右から長門・武蔵・大和
右から長門・武蔵・大和

1: 名無しさんが 2001/06/22(金) 18:37
ややネタ切れぎみになってはきたものの、再起してみました。 

国内でも海外でもOK。昔話でも最近見た話でもOK。ちょっと不思議な話とかもOKです。 

前スレ「戦争のオカルト話」 
ttp://piza.2ch.net/occult/kako/988/988130633.html 
【まとめ記事:戦争のオカルト話】

関連スレ(自衛隊板)自衛隊@オカルトネタ
ttp://natto.2ch.net/test/read.cgi?bbs=jsdf&key=975484312
【まとめ記事:自衛隊@オカルトネタ】

6: 名無しさん 2001/06/25(月) 21:56
幽霊話じゃないんだけど。 

うちの親父の姉の旦那さんが若い頃満州に行ってた時、おじさんはやらなかったと言っているが、おじさんの仲間達は捕虜を地面に仰向けに何人か寝かせて、わざとその上を戦車で走ったりしていたのだそうだ。 

一部の奴は、戦車を動かす奴を皆競ってやりたがってたそうだ… 要するに楽しんでいたわけだ、「轢死ごっこ」…。 

23: 名無しさん 2001/06/27(水) 17:01
>>6は左翼か?信じ難いね、この話。 親父の姉の旦那の仲間の話だし。

24: 名無しさん 2001/06/27(水) 17:09
>>6 
肉片がキャタピラの間に挟まれると故障の原因になる。だから、そんなことは故意にはしないと思うよ。

28: 名無しさん 2001/06/27(水) 20:39
>>23>>24 
あー、この話小学生の時親父から聞かされたんだけど、まあそこまでやったのかどうか知らんけど、子供をびびらす為に作った話なのかもね(この手の点に関してはドキュソ親父である)。
 
それに近い事はやってたんじゃないかな?特に左な人ではなかったみたいよ。小学生の自分には当時衝撃的な話だったな…。 

7: 名無しさん 2001/06/26(火) 03:48
俺も幽霊話じゃないんだけど。 

うちのじいさん、海軍大学出の将校だったんだけど、じいさんは軍令部にいて作戦にも携わってた。

特攻機乗りに、覚せい剤入りの飴だかキャラメルだかを渡すのは本当の話で、今はすごく潔く書かれてるけど、その当時はやっぱりみんながみんなビビッてたらしい。敵艦に突っ込む時に、どうしても目をつっぶちゃうのを避けるためなんだって。

じいさんは真珠湾の時は一緒にハワイに行ったんだけど、絶対帰ってこれない、出撃した空母はいいとこどう考えても1隻残るか残らないかぐらいだろうって考えてらしい。

※真珠湾攻撃(日本時間1941年12月8日未明):
日本軍の損害:未帰還機29機・損傷74機・戦死55・[特別攻撃隊]未帰還5隻・戦死9・捕虜1

アメリカ軍の損害:戦艦3隻沈没・戦艦2隻大破着底・戦艦1隻中破・戦艦2隻小破・軽巡洋艦2隻大破・軽巡洋艦1隻小破・駆逐艦2隻大破・駆逐艦1隻中破・標的艦1隻沈没・その他1隻沈没、2隻小破・航空機188破壊・航空機155損傷・戦死2,345・民間人死亡68

真珠湾攻撃時の特別攻撃隊は戦争末期のいわゆる「神風」とは違い、危険な任務ではあるが生還を前提に5隻(乗員数2)が出撃したが、生還(捕虜)したのは1名だった。
甲標的
真珠湾に出撃した特殊潜航艇「甲標的」。前方に魚雷2本を装備している。(wiki:甲標的)

よっぽど、ミッドウェイのほうが有利だと思ってたんだけど、あのざま!じいさん、その時は空母にいないで、後方の戦艦にいたんだけど。 

※ミッドウェー海戦(1942年6月5日):
日本軍の損害:航空母艦4、重巡洋艦1沈没・重巡洋艦1大破・駆逐艦1中破・戦死3,057

アメリカ軍の損害:航空母艦1、駆逐艦1沈没・戦死307

その時の生き残りの人に聞いたらしいんだけど、動けない人達の顔がすごいんだって。両手両足のない人がばちゃばちゃもがいてて、何を言ってのかわからない。狂ったように笑ってる人とか、頭が吹っ飛んでる人が機銃を撃ってたりとか、ものすごい惨状らしい。

その生き残りの人は精神病みたくなっちゃんたんだけど、毎晩うめき声に起こされて、目の前が沈没間近の情景になるんだって。その度に足を引っ張られたり、腕をつかまれたり。「なぜ助けてくれなかったんですか?」 って言うのが聞こえてくるんだって。

その人は軍の機密上、南方に追いやられてサイパンで自決したみたい。 

あんま恐い話じゃないんだけど、当時の俺には非常に恐かった。とにかくうちのじいさん、作戦関係とかの裏を知ってるみたい。あんましゃべろうとしないけど…。 

10: 名無しさん 2001/06/26(火) 23:54
>>7のおじいさんと話してみたい。

13: 名無しさん 2001/06/27(水) 04:09
>>7 
軍隊と覚醒剤は、切っても切れない関係だったらしいよ。 

『重い飛行機雲』という本を読んだら、夜間戦闘機のパイロットに覚醒剤を打つ話が紹介されていた。パイロットには、「暗視ホルモン」(だったっけな?)という特殊な薬品だと偽って投与してたんだって。 
 
覚醒剤入りのキャラメルも、聞いたことあるね。グリコって、戦争中は覚醒剤入りキャラメルを軍に納品してたんでしょ? あの企業、そういったダークな面も結構あるらしい。

だから、グリコ・森永事件の時、警察に捜査協力できなかったんだって。 

14: 名無しさん 2001/06/27(水) 04:27
>>13 
そなのだったら覚醒剤入りどころじゃなく、覚醒剤の錠剤その物を配ってたじゃない。

本土の臨時軍需工場になった町工場や学校は、女子工員達が仮眠数時間で飛行機の部品作ってた。

そこにバケツ一杯の白い錠剤が在って、「眠気が出てきたり、疲れが出てきた場合はこの錠剤を服用するように」と言うことで作業をさせてたよ…けど、この覚醒剤が全然効かないってぼやいてたな…。
 
グリコが戦時下、覚醒剤入りキャラメル製造したなんて、そんな大騒ぎするさしてほど珍しい事ではない。

アメリカなんてコカコーラ工場がその物ズバリ、「コーク(麻薬の方)」の製造工場になってたし、デズニーなんてプロパガンダ映画・アニメと徴兵逃れやってたし。

※グリコと覚せい剤の話の真偽は不明です。

15: 名無しさん 2001/06/27(水) 04:34
>>14 
まるで経験者の様… 怖い~。

17: 名無しさん 2001/06/27(水) 05:07
>>14 
覚醒剤の錠剤が効かなかったのは、耐性ができちゃったからでしょ?耐性ゼロだと、えっら~く効くって話だよ。

20: 名無しさん 2001/06/27(水) 12:26
はだしのゲンでヒロポン中毒の話があったけど、いつ頃まで薬局とかで売ってたんだろう?

29: 名無しさん 2001/06/27(水) 21:15
>>20 
ヒロポンは昭和40年頃まで売ってたんじゃないかな?調べてないからわからないけど。

33: 名無しさん 2001/06/27(水) 22:38
>>29 
もうちょっと早く、昭和30年前後に取締りが強化されたはず。

34: 名無しさん 2001/06/27(水) 23:32
ヒロポンって覚せい剤とはどう違うの?

48: 名無しさん 2001/06/28(木) 02:55
>>34 
覚醒剤は医学用語、ヒロポンは商標。どちらも同じ物。

※ヒロポン:
1951年(昭和26年)に覚せい剤取締法を施行したことに伴い、違法となった。軍や工場などで眠気覚まし・疲労回復に使用されていたが、こちらはすべて錠剤であり、現在の様に効果の強い注射器を用いての使用は稀であった。また、特攻隊員の恐怖心を失わせるために投与されたという話については、専門家より史実とは異なるとの指摘もあっており。また、元特攻隊員などの証言でも殆ど見られない。(wiki:覚せい剤の歴史)

27: 名無しさん 2001/06/27(水) 19:47
今でも自衛隊が覚せい剤を持つの合法だよ、検索して探してごらん。
 
殺し合いするのは正気じゃ出来ないもんね。民族紛争とかではもっと効、慈悲心とかを無くしてしまう薬飲ませたりするんだって!!

31: 名無しさん 2001/06/27(水) 22:23
>>27 
覚醒剤・麻酔剤・コカイン等は用法用量を守って使用する分には何ら問題なかろう。

それじゃなきゃ医者は全員非合法従事者だ…。

58: 名無しさん 2001/06/28(木) 07:44
>>27 
自衛隊の使う覚醒剤は、任務遂行中に疲労や睡魔に襲われて、目的を達する障害となる事を防ぐ事を目的にしたものだから、戦時中の突撃食や戦闘食と称するものとは全く目的が違うよ。
 
アポロにも積まれていたし、軍隊ではポピュラーな薬物だよ。

※自衛隊法115条の3(麻薬及び向精神薬取締法等の特例)
自衛隊の部隊又は補給処で政令で定めるものは、麻薬及び向精神薬取締法(昭和二十八年法律第十四号)第二十六条第一項及び第二十八条第一項又は覚せい剤取締法(昭和二十六年法律第二百五十二号)第三十条の九及び第三十条の七の規定にかかわらず、麻薬又は医薬品である覚せい剤原料を譲り受け、及び所持することができる。この場合においては、当該部隊の長又は補給処の処長は、麻薬及び向精神薬取締法又は覚せい剤取締法の適用については、麻薬管理者又は覚せい剤原料取扱者とみなす。

8: 名無しさん 2001/06/26(火) 04:03
小学の担任に聞いた話(戦中派)。
 
その人が空襲で焼けた町に帰って来て、道を歩いてたそうだ。そこら中に死体や体のパーツが転がってる中を歩いていると、ベンチに転がってる手首があったそうだ。
 
その人が何気なく、その手首を見ると…ビクン!と中指が動いた! 良く見ると、中指だけじゃなく、他の指や皮膚もビクンビクンと脈動している。彼は、恐怖心よりも好奇心に負け、その腕の切口を見ると… 

中にはびっしりと、蛆虫が溜まっていたのだ。指や皮膚の脈動は、中の蛆虫が動いていたのが原因だった…

初めて聞いた日、夢に見ました(汗)。

12: 名無しさん 2001/06/27(水) 03:53
>>8 
こえーよ!

26: 名無しさん 2001/06/27(水) 19:15
前スレの初めの方でちょっとだけ触れられていた「フーファイター」。 

1944年頃の第二次世界大戦末期に、超スピードで飛びまわる、不思議な飛行物体が目撃されていた。それは、直径1メートル前後の、赤色、黄色やオレンジ色の光り輝く球体である。 

アメリカ、イギリス、日本、ドイツ軍など、敵味方や連合国・枢軸国の区別無く、パイロットたちによって、目撃されていた。アメリカ空軍は、これらの不思議な物体を、フーファイター=炎の戦闘機と呼称した。 

その物体は、編隊で飛行し、急降下や急上昇を繰り返したり、光を発しながら機体の翼の下に急接近したりして、まとわりついてきたものもあった。

各地で目撃された中には、アメリカ軍爆撃機の上部ハッチから機内へ入り、パニックする乗員を無視するかのように、あちらこちらへとゆっくりと動き回り、機外へ出ていったという物体もある。 

このフーファイターは、絶対に攻撃をしてくることはなく、ニアミスしても衝突することがなく、何者かによってコントロールされているような動きをしていたのが特徴である。 

なお、第二次世界大戦終結後は、何故か姿を消し、目撃されていない。

98: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:59
フーファイターって第二次大戦中、ドイツ領空内で連合国軍の爆撃機を数千数万撃墜したらい。

SS
(ナチス親衛隊)が開発した新型兵器だという噂もあるが。

99: 名無しさん 2001/07/08(日) 02:06
>>98 
撃墜はしてないよ。ただ観察するようにまとわりつくだけ。

それも連合国軍だけでなく、ドイツ軍機にも現れる。

100: 名無しさん 2001/07/08(日) 02:10
>>98 
数千数万も撃墜してないよ、せいぜい数機。
 
ドイツ軍・連合軍双方で目撃、接触があり互いに相手の陣の新型の秘密兵器と思ってた。

特に連合軍はドイツのロケット兵器V1、V2を体験してるから新型ロケット兵器だと思ってた。ドイツ側も連合軍がロケット兵器を開発したと思って、かなり焦ったって話。 

その後、太平洋の方でも少数目撃され、ドイツの新兵器が日本の手に渡ったと思われてた節がある…って所。

105: 名無しさん 2001/07/11(水) 23:46
>>98 >>100 
何それ、知らんよ。ふー? もっと教えれ!

106: 名無しさん 2001/07/12(木) 10:36
>>105 
俺もあんまり知らんよ… 

ドーバー海峡のバトル・オブ・ブリテンの頃から多数目撃され、ジェット推進のメッサー(メッサーシュミット:当時のドイツの主力戦闘機)が配備されるかのあたりだったので、新型戦闘機でジェット又はロケット推進の期待ではないかと推測された。

(※バトル・オブ・ブリテン:1940年7月10日から10月31日までイギリス上空とドーバー海峡でドイツ空軍とイギリス空軍の間で戦われた航空戦)

それほどの高速での軌道速度でレシプロ(※=プロペラ機)をたやすく追い抜き、からかうように回り込んだりもしたという。但しフーファーター側から攻撃する事はなく、撃墜に転じたパイロットの操縦ミスや、偶然の接触などで撃墜されたと言う話も在るらしい。 

向こうから攻撃してこない事からも実験機・試験機などの新型秘密兵器の試験飛行ではないかと思われ、双方の諜報員が情報を巡って暗躍、連合軍側には出てきた情報がメッサーのジェットやロケット推進の新型器だった事から、次期新型ジェット推進機ではないかとの思われた節がある。

D-day後の戦略爆撃時も、特定地方で多数目撃されることから異常な警戒ぶりで、戦略爆撃を行った地方・作戦もある。 (※D-day:ノルマンディー上陸作戦)

一方ドイツ側でも多数目撃されており、メッサーやアラド(ドイツの航空機メーカー)のジェット機の情報が敵軍に漏れ、改良新設計された物ではないかとの推測もあった。 

天候の安定しないドイツ地方を飛ぶ第一級の戦闘機・爆撃機のプロに多数目撃、報告されていることから、空電・球電・プラズマ等の自然要因とは異なる、何らかの実体を持った人工の飛行物体が戦闘空域を飛行していた可能性が高い。

謎の戦闘機として「フーファイター」「ゴーストファイター」とも呼ばれている。 

余談:ロケット推進器説は、長く尾を引く噴煙を持ったロケット状の推進物体が、戦略爆撃を行っていた爆撃機から目撃されている。V2(ロケット)とは違う物らしい。

25: 名無しさん 2001/06/27(水) 17:43
俺が子供の頃に聞いた、近所に住んでいた爺さまの話。 

小学校で、よく戦争に行った人の体験談を聞いてきましょう、ってのあったでしょ? その宿題で聞いたんだけど、近所の爺さん満州に行っていて、炊事係だったそうな。 

戦地で娯楽が無かったので、食事がてら、現地人の捕虜を皆が見ている前で、斬首してたんだと。切った後も、目がギョロギョロ動いて、その動きが滑稽だったと、笑いながら言ってたよ。 

新兵がその役をやらされると言ってたね。最初は肩とか切って、何回も傷つけて、やっと切り落としたとか…戦場は狂気の世界なんだね。コワヒネ。 

その爺さん、かなりのドキュンだったと、その話を聞いた時思った。爺さん、今から10年前に死んだけどね~。

28: 名無しさん 2001/06/27(水) 20:39
>>25 
そーそー、自分もその手の小学校の課題で親父に聞いた話。 

子供ながらに悲しいだけが戦争じゃないんだなって思ったよ。まあでもこういう話ってとても発表できるもんではないなと思い、 無難に親父の疎開時代の話とかでまとめた(w。

30: 名無しさん 2001/06/27(水) 21:41
>>28 
煽るわけじゃないが、「それに近い事」って何?

32: 名無しさん 2001/06/27(水) 22:34
>>30 
つまり>>25みたいな事です。 

とりあえずマルタ繋がりってことでかなり極端な例なんだが、とりあえずビデオ屋で「黒い太陽731部隊」っていうビデオ借りて参考にしてくれ。 

黒い太陽 恐怖の細菌部隊731 II 死亡列車 [DVD]DTF-004
レイモンド・オウ
ビデオメーカー
2011-06-17


※マルタ:
731部隊における実験体の通称と言われるが、上記のビデオは中国人俳優が日本人を演じ、中国人が制作しています。

52: 名無しさん 2001/06/28(木) 04:18
>>32 
つーか、話が全然オカルトじゃないじゃん。 

日本軍が捕虜の皮を剥いだとか、胎児を煮て食ったとか、そういうレベルの残虐さ展示話だろ? (ちなみにそういう風習は「大陸」のね。日本にはないのに、プロパガンダとして使われる。バカが信じる)

60: 名無しさん 2001/06/28(木) 10:06
プロパガンダは思想についての宣伝行為ですな。 

>>32 はだだ聞いた話とビデオを信じ込んでいるだけか?

72: 名無しさん 2001/06/29(金) 00:22
間違いなく軍事板住人が居るな(w

73: 名無しさん 2001/06/29(金) 01:08
だってオカルトネタが出てこなくて、戦争犯罪的話題に持ってこうとする奴らばかりなんだもん。

75: 名無しさん 2001/06/29(金) 07:19
>>73 
たしかにね。日本兵を悪魔や妖怪と同視する奴らが多い気がする。もちっと英霊を偲ぶ気になれないのかね?

35: 名無しさん 2001/06/28(木) 00:14
こわい話じゃないんですが、ちと不思議?な話を。 

祖母の弟は、海軍の潜水艦の乗員でした。一時帰還していた時、祖母の父は、何かどうしても息子に会いたい気持ちになり、いてもたってもいられなくなったそうです。 

その気持ちがどうしても抑えられなくなり、当時の困難な状況からなんとか横須賀まで行ったそうです。

門衛に「規則だから面会は出来ない」と断られたのですが、「どうしても息子に会わせて下さい」と、土下座して泣いて頼んだそうです。困って責任者に取り次いだら「例外中の例外として5分だけ」という約束で面会できました。 

「元気か?」など当たり前の短い会話しかできなかったそうですが、最後に「お国のために立派に働いてみせます!」とだけ言って別れたそうです。 

…で、それきりでした。 

この話をすると、いつも祖母は「兄弟の中でいちばん優秀なやつで、生きていたらどれだけ出世したかわからない」と涙を浮かべて締めくくります。

37: 名無しさん 2001/06/28(木) 01:12
うちのじいさん、戦争中ボルネオのあたりで陸軍の飛行機に乗ってたんだけど、死んでもいないし、怪我もしてないのに、金鵄勲章をもらった。

戦後、戦犯になることを恐れて、金鵄勲章をもらったことをひた隠しにしてたらしいが、いったい何をして金鵄勲章をもらったのだろうか?戦後、なぜそんなに、びくびくしていたのだろうか?

俺にはそのことが、オカルトでならない!どういう基準で勲章をもらえるのか?

※金鵄勲章(きんしくんしょう):
かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍の軍人および軍属に与えられた。金鵄勲章には「功一級」から「功七級」の等級があり、太平洋戦争では約62万人が受勲したといわれている。史料(時期)によって異なるが、日本軍の総兵力は400(戦争末期)~900万人(最大)と言われており、およそ10人に1人くらいは受勲できた計算。(wiki:金鵄勲章)

53: 名無しさん 2001/06/28(木) 06:29
そういえば、戦艦「陸奥」爆沈って、やっぱ原因は謎のままなの? 

柱島沖に停泊中に、いきなり爆沈したんだよね。

54: 名無しさん 2001/06/28(木) 06:31
>>53 
『陸奥爆沈』(吉村昭)が真相じゃないかな? あの本、説得力があったよ。

55: 名無しさん 2001/06/28(木) 06:50
>>53 
詳しい原因は未来永劫不明のままですが、「三式弾の自然発火説」が有力です。

66: 名無しさん 2001/06/28(木) 18:30
>>53 
陸奥の爆沈に関しては、私の友人の祖父が現場にいたそうなんだが、自然発火や暴発じゃなくて、雷撃か爆撃らしいよ。 

その友人の祖父は海に放り出されて、どっかの岸へ必死で泳いで助かったそうなんだが、後日、緘口令が出て、軍から強烈に口止めされたと話してくれた。 

どこまでホントか分からん。

69: 名無しさん 2001/06/28(木) 21:49
>>66 
>雷撃か爆撃らしいよ。 
いや、流石にそれはない(w。原爆は火山の噴火だった並の発言だよそりゃあ。

※大日本帝国海軍戦艦「陸奥」:
長門型戦艦の2番艦。1番艦「長門」と共に、日本の力の象徴として日本国民に長く愛された。 また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として「世界七大戦艦」と呼ばれた。
陸奥
1943年(昭和18年)6月に瀬戸内海の桂島沖で主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。江田島の海上自衛隊第1術科学校には、陸奥改装時に撤去された主砲第四砲塔が展示されている。(wiki:陸奥)

76: 名無しさん 2001/06/30(土) 11:22
クルスク乗組員の遺体状況が気になります。

※クルスク:ロシア海軍の原子力潜水艦
2000年8月12日、演習中に爆発、火災事故を起こし、108mの海底に沈没した。ロシア海軍省は当初、乗組員の大多数は爆発後数分以内に死んだと一般の人々に対し伝えており、アメリカ、イギリス、ノルウェーの各海軍が支援を申し出たが、ロシアはすべての支援を拒否した。

8月21日、ノルウェーとロシアの潜水士は第9区画にある艦尾のタービン室で24体の遺体を発見した。ドミトリー・コレスニコフ大尉は、艦の沈没後にその区画で生きていた23名の乗組員の名前を列挙したメモを書き残していたのだ。最終的に、火災を生き延びた乗組員も窒息によって死亡していた。(wiki:クルスク)

77: 名無しさん 2001/06/30(土) 12:24
吉村昭の「総員起コシ」みたいになってるかも…浸水状況やらは100%明確にはなってないんでしょ?

※総員起シ:
昭和19年6月、急速潜航訓練中に不幸な事故によって沈没し、102名を乗せたまま鉄製の柩と化した「伊号第三十三潜水艦」。「総員起シ」は、この伊号第三十三潜水艦から、命がけで脱出した生存者の証言などを基に書き上げた戦史小説。

戦後、9年の歳月を経て引揚げられた艦内では一区画だけ浸水を免れており、その区画では乗員13名がベッドで眠るように死んでいた。酸素の消費を抑えるために、恐怖心と静かに戦った末に、そのまま絶命したと考えられる。1人だけ首吊り自殺してた者もいた。

死体の状況は、死後も爪と髪の毛が伸びた痕跡があった。髪は5㎝、爪は1㎝も伸びていた。そして皮膚は真っ白で口の中は真っ赤。酸欠状態だから腐敗を進行させるバクテリア等の活動もあまりなかった。

大日本帝国海軍の潜水艦乗りには「3」またはその倍数などが不吉な数字として嫌われていたという。にはとかく「3」という数字がついてまわったので、戦時中に悪い噂が流れていたといわれる。伊33の「3」にまつわるエピソードには以下のようなものがある。
 
・艦名がそもそも伊「33」・建造したのは「三」菱・修理中の事故で「33」mの海底に着底・「33」名が死亡。・伊予灘での事故で漁船に救助されたのは「3」名。・日立造船で解体中、「3」名がガス中毒で死亡。(wiki:伊号第三十三潜水艦)

総員起シ (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋
1980-12-25


79: 名無しさん 2001/06/30(土) 14:13
第2次大戦中、満州にいた私の父(昭和11年生れ)一家。 

父の母と父の下の兄弟5人(うち4人は乳幼児時に死亡・1人は中国人に預けたものの、生死不明)がいなくなる中、銃弾の雨の中トロッコで逃げたと聞いていた。

しかし最近聞いた話では、そのトロッコというのが側面に板などない、ただの底板の下に車だけついていた代物で、一番内側に子供たち、その周りに親や年寄り、その周りを若者と荷物で囲み、「肉の壁」を作って脱出したそうです。 

走り続けるトロッコから荷物や撃たれた人が脱落していく中、命辛々逃げ延びたという話…。

妹が結婚した数年前に父の家系の話を初めて聞いたんたけど、結局満州から帰国したのは父と父の姉、祖父(故人)の3人のみ。 

ウチの父は、死ぬ前に一度満州にいきたいと前から言ってましたが、一度行かせててあげたいです。

80: 名無しさん 2001/06/30(土) 14:17
>>79みたいな史実が時々ポロリと読めるから、2chは面白い。

81: 名無しさん 2001/06/30(土) 14:19
>>79 
…涙出てきたよ…ぜひぜひお父様の願いをかなえてさしあげて下さい。