114: 名無しさん 02/12/05 21:54
阿嘉島(あかしま)に一人旅していた時です。

潜らないんだけどダイビングショップにお邪魔をし、ダイバーの皆様とお話をして、ひとりで宿まで帰るところでした。


既にあたりは真っ暗。行った時は薄明るかったので、風景が変わっていて、そのうち道に迷ってしまいました。小さい島なので虫の声だけで、本当に静かで、民家もまばら。

どうしようと思いながら、とりあえず宿があるであろう方向にうろうろと…。でも、どうも宿にたどりつかない。

もう、道を聞こう!と決心をし、明かりのついている民家を訪ね、「すいませーん」と声をかけると、しばらくたってからおじいちゃんが出てきてくれました。 


そして道を訊ねると、本当にすぐそこだったんですけど、「この辺はね、よく出るんだよ。たくさん 
兵隊さんが死んだからね、この時期はね、気をつけたほうがいいよ」と言われ…。 

その時3月半ばでした。私はその時初めて、慶良間諸島は激戦区だったことを思い出しました。 

さらに、「心配だから、あなたがそこの角を曲がるまで見ててあげるから、早く行きなさい」とまで言われ、角を曲がったらすぐ宿があったんですけど、曲がるまで、20メートルほどでしたか、生きた心地はしませんでした。 

結局霊感も何にもないので、無事に宿へたどりつき、また、島から帰ってくることもできましたが…。 

それ以来離島での夜は、ひとりでいるのは怖いのです。時期的に、そう、今時分は…。 

115: 名無しさん 02/12/05 21:55
>>114
そう…兵隊さん、結構浮かばれていないようです…。 

私は宜野湾の普天間基地サイドの3階に住んでいますが、毎日、母親が留守番をしています。ある日の夕方、母が窓の外にふと目をやると、何人もの兵隊さんが窓の外を歩腹前進しているのを見たそうです…。3階だから、周りに何も無いはずなのに…。
 
怖くなかったねー?と聞いてみると、「彼らは、何も悪い事しないから怖くないよ。きっと自分たちが死んだのわからないんだねー。」

そう、うちの母親は見える人なんで、そういうの慣れているんです。

116: 名無しさん 02/12/05 21:56
沖縄のあるダイバーショップの話。

そこは昔、漁師の方が始められたお店なのですが、ある日、タンクにエアーを詰めている際に爆発事故が起きてしまい、店の主人が亡くなりました。爆発の際吹き飛ばされて、その主人の首から上が見当たらなくなってしまいました。

その後、身内の方が店を閉めようと片付けていた時に、その主人の首が絶対にあるはずの無い場所…奥の部屋のタンスの中から出てきたのです。そのタンスは、爆発の時にはきちんと閉まっていたにもかかわらず、その中に主人の首が入っていたのです。

その首を発見した時に、「店は閉めずに続けるように」と、その主人の首が伝えたらしく、その店は今でも営業を行っていると言うことです。

117: 名無しさん 02/12/06 12:04
港区・港南埠頭に、沈んだタクシーの亡霊が出るという。

場所をご存知のかたはいらっしゃいませんか?

120: 名無しさん 02/12/06 14:34
>>117
港区海岸の日の出埠頭だよ。

122: 名無しさん 02/12/06 18:49
>>117 
「タクシーの亡霊」ってなんだよ。 

車が化けて出るってか?もうアホかと。

123: 名無しさん 02/12/06 19:20
>>122 
いや、本当なんだよ、タクシー自体がそこに止まっているんだよ。
 
浜松町あたりの運転手さんにきいてごらん。

134: 名無しさん 02/12/08 00:43
幽霊タクシーの話追加きぼん。

139: 名無しさん 02/12/08 08:43
>>134
タクシーの話は割と有名で、○○交通の品川営業所では事実、そこに花束やお線香を上げて供養しています。10年ぶりに海底から引き上げられてからは、あまり出ないと言われています。 

埠頭に停まるタクシーは、各ドライバーがコーナーを曲がる時に一瞬目に止まる、といった形で目撃されています。「あれ?と思って、振りかえったりしてもそこにはいない。また、正面には見えない」とのことです。

うまく説明できてないけど、そんな感じです。もう一度、ドライバーの知り合いに聞いておきます。

※当時のニュース記事:
東京港に沈むタクシーに白骨化遺体=12年前失踪の運転手か

(2002年1月)15日午前11時半ごろ、東京都港区海岸二丁目の東京港で、海中にタクシーが沈んでいるのを警視庁東京水上署の警備艇が発見。車内から白骨化した遺体の一部が見つかった。 

同署が車を引き揚げて調べたところ、タクシーは1990年、勤務中に失踪した東京都江東区亀戸のタクシー運転手男性=当時(54)=が使っていたものと判明。車内には男性のものとみられる免許証もあった。

同署は遺体の身元確認を急ぐとともに、事件と事故の両面から捜査している。調べによると、車は岸壁から約10メートル離れた海底(水深約10メートル)に沈んでいた。遺体は運転席にあった。 

男性は当時、足立区千住に営業所があるタクシー会社に勤務。1990年8月22日午前1時半ごろ、都内から埼玉県鴻巣市まで客を乗せたのを最後に、足取りが分からなくなっていた。 

男性に家出をする動機が見当たらず、警視庁は、事件に巻き込まれた可能性もあるとして、ポスターを作るなどして行方を捜していた。 

121: 名無しさん 02/12/06 16:04
女房の祖父が昔、貨物船の船乗りで、おもしろい話をいくつか聞いています。そのひとつ、「肉」というやつを…。  

その名の通り、肉の塊らしいんですけれども、直径3~5メートルぐらいで、表面に毛がびっしりと生えていることもあれば、象かカバのような皮膚のようなこともあり。

顔も何も無く、ただの円形の肉布団のようなこともあれば、顔のようなものがついていて、1メートル近い長い鼻がついていることもあり、ただ波間に漂っていることもあれば、明らかに意思を持って泳いでいたり、と。

祖父は、パナマやキューバの方で10回ぐらい見たことがあるそうです。

もうひとつ、「ブヨブヨ」というのも聞きました。これは半透明のブヨブヨした感じの物体で、空に浮かんでいるそうです。大きさはコンビニ袋ぐらいのものから、直径2メートルぐらいまで色々。夜だとほんのりと光っていることもあるそうで。

これまた、何をするわけでもないんだそうですが、祖父は一度つかまえようとして触れてみましたが、プヨプヨとした触感だけで、ツルンと逃げられてしまったそうです。 

148: 名無しさん 02/12/08 11:39
>>121
面白い話だ。海洋の神秘!

276: 名無しさん 02/12/17 22:32
>>121
(゚д゚)

※肉塊:
正体不明の肉塊(いわゆるUMA)は世界各国の海岸に打ち上げられています。中でも有名なのがタスマニアシーモンスターと言われる、1997年にタスマニアの海岸に打ち上げられた全長4.6mの肉塊。毛のようなもので覆われ、触手らしきものがついている。

タスマニア肉塊
正体不明の肉塊については【まとめ記事:未確認生物・UMA総合スレッド】もどうぞ。

124: 名無しさん 02/12/06 19:35
ある少年が海辺で転んで、ひざにケガをした。
(略)
小さなフジツボがひざのお皿じゅうにびっちり生えていたそうな。

実話です。

128: 名無しさん 02/12/06 21:01
>>124
それは都市伝説です。

132: 名無しさん 02/12/07 10:31
9年前の夏、神奈川県の片瀬西浜海岸で清掃のバイトをしてました。

昼休み、片瀬川の川べりで昼寝していたら、川の方に引きずりこまれるような感覚がありました。異形のものがひきずりこむような感覚でした。 直感で「今日、近くで水死人が出る。なにかが俺を水の中に引きずり込もうとした。」 と言ったところ、バイト仲間から馬鹿にされました。

次の日の新聞で、ちょっと離れた引地川の遊泳禁止区域で子供が水死したことを知りました。

133: 名無しさん 02/12/07 11:00
>>132
引きずり込まれるような感覚ってどんな感覚だよ。意味不明。

140: 名無しさん 02/12/08 10:10
河でなら引きずりこまれたことある。片足をつかまれて一気にが~~って。

いつも遊んでた浅瀬なのに凄く深く見えた、日の光でキラキラした川底が綺麗でした。「カッパかな?」と思い、周りを見渡すとお地蔵さんが立ってました。妙にやさしい顔が今も思い出せます。

私の足を引っ張ったのはカッパなのか? お地蔵さんなのか?今も解りません。

河の中にお地蔵さんを建てる風習なんてある?。

142: 名無しさん 02/12/08 10:28
>>140
てか、何時代の人?

149: 名無しさん 02/12/08 12:05
なんかどっかの番組で、海で引きずり込まれるのは海流がどーとらこーたらとか…忘れた。

155: 名無しさん 02/12/08 20:35
平家蟹だよ。
ttp://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kyoiku/shidoka/hurusato/www97/b4_hgani.htm

※リンク切れ。ウェブアーカイブより。

平家蟹 
平家蟹
瀬戸内海や有明海の水深30~100mの貝殻まじりの砂底にすむカニで、甲羅の大きさは2cmほどです。

甲羅が怒った人の顔のように見えることと、瀬戸内海で多く見つかることから、壇ノ浦で滅亡した平家の亡霊がのりうつったという伝説を生みました。前の二対の脚が長く、残りの後ろ二対の脚が極端に短いのが特徴です。

156: 名無しさん 02/12/08 20:40
平家蟹、こっちの方が大きいよ。
ttp://members.tripod.co.jp/dodoyy/kani/p31.jpg
※リンク切れ。ウェブアーカイブより。

平家ガニ

157: 名無しさん 02/12/08 20:51
>>156
なんか、「悪いアンパンマン」みたい…。

188: 名無しさん 02/12/09 20:27
最近九州の漁師さんが流されて千葉沖で救助されたけど、あのまんまだったらハワイあたりでミイラになってたわけ?

※武智三繁(たけちみつしげ):
2001年7月20日、午前4時に長崎県の崎戸港を出航した。日帰り予定だったが、正午頃に船のエンジンが停止。その後、エンジンは好調・不調を繰り返した。7月24日、携帯電話で修理業者と連絡をとりつつエンジンを修理しようとしたが難航、携帯電話が通じていたにもかかわらず、なぜか救助を要請せず、自力でエンジンを修理することにこだわった。その後携帯が圏外となり、連絡手段が途絶えた。

なんやかんやで37日後に生還を果たし、インタビューで漏らした言葉「人間って、なかなか死なないもんだなぁ」が2001年の新語・流行語大賞の語録賞を受賞し、漂流生活を綴った著書「あきらめたから、生きられた」が出版された。(wiki:武智三繁)



189: 名無しさん 02/12/09 22:10
漁師の霊が出ると噂がある、松任の○○海岸に友達4人で深夜2時頃ドライブをした時の事。

海岸道路沿いを向こうの方から歩いて来る人とスレ違い、ふとその人の顏を見ると目も鼻も口もなく、ただ真っ黒でした。月明かりで顏が見えないはずないのにその人の顏には何もついていなかった。

そのまま無言で走ると、急に車がバックした。ギアがドライブになっていたのに、勝手に動いてると運転してる友達が言って、両手両足をあげて見せた。

顔のない人と遭遇した位置に戻った時、車が止まった。1本道で隠れる場所はないのに姿が消えていた....。

そこは以前、船から漁師が落ちて、亡骸がいまだにあがってないと噂のある場所だった。

190: 名無しさん 02/12/09 22:27
梅雨時の小坪港、この時期の小坪は霧が非常に出やすく、この日も霧が出ていました。ただ、湾の外から立岩までは視界が確保できていたのと、海上だけの霧だったのでエンジン船で走り始めました。

ところがそれまでべた凪だったのに、午前9時頃からそよそよと風が吹き始めました。それも霧を運んで来るたちの悪い海からの風…見る見るうちに霧が辺りを包み込み、視界が30mほどに。

やむを得ず勘を頼りにエレキ
(電動モーター)で一番近いだろうと思われる岸を目指しました。当時はGPS付きの魚探なんか持ってなくて(今もですが)船に備え付けの缶を鳴らしながら、魚探とコンパスを確認しながら進んでいました。 

しばらくすると、進行方向の先でザッザッザッと音がしたのです。 

だがそこは岸まではまだ50m以上あるはずだし、現に魚探も水深20mを前後を写している。缶を鳴らすのを止め、エレキを止め、魚探のアラームも止めもう一度進行方向を見ると 

船の先2~3m辺りに見えるそれは…足、足、足、…あし!!! ひざ下の部分しか見えないけれども、間違いなく海上を彷徨ってる無数の足…。

エレキを全開にして缶を鳴らしながら岸を目指したのは言うまでもありません。あれから7~8年経ちますが、あの光景だけは今でも強烈に目に焼きついています。

191: 名無しさん 02/12/09 23:11
>>189>>190
ぎゃあああーーーっっ!こここ怖いよーーー!!

196: 名無しさん 02/12/10 01:05
ヨットマンなら誰でも経験していること、深夜停泊中(沖・系留地に限らず) に上を歩く人がいても(音がしても)絶対に外には出ない。常識です。

218: 名無しさん 02/12/12 02:50
空母キティホーク 

それは1998年のことで、私は空母キティホークの病棟で勤務していました。ある日の午前2時頃、私はデスクで仕事をしてました。私の背後は狭い通路があって、それは診療呼集(診断・検診を必要とする者を対象に毎日行う呼集のことで軍事用語)エリアに続いています。

私は、その時回診を終えたばかりのところで、ドアは全てロックしてありました。深夜勤務していたのは、私のほかに3名おりました。 

さて、机に向かって事務仕事をしてますと、トイレのドアが開閉する音が聞こえました。それは同僚か誰かと思い、私は立ち上がって、トイレまで行きました。さっき私が夜食をとりに行った際に、病棟を見てくれていたかどうかきこうと思ったのです。

私はトイレのドアをノックしましたが、返答はありません。一声かけてドアを開けましたが、そこには誰もおりません。病棟の方を振り返ると、フライトスーツを着た者が歩いているのが目にとまりました。

「そこへは立ち入りできませんよ」 私はそう言って、その男のところへと歩み寄りました。トイレのドアから病棟まで、ほんの1メートルです。でも、どういうわけか男の姿は消えてました。患者たちが寝息をたてているだけです。

それから1年ほど経った頃です。夜中に尿意をもよおし、私は寝床から出ました。すると足元に置いてあるはずの靴がありません。それで近くにあるロッカーへ行きました。そこにあるかと思ったのですが、そこにもありません。

突然、全身が鳥肌立ちました。そして、私の周りでほうきをかけるような音がしました。私が後ろを振り向くと、いつのまにか自分の寝床の足元に靴がありました。

※空母キティホーク
空母キティホーク
1961年4月21日就役~2009年1月31日退役

219: 名無しさん 02/12/12 02:51
空母フォレスタル 

奇怪なポルターガイスト、船内電話から聞こえる無気味な声、カーキ色の制服を着た男の幽姿…。近代的な空母が一転、洋上の幽霊屋敷へと変貌したのは、1967年トンキン湾近海での爆発火災事故で137人のクルーが死亡してからだという。

犠牲者の死体、あるいは死体の断片は、一時船内の食品を貯蔵してある冷凍室に安置された。「ジョージ」とニックネームまでつけられた幽霊がうろつきまわるのは、主にこの冷凍室あたりである。幽霊騒ぎが起きてから、この無敵艦隊の猛者ですらそこへ行こうとしなくなった。

下士官のダニエル・バルボアはこう言う。「私は幽霊は見たことはありませんが、そこで不気味な物音は聞けると思いますよ。私が夜勤していた時に、何かを拾ったり落としたりするような音が聞こえました。周囲を見回しても何もそれらしきものはありません。でも仕事を再開しようとすると、その音が聞こえてくるんです」

バルボアはこんな体験もしている。冷凍室の温度をチェックして外へ出ると、今しがた閉めたばかりの冷凍室のドアが彼の背後で開いたというものだ。ドアは自動ロックされるので、鍵もなく自然に開くことなど「ありえない」という。

見てしまった将兵も多い。下士官のジェームズ・ヒラードは、不審な足音をたどると、そこに「士官クラスが着るようなカーキ色の制服を着た」男がいたという。ヒラードはその男のいる隔室に入ると「そこには誰もいないのです。誓って言いますが、この隔室で消えたとしか思えません」。

給食担当官のゲイリー・ワイスも、ポンプ室へ通じる梯子を降りてゆく、同じくカーキ色の制服を着た幽霊を目撃している。

ジェームズ・ヒラードは、また別の怖気だつような体験をしている。勤務中に、近くにある船内電話のベルが鳴った。それは回線はつながっておらず使用不能のはずであると思ったものの、受話器を耳にあてた。そこからはかすかに「助けて!助けてくれ!第6デッキにいるんだ!」と聞こえてきた。

確か第6デッキでは火災で死亡した者がいたはず。ヒラードは恐くなって、受話器を放り捨てて逃げた。 

※空母フォレスタル:
火災事故後、「フォレスト・ファイア Forrest Fire」「ジッポー Zippo」と呼ばれるようになった。
フォレスタル
1955年10月1日就役~1993年9月11日退役

214: 名無しさん 02/12/11 20:24
竜飛岬のある津軽半島最北端青森県三厩村(みんまやむら)には、様々な義経伝説の名所があります。 

昔、兄(頼朝)の兵に討たれた義経が、定説とは別に北へ逃げ延び津軽海峡を渡り、北海道まで行ったと言う伝説があるそうです。ここ三厩村には、義経を導いた観音様を納めた円空仏を祀っている「義経寺」があります。心中死体があがらない岬として有名です。 

※源義経:
1189年、頼朝の兵500騎に襲われ、10数騎で防戦するも囲まれ、自害した。義経最期の地とされるのは岩手県西磐井郡平泉町。

215: 名無しさん 02/12/11 20:29
私はスキューバをやるんですが、海の中ではまだ怖い経験はありませんが、大瀬(沼津)の民宿で一度だけ怖い経験をしました。 

夜、民宿の窓から海辺方向を見た時に、親子連れを窓下に見ました。深夜3時すぎ、いくらなんでもこんな時間にと思って、他の女性を起して下を見ると誰もいませんでした。

236: 名無しさん 02/12/13 13:20
>>215 
サ○○○ズ大瀬? あそこは、よく出るらしいねー。

240: 名無しさん 02/12/13 18:57
6~7年ほど前、高松で海底に送水管を敷設する仕事でダイバーとして参加していたんだけど、何度敷設しても同じ場所で管が折れたり潰れたりして、うまく敷設できない場所があった。

おかしいと思い、とある船長が測量屋さんを島へおろして、自分も船を岸に着けて散策をしていたら岬を曲がったところで、観音様が海の方へ倒れていたらしい。

その話を現場の代理人にしてみると昔、宇高連絡船が難破して、多くの人が犠牲になった慰霊碑と言うことが判明。 

後日その観音様を引き起こし然るべき位置に治したらしいんだけど、前出の測量屋さんが測量で出した敷設のうまくいかないポイント付近と、連絡船が難破して犠牲者が打ち上がったポイントは、ほぼ同一地点ということが判明。

※宇高連絡船 紫雲丸:
1950年から1955年にわたり5度の事故、うち2度は死亡事故。1950年3月25日、1回目の沈没事故では7人が死亡。その後紫雲丸は引き揚げられ、連絡船に復帰。その後、3回の事故を起こし、5回目の2度目の沈没事故では修学旅行の小学生100人を含む168人が死亡。

「紫雲」という言葉自体に「臨終時に仏が乗って迎えに来る雲」という意味があり、さらには「死運」に通じるなど語呂があまりにも悪く、就航時から「死運丸」と囁かれていた。5回目の事故後、船は「瀬戸丸」と改称されて復旧したが、1960年に「中央栄丸」と衝突して「中央栄丸」が沈没している。(wiki:紫雲丸)

216: 名無しさん 02/12/12 00:38
小学生の時、遠足で行った海岸で流れ着いた位牌を拾った。

が、どうすればよいのか解らず、そのまま投げ捨てた。一年後、再び遠足で同じ海岸に行きまた位牌を拾った(小泉家と書いてあった)。今度は埋めた。 

なんで俺ばっか…。