【その5】
灯

209: 名無しさん 02/09/07 13:55
万里の長城作れと命令した人はすごい死に方だよ。

213: 好爺 02/09/07 16:10
>>209 
秦の始皇帝は、旅の途中に死病にかかり亡くなった。 

彼の死を隠したい宦官の一人により、馬車にいるように騙しながら旅を続けたが、悪臭が酷くなったので、車に干魚を山のように積んでその匂いをごまかした。

※始皇帝(紀元前259年~紀元前210年):
伝説によると、彼は宮殿の学者や医師らが処方した、不死の効果を期待する水銀入りの薬を服用していたという。始皇帝の死が天下騒乱の引き金になることを恐れ、死を隠したという。(wiki:始皇帝)

214: 名無しさん 02/09/07 17:23
>>209>>213 
始皇帝は、ばらばらだった長城をくっつけて万里の長城にした、ってのは知ってると思うんだけど、>>209の言う、万里の長城「作れ」と命令した人ってのは始皇帝で良いのか? 

あまり凄い死に方とは思えないわけだが…。

※万里の長城は当時の各国の手によって作られ、厳密に言えば「作れと命令した人」は各国の頭首(複数)と言えますが、テスト的な回答には「万里の長城をつなげて一つにした人」ということで始皇帝で正解だと思います。(wiki:万里の長城)

216: 名無しさん 02/09/07 21:33
オットー・ラーンの死に方も不思議だったと聞いたのですが、誰か知っている人はいませんか? 

217: 名無しさん 02/09/08 17:44
オットー・ラーンって誰ですか? 神聖ローマ帝国のオットーなら知ってるけど。

218: 名無しさん 02/09/08 18:55
>>217 
ヒトラーが入れ込んでた研究者で(というか、ヒトラーは真面目にシャンバラを探したりしてたらしく、その延長線上にある人らしいです)、どうやら、何か探しにいってそのまま消えてしまった、というような話だったと思ったのですが。 

219: 名無しさん 02/09/08 20:49
遭難したんだろ。チベットかどっかで。

225: 名無しさん 02/09/09 02:14
>>219 
それが、フランスらしいんですよ。知っている人いませんかね? 

227: 好爺 02/09/09 13:27
オットー・ラーンって人は、中世のグノーシス主義教団カタリ派と聖杯伝説を研究し、悪魔ルシファー(光の子の意)はゲルマン人種にとってまさしく「光をもたらす者」であったと主張する『ルシファーの従僕たち』『聖杯にたいする十字軍』などをを書いた人とまでは、わかったんだけど… 。

どうも、キリストの血を受けた聖杯を探しに行ったみたいですね。このへんの話が、インディ・ジョーンズでのドイツ軍とのからみに使われているんでしょうね。 

※オットー・ラーン(1904年2月18日~1939年3月13日):
ナチ親衛隊を辞任したのち、オーストリアの山腹で凍死してるのが発見されるが、自殺とされている。(wiki:Otto Rahn)

229: 好爺 02/09/09 13:44
ロマン・ポランスキーの妻である女優シャロン・テートは、チャールズ・マンソン率いるカルト集団《ファミリー》に 惨殺された。シャロン・テートは妊娠していてお腹の胎児とともに殺された。 

このへんは、『シャロン・テート殺人事件』という映画に詳しく描かれている。

230: 名無しさん 02/09/09 17:15
>>229 
それはオカルトってゆうかグロ。

※シャロン・テート(1943年1月24日~1969年8月9日):
26歳没。当時シャロンは妊娠8か月で、襲撃を受けた際に「子供だけでも助けて」と哀願したというが、それが仇となりアトキンスらにナイフで腹部を含む16箇所を刺されて惨殺された。シャロンの前にその家に住んでいたテリー・メルチャー(ミュージシャン)が、犯人であるマンソンの音楽をメジャーデビューさせられなかったことによる逆恨みの犯行であり、人違い殺人であった。(wiki:シャロン・テート)

231: 好爺 02/09/10 08:32
サマセット・モームは、死の間際、甥のロビンに対して会話の最中に

「部屋に入ってくる奴は誰だ?出てゆけ! 俺はまだ用意はできていないんだ。俺はまだ死んじゃいないんだ。死んじゃいないんだぞ」

 と、恐怖に満ちた顔で全身震えながら、ドアのほうへ目を向けながら叫んだ。戸口には誰の姿も見えなかった。 

この時彼は91歳。ボケていたのか、狂っていたのか、それとも本当に何かを見たのかは誰にも不明である。

232: 名無しさん 02/09/10 09:53
>>231 
ああ、ウチのじーちゃんもそんな事言ってたよ。

※ サマセット・モーム(1874年1月25日~1965年12月16日):
イギリスの小説家。最晩年は認知症を患い、親族と被害妄想などのトラブルを起こしていた。(wiki:サマセット・モーム)

239: 名無しさん 02/09/11 00:55
高島嘉右衛門。 

かの有名な高島易断の創始者にして近代屈指の易者だが、この人は自分の死期を占い、そしてその通りになったらしい…。

※高島嘉右衛門[たかしま かえもん](1832年12月24日~1914年10月16日):
易断家。親交のあった人相家の桜井大路が、病床の嘉右衛門を見舞ったときに嘉右衛門の死期が話題となった。意を決して余命3ヶ月10月中旬までの寿命と答えた桜井に対して、手文庫に用意した嘉右衛門自身の位牌を見せたという。その位牌には「大正三年十月十七日没 享年八十三歳」と自書してあったと伝説が残っている。(wiki:高島嘉右衛門)

250: 好爺 02/09/15 09:29
イギリスの名誉革命の主役であるクロムウェルは1658年死亡し、盛大に葬儀が営まれた。 

しかしまもなく政治情勢が逆転し、彼の棺があばかれ、遺体はバラバラにされ、首は鉄棒の先に突き刺されて、24年にわたってロンドンに晒された。 

ところが大嵐で彼の首は落ち、1710年ごろこの首が売り出された。 

518: 名無しさん 02/10/23 05:02
>>250 
クロムウェルは名誉革命じゃなくて清教徒革命だろ。

※オリバー・クロムウェル(1599年4月25日~1658年9月3日):
1660年に王政復古を行うと、すでに死亡していたクロムウェルは反逆者として墓を暴かれ、遺体は刑場で絞首刑ののち斬首され、首はウェストミンスター・ホールの屋根に掲げられて四半世紀晒された。その後、クロムウェルの首は何人かの所有者を経て、現在では母校であるケンブリッジ大学のに葬られた。(wiki:オリバー・クロムウェル)

254: 好爺 02/09/15 17:35
首切り浅右ェ門の家では、内職に浅山丸という肺病の薬を金二分で売っていた。 

それは切った罪人の体温があるうちにミゾオチあたりを切開き、胆嚢を引き出して切り離し、胆汁が俺ないように切り口を糸で縛って陰干しし、これでケシ粒ほどの丸薬を作ったものだったもの。 

なお浅右ェ門は夜寝ると首のバケモノに襲われるというので、女性に三味線を弾かせて夜を明かし、明け方からようやく眠ったという。

※山田浅右衛門:
江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称。死刑執行人も兼ねていた。

当時の日本では、刀の切れ味を試すには人間で試すのが一番であるという常識があった。平和な江戸時代においては、試し斬りの手段としては、浅右衛門に依頼するのが唯一の手段であった。罪人の数が、試し斬りの依頼のあった刀の本数にはとうてい追いつかないため、斬った死体を何度も縫い直して、1人の死体で何振りもの刀の試し斬りを行った。(wiki:山田浅右衛門)

255: 好爺 02/09/16 04:15
ラバウル基地から各基地を視察激励のため、一式陸攻二機、護衛戦闘機六機をもってラバウルを飛び立った。しかし、暗号が解読されていたため、この情報はアメリカに筒抜けで、ロッキードP38数十機の攻撃を受けた。 

ジャングルに撃墜された一式陸攻は焼けただれ、廻りに死体が散乱していたが、林の中に一個飛び出している飛行機の座席に山本五十六が座っていた。
 
彼は、草色の略服を着て白手袋をはめた手で軍刀を握って座っていたが、近づくと、顎の下からこめかみにかけて打ち抜かて死んでいた。 

他の死体はおびただしい蛆が発生していたが、山本のみは比較的綺麗であり、彼の死が他のものより遅く訪れたと考えられるが、頭部は打ち抜かれている(自害なら、銃を持っていなければおかしい)。
 
しかも、どうして彼だけが、椅子にこんな姿勢で座っていたかは謎である。
 
257: 名無しさん 02/09/16 20:00
>>255 
阿川氏の本とかだと、山本五十六の側で死んでた高田軍医が、自分が死ぬ前に運び出した&綺麗に座らせたんじゃないか、みたいな説があるみたいですな。
 
戦争中って、ある意味不可思議な死に様の話には事欠かんと思うのだけど、軍事知識の披露に終わっちゃいがちなせいか、ソレだけの単独スレってないみたいですな。 
 
※山本 五十六(1884年~1943年4月18日):
27代連合艦隊司令長官。軍医・田渕義三郎の遺体検死記録によると「死因は戦闘機機銃弾がこめかみから下アゴを貫通した事、背中を貫通した事」という結論が出され、ほぼ即死状態であったとされる。一方で山本は当初生存していたものの、全身打撲もしくは内臓破裂により、19日夜明けごろ絶息したとする報告もある。

田渕が山本の軍服を脱がそうとしたところ、衣服を脱がすことを強い口調で禁止され、田淵も戦後、粗雑な書類で単なる形式処理であったことを認めている。(wiki:山本 五十六)

258: 好爺 02/09/17 00:11
有名人の死様ではないが…死にまつわる話として。 

ドイツの帝室博物館に「死のサイコロ」が陳列されている。これは17世紀中頃、これによってある事件が解決したという代物である。 

ある少女が、何者がによって殺害された。この時、2人の兵士が容疑者として逮捕された。2人とも白状しないので、ウイルヘルム公は、2人に2個のサイコロを振らせ 、その数の少ない者を犯人とする方法を取った。 

最初に振ったラルフは、2つとも6の目が出た。次の番のアルフレッドは絶対絶命、彼はサイコロを投げた。 

するとサイコロの1個は2つに割れた。一片は6を上にし、一片は1を上にしている。そして他の1個は6を示している。 

流石のラルフも神意の恐ろしさに肝を冷やし、自分が犯人であることを白状した。

259: 名無しさん 02/09/17 00:16
>>258 
そんじゃ神様、最初に2を出せばわかりやすかったのにね。それだとサイコロが割れるような手間はいらない。

260: 名無しさん 02/09/17 00:36
>>259 
それじゃこのエピソードに深みが出んだろが…。

261: 名無しさん 02/09/17 00:37
神様は時として粋なことをするもんだよ。 

265: 好爺 02/09/18 01:55
1901年9月、マッキンレー大統領はバッファローで開かれた博覧会の会場で、レオン・ショルゴシュの隠し持っていた拳銃によって、胸と腹を射たれた。ショルゴシュはその場で逮捕されたが、大統領は1週間後に死亡した。 

犯人は裁判で死刑を宣告され、翌月電気椅子で刑を執行され、さらに棺のなかに硫酸を注いで死体を溶かした。 

なにも其処まで徹底的にとは思うけど。 

尚、この暗殺事件以来大統領にシークレットサービスがつくようになった。 

※ウィリアム・マッキンリー(1843年1月29日~1901年9月14日):第25代アメリカ大統領

266: 狂爺 02/09/19 00:00
孤高錬金術師、奇跡の医者として、中世のオカルト好きには有名なパラケルススは、「賢者の石」を柄に仕込んだ剣を持っていたとか、「ホムンクルス(人造人間)」を作ったとも言われているだけあって、その死もいろんな噂が流れた。 

彼が肌身離さず持っていた剣の柄に入っていた生命の霊薬を濫用したためとか、実験中の水銀中毒であるとか。 一番面白い説は、死後蘇生術を実験していて、失敗したための死であるというもの。 

自らの死期を迫ったことを予感した彼は、助手を呼び霊薬を手渡し、「私が死んだら、体を細かく刻んでこの薬にまぶし、それを容器に密封して九ヶ月後に開きなさい」と命じた。
 
彼の死後、助手はその通りにしたのだが、好奇心から七ヵ月目に容器の蓋を開けて、中を覗いてしまった。 

中には小さな胎児のようなものが蠢いていたが、外気に触れたため、あえなく絶命してしまった。

パラケリススの本名、ボンバスツスは、後に英語で「誇大妄想症(Bombast)」という名詞になるほどの人である。

※パラケルスス(1493年11月10日または12月17日~1541年9月24日):
医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。悪魔使いであったという伝承もある。

269: 好爺 02/09/19 09:26
イタリア全土を支配しようとしたボルジア家のチェーザレは、法王アレッサンドロ6世と共に、コルトネ枢機卿を暗殺するために、枢機卿の邸宅に訪れた。 

喉の渇いた二人は冷たい水を飲んだが、どう間違えたか枢機卿に飲ませるはずの毒薬を、召使いが間違えて二人に飲ませた。 

法王は2週間苦しみぬいて死んだ。異常に膨れ上がった死体は縦横の区別がつかないほどで、とても人間とは思えないその死体からブクブクと泡が吹きこぼれ、死体処理を任された者が触れるのをためらうほどひどかった。 

チェーザレも生死の境を彷徨ったが、生きたラバの腹を割いて、熱いどろどろの血や内臓に身を浸すという解毒法により助かった。ただ、毒の後遺症により美男子と言われていた彼の顔は、髪がごっそりと抜け落ち、醜く変貌した。 

その後反乱にあい、敵側に切り刻まれて死ぬ事となった。

※アレクサンデル6世 (1431年1月1日~1503年8月18日)
ローマ教皇。膨れ上がった遺体を目にした人々により毒殺の噂が広まる事となったが、長期床に伏せったことから根拠は薄いと考えられた。むしろ当時ローマで流行する事が多かったマラリアにかかったのであろうと言われている。息子であるチェーザレもこの時熱病に倒れている。(wiki:アレクサンデル6世)

270: 名無しさん 02/09/19 10:12
映画監督の小津安二郎は、1903年12月12日に生まれ、1963年12月12日、ちょうど60歳で亡くなった。 

271: 好爺 02/09/19 20:44
世界一の女スパイと言われるマタ・ハリは、銃殺にて処刑された。 

処刑前に憲兵が彼女を杭に縛りつけ、目隠ししようとすると「触らないでちょうだい。目隠しも縄も必要ないわ」と拒否した。 

伝説によると、最後の瞬間コートの前をはだけ、豊満な肉体を晒し、銃殺隊をどきりとさせ、彼らの役目を忘れさせたと言う。 

彼女の遺体は、教育病院の解剖教室に寄付された。

※マタ・ハリ(1876年8月7日~1917年10月15日):
フランスのパリを中心に活躍した踊り子。数知れないほど多数のフランス軍将校あるいはドイツ軍将校とベッドを共にしたとされ、第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランスに捕らえられ、有罪判決を受けて処刑された。処刑の際、銃殺隊はマタ・ハリの美貌に惑わされないよう目隠しをしなければならなかったという逸話もある。
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(wiki:マタ・ハリ)

273: 好爺 02/09/19 21:47
イタリア国王ウンベルト一世は、あるレストランの店主を見てビックリした。あまりにも自分に似ていたからである。 

それだけではなく、生まれた生年月日(1844年3月14日)、生まれた都市(トリノ)結婚した日、妻の名前、子供の名前まで同じだったので仲良くなり、次の日の競技会にそのレストランの店主を呼んだ。
 
翌日、競技会でその店主を探したが見つからなかった。

すると、部下からあの店主が銃の暴発で亡くなった事を聞いた。あまりの事に落胆している最中、あるアナーキストからの刺客のはなった弾丸が、心臓を貫き死んだ。

※ウンベルト1世(1844年3月14日~1900年7月29日):イタリア王国の第2代国王。

274: 名無しさん 02/09/19 21:49
こんな本、昔、よく読んだなぁ。

275: 好爺 02/09/20 20:57、
1703年にパリのバスティーユ牢獄で仮面をかぶった囚人が死んだ。 

彼は34年間、鉄仮面を付けられ牢獄に監禁されていたが、囚人としては異例の待遇で専用の部屋、専用の食器を持ち、牢獄内で貴族のような待遇ではあったが、彼が何かを喋ろうとしたら殺しても良い事になっていた。 

彼の死後、その顔は潰されていた。そのため彼の正体はルイ14世の双子の弟とか、ルイ14世の母アンヌの不倫による種違いの兄弟であるとか、国王の隠し子であるとかさまざまな噂が流れた。

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287: 好爺 02/09/22 11:32
ルイ14世の愛人モンテスパン候妃は、同じ愛人のルイーズ・ド・ヴァリエールを追い出すため、評判の毒薬使いラ・ヴォワザンのもとに出かけ、ルイーズを呪い殺すための黒ミサを行なった。 

赤ん坊を黒ミサの生贄として、首にナイフを突き立て、血を完全に搾り取り、その腹を切り裂いて内臓を取り出した。その赤ん坊から取り出した血を、一気に飲み干した。 

そこまでして王を自分のものにしたモンテスパンだったが、やがてルイ14世は中年になった彼女に飽きて、浮気を始めた。今度は、ライバルともども国王を亡きものにしようと考え、またラ・ヴォワザンに相談した。

しかし、同じ様に何度も黒ミサを行い、10年間に2000人とも言われる赤ん坊を殺し、何人もの人を毒殺したとして、ラ・ヴォワザンは警察に逮捕され、足の甲を木槌で叩き潰すと言う拷問で、ついに全てを告白した。 

告白の中にモンテスパン候妃の名前が出てきて仰天したルイ14世は、それ以上の捜査を取り止め、ラ・ヴォワザンを火あぶりの刑に処した。 

その後、候妃は、辛うじて宮廷に住むことと、公式の場に列席することは許されたが、国王は二度と彼女と喋ろうともしなかったと言う

288: 名無しさん 02/09/22 21:10
>>287 
お疲れ様です。でも氏んでないジャン。この人。

277: ヴォルマン 02/09/20 21:47
元祖ドラキュラ俳優のベラ・ルゴシは死んだ時、ドラキュラの衣装に実際に映画で使用された「ドラキュラの棺桶」に入れられて埋葬された。 

テレビシリーズのバットマンでジョーカーを演じたシーザー・ロメロは、死んだ時にジョーカーの衣装を着せてもらって化粧が施された。 

じつは二人とも晩年は没落して葬式も出せないほどだったが、熱狂的なファンがこれらの葬式を演出したのだった。 

279: ヴォルマン 02/09/20 21:58
ドイツ海軍Uボート司令官カール・デーニッツ提督、は困窮のなか1980年に死去した。

提督の遺族は葬儀を一度断念したが、黒い帽子に青いセーターの男たちがドイツ中から集い、葬儀を取り仕切った。元Uボート乗務員たちではないかと噂されたが、真相はわかっていない。

280: 名無しさん 02/09/20 22:00
>>279 
ていうか、どうかんがえても元部下では?

283: ヴォルマン 02/09/20 22:06
>>280 
日本の通信社が「ナチの最後の大物の最後」って記事を打ったんですが、関係者にインタビューしたら海軍関係者じゃないって言われたんだって。私が思うに、ドイツの軍ヲタさんじゃないのかと。

284: 新体操会社 02/09/20 22:20
>>283 
80年代だとモサド
(イスラエル諜報特務庁:逃亡している元ドイツ戦犯の捜索に当たっていた)とかまだ活発に活動してたから関係者でも違うっていうよ(w 

※カール・デーニッツ(1891年9月16日~1980年12月24日):
ヒトラーの自殺後にはその遺書に基づき大統領に就任し、連合国への無条件降伏を行った。ニュルンベルク裁判で禁固刑を受けた戦犯であり、出所後は信仰に拠り所を求め、自宅で妻と暮らした。

彼の死亡記事は全世界の新聞に配信され、デーニッツは自らの棺にドイツ連邦共和国の旗をかけて埋葬されたいと希望したが、西ドイツ政府は拒否した。また西ドイツ政府はドイツ連邦軍将兵に対して軍服でデーニッツの葬儀に参加せぬようにと訓示をしたにもかかわらず、2名の士官が軍服で参列した。(wiki:カール・デーニッツ)

286: 名無しさん 02/09/21 09:49
ビアンカ・カッペロはトスカナ大公に見初められて愛妾となるが、その直後トスカナ大公の正妻が変死した。ビアンカによる毒殺と噂された。 

さらに、トスカナ大公とビアンカの邪魔になりそうな人物が、次々と変死していった。 

ある夜、トスカナ大公邸でパーティが行われた。そこに、トスカナ大公の弟のフェルナンド枢機卿も呼ばれた。トスカナ大公と弟は犬猿の仲で、弟は大公の座を狙っていたのである。
 
最後のデザートとして、ビアンカお手製のお菓子が出てきた。フェルナンドと他の客は、毒が入っていると思い手を付けなかった。 

「なんだ、いやにこのお菓子は人気がないな。それならまず私が…」 

そう言いながら、大公がお菓子をつまんで、あっと言う間に口に入れた。 

ビアンカは、慌ててしまった。本当にそのお菓子には毒が入れてあったからである。もう手遅れと判断したビアンカは、すぐそのお菓子を食べて夫の後を追った。 

二人が苦しんでのたうち回っているのを見ながら、フェルナンドは他の客を銃で脅し、「助けようとするものは撃ち殺す」と宣言して、みんなで二人が死ぬのを待っていた。

※ビアンカ・カッペッロ(1548年~1587年10月17日):
ビアンカとフランチェスコ(トスカーナ大公:1541年3月25日~1587年10月19日)は相次いで急死した。この死に関して、マラリアによるという説のほか、弟フェルディナンドによる毒殺という説もあった。
その後、2010年にフランチェスコの遺骨に対して免疫学的調査が行われた結果、マラリアの致死因子が検出され、毒殺説は否定されたことが報告された。(wiki:ビアンカ・カッペッロ)