【その10】
灯

508: 名無しさん 02/10/18 16:21
おしゃべりのキライな哲学者、ゼノンは常々「口を滑らすよりかは、足を滑らすほうがまだマシだ」 と言っていた。 ところが彼は、足を滑らして死んだ。 

オカルトというよりオマヌケ?

520: 名無しさん 02/10/23 06:42
>>508 
その国でも「口を滑らす」って表現があることにびっくり。

足も口も滑るのは日本くらいかと思ってた!

522: 名無しさん 02/10/23 22:32
>>520 
「口を滑らす」は意訳では?

528: 名無しさん 02/10/24 01:52
>>522 
そんじゃ、意訳の段階で洒落にされちゃったのね! 

※ゼノン(紀元前335年~紀元前263年):
彼はある日、帰途につく際に転倒しつま先の骨を折ってしまったが、思想に従い、高齢である自分にとってはもう死ぬことが適当だろうと考え、「いま行くところだ!どうして私を呼びたてるのか!」と言って、自ら息を止めて死んでいったという。(wiki:ゼノン)

509: 名無しさん 02/10/18 17:04
高名な天文学者で、天体観測しながら歩いてて、穴に落ちて死んだ人がいるらしいが…。
 
「上の事を良く知ってても、足元見てないとヤラれる」という教訓として聞いた覚えがあるので、作り話かもしれんな。 

510: 名無しさん 02/10/19 01:11
>>509 
タレスじゃないそれ? でも死んではいないと思うけど? 「哲学者は世間ずれしてる」って例えだったと思うけど。

※タレス (紀元前624年頃~紀元前546年頃):
タレスの逸話にもイソップ寓話集にも、空を見てて穴に落ちた話があります。

ある日、タレスがロバの背に塩を積んで市場に売りに行く途中、川を渡る時にロバがつまずいて転び、塩は川に溶けて流れてしまった。翌日も同様に塩を積んで市場へ向かったが、川を渡る時にロバはまたつまずいた。ロバは川でつまずくと荷が軽くなることを覚え、わざとつまずいたのだった。

一計を案じたタレスはその翌日、ロバの背に綿を積んで市場へ向かった。今度もロバはつまずいたが、綿は水を吸って重くなった。それ以後、ロバがつまずくことはなくなったという。

ちなみにタレスは体育競技を観戦していて、炎熱と渇き、また老齢による衰弱によって死亡したとされる。(wiki:タレス)

511: 好爺 02/10/20 08:49
1987年8月17日、ベルリンのシュパンダウ刑務所で、ルドルフ・ワルター・リヒャルト・へスが首吊り自殺をした。ヒトラーの代理と秘書を務めた、ナチスの副総裁である。 

ヘスは、戦争中にイギリスに単独でパラシュートで降下し、和平を結ぼうとした所を捕えられ、終戦後に裁判にかけられ、シュパンダウ刑務所に送られていた。 

だが、彼は替え玉であったとの噂が耐えなかった。 

食べ物にうるさい厳格な菜食主義者で、身だしなみにこだわる几帳面な男であったはずなのに、捕虜となってからは、ガツガツと何でも食べ、身なりも無頓着だった。 

体格もよかったはずなのに、彼ははなはだ貧弱な体格で、家族とも一切面会を拒み、ようやく再開面会すると妻は「昔より声が低くなっていた。」と驚いたと言う。

512: 名無しさん 02/10/21 03:12
>>511 
87年?!一体いくつで自殺したんだ…そのことに驚いた。

513: 好爺 02/10/21 16:42
>>512 
ヘスと名乗っていた男は、93歳で首吊り自殺をした。45年もの間刑務所につながれていた後の自殺である。何故この時期に自殺したかも不思議である。

※ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス(1894年4月26日~1987年8月17日):
1941年5月10日午後6時10分、ヘスはイギリスに向け飛行機で飛び立った。ヘスはわずかな訓練しかしておらず、夜間飛行を行い着陸するのは困難であることが予想された。以降、ドイツ側がヘスの消息をつかむことはできなかった。

ヘスはの飛行機はスコットランドの農場に不時着、大破してた。ヘスは身分を隠して「アルフレート・ホルン大尉」と名乗った為、これ以降のヘスは替え玉だという説もある、本物のヘスはイギリスに到着する前に撃墜されとされている。(wiki:ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス)

515: 好爺 02/10/22 22:53
稀代のペテン師で、文書偽造の達人で、錬金術師、魔術師、医師と、さまざまな肩書きを持つカリオストロ伯は、マリーアントワネットの男子誕生を予言して当てたことで有名だが、「首飾り事件」という詐欺事件でパリを追わた。

それからイタリアのローマにエジプト・フリーメーソンの支部を設立しようとして逮捕された。調査の結果、過去の悪事や、伯爵も勝手に名乗っていた事などが判明した。 

また、彼の部屋から『ピオ6世は最後の法王になるだろう。ルイ16世は最後の王となるだろう。』と書いた紙が出てきて、彼の罪は決定的となった。 

1791年、異端審問法廷で彼は、フリーメーソン、異端、魔術師の罪で死刑を宣告された。
 
しかしカリオスロオ伯は、法王の命令でサン・タンジェロ城での終身刑に減刑されたが、一度脱獄を試みて失敗した為、サン・レオの要塞で獄死した。 

魔術で脱獄できると恐れられていた為、その監獄は入口の扉を外側から壁で塗り込められ、食べ物や飲み物は、部屋の内部からは絶対に開かない天井の開き戸から、紐で吊るして下ろしていた。 

ただ、現代でもなお、「練金術師として永遠の命の秘密を知っていた彼が死ぬはずがない」と主張している者もおり、彼が死んだとされる1795年以降にもカリオストロを見かけたという証言も多い。

※カリオストロ伯爵(1743年6月2日~1795年8月26日):
王家の血を引くと称し、マリー・アントワネットの親しい友人だと吹聴する伯爵夫人が、160万リーブル(金塊1t程度に相当する)の首飾りを騙し取った、典型的なかたり詐欺。この首飾り事件でカリオストロ伯爵は首謀者として逮捕され、後に無罪となるが名声を失い、パリを追われた。(wiki:カリオストロ伯爵)
  
527: 名無しさん 02/10/24 01:45
ジンギスカンの墓って、どこにあるかわからないそうですね。
 
墓荒しにあわないよう、わざと隠して葬るのでしょうか。副葬品とか見つかったら大ニュースになるでしょうね。

532: 名無しさん 02/10/24 03:55
>>527 
馬賊は移動民族だったから、そもそも墓なんぞ作らなかったんじゃないかねえ。つい近代ごろまでのモンゴルの遊牧民なんかも、自然葬(放置)だったようだから。

533: 名無しさん 02/10/24 04:56
>>532 
遠征先で死んで、モンゴルに遺体を運ぶ途中、出会った生き物皆殺しにしていったらしいけど。それで2万人くらい殺したと、どこかで読んだ気が…。 

何で出会った生き物を殺したかというと、あの世でジンギスカンに仕えさせる家来にするためだとか。

535: 好爺 02/10/24 19:52
ジンギスカンは、かつて蒙古のオノン湖畔のブルハン山中で狩りをして、うっそうと茂る大樹の下で休んでいる時に「俺が死んだらこの樹の下に埋めてくれよ」と言っていたので、そこに埋められた。

けど、蒙古族は(>>532)が書いているように墓を作らないので、埋葬場所はわからなくなったとの事。指差し、て大体あの辺って感覚なんだろうね。
 
私も死んだら、お墓に入れられるよりどっかの木の下に…というのが希望なんだけど、日本の法律じゃ無理ですね。

536: 名無しさん 02/10/24 20:59
>>535 
樹海という手もありますが…。

642: 名無しさん 02/11/17 11:08
>>535 
蒙古族のお墓の探し方。 

1.埋める際に、その場所で親子の馬の内、子の方(親だったか?)を殺して埋める(埋めたっけ?) 
2.墓参りの際は、ここと思われる場所に残った親馬を放す 
3.親馬は子が埋められた場所を探し出すので、お墓の場所が分る。 

というような話を、聞いた覚えがあったりなかったり…。 

※チンギス・カン(ジンギスカン)(1162年5月31日~1227年8月25日):
モンゴル帝国の初代皇帝。チンギスと歴代のハーンたちの埋葬地はある地域にまとまって埋葬されたと見られているが、その位置は重要機密とされ、『東方見聞録』によればチンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は秘密保持のために全て殺されたという。また、埋葬された後はその痕跡を消すために一千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたとされる。(wiki:チンギス・カン)

525: 名無しさん 02/10/24 01:13
ピエール・フランソワ・ラスネール 

詳しくは、映画「天井桟敷の人々」参照のこと。

※ピエール・フランソワ・ラスネール(1800年12月20日~1836年1月9日):
フランスの犯罪者、詩人。社会への抗議を実行するため、協力者を得て犯罪集団を組織する事を思いつき、監獄の中で犯罪者と触れ合って彼らの習俗や隠語を熟知しようとした。そのためにピエールは、貸し馬車屋で借りた一台の馬車を、露見するようにわざと売り払った。

望み通り彼は逮捕され、1年間の懲役を宣告されて収監された。この懲役期間に彼は犯罪者の手口と隠語を習得し、また、後に腹心の手下となる仲間と知り合った。かくして、窃盗・詐欺・手形偽造・殺人などの犯罪を重ねることになった。

様々な罪を犯した彼には死刑が宣告され、執行が告げられると、彼は「いよいよだな。早く終わってしまうほうがいい」と呟き、ギロチンの刃を二度見したあと「俺は怖くないぞ。そうさ、怖くないぞ」と呟いた。しっかりした足取りで死刑台の階段を上った後、ギロチンで処刑された。(wiki:ピエール・フランソワ・ラスネール)

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2010-05-05


526: 好爺 02/10/24 01:25
ドクター・エブラハムと言う男がいた。

彼は「魔法の箱」とまで云われる「オシロクラスト(電子振動診断装置)」という機械を発明した。 

これは、それぞれの病気にはそれぞれの特効薬があり、特効薬には相手の病気と同じ振動率を持っているので、ある種の波動を発すると薬を飲んだのと同じ効果をもたらす、と言うものであった。

彼はこの機械を販売することなく、保証金250ドル、使用法の説明に200ドルという費用で、医者達に貸し出されることとなった。 

あっという間にアメリカ中の診療所に、計数千台もの「オシロクラスト」が貸し出される事となった。エイブラハムはこの機械を大量生産して、箱の貸し出しをする銀行を設立した。

彼は、装置の内部を覗かせないとないと誓いを立てさせ、その神秘性をいっそう高めた。また、「治療効果を信じない人間が近くにいる時は、その効果がないので装置を使用しないように」と、借り手に注意した。
 
その機械に不審を思った医者も数多く、ヒヨコの血を送りつけ調査させたり、全く健康なモルモットの血を採取して実験した結果、全く見当違いの診断書が届いた事よりその機械の信憑性が薄れ、「魔法の箱」の封印を解いた。
 
中身は、科学的な知識を全く無視したやり方で、いろんな機械を繋ぎ合わせているだけだった。調査団は、「魔法の箱」はいかなる機能も果たしえないと、いう結論を出した。 

ショックを受けたエイブラハムはそれから数ヵ月後、突然病に倒れた。肺炎という事だったが、「魔法の箱」でも一向に回復せず、翌年1925年にあっけなく世をさった。

※アルバート・エイブラムス (1863年12月8日~1924年1月13日)

530: 名無しさん 02/10/24 02:38
>>526 
仕組みはインチキでも、プラセボで治った人がたくさんいたんだろうね。
 
529: 名無しさん 02/10/24 02:32
>>526 
ウィルヘルム・ライヒのオルゴン・ボックスを思い出しました。ライヒの死に様もオルゴンボックス造って、FBIに逮捕、獄中死だったそうです。

※ウィルヘルム・ライヒ(1897年3月24日 ~1957年11月3日):
オルゴン(自然界に遍在・充満するエネルギー。気みたいなもの)を集積・蓄積できるとされるオルゴン・ボックスを癌も治るとうたい販売、FDA(米国食品医薬品局)により販売禁止を命じられた。ライヒはこれに従わず収監され、収監の9か月後、心臓発作で獄中死した。(wiki:ウィルヘルム・ライヒ)

538: 名無しさん 02/10/25 11:48
ナポレオン占領下のウィーンで息を引き取った作曲家、ハイドンは誰からも敬愛され、怪しげな逸話とは無縁な常識人だったが、彼の死後、事件は起こった。 

何年か後になって彼の雇い主だったある貴族が、ハイドンが生前、自分が死んだら馴染み深いその貴族の領地に埋葬される事を望んでいた事を知り、ハイドンの墓を掘り起こした。が、なんと遺体には首が無かった。 

調査の末、犯人は彼の熱烈な信望者と、頭蓋骨の研究家だった事が判明。墓を暴いた後、遺体の首をのこぎりで切り離し、釜で煮て骨だけにして保管していた。 

結局、その貴族は首を買い戻して埋葬しなおしたが、実は買い戻した頭蓋骨は別人のもので、本物は犯人の一人が死ぬまで所有していた。 

その後、ハイドンの首は様々な人の手を渡り歩いたが、現在はあるべき場所に埋葬されているとの事。

540: 名無しさん 02/10/26 04:50
>>538 
アインシュタインの脳の話を思い起こす。

※アインシュタインの脳の話は【その1】に。

※フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年3月31日~1809年5月31日 ):
ハイドンの死後、「ハイドンの頭蓋骨が顎をカタカタ鳴らしながら、うなり声を上げて飛び回った」との怪談も伝わっている。頭蓋骨は最終的に1954年、1895年以来頭蓋骨を所有していたウィーン楽友協会から引き渡され、ようやく胴体と一緒に葬られることができた。遺体は現在、オーストリアのアイゼンシュタットに葬られている(wiki:フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)

539: 好爺 02/10/26 02:46
桓武(かんむ)天皇が平城京を長岡京に遷都しようとした時、造営長官の藤原種継(ふじわらの たねつぐ)が暗殺されるという事件が起こった。

桓武天皇の弟である早良親王(さわらしんのう)に首謀者の疑いがかかった。早良親王は無実を主張し、数日間断食をして抗議したが聞き入れらず、淡路島への追放を命じられたが、衰弱していた為、護送の途中に死亡した。

その後、桓武天皇の夫人や生母が相次いで亡くなり、また疫病や災害が続いたので、早良親王の祟りだと人々は恐れ、再び遷都を行い平安京を造った。

桓武天皇はなんとか早良親王の霊を鎮めたいと思い、早良親王に天皇の称号を贈り、祟道(すどう)天皇とした。だが、早良親王の怨霊は鎮まらず、804年には京に大暴風雨がおそった。

桓武
天皇も「私はまもなく病気になり、天下を捨てるだろう」と語ったが、その言葉通りに806年に死去した。

※早良親王(750年? ~785年11月8日):
追称の崇道天皇の「崇」の意味は、崇拝(すうはい)などに使われるように「あがめる」という意。「祟り(たたり)」という字に似ているが、意味は全く違う。崇・祟。

542: 名無しさん 02/10/27 15:57
ウルトラセブン最終回に登場するパンドンという怪獣は、アイスラッガーで首を切られても2歩、歩いて死んだ。

543: 名無しさん 02/10/27 17:02
おぉ~。

※パンドン(?~1967年9月8日放送分にて死去):
アイスラッガーをナイフのように振るったセブンに左腕右脚を切断され、倒される。その後、ゴース星人の手によって義手や義足を取り付けられ、改造パンドンとして復活するが、アイスラッガー首を切断されて倒される。(wiki:パンドン)

544: 名無しさん 02/10/27 17:41
沖田総司が死ぬ間際、付き添ってた婆さんに「黒い猫が見える」と言ってたのは、ヒジョーにオカルトっぽい。

545: 好爺 02/10/27 19:39
沖田総司は、知り合いの千駄ヶ谷の植木屋平五郎の納屋に潜伏している最中に、納屋の中で死んだ。 

沖田がこの植木屋の庭に来ていた猫を斬ろうとして、2日続けて失敗し、3日目に「ばあさん。あの黒い猫は来てるだろうなぁ」と言って死んだのは、子母沢寛の『新撰組始末記』の小説の話。

546: 名無しさん 02/10/27 23:41
>>545 
猫タン死ななくてよかった~。

 ※沖田総司(1842年~1868年7月19日):
新選組一番隊組長。体調の悪化により、第一線で活躍することがなくなり、匿われていた植木屋で病死。肺結核を発症したとも。(wiki:沖田総司)

新選組始末記改版 [ 子母沢寛 ]
新選組始末記改版 [ 子母沢寛 ]

548: 名無しさん 02/10/28 14:14
イサドラ・ダンカンは、オープンカーに乗っているとき、首に巻いていたマフラーが街路樹か何かに引っかかって、縊死(いし:首をくくって死ぬ)した。

557: 名無しさん 02/10/29 04:24
>>548 
イサドラ・ダンカンの伝記映画では、確か彼女が巻いていた長いマフラーが、車が発進する時、タイヤのホイールに巻き込まれて死んだということになってた。 

※イサドラ・ダンカン(1877年5月26日~1927年9月14日):
20世紀を代表するアメリカのダンサー。モダンダンスの祖。首にまいたスカーフが自動車の車輪に巻き込まれ、イサドラは転倒して死亡した。享年49歳。(wiki:イサドラ・ダンカン)

637: 名無しさん 02/11/16 10:48
>>548 
最近、マフラーがバギーのエンジンに絡まって、首が絞まって死んだOLさんがいましたね。こわ。 

※2002年11月13日、栃木県那須町のりんどう湖ファミリー牧場で、林道を走るアトラクション「ウルトラバギー」に乗っていた26歳の女性が死亡するという事故が起きた。首に巻いていたマフラーがバギーの駆動部に絡まって引っ張られ、首が絞まり窒息したことが原因。