右から長門・武蔵・大和

82: 名無しさん 2001/06/30(土) 15:00
俺の親父の話だけど、親父の所属してた連隊のある大隊の話。 

関東軍の抵抗線を中朝国境近くまで下げる作戦で、連隊が白頭山麓に展開したが、戦闘もなく武装解除。運良くシベリア送りにならなかったので、大方の兵士は帰還できたらしい。 

しかしある大隊だけが集合せず、連絡不能となり一緒に帰還しなかった。その後、戦友会なんかで調査したが、今だにこの大隊の兵を探せず、1名も復員していないとの結論らしい。 

匪賊
(ひぞく)に襲われたとしても、1個大隊800人が全滅というのはありえない。神隠しのようなものだと言ってた。白頭山の密林に消えた謎ですね。

88: 名無しさん 2001/07/01(日) 11:34
>>82 
白頭山は陣地が構築され、戦後も激戦が繰り広げられて、徹底抗戦の末に守備隊は全滅しました(数人は生き残ったかな)。仲間と邦人を逃がす為に、捨て身の防衛戦を行ったと思われます。 

ただし、詳しい戦闘報告はありません。

83: 名無しさん 2001/06/30(土) 15:18
>>82 
興味深い。本とかになっていないの? それだけの事件だと、なりそうだけど。ベトナムでも似たような事件がありましたね。

84: 82 2001/06/30(土) 16:22
>> 83
親父が亡くなったので、どの師団のどの連隊か分からないが、たしか連隊史を作っていたはずだから、実家に帰ればあるかもしれません。探してみます。とにかくこの話をよく聞きました。

85: 名無しさん 2001/06/30(土) 16:42
>>84 
誰の記憶にもない、親父と一部の関係者のみ知る事件だったらNHK、TBSらへんが取り上げてくんないかな。 

>たしか連隊史を作っていたはずだから、実家に帰ればあるかもしれません。探してみます。 
ご苦労様です。
名無しさん調べていくと意外な事実が見つかるかもしれませんね。800人が消えたなんて、尋常じゃありませんよね。本当だとしたら、ミステリーだな。

87: 名無しさん 2001/06/30(土) 23:37
うちのじいちゃんは、終戦直後にインドネシアで同僚数人と行方不明になって、帰ってこなかった。

先に日本に帰ってきた同僚は、「武装解除の作業中に突然いなくなった。多分神隠しだ。」とばあちゃんに報告したそうな。 

数年後、じいちゃんはインドネシア政府特別機で帰ってきた。ゲリラ部隊に、武器の使用法や戦術を指導した独立戦争の英雄として…。

89: 名無しさん 2001/07/01(日) 12:29
>>87 
そういえば、ベトコンも現地に残った日本兵から訓練受けてたって話だね。有名な地下戦術も、硫黄島で実績のある地下陣地の構築を直伝されたみたいだし。 

オーストラリア兵が、日本兵捕虜を空輸中に突き落として虐殺したって話はもうでた? 戦争で一番怖いのは、勝った国はどんな大罪を犯していても、それを問題にされないことだと思うよ。

91: 名無しさん 2001/07/05(木) 21:55
>>89 
>ベトコンも現地に残った日本兵から訓練受けてた
もしそれが本当なら、二次大戦では為し得なかった、アメリカ軍撃退を遂に果たせたって事か。日本兵の執念みたいなものだな。 

別にそれが素晴らしいとかそういうことではないが、何か考えさせられる。

95: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:28
>>89 
ドイツは、ユダヤ人に対する扱いで「人道に対する罪」とやらで裁かれたけど、アメリカが日本に対して行った、無差別爆撃や原子爆弾の投下も十分に人道に反していたと思うが、おとがめなし。

97: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:43
>>95 
戦後の政府は外交下手で、ちゃんと抗議してないからね。ドイツのようにちゃんと主張すれば、今の南京虐殺問題や朝鮮半島問題でもめたりしなかったんだけど…。

無差別爆撃と原子爆弾が人道に反するかどうかは疑問があるけど、しっかり賠償と謝罪問題に持っていけなかった、弱腰外交の結果だろうな。

101: 名無しさん 2001/07/08(日) 02:12
勝てば官軍負ければ賊軍! 

戦後、天皇問題でそれどこじゃなかったんだな。>>95の言うとおり、主張できていればもめなかったよ。 

ある意味、ドイツは対外戦争をある程度熟知していたが、日本は未熟だった。維新後、大きな戦争は日清・日露・第一次しかない。おまけに初めて負けたのが第二次だったわけ。負ける事実を知らなかった。

ある意味、無条件を本当の無条件だと思ってたんじゃない? 

102: 名無しさん 2001/07/08(日) 02:23
>>101 
無条件降伏は、本当に無条件で受け入れたんだよ。

陸軍大臣が国体の護持
(ごじ)日本軍の武装解除、及び戦争犯罪人の処罰は日本人の手で行う条件について、再紹介を強く主張した。

だけど総理はそれを拒否して、天皇自信は自分はどうなっても
戦争終結の条件がそれならば無条件を甘んじて受ける、との詔勅(しょうちょく)があって、陸軍大臣も強く主張できなくなったって経緯があるよ…完璧な無条件です。

93: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:02
ティムールの墓を開けると。三日後に大戦争が起こるという伝説がある。 

独ソ開戦の三日前に、ソ連の考古学者たちがティムールの首を棺から出している。その時、少数民族の老人が必死で止めたそうだ。

94: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:17
>>93
三日前って…独ソ戦はドイツが英本土航空戦に失敗した直後から計画されてるんですが。

96: 名無しさん 2001/07/08(日) 01:40
>>93 
ティムールの話、新聞で読んだ事ある。独ソ戦うんぬんは知らないけど、湾岸戦争の前だったかな…。

125: 名無しさん 2001/07/22(日) 21:13
>>93 
確か、ポーランド侵攻三日前だったと思います。少数民族だけではなく、あの辺りの人間は全員止めようとしたそうです。イギリス人達は「迷信」と一笑に附したそうですが………偶然って面白いですよね。

※ティムール:
中央アジアのティムール朝の建国者。かつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたが、1941年、棺の蓋は開けられて調査が実施される。さらに棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた[。調査から2日後、ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始し、ソ連に侵入した(wiki:ティムール)

107: 名無しさん 2001/07/13(金) 01:40
栗田艦隊反転も、ある意味オカルトでは?? 

確かに受信したはずの電文、しかし誰一人として送信していない。また、戦後米軍関係者から聞いてもそのような偽電文は出していない。むしろ、何であそこで引き返してくれたのか知りたいぐらい!と言ってる。 

何故?見えない敵に向かっていったのか?戦後、栗田に聞いても答えられない と言ってるが、栗田自身の考えではできない。そこには宇垣参謀長も乗っていた。 

いったい何があったというのだろう?? 誰か教えてくれ!!

111: 名無しさん 2001/07/14(土) 04:38
>>107 
栗田艦隊の話は俺も聞きたいなぁ。

※栗田艦隊の反転:
1944年10月23日からのレイテ沖海戦にて、空母を主とする小沢艦隊が囮(おとり)となって米機動部隊の注意を引き付けている隙に、栗田艦隊がレイテ湾に突入して、米戦艦部隊と上陸部隊を撃滅する、という作戦が行われていた。ところが栗田艦隊は、レイテ湾の目前で突入を行わず、「レイテ突入を止め敵機動部隊を求め決戦」と無電し反転を各部隊に通達し、反転してしまった。しかし栗田艦隊の向かった位置に米機動部隊は存在していなかった。(wiki:レイテ沖海戦)

112: 名無しさん 2001/07/14(土) 04:39
数年前、ドイツ人のヒッチハイカーを乗せてやった時に、ひょんな事から戦争の話になった。 

ドイツの国営放送でやってたらしいけど、南方の島で日本兵が島民を襲って喰ったらしいけど、これって事実なのかな?

115: 名無しさん 2001/07/14(土) 07:58
>>112 
さあ?ドイツの放送でどういった伝え方をしたのか書いてないから、事実ではないと思うが。

南方の戦線で食人をしたのは米英捕虜と現地民、それもジャングルで島民じゃなかったはずだし、まあ一部分でも知りたければ「ゆきゆきて進軍」を見ればよろしかろ…。 

べつだん、戦闘行為継続のため体力温存と戦闘体力の維持の為食糧難から食人をしたとしても、なんら不思議では無かろう。南方だと多数の中野学校生
(陸軍中野学校)がサバイバル技術を教えこんでたろうしな。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]
奥崎謙三
GENEON ENTERTAINMENT,INC(PLC)(D)
2007-08-24


117: 名無しさん 2001/07/14(土) 15:32
(ガダルカナル)島の島民とか言ってるならそうだが、フィリピンやジャワの現地住民を普通、島民とかとは言わないしな…島民って言ったら、普通は比較的小さな軍事拠点の小規模な島を指すと思うが。

後もう一つ、別に島民でも住民でもよいが、食人をした事実は秘中の秘でおいそれと外には漏れてない。漏れてれば今頃大騒ぎで、教科書問題より騒ぎになっている。よってドイツラジオ放送のは事 
は、日本兵の蛮行を演出するデマで事実では無いだろうと言う判断だが。 

まあ嘘から出た誠って奴だが…。

113: 名無しさん 2001/07/14(土) 04:44
わけわかんないアジアの人種はそれだけで好奇の対象。今更どうにもならん。

2000年の日本の歴史と良心を否定される&1000年後まで突っ込まれるネタを振りまいた、昭和初期のドキュソ軍人&政治家を恨むしかない。

121: 名無しさん 2001/07/18(水) 20:47
なんでドイツの放送なのかながよくわからぬ。

122: 名無しさん 2001/07/18(水) 20:51
その南方の島で食人が文化の一つとしてあったとか…。

126: 名無しさん 2001/07/23(月) 01:26
何だか、オカルトだかグロだか判らなくなってきました(w。
 
図書館で借りた本の中に、こんな話が載っていたんだけれど。 

…基地を出てから一ヶ月余り、昭和18年11月14日の夜半の事です。ちょうどキスカとアッツの間で、アッツ島寄りを哨戒していたところ、その夜は珍しく海上は平穏で、さざ波一つないんです。空には月さえ出ていました。 

こういう夜の襲撃は理想的なんだがな、と思ったりしたもんです。アッツ島が、墨絵のように浮き出ていました。しかし、相当な寒さで防寒外套を着ていても、 寒さが骨身にしみましたね。 

その時です。突然アッツ島のほぼ中央と思われる所から、青白い炎のような塊が上空に舞い上がったんです。

何だろうと目を見張っているうちに、炎の塊は次第に膨らんでくる。それが橙色に変わりながら、相当なスピードでこちらに飛んで来るんですよ。 

その不気味さは言いようがありませんね。冷水を浴びたように、ゾッとしました。何やらわからんが、とにかく、「両舷停止、潜航急げ」を下令して、大急ぎで潜航したんですがね。 

潜航後しばらくして、航海長と信号兵が、「艦長、あれはアッツ島の英霊です。それに間違いありません」と、異口同音に言っとったですがね。

あの火の玉が砲弾とか信号弾でなかった事は確かです。爆発音はしませんでしたしね。オーロラとかも考えたのですが、火の玉となって飛んできますかねえ、オーロラが…。何であったかは今なおわからない。とにかく不思議なものでしたなあ…。 

「伊二潜」艦長(当時)板倉光馬少佐の証言。

佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」より

127: 名無しさん 2001/07/23(月) 02:39
(゚Д゚) コワー

※アッツ島の戦い:
上記の話の半年ほど前の1943年(昭和18年)5月12日、アメリカ軍がアッツ島上陸し、日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。日本軍の戦死者 2,638名、生存者28名。太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、また第二次世界大戦で唯一、北アメリカで行われた地上戦である。(wiki:アッツ島の戦い)




109: 名無しさん 2001/07/13(金) 06:18
戦艦武蔵海中浮遊説は?

129: 名無しさん 2001/07/23(月) 19:31
>>109 
核爆弾の標的鑑として米軍に配置され、核爆発に伴い沈没したとされたが、後の海底調査で「武蔵」の船体が沈没地点に見あたらず行方不明…。
 
推測される説は、多彩な水密区画がちょうど潜水構造に適した状態となり、海中に懸垂した状態で漂っている(潜水艦の自動懸垂機構と同じような状態)。

海流の流れに乗って、また海水温の上下により自動浮沈を繰り返し、おそらくは海水温の下がる海溝部分の底に沈降していったのではないかといわれている。 

余談:南洋の島々で、素潜り漁をしている島民に目撃されたという目撃談もある。海底の珊瑚礁に沈降し、船体を横たえていたと言われている。

不思議なことにその後、武蔵は忽然と消えた。まるで、湾口で補給をするため立ち寄ったかのように…ってな所だと思ったが、ほんとか?

130: 名無しさん 2001/07/23(月) 19:35
>>129
怖いよ。長門が、長門が、武蔵になってるよ。 

英霊達の怨念か?

131: 129 2001/07/23(月) 19:37
>>130 
あれ?ごめん長門だっけ…内容は覚えてんだけど艦名がゴッチャになってたか?

132: 名無しさん 2001/07/23(月) 20:12
しかも、長門は核爆発では沈まなかったはずだし…。

133: 名無しさん 2001/07/23(月) 20:16
そうそう、確か一回目の実験では砲塔とか、外に面している所だけやられてて他は無傷のはず。で、二回目に実験の時に少しやられて、漏水し始めて、朝行ってみたら消えていたんでしたよね。

137: 129 2001/07/23(月) 20:35
>>132>>133 
ごめん、それも書き間違いだ、確か最終的に魚雷で沈めたんじゃなかったけ。

138: 132 2001/07/23(月) 20:37
>>137 
はあ、自分は魚雷で沈められたと何かで読みましたが、だいぶ前のことなので>>133の言うように朝になったら消えてたんだっけ???という感じでした。

140: 132 2001/07/23(月) 21:23
やっぱ、浸水みたい。でも4日?くらい浮いていたようだ。乗員がいればポンプで排水したろうから、耐えたと言えるかも。 以下他のページからの引用。 

長門級戦艦のネームシップ。最大速力25kt、基準排水量39,130t、八八艦隊計画艦唯一の生き残り。 

昭和13年12月から昭和17年3月までの間、山本五十六連合艦隊司令長官の旗艦を務めた。その後、緒戦を生き残り、「長門」は帝國海軍の最期を横須賀港にて見守ることとなる。 

終戦後は米軍のビキニ環礁水爆実験の実験艦になった。

昭和21年7月1日、第一回の空中核実験が行われたが、長門は殆ど無傷だった。7月25日、第二回の水中核実験が長門の至近距離で行われた。 

この時、米戦艦「アーカンソー」が轟沈、空母「サラトガ」が大破沈没したにもかかわらず、長門は約5度の傾斜を生じただけだった。その後長門は、29日夜間に誰にも見取られる事なく静かに沈んでいった。戦艦「長門」の最後を見たものは誰もいない。


この時に使用されたアメリカのどの戦艦や空母よりも、爆心地の近くっつうか、核兵器においての直撃のレベルの位置にありながら、他のどの艦よりも長く浮かんでいて、技術者たちをビビらせた後に、誰も見ていない夜中にひっそりと沈んでいった。

「長門」は生涯日本の誇りであり続けた。最後に、日本海軍戦艦の強さを見せたような気がする。

※長門:45口径41cm連装砲4基・50口径14cm単装砲18門・40口径12.7cm連装高角砲4基・25mm連装機銃10基・搭載機3機(カタパルト1基)
長門

ビキニ環礁
ビキニ環礁での7月25日の実験光景。雲の根本左部分に長門の姿。現状は上下逆さまで沈んでおり艦橋部分は折れている。(wiki:長門)

134: 名無しさん 2001/07/23(月) 20:19
武蔵はシブヤン海で沈み、永遠の眠りについてます。

沈没の際には悲惨な話しが無数にあります。

>>109の戦艦武蔵海中浮遊説:
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦にて米空母艦載機の5波にわたる攻撃を受け、魚雷20本、爆弾約10発が命中し沈没。

しかしこの時、武蔵の艦腹にはなお未浸水の頑丈な水密区画が沢山あって、それらが艦に浮力を与えて海底まで沈下せず、艦内に閉じ込められた英霊と共に、シブヤン海の8-12ノットもある強い潮流に乗って海中を彷徨い続けているのではという話。

実際に巨大な黒い塊が海面下を進んでゆくのを見たという目撃情報もあったが、2015年3月2日、武蔵はシブヤン海の水深1000mの地点に沈んでいるのが発見された。

※武蔵:46cm砲3連装3基9門・15.5cm砲3連装2基6門・12.7cm連装高角砲6基12門・25mm3連装機銃35基105門・25mm単装機銃25基25門・13mm連装機銃2基4門・12cm28連装噴進砲2基56門・搭載機最大7機(カタパルト2基)
武蔵
大和型戦艦の二番艦「武蔵」(wiki:武蔵)

135: 名無しさん 2001/07/23(月) 20:23
大和は真っ二つになっているらしいし、史実では宇宙戦艦は、武蔵か長門に期待するしかないのね。

※戦艦大和:
1945年4月7日、沖縄戦を避けるために海上特攻(自力座礁し、浮き砲台として陸上戦を支援し、物資を陸揚げし、乗員は陸戦隊として敵陣突入させる。沖縄への片道分の燃料しか積載していなかったという説もある)の任につき、沖縄に向かっていた大和は鹿児島坊ノ岬沖でアメリカ軍の攻撃を受け爆発、沈没した。

1985年7月29日より沈没地点の調査が開始され、7月30日には巨大な艦尾とスクリューが確認された。7月31日に主砲弾や艦首部分の菊の紋章が発見され、その直径を測定することで沈没船が大和であると確定された。船体が大きく2分割されていることや主砲塔がすべて脱落していることも判明した。

大和
攻撃を受け、回避行動をとる「大和」(wiki:大和)

143: 名無しさん 2001/07/23(月) 23:05
英霊よ、まだ日本は存在します。どうぞ日本国を守護ください。

144: 名無しさん 2001/07/23(月) 23:10
>>143 
英霊化することで毒をもって毒を制す、日本に仇なす怨霊やA級戦犯も一緒くたに入れ、対外的に呪詛結界とすることが目的なので、今も靖国の呪詛は効力を発揮してます。

天神様みたいな物…最近弱くなってきてるけど。

152: 名無しさん 2001/07/25(水) 23:51
>>144 
風水に詳しい人によると、風水的に見ても今の東京は良くないらしい。やたら地下を開発している為(地下鉄、駐車場など)、地の気が乱れて弱くなっているそうです。

風水的に優れていた江戸という土地を(東京か)、金をかけてどんどん悪い状態にしているなんて、とその人は嘆いていましたが…。

153: 名無しさん 2001/07/26(木) 13:03
>>152 
地下鉄、地下駐車場がダメなら世界の大都市のほとんどダメじゃん。

157: 名無しさん 2001/07/26(木) 15:02
学校の図書室においてあった戦争の本に、丸焼きになりながら、座禅してる坊さんの写真があったよ

160: 名無しさん 2001/07/26(木) 21:19
松谷みよこさんが、長年かけて採集された「学校の怖い話」「TV局の~」といった数巻組のシリーズはどれもよかったが、戦争のも迫力があった。 

あと、怪談というより戦争体験手記の本でしたが、近所の年上の少年が通学中の列車が爆撃にあい、両腕切断。お見舞いにいったら、廊下のごみ箱に真っ白な腕が無造作に捨てられてあったと。

そして終戦の日に、その少年は病院をぬけだし、近くの池に入水自殺…なんという本だったか題が思い出せん…。

162: 名無しさん 2001/07/26(木) 22:24
実際に南京大虐殺ってあったんすか?

バイト仲間が無い無いって怒ってるんですが。

163: 名無しさん 2001/07/27(金) 00:13
>>162 
あまりそっちの話題になると、右だ、左だ、論争になりそうだからあれだけどなぁ…。 

知りたければそれぞれのサイトに行って自分で確かめるのが良いと思うぞ。 

どっちにしても自分達の都合のいいことだけで、中立の立場じゃないから、後は自分の判断で在ったか無かったか、在ったとしたら(虐殺と言われる行為が)必要だったか必要じゃなかったのか判断をすればよい。

ただし現代の倫理・政治観で当時の状況に合わせず考えると、それはもはや公平な考えではないのでその辺はふまえておこう。

※南京大虐殺:
1937年に南京市で起こったとされる事件。人口25万の南京市で30万人が虐殺された説、100人を斬り殺すスーパー日本兵が複数いた説、その死体はどこへいったのかなど矛盾点も多く、捏造写真も多数存在する。この事件の犠牲者数は、そもそも事件がなかった説から30万人以上と、それぞれの立場により異なっている。プロパガンダ的に扱われることが多い出来事。(wiki:南京事件)

【その3へ】