかったように感じた。 

347: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 15:57
>>343 
1.ミュンヒハウゼン症候群 
2.ストックホルム症候群 
3.クロワッサン症候群

349: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 01/12/04 16:47
>>347 
その3択に「犯人が人質に対して親近感を覚える症状。」の答はない。「人質が犯人に親近感を覚える症状」の正解は2にあるが。 

では再び3択。 
1.リマ症候群 
2.カルコラム症候群 
3.トゥパクアマル症候群

※ストックホルム症候群 :
1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったことなどから名付けられた。(wiki:ストックホルム症候群 )

※リマ症候群:
1996年から1997年にかけて発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件では、教育も十分に受けずに育った若いゲリラ達は人質と生活を共にするにつれ、室内にあった本などを通じて異国の文化や環境に興味を示すようになり、日本語の勉強を始めた者が出てきた。ペルー軍特殊部隊が強行突入をする中、人質部屋で管理を任されていた1人の若いゲリラ兵は短機関銃の引き金に指をかけていたが、人質への親近感から引き金を引くことができずに部屋を飛び出し、直後にペルー軍特殊部隊に射殺された。(wiki:リマ症候群 )

【その6へ】