灯
好爺と名無しさん達が語る、歴史上の人物の死に様に関する不思議なエピソード…。

1: 好爺 02/08/21 01:38
今年の夏、父が亡くなった。 

その事から有名人の死様が気になり、調べ始めると、オカルティックな死に方をした有名人がかなり多い。亡くなった方にご冥福を祈りつつ、そのオカルティックな死様を話し合おう。 

寺山修二曰く 

「人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体となるのだ」 

2: 好爺 02/08/21 01:39
ラスプーチンは、青酸カリを入れられた葡萄酒を飲まされたが、何事もおこらなかった。

そこで、ピストルで撃たれ、陰謀家の医者がその死亡を確認した。 

しかし、暗殺の首謀者は不安になり死体をゆすると、この死体は立上り彼を追ってきた。他の暗殺者がピストルを2発命中させ、やっと倒した。

彼らは河へ運び、念のため死体の両腕の両腕を後ろ手にくくりあげて、氷の穴に投げ込んだ。

二日後、ラスプーチンの屍骸が発見された時、縛ってあった縄がなくなっていて、右手が十字を切る形になっていた。

5: 名無しさん 02/08/21 01:49
>>2 
ヒ素だと思っていたけど、それはどーでもいい。毎日少量ずつ盛られていって、逆に耐性が付いたらしいね。 私はハンマーでも殴られたと読んだような…目玉が飛び出ていたらしい。

7: 名無しさん 02/08/21 02:15
>>2 
で解剖した結果、死因は水死でしたな。確か。

15: 名無しさん 02/08/21 03:12
>>2 
ラスプーチンは無胃酸症という説もある。 

青酸カリは酸と反応して青酸ガスを発生するけど、胃酸がないからガスが発生しなかったって話。

※ラスプーチン(1869年1月9日~916年12月30日):
帝政ロシア末期の祈祷僧。ロシア帝国崩壊の一因を作った。暗殺犯がロシア有数の大貴族や皇族だったため、警察は満足な捜査を行うことが出来ず、さらに、ソビエト連邦成立後に捜査資料の大半が破棄もしくは消失したためラスプーチン暗殺の詳細は不明な点が多く、様々な逸話が残されている

ラスプーチン
(wiki:グリゴリー・ラスプーチン)

9: 名無しさん 02/08/21 02:16
ラスプーチンのチ○ポは20インチ。
 
※暗殺者たちに切り取られた「ラスプーチンの男根」とされる、13インチ(約33センチ)の巨大な男性器のアルコール漬標本が、サンクトペテルブルクの博物館に保存されている。
 
19: 名無しさん 02/08/21 03:19
羽賀研二は23センチとか。
 
3: 好爺 02/08/21 01:45
エドガー・アラン・ポーは、亡くなった時に自分の墓を作るほどの遺産が無く、親戚の物がやっと墓石を作ってやったが、完成直前に打線した列車が飛び込んできてその墓石を砕き、それっきりになった。 

今の墓石は、それから27年目につくられたもの。

※エドガー・アラン・ポー(1809年1月19日 ~1849年10月7日):
アメリカの小説家。1849年10月3日、ポーは酒場にて異常な泥酔状態に陥っているところを旧知の文学者にたまたま発見され、ただちに病院に担ぎ込まれたが、4日間の危篤状態が続いたのち、1849年10月7日早朝5時に帰らぬ人となった。

その間ポーは理路整然とした会話ができる状態でなく、なぜそのような場所で、そのような状態に陥っていたのかは誰にもわからないままとなった。

その上奇妙なことに、ポーは発見されたとき他人の服を着せられており、また死の前夜には「レイノルズ」という名を繰り返し呼んでいたが、それが誰を指しているのかも分からなかった。一説にはポーの最後の言葉は「主よ、私の哀れな魂を救いたまえ」("Lord help my poor soul")であったという。(wiki:エドガー・アラン・ポー)

6: 好爺 02/08/21 01:55
ザビエルはその死後、いつまでも腐らずに生きているようだった。 

信者の1女性が、足の小指と薬指を噛み千切って持って去ったのをはじめ、ヨーロッパの各協会から右腕、内臓等遺骸の一部を送るように依頼があり、現在遺体の大部分は切り刻まれている。 

「食人種」に伝道にきたはずのザビエルは、キリスト教徒によってに食べられた。

※フランシスコ・ザビエル( 1506年頃4月7日~1552年12月3日):
カトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。ザビエルの遺骸の右腕下膊は、1614年にローマのイエズス会総長の命令で切断された。

この時、本人の死後50年以上経過しているにも係わらずその右腕からは鮮血がほとばしり、これをもって「奇跡」とされた。

以後、この右腕はローマ・ジェズ教会に安置されている。そしてこの右腕は1949年(ザビエル来朝400年記念)および1999年(同450年記念)に日本へ運ばれ、腕型の箱に入れられたまま展示された。

なお右腕上膊はマカオに、耳・毛はリスボンに、歯はポルトに、胸骨の一部は東京(カトリック神田教会聖堂)になどと分散して保存されている。

_Francis_Xavier_1949
ザビエルの右腕は1949年(ザビエル来朝400年記念)および1999年(同450年記念)に日本へ運ばれ、腕型の箱に入れられたまま展示された。写真は1949年に日本に運ばれた時のもの。(wiki:フランシスコ・ザビエル)
 
8: 名無しさん 02/08/21 02:15
アインシュタインも悲惨な状態になったような…。 

372: 名無しさん 02/10/03 03:40
アインシュタインは己の脳味噌を研究のために献体で提供した? 

であっちゃこちゃの研究機関に脳の薄切り?コマ切り? が渡されたんだっけ?

373: 名無しさん 02/10/03 03:54
アインシュタインは、研究のために解剖されたんだけど、その中の一人の医師だか助手だかが、脳ミソを持って行っちゃったんじゃなかったか?それで、最近までその人が保存していた。 

彼は金が無くなって生活に困ると、研究家や物好きに、アインシュタインの脳ミソを少しずつ切り売りして金を作った。 

日本人の誰かが、アインシュタインの脳ミソを探す旅をして、その様子がドキュメンタリータッチの映画になってたよ。 

で、ついに持ち主を探し当てて、「ちょっと分けてもらえませんか?」と言ったら、あっさり「いいですよ」と、まな板の上に脳ミソをドンと乗せて、包丁でちょびっとスライスしてくれたそうだ。
 
最近では、脳ミソはちゃんとした研究機関に渡り、「天才の脳の構造」を研究するのに役立っていると、「特命リサーチ200X」でやっていた。

374: 名無しさん 02/10/03 03:58
>>373 
そんなカケラでわかるもんなの?

375: 名無しさん 02/10/03 04:05
研究機関に渡ったのは、本体の方だよ。本体の脳ミソは、まだ結構なかたまりで残ってたから。 

研究の時は、やっぱりスライスされてたけどね(顕微鏡で見るため) 。脳細胞のネットワークが、普通の人とは違うそうだ。 

例えば、凡人の脳のなかの情報伝達が1→2→3→4→5→6→7→8→9→10 という風になされるとしたら、天才のは1→10という風に、途中をすっ飛ばしてしまうらしい。 

アタマの回転の速さとか、ヒラメキとかいうものらしい。でもウロ覚えだ。間違ってたらスマソ。

377: 名無しさん 02/10/03 04:27
>>375 
1→10ってのはいいねぇ。 

アインシュタインが「頭はからっぽにしといたほうがいい。何でもはいるから。知識は近所の図書館を利用すればいいのだから、知識に執着することはない」 とか言ってたから、それこそが2~9をカットした天才の考えか?と。

376: 名無しさん 02/10/03 04:24
「アインシュタインの脳」という映画だった。
 
脳ミソの「追っかけ」をしてたのは、近畿大学の杉元教授だって。

※アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日~1955年4月18日):
ドイツ生まれの理論物理学者。死後、アインシュタインの遺体は焼却され灰は近くの川に流された。しかしアインシュタインの解剖を行った解剖学者トマス・ハーヴェイは遺族の承諾を得ずに、脳だけを自宅に持ち帰り、40年間も手元に置き、スライスした切片を求めに応じて知人に配布し、その後世界各地の博物館・科学館でアインシュタインの脳の切片の展示が行われるようになった。晩年、彼は脳の残りをアインシュタインの孫娘に返却している。(wiki:アルベルト・アインシュタイン)

10: 名無しさん 02/08/21 02:25
失踪をテーマにした小説も多いアンブローズ・ビアスは、失踪して消息不明になった。 

...ように見せ掛けて死んだという説もあるが。

16: タイムパトロール 02/08/21 03:14
>>10 
アンブローズ・ビアスさんなら未来にいきました。

144: 名無しさん 02/09/01 21:24
「悪魔の辞典」を書いたアンブローズ・ビアスは、行き止まりの洞窟に入っていった。あとを追った人がいたが、ビアスの姿はどこにもない。結局そのままこの世から消えたらしい。 

10年くらい前の、ドラえもんの長編映画の原作の単行本で知った。「日本誕生」だったかな。

大長編ドラえもん9 のび太の日本誕生 [ 藤子・F・不二雄 ]
大長編ドラえもん9 のび太の日本誕生 [ 藤子・F・不二雄 ]

149: 名無しさん 02/09/03 06:05
>>144 
キテレツ大百科にもあったな、その話。 
 
162: 名無しさん 02/09/03 20:19
>>144 
ビアスはグランドキャニオンで死去。 『失踪』はネタなんですよ。(藁)

171: 名無しさん 02/09/04 01:27
>>162 
グランドキャニオンで失踪したのでは?

※ アンブローズ・ギンネット・ビアス(1842年6月24日~失踪):
アメリカの作家。1913年10月、71歳のビアスは、かつて関わった南北戦争の旧戦場をめぐる旅に出た。12月までの間に、当時メキシコ革命のために混乱状態にあったメキシコに入国し、軍にオブザーバーとして加入し、その立場で戦いを取材した。

そこから古馴染みの友人に1913年12月26日付で宛てた「私自身もまた、明日ここを去ればその先どこに向かうかはわからない」と記した手紙を最後に消息を絶った。
 
ビアスの失踪はアメリカ文学史上もっとも有名な失踪事件のひとつとなった。その行方を探る試みは何度も行われたが発見されることはなく、行き止まりの洞窟に入って二度と出て来なかった、戦場で横死した、銃殺刑に処された、そもそもメキシコに行ってない、と、諸説さまざまである。(wiki:アンブローズ・ギンネット・ビアス)

14: 好爺 02/08/21 03:08
平賀源内は、田沼意次の別荘を当初の請負業者の3割で出来ると云って、その請負業者と喧嘩をしたが、自分の設計図を見せて相手を納得させ和解して、酒盛りをしてその業者を家に泊めた。 

次の日、設計図がないと口論になり興奮のあまり、その業者を斬った。のちほど、その設計図は別の所にあった。これが原因で牢に入り、破傷風にかかって死んだ。 

この凶事がおこったのは、以前から幽霊が出るということで、源内が安く手に入れた家であった。源内はこの家で、幽霊に付いても研究していたと言われている。

※平賀源内(1728年~1780年1月24日):
江戸時代中期の人物、発明家。ただし晩年については諸説あり、上記の通り大工を殺したとも、逃げ延びて書類としては死亡したままで、田沼意次ないしは故郷の高松藩の庇護下に置かれて天寿を全うしたとも伝えられるが、いずれもいまだにはっきりとはしていない。 (wiki:平賀源内)

20: 好爺 02/08/21 03:22
キャプテン・キッドは処刑の前にテムズ河を見渡して、 「ここを上下する船長は、みんな俺の運命から教訓を受けるといい」 と呪いの言葉をはいたが、彼の死後、屍体にタールを塗られ鎖に吊るされ、数年間彼の遺言どうり、そこを上下する船乗りの警告となった。

※キャプテン・キッド(ウィリアム・キッド)(1655年ごろ~1701年5月23日):
スコットランド生まれの海賊船長。遺体はタールを塗られ、散り散りにならないように鉄の輪をはめられた上で鉄の檻に入れられ、海賊を志す者に対する警告としてテムズ川の絞首台に数年間放置された。

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 吊るされたキッド船長(wiki:ウィリアム・キッド)

22: 名無しさん 02/08/21 03:24
ジャンヌ・ダルクは火あぶりの刑にされたが、心臓だけはどうしても燃えず、セーヌ川に投げ捨てられたと伝記で読んだ。なんだか怖かった。

25: 名無しさん 02/08/21 03:29
>>22 
つまりサイボーグだったわけですよ。

33: 名無しさん 02/08/21 20:49
>>22 
ジャンヌが火あぶりにされている途中、白鳩が火中から飛び立ったという噂が流れる。その5年後、メッツの街にジャンヌを名乗る女性が出現。本物だと騒がれる。シャルル7世大恐怖。 

という話もあるよ。

※ジャンヌ・ダルク(1412年頃1月6日~1431年5月30日):
フランスの軍人。火刑に処せられて息絶えたジャンヌが実は生き延びたと誰にも言わせないために、処刑執行者たちが薪の燃えさしを取り除いて、黒焦げになったジャンヌの遺体を人々の前に晒した。さらにジャンヌの遺体が遺物となって人々の手に入らないように、再び火がつけられて灰になるまで燃やされた。灰になったジャンヌの遺体は、処刑執行者たちによってマチルダと呼ばれる橋の上からセーヌ川へ流された。(wiki:ジャンヌ・ダルク)

23: 名無しさん 02/08/21 03:27
戦国時代に追い詰められて、天守閣で切腹して、自分の内臓つかんで敵に投げつけて死んだ武将誰だっけ?

29: 名無しさん 02/08/21 11:04
>>23 
柴田勝家。 

織田信長への降伏を拒否し、信長の欲しがった茶器とともに自爆死した、松永久秀というのもいます。

※松永久秀[まつなが ひさひで](1510年?~1577年11月19日):
織田信長に対して謀反を起こした松永久秀は、居城信貴山(しぎさん)城に立てこもり、これを信長は4万もの大軍で一斉に攻城を開始した。しかし信貴城は簡単に落城せず、名器・平蜘蛛茶釜(ひらぐもちゃがま)を城外へ出すよう求めた。

久秀は「平蜘蛛の釜と我らの首と2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにする」と返答した。織田軍の攻撃により、久秀は10月10日に平蜘蛛を叩き割って天守に火をかけ自害した。(wiki:松永久秀)

31: 名無しさん 02/08/21 19:07
>>23 
柴田勝家…かなあ?「私の切腹を見て後の手本とせよ」うんぬんは言ったそうだが、内臓をつかんで投げたのは、幕末に外人の見ている前で切腹した薩摩藩の藩士が有名。 

もしかしたらそれと混ざっているのかも…。

※柴田勝家(1522年?~1583年6月14日):
秀吉に敗れた勝家は、居城北ノ庄城にて「修理の腹の切り様を見て後学にせよ」と声高く言うと十字切りで切腹し(最も正式の切腹の作法)侍臣に介錯させた。これに殉死するもの80余人。侍臣はかねてから用意した火薬に火をつけ、天主とともに勝家の一類はことごとく亡くなった。(wiki:柴田勝家)

32: 名無しさん 02/08/21 19:26
>>31 
横山光輝の漫画に、勝家が内臓投げるシーンがあったような。 

その同僚だった丹羽長秀にも、病根の内臓を自ら切り出して、秀吉に送ったというエピソードが…

※丹羽 長秀[にわ ながひで](1535年10月16日~1585年5月15日):
胃癌のために死去したと言われているが、死因には異説もあり、一説では織田氏をないがしろにする秀吉の振舞いを見て、信長の恩義に応えることができなかったことを悔いて割腹自殺したという説もあり、その際に自ら取り出した内臓、それも病巣の部分を秀吉に送りつけたとも言われている。(wiki:丹羽 長秀)

37: 名無しさん 02/08/22 11:27
>>29 >>31 >>32 
ありがとう、すっきりしました。漫画と混ざっているかどうかは、判らないなあ。コレ人からきいて「すげえ武将がいるんだな」と思っただけだから…。 

昔は肝のすわった人がいたもんですねえ。

154: 名無しさん 02/09/03 11:06
>>37 
追い詰められたいうと語弊があるが、腸を投げたというと高橋紹運を思い出す。 

※高橋紹運[たかはし じょううん](1548年~1586年9月10日)
島津氏が大友氏を滅ぼすべく岩屋城・宝満山城のある太宰府まで北上。大友氏の家臣である紹運は防御の薄い岩屋城にておよそ763名と共に迎撃にあたった。5万の敵に引けを取らず、半月に及ぶ戦いの末、敵兵多数を道連れにし玉砕。紹運も切腹し、腸を投げつけて果てるという壮絶な最期を遂げたという。(wiki:高橋紹運)