右から長門・武蔵・大和

164: 名無しさん 2001/07/27(金) 05:07
特攻基地の近くに、特攻隊員御用達の食堂があったんだって。

その食堂の女主人は、特攻隊員から母親のように慕われていたんだと。その女主人に、とある特攻隊員が、出撃直前にこんなことを言った。

「ボクが特攻するのは、明日の夕方です。死んだら蛍になって戻って来るんで、お店の扉を開けていて下さい」…。 

果たして、次の日の夜、お店に1匹の蛍が入って来た。女主人が「これは今日、特攻した誰々だよ」とその場にいた他の特攻隊員に告げると「それはないよ」との返事。けど、みんな自然に肩を組み合って合唱し始めたとか。 

その女主人だけど、90歳近くまで長生きしたらしいよ。特攻隊員に「おばちゃん、ボクは明日死ぬから、残りの命を上げるよ。その分、長生きしてね」と言われてたんだってさ。何か悲しい話だよね。 

ちなみに、その女主人の葬式の時、どこからともなく1匹の蛍がやって来たとか。その特攻隊員が迎えに来たのかな?

165: 名無しさん 2001/07/27(金) 05:19
>>164 
まじで泣けてきた…。

166: 名無しさん 2001/07/27(金) 10:37
ジャングルで、幽霊になった友軍に助けられた話も読んだ記憶が。

168: 名無しさん 2001/07/27(金) 11:32
>>166 
前スレであったよ。

【まとめ記事:戦争のオカルト話 パート1】

167: 名無しさん 2001/07/27(金) 11:10
ある空戦で被弾して、重傷を負った日本軍パイロットが、基地の方角もわからなくなって自爆しようと思ってた時、一機の味方機が現れた。その味方機に誘導されて、なんとか基地に帰ることができた。

無事着陸したそのパイロットは、「誘導してくれた戦友に礼を言いたい」と言ったが、「貴様以外に飛行機は飛んでいなかった」 と。

そのパイロットは、その日の空戦で戦死した親友が誘導してくれたんだ、と思ったそうだ。

171: 名無しさん 2001/07/29(日) 10:11
沖縄はまじやばいらしいよ。戦争で死んだ人がいっぱい出るって。 

でも広島や長崎で被爆者の霊ってあまり聞かないな。誰か知ってる?

172: 名無しさん 2001/07/29(日) 10:54
>>171
広島、ホテルに被爆者の霊が出ることがあるって聞いたことある。

私自身は霊感全くないから分からないけど。

173: 名無しさん 2001/07/29(日) 22:04
>>172 
こんな話を聞いた事があります。 

夜中に突然、人の気配と何かが焦げるような異臭がし、目が醒めた。何故か、風もないのに窓のカーテンが揺れている。よく見ると、カーテンの陰から真っ黒に焼け焦げた腕が見えていた。しばらくすると、すっ、とカーテンの陰に隠れるように消えてしまった。 

その日は8月6日、原爆の投下された日であった…。

182: 名無しさん 2001/07/30(月) 23:28 2001/07/30(月) 15:00
広島は因の島は霊がでるよ。 

原爆でケロイドになって腐りかけた死体を船で運んで、因の島で火葬したそうだ。因の島の野外活動センターで霊を見たって言う人が絶えないらしい。
 
まあでても不思議はないな、今でも掘り起こせば骨が次々でてくるらしいから。

174: 名無しさん 2001/07/29(日) 23:12
鎮魂の意識の違いだろうな。

なぜか大規模震災なんかの被害者ってのは、あんまり化けてでない。関東大震災しかり、東京大空襲しかり、長崎・広島しかり。いずれも鎮魂の弔いが行われて、在る程度成仏してるからでは? 

ところが沖縄は、鎮魂的意味合いが違ってる。死んでいった者たちは国のためを思い戦い、虜囚になることを避け死んでいったのに、鎮魂の意識はその者たちの意識と反対に、当時の国家に対する恨み辛みや批判で政治的に利用される…。
 
これじゃ成仏したくても出来ないんじゃ?

175: 名無しさん 2001/07/30(月) 09:28
>>174
なるほどね。沖縄は米軍が撤退しない限り成仏できないかもね。 

米軍基地とかでは目撃されないのだろうか。むしろ米軍基地の方が出そうな気もするが。

185: 名無しさん 2001/07/30(月) 15:36
>>175 
そういえば、終戦後の本土復帰以前の米軍キャンプで、夜間警備が施設内をパトロールしてると、暗闇の向こうからバンザイ突撃を敢行する日本兵の騒音が聞こえる、ってのが昔読んだ雑誌に載ってたな。 

もちろん実際に暗闇の向こうから日本兵が来ることもなく、ただ声だけがバンザイ突撃してくるって…。

176: 名無しさん 2001/07/30(月) 10:08
日本のために散っていった英霊の皆様、支那・韓国の内政干渉から日本を守ってください。

177: 名無しさん 2001/07/30(月) 10:24
>>176 
かの国の人達で日本軍兵士となって戦った人もいることをお忘れなく。

※朝鮮人日本兵:
1943年には30万人を超える朝鮮人が志願し、6千人が日本兵として採用されている。

179: 名無しさん 2001/07/30(月) 13:48
1945年4月20日のことという。敗色濃いナチス・ドイツの重戦車が、妙なかたちでアメリカ戦車隊に襲いかかった。 

その日の朝は濃い霧だった。あるフランスの小村にさしかかったアメリカM4戦車隊の前の家の物陰に、ティーガー2が隠れているのを発見した。すぐさま航空支援を無線でたのみ、M4たちは扇状態に展開し、テーィガー2の側面を攻撃しようとした。 

だが68トンの重戦車の前に、M4はつぎつぎと撃破されていった。濃い霧のため航空支援もままならず、戦闘爆撃機が来た頃にはM4は全滅していた。

かろうじて脱出したM4の乗員は、その重戦車のコマンダーズ・キューポラに、子供が一瞬顔を出したのを目撃した。14、5くらいだったという。弾薬輸送車のsdk251には老人がいたという。 

ティーガー2は貴重な戦車であり、この戦略的になんの価値もない村になど配備したことはないという。ただ、この村がアメリカ軍の空襲で壊滅したことは事実だった。

この交戦記録はアメリカ軍の記録にはあり、ドイツ側には、もちろん無い。「幻の虎(ティーガー)」と呼ばれた。

空襲で死んだ人々の霊ではないかといわれている。

※ティーガーII:ドイツの重戦車
ティガー2
コマンダーズ・キューポラ:乗員が顔をだしているところ。戦車の司令塔。(wiki:ティガーIIより)

※Sd Kfz 251:中型装甲車
640px-Warsaw_Uprising_-_Captured_SdKfz_251_(1944)

180: 名無しさん 2001/07/30(月) 13:53
>>179 
え?物理的にM4が破壊されたってこと? ドイツの「特殊な」部隊とかじゃないの?

189: 179 2001/07/30(月) 23:28
>>180 
物理的に破壊された。全て。 

181: 名無しさん 2001/07/30(月) 14:13
>>179 
新谷かおる「戦場ロマンシリーズ(だっけ?)」に似たような話があったけど? 

その話を元にして、漫画化したんでしょうか?

189: 名無しさん 2001/07/30(月) 23:28
>>181 
新谷のマンガは、北アフリカにティーガー2もっていくやつじゃなかったか?「幻の虎」という同名だったような。



183: 軍事板よりコピペ 2001/07/30(月) 15:13
ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。 

ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。 

彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。いずれも確かに戦死した連中ばかり。 

神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。 

しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。 

見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、「全員、整列!」 と言うと、素直に整列したそう。

そして、「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。 

あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。 

「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」と言っておりました。

186: 名無しさん 2001/07/30(月) 17:11
>>183 
いい話だね。

184: 名無しさん 2001/07/30(月) 15:30
昔、幽霊を科学するという本を読んだ話。 

戦時中、マッコーネルというパイロットが偵察機で出かけたが、その日は霧が濃く、上官が帰りを心配していたら、時間どおりにマッコーネルは上官の下に現れて、任務は終えたので部屋に戻って休みます。といって出て行った。 

その後、しばらくして彼の墜落した飛行機の残骸が発見され、彼の部屋に行っても誰もいなかったそうです。

195: 名無しさん 2001/07/31(火) 19:17
ヒトラー映像関係。 

あるバンドがライブの時に、バックに流す映像としてヒトラ-の演説シーンを使ったんだけど、その時観客の中で、その映像から無数のいろんなものが飛び出してくるのを見た人がいるそうな。

196: 名無しさん 2001/07/31(火) 19:38
>>195
いろんな物ッて??

197: 195 2001/07/31(火) 19:53
>>196 
ごめん、本人に直接聞いたわけじゃないから詳しくは分からない。でも私は、心霊写真に移ってる半透明の顔みたいなやつかなって勝手に想像してます。

198: 名無しさん 2001/07/31(火) 19:54
>>197 
きのこ喰ってたと思われ。

205: 名無しさん 2001/08/07(火) 23:12
>>198 
なんでまたきのこなんだ? 烈しくワラタ

209: 名無しさん 2001/08/11(土) 03:28
>>205 
マジックマッシュルームとか知らないの?

212: 205 2001/08/12(日) 19:24
>>209 
ほう、そういう意味だったのか。解からなかったぞ…。

202:名無しさん 2001/08/03(金) 20:40
うちのじいさんは第2次大戦中、朝鮮半島へ飛行機の整備兵として行ってた。

ある夜寝ていると外が騒がしい。外に出てみて、そこにいた同僚に何で騒いでるのか尋ねたら、巨大な火の玉みたいな飛行機が港を猛スピードで横切ったっという。 

当時は米軍の新兵器だと話していたらしい。

204: 名無しさん 2001/08/07(火) 04:45
 >>202
今で言う、UFOなのでしょうかね?

211: 名無しさん 2001/08/12(日) 09:35
そういえば北海道の五稜郭や函館山は、無念の兵士の怨念が出没するって聞いたこと在るけど、最近はどうなの?北海道の人…。

213: 名無しさん 2001/08/12(日) 19:37
アンビリーバボーで、三重県の遠浅の海岸で水泳の授業をしていた女子中学生が、次々と波にのまれて、十数人が溺れ死んでしまった話をやっとた。

しかし、生き残った子の話によると、その時、防空頭巾をかぶった人たちが脚を掴んで次々と引きずり込んでいったらしい。なんでも昔、空襲で死んだ人たちの遺体をその海岸で焼いて埋葬したらしい。 

しかも、その事件が起きた日と空襲のあった日は同じ日だったんだと。 

今ではその海岸は遊泳禁止らしい…。

214: 名無しさん 2001/08/12(日) 19:45
>>213
http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p55_1.html 
これだべ!!

※リンク切れ。ウェブアーカイブより。
魔海の恐怖
               
昭和30年7月28日、三重県津市の中河原海岸で、市立橋北中学の女子生徒が水泳の授業を行っていた。ここは遠浅で波も穏やかで、生徒達は海岸から50mほどのところを泳いでいた。
 
ところが、静かだった海を突然大波が襲った。生徒達は次々と海底へ引きずられてゆき、36名が死亡、生存者は9名という悲惨な事故となってしまった。この日は天候も良く、遠浅のこの海岸では子供でも足がつくはずだった。

地元の人は「澪(ミオ)に違いない」と言った。澪とは、遠浅の海岸に大きな川が流れ込むことによってできるすり鉢型のくぼみのことで、川の流れと波がぶつかって、「タイナミ」と呼ばれる津波が発生することがあるのだ。
 
ところが、生存者の一人である中西弘子さんは、津波ではない恐ろしい体験をその時していた。
 
弘子さんは友人と2人で泳いでいた。2人の何mか先で、突然数人の生徒が溺れたので、2人は助けを呼ぼうと海岸の方へと向かおうとした。急ぐ弘子さんの足にその時、何かがからみついた。

弘子さんが振り払おうと手で掴むと、なんとそれは人の手だった。次々といくつもの手が弘子さんの足をひっばり、海へと引きずり込もうとした。黒い塊は、防空頭巾をかぶった人々に見えたという。

防空頭巾

弘子さんはそこで気を失ってしまい、気付いた時は病院のベッドの上だったという。そして、弘子さんがその時目にした恐ろしい光景は、他にも目撃者が何人もいたのだ。

この海岸では一体、何があったのであろうか。    

昭和20年7月、日本は第二次世界大戦の真っただ中で、アメリカ軍の空襲は津市にも被害を与え、250人の市民が焼死した。火葬しきれなかった遺体は7月28日、海岸に埋められたのだという。

生徒達の事故があった日と、空襲で犠牲となった人々が埋められた日は、奇妙に一致する。弘子さんや他の人が見たあの防空頭巾の人々は、その犠牲者たちの霊なのであろうか。
 
現在この海岸は、遊泳禁止となっている。    

215: 名無しさん 2001/08/12(日) 19:54
>>214
なんかこの話って、いろいろと変化してるね。 

女子中学生は修学旅行で来ていたとか、女子中学生じゃなくて園児だったとか、ひきずりこんだのも防空頭巾の[女の]人とは特定していないのに、[女の]人になっている…。

218: 名無しさん 2001/08/19(日) 14:55
>>215 
都市伝説の成立過程のようだね。

222: 某所からコピペ 2001/08/19(日) 15:44
防空頭巾の集団亡霊 

三重県津市の海岸には、海の守りの女神の像が立っている。

ここは、昭和30年7月28日に市立橋北中学1年生の女子36人が水死した所だが、当時の生き残りの一人だった梅川弘子さん(21)は、週刊誌「女性自身」(昭和38年)に、その時の恐ろしかった手記をサイン、写真入りで寄せている。 

いっしょに泳いでいた同級生が、「弘子ちゃん、あれ見てー」と、しがみついてきたので、2,30メートル沖を見ると、その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎと波間に姿を消していくところだった。

すると、そこで弘子さんは「水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくる」のを見た。それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺをはいていた。

逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力はものすごく、水中に引きこまれていったが、薄れゆく意識の中でも足にまとわりついて離れない防空頭巾をかぶった無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。 

弘子さんは助けあげられはしたが肺炎を併発し20日間も入院したが「亡霊が来る、亡霊が来る」と、よくうわごとを言ったという。 

「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話があって、津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、この海岸には、集団溺死事件の起こったちょうど10年前の月日も同じ7月28日に、米軍大編隊の焼打ちで市民250余人が殺されており、火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。

山本氏から、この話を聞かされた弘子さんは、手記の名中で「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」と納得している。

223: 某所からコピペ 2001/08/19(日) 15:44
なお山本氏が聞いて回ったところによると、この亡霊は、弘子さんを含めて助かった9人のうち5人までが見ているばかりが、その時、浜辺にいた生徒たちの内にも、何人かが見たと語っているそうだと、弘子さんは伝えている。 

また、その後、こうした体験をした弘子さんは、卒業してガソリンスタンドの事務員に就職したが、自分でも積極的に調べてみると、次つぎに怪異な事件が起こっていいることを知ったと、次のような報告を併記している。 

・溺死事件の前日、大きな火の玉が浜辺の某家の屋根に落ちたのを釣りをしていた何人もが見たが、その家の娘も弘子さんといっしょに遭難水死した。 

・腰まで海水に浸って釣っていた人が、突然何かに憑かれたように沖へ沖へと歩いていってそのまま海中に姿を消し、死体も揚がらぬ事件が4年間も続いている。 

・渡辺小三郎という人は、幸い救われたが、病院で「亡霊を見た」とうなされ続け、意識不明のまま20日後に死去している。 

注:この海辺は現在は遊泳禁止。

224: 名無しさん 2001/08/19(日) 15:48
戦争中の怪談なら、松谷みよ子さんの「現代民話考」に止めを刺すな、私の場合。 

外地での体験で、敵の兵隊を逃れてみなで疎開するんだが、どうしても子供が泣き止まない。これじゃ、敵に見つかっちゃうじゃないか。その子の両親が黙って、森の中に入っていった。そして、いっときして出てきたが、子供が見えない。

「ご迷惑をおかけしました。」 

団体はなにも言わずに、疎開先に出発した。 

きた先を振り返ったら、赤ちゃんがまるで目印の小石のように点点と捨てられていた、なんていうような隊もあったってね。

225: 名無しさん 2001/08/19(日) 15:53
>>224 
うーーむ。切ないというか…やっぱりコワイね。

現代民話考 2 軍隊
松谷 みよ子
立風書房
1985-09


226: 名無しさん 2001/08/22(水) 07:58
日露戦争において苛烈を極めたという旅順要塞攻略作戦。 

暴挙に等しいといわれた白兵による突撃時、露軍の一回の機銃掃射で、三十人近くの日本兵がなぎ倒されていったそうだ。 

夜間に旅順市内に突入せんと決死の白襷(しろだすき)隊を編成するも、一回の突撃で三千の兵のうち、九割が戦死するという悲惨な結果に終わる。 

五万人近くの死傷者を出しても突撃を繰り返す日本軍に、露軍は戦慄したそうだ。 

旅順陥落時に、水師営という所で乃木将軍と露軍のステッセル将軍が会見して休戦協定が締結するが、無数の日本兵と露兵がその様子を眺めていたそうな…。 

なんか胸がつまるよね。命を落としたもの同志、戦友になったのかな。

227: 名無しさん 2001/08/22(水) 08:04
>>226 
悲しいね…でもコワイね。 

228: 名無しさん 2001/08/22(水) 08:37
詳しくは忘れたが、日露戦争時の美談を一つ。 

旅順攻略戦時、日本軍に包囲された要塞から石が落ちてきた。石には紙が結んであって、母国の母を安心させたいので同封した紙幣で手紙を送って欲しいと、露軍の兵の願いが記してあった。 

手紙を見た部隊長は、露本国に手紙を送ることを上層部にかけあう(勝手に送ってはスパイ行為になるからね)。内容に問題の無いことから許可が出て、なおかつ不足していた料金も隊長が補って、手紙は兵士の母に送られることとなった。 

数ヶ月がたち、その母から返事の手紙が送られてきた。 

それを強肩の兵に要塞内に投げさせると、しばらくして返事がきた。「母に代わり、あなた方に感謝します」(母親は日本軍から手紙が来たとは思いもしないだろうから)。 

真偽かどうかはともかく、とても心が温かくなる話だと思った。日本の武士道精神と、ロシア(欧州)の騎士道精神の触れ合いがあったんだ、と思いたい。

229: 228 2001/08/22(水) 08:43
日露戦争はマイナーながらも色々話題が多いので、そのうち又…。

230: 名無しさん 2001/08/22(水) 08:45
>>229 
なかなか面白い(興味深い)のでよろしく。

231: 名無しさん 2001/08/22(水) 09:26
>>228 
ええ話や…。戦争は、決して個人間の恨み辛みはなく、国家間(または軍隊同士)の不毛な争いということを再確認させられる。 

232: 228 2001/08/22(水) 09:42
記憶だけで書いてたらおかしいところが多々あったのでもう一度。 

旅順陥落の20日程前のこと。二龍山保塁から第九師団の工兵隊陣地前に、ハンカチで包まれた石が落ちてきた。「敵の罠かもしれないが、そんな卑怯な真似もせんだろう」ということで拾って見ると、5ルーブル金貨二枚とロシア語で書かれた手紙があった。

司令部で翻訳すると、「包囲軍将校に懇願する。次の電報をたった一人の母に発信していただきたい。本文:私は元気です。どうか安心してくださいませ。ピョートル。費用は 同封の金貨でお願いします。」 

これを見た大島師団長は「母親を安心させてやろう。」と指示をする。費用は足りなかったものの上海経由で発信し、その旨を石にしばって保塁に投げ入れさせると、また返信が届いた。

「わが母とともに厚く感謝する。」 

出所がいろいろあったので脳内で混ざったけど、この話が一番好き。

【その4(完)へ】