811: Zanoni 03/02/13 23:38
牛がものを言えば 

太安年間(302-3年)に、江夏郡(湖北省)の書記をしていた張騁(へい)の車を曳いていた牛が、突然しゃべりだした。 

「天下は今にも乱れようとしておりますぞ。私には大事な仕事があるのに、私に乗ってどこへ行くのです?」

騁も数人の供の者も度肝を抜かれた。そこで、「お前を帰してやるから、二度としゃべるでないぞ」と牛を騙し、途中から引き返した。だが家に帰り着いて、まだ牛を車から外さぬうちに、牛はまた口をきいた。 

「なんだってこんなに早く帰ったのです?」 

騁はいよいよ気味が悪くなったが、このことは固く秘して誰にも漏らさなかった。

その頃、安陸県(湖北省)に、占いの上手な者がいた。そこで騁は占ってもらいに出かけたが、その易者が言うには、 「これは大凶ですぞ。一家の禍(か:わざわい)どころか、今に天下に戦乱が起こってこの郡はすっかり破滅してしまいます」 

騁が家に帰ってみると、牛が今度は人間のように立って歩き、人々が見物に集まっていた。

その秋、張昌(ちょうしょう)*1が乱を起こし、まず江夏郡を攻略し、漢朝が再興した。鳳凰の瑞祥(ほうおうのずいしょう)が現れて聖人が世を統べるのだ、と言って民衆をたぶらかした。 

賊軍(ぞくぐん:反乱軍)に加わった者は皆赤い頭巾をかぶり、火徳*2にあやかることを示したので、民心は大いに動揺し、少しのためらいもなく賊軍に加わっていった。 


*1 もとは義陽県(河南省)にいた蛮族であるが、のち李辰と改名し、丘沈を擁して漢朝を再興すると偽り、自らは家老役となった。後に陶侃(かん)に討たれた。 

*2 「五行相生」の火。五行相生とは五行説の考え方の一つで、水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じるもので、この循環が万物の推移を規定し、各王朝もこの順番に交代すると考えられた。 

殷は「水」、周は「木」、漢は「火」、魏は「土」、晉は「金」に相当する。

その時騁兄弟は、ともに将軍都尉(郡の武官。部隊の将に当たる。)であったが、ほどなく打ち破られて 
しまった。かくして一郡すべて破滅に陥り、住民の過半数が死傷し、騁の一族は皆殺しにされたのである。 

『京房易妖
(けいぼうえきよう:前漢の易書)』に言う。「牛がものを言えば、その言葉の内容通りに吉凶を占うことができる」

812: Zanoni 03/02/13 23:39
この話も捜神記からです。

この話は、くだん伝説の原型のようなものかと思って興味を持ったのですが、このあたりの事情をご存じの方、いませんでしょうか?

※捜神記(そうじんき):4世紀に中国で書かれた怪異集。



833: 魔界一号 03/02/14 21:13
マジでくだんにあったら死ぬよ。人間からは生まれないっていうけど。 

834: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/14 21:45
>>833 
どういう意味?

836: 魔界一号 03/02/14 21:55
>>834 
くだんは動物から生まれる神の化身。雌雄一対で、片方が災いを、もう片方がそれを防ぐ方法を予言するらしい。ぬーべーで見たんだけどね。 

動物がしゃべるなんてぞっとするよ。

837: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/14 21:57
ttp://www.ufo.org.tw/b/l6.jpg 
これ?
※ウェブアーカイブより
l6

838: 魔界一号 03/02/14 22:01
>>837 
そいつかなぁ。 

くだんは件って漢字で書くから牛から生まれるって言われるみたいだけど、どんな動物からでも生まれるかも。

846: Zanoni 03/02/15 10:57
もう一つ、捜神記にくだんに似た話があるので、これも紹介しておきます。

847: もの言う死牛 03/02/15 10:58
太康九年、幽州(河北省)の塞(とりで)の北で、死んだ牛の頭がものを言った。 

ちょうどその頃、帝は病気がちで、自分が死んだ後のことを深く気にかけていたが、後事の託し方が公平を欠いた。つまり、帝の思慮が乱れたために起こった異変である。

848: 件(くだん) 03/02/15 11:05
顔が人、体が牛で、未来のことを予見し、よく当たる。 

そこから「前に言った通り」ということを、件の通りという。

※件(くだん):
件=人+牛の文字通り、半人半牛の姿をした怪物。幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。(wiki:)
Mt_Kurahashi_Kudan

852: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/15 13:38
神社姫は?ほぼ似たような話だと思ったが 

人面で体が魚のやつ。

853: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/15 14:05
>>852 
なにそれ? その話教えて。

854: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/15 14:50
>>852 
それって人魚じゃ?

※神社姫(じんじゃひめ):
文政2年(1819年)4月18日、肥前国のある浜辺に、全長2丈(約6メートル)の、2本角と人の顔を持つ魚のようなものが現れた。それを目撃した者に向かい「我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病(コレラのこと)が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と語ったという。(wiki:神社姫)
439px-Wagakoromo_Jinjahime
「神社姫」の挿絵

813: おれのすすきの 03/02/14 00:09
それではアイヌの伝承いきます。 

「桂の木の女神」 

結構長いです! この話は解説はいらないと思いますので、書きません。アイヌの平和的な考え方がかいまみえて、面白いなあと感じたので、これにしました。

817: おれのすすきの 03/02/14 00:19
私は一人の娘で、父がいて母がいて、大きい兄がいて小さい兄もいますが、二人の兄は父達や私と別に暮らしています。 

兄たちは熊を捕り、鹿を捕っても、肉のいいと所を私たちにはくれようともしないで、肉の切れ端や魚の切れ端を少しずつくれるだけです。その肉の切れ端や魚の切れ端を煮て、父たちに食べさせると、父は「あの者たちは、子供の時にあれほど可愛がって育てて大きくしたのに」と、少しだけ愚痴を言いながら暮らしていました。 

それにしてもあんなにたくさん捕れる鹿の肉を、もう少し多くくれてもよさそうなものを、どうしてあのように食い根性が悪いのだろうと、父や母は嘆いています。 

ある日のこと、父が「私たちが住んでいる所のこの川を上流へ行くと、右の方へ別の小さい沢が入っているので、その沢を登りつめると別の川が見える。その川を少し降りると大勢の人が住んでいるコタン
(アイヌの集落)があるので、そこヘ行って干し肉や干し魚をもらってきてくれないかい」 と、私に言いました。 

行ってきても言いですよ」 と私が返事をすると、もっと丁寧に道順を教えてくれながら、食べ物と取り替える宝物を出してくれました。 

それはイコロ(宝刀)ですが、何本かまとめて縛って背負いやすくしていると、それを見た母が「兄たちもお前が行こうとしているコタンヘいく準備をしていた」と聞かせてくれました。
 

兄たちは兄たちで、私は別に行くのだと思いながら、荷物をまとめてそれを背負い、父が教えてくれた道順通りに歩きはじめました。 

818: おれのすすきの 03/02/14 00:21
しばらく行って、山越えのために少し斜面を登り始めると、一本の桂の木が立っていて、その立ち姿の美しいこと。枝は四方に広がり、見るからに神々しい感じです。 

その桂の木の周りには、いかにも私たちはこの木の子供ですよ、というように、背丈の低い桂の木がたくさん生えていました。
 
それを見た私は、背負っていた荷物を下ろし、腰に掛けていたタシロ(山刀)を抜き、辺りに生えていた芝を切って、片屋根の小屋を作りました。 

作った小屋のそばで焚火を炊き、たくさん生えている桂の木のうち、姿のいい木を一本、私と同じ背丈に切りました。そして顔の面になる部分をさっと削って、白くしてから自分のマタンプシ(鉢巻き)の半分を、裂き削った木にマタンプシをさせ、その棒を小屋の前に立てました。 

「私はこれから山のむこうのコタンへ、食料を分けてもらいに行ってきたいと思います。それについては、初めて行くコタンであり、大変心細く思うので、桂の木の女神の娘であるあなたに、マタンプシの半分を差し上げてお願いをします」

「私が行く道筋を守って下さることや、神の力でたくさんの食料が手に入ることができる用にしてほしいのです。思うように食料が手に入ったら、家に帰り父に話をしてイナウ(木を削って作った御弊)とお酒でお礼をしたいと思います。桂の木の女神の娘よ、どうぞ私を守ってください」 

そのようにお願いをしてから荷物を背負って山を登り、別の方の沢を下って行きました。そうすると、遠くの方で犬の吠える声が聞こえ、その声がだんだん近くなりました。 

目の前がパッと明るくなると大きなコタンが見え、そのコタンの中ほどに、島ほどもある大きな家がありました。 

819: おれのすすきの 03/02/14 00:23
私がその家の前へ行って荷物を下ろし、「エヘン、エヘン」と咳払いをすると、家の中から美しい娘が出てきて、私の顔をチラっと見てから家へ入りました。 

そしてその娘が言うのには、「外にきれいな娘が一人来ているけれど、何を思いわずらってか、顔の面に憂いの色が出ている娘です」と家の者に言ったのが聞こえました。すると、「いらんことを言わなくてもよい、家の前へ来た方は、男でも女でもさっさと入ってもらいなさい」と、老人の声で言うのが聞こえました。 

すると娘はもう一度出て来て、「どうぞお入りください」と言いながら、片方の手で私の荷物を持ち、もう片方の手で私の手を引いて家の中にはいりました。 

家の中へ入ってみると、上品な老夫婦、それに若者が二人くらい居るらしく、私を迎え入れてくれた人は一人娘のように見えました。家の外側でもそうでしたが、家の屋根裏まで、鹿や熊の肉がたくさん掛けて干してあります。 

その私の顔を見た老人は丁寧に挨拶をしてから「どちらから、何の用で来られたのですか」と聞いてくれました。

「このコタンの西側の山の向こうの、沢尻にコタンを持っている父の使いで来た者です。私のは年老いた父と母、兄が二人居ますが、兄たちは別々に家を持っていて、私たちには鹿の肉なども余り持ってきてくれないのです。それで父はこのようなものを私に持たせて、山の向こうのコタンへ行き、食べ物と取り替えてくるようにと言ったのでここへ来たのです」

私はそう言いながら、父が持たせて寄こしたイコロを出しました。 

820: おれのすすきの 03/02/14 00:25
私の話を聞いた老人は、「それはそれはご苦労なことだ。親不孝というものは世の中で一番良くないことなのに、どうしてそうなのだろうか」と、大変同情してくれました。 

老人は自分の娘に「急いで夕食の支度をして、この娘に食べさせてあげなさい」と言いつけると、娘はさっそく夕食の準備にとりかかりました。 

そのうち外で人の気配がして、鹿を背負った若者たちが狩から帰ってきた様子です。肉を家の中にいれるために、母親が外へ出ながら私が来ていることを言ったらしく、二人の若者は狩り用の装束を外で解いて入ってきました。 

見ると、一人はようやくひげが生えたくらいで、もう一人はまだ顎ひげもない若者でした。座り直した若者のうち兄の方が、「どこから来た娘なのですか、何か聞かれたのですか」 と、老人である父に尋ねました。 

「話を聞いて驚いたところだが、この人は前々からお前たちにも話を聞かせたことのある方で、山の向こう側の村長
(むらおさ)で、私も知っている方の娘だそうだ。兄が二人いるが、鹿を獲っても父や母、そしてこの娘に肉をほとんどくれないので食べ物に困って、食べ物を分けてもらいに来たのだ」 

それを聞いた二人の若者は呆れながら、「それはそれは、気の毒なことだ」と言って「さあ食べなさい」と、おいしい肉をたくさん出して食べさせてくれました。

父や母が腹を空かせている事を思
うと、一人でおなかいっぱい食べるのがもったいないような気がして、お椀の中の肉を父たちに残そうと、こっそり別にしました。

それを見た家の人々は「そのようなことをしなくても、たくさん持たせるので食べなさい」と、言ってくれました。

821: おれのすすきの 03/02/14 00:28
翌朝になると、若者たちは山の向こうの下り坂になるところまで送ってあげようと言いながら、干し肉や干し魚を束にして縛ってくれています。

そうしながら言うことには、「昨日山から帰る途中で、あなたの兄らしい二人連れが、このコタンの下隣のコタンに行ったのが見えました」と私に聞かせてくれました。
 
二人の若者は肉の束を重ねては縛って、男が二人背負う荷物を作り、私には軽く背負える分を作ってくれました。また、二人の若者は私を送ってくれることになり、私は老夫婦や家の娘に丁寧にお礼を言ってから、三人でその家を出ました。 

昨日来た沢の中を三人で歩き、私のコタンの方へ流れている沢まで来ました。

822: おれのすすきの 03/02/14 00:31
そこで私は、昨日来る途中の桂の木で神を作ったあの場所を見られるのが嫌で、若者たちに「ここまで来たらコタンは近いので、あとは一人で帰ることができます」と言いました。

すると二人の若者は「そうだ、そうだ」と言いながら荷物を下ろし、二人で背負ってきた干し肉の荷物と、私の背負った分を合わせて、きっちりと縛ってくれました。 

若者たちがこのように簡単に戻る気になったのは、たぶん神様がそのように思わせたのでしょう。若者たちにお礼を言った私は荷物を背負って坂を下り、二人は斜面を登って帰っていきました。
 
ゆっくりゆっくりと下っていくと、昨日小屋を作った辺りに家が一件見え、その家からは煙が出ています。近づいてみると、私と同じくらいの美しい娘が、黒いマタンプシをして笑顔で私を迎えてくれました。 

「昨日は本当にありがとうございました。神の国で、娘たちが一番欲しがっているものは、人間の娘が頭に巻いている黒いマタンプシなのです。それをあなたは知っていたかのように、自分が大事にしている黒いマタンプシを惜しげもなく半分に裂いて、私にくれました」」

「それを見ていた父神や母神から私は、『大変にありがたいことだ。さあ早く、ありったけの呪術を使ってあの娘を守りなさい』と言われました。それで私は人間の姿になって、あなたの行く手を見守り、老人や若者たちが特別あなたを大事にするよう仕向けたのです。ここまで来て、二人が一緒にいるのを見られるのが嫌だったので、近くから戻るように思わせたのです」 

娘はそう聞かせてくれました。それを聞いた私は荷物をほどいて、干し肉や干し魚をたくさん出して、神様にお世話になったお礼と言いながら、桂の木の根元に置きました。

823: おれのすすきの 03/02/14 00:32
その様子を見ながら女神の娘は、「これから一生あなたの守り神になってあげます」と言ってくれました。

そして、「神である私が、精神のいい若者を、あなたの夫にさせるためにあなたの元へ行かせるので、ためらうことなく結婚しなさい。それから、二人の兄は生まれながらに悪いつき神がついていて、親不孝をしているので仕方がありません。兄たちを恨むことなく、あなた一人で親孝行をするように」 と聞かされました。 

女神に何度もお礼を言った私は「家へ帰って父に一部始終を聞かせて、イナウ
(祭具:神にお供えするもの)だけでもお礼をさせます」と言いました。すると女神は、「さあさあお帰りなさい。私があとを見守っているので、荷物も重くはないでしょう」と言いました。

私は女神にお礼を言ってその場を立ち去り、しばらく歩いて振り返ってみると、家も煙もまったく見えません。 そこで改めて、その女が神であったことを知り、オンカミ(礼拝)しながら家へ帰ってきました。

824: おれのすすきの 03/02/14 00:36
父や母へは、行きながらのことや、行った先の家族が親切にしてくれたこと、桂の木の女神がいろいろと私のためになるように、人間の若者たちへ仕向けてくれたことを事細かに聞かせました。 

背負ってきた荷物を解くとぐっと増えて、横座いっぱいに干し肉や干し魚の山が出てきました。父や母はそれを見て涙を流して喜び、何回も何回も礼拝を繰り返しました。 

そして、持っていったイコロも向こうの老人は受け取らず、荷物の中から再び出てきたのを見て、なおさら父は感謝している様子です。さっそく父はイナウを削って、桂の木の女神へそれを贈ってくれました。 

私が背負ってきた干し肉を食べ終わらないうちに、どこからか立派な若者が来て、我が家に住みつき、毎日毎日、私たちのために狩りへ行き、たくさんの鹿や熊を捕ってきます。桂の木の女神が聞かせてくれてあったことなので、私はその若者と結婚しました。
 
夫は狩りの名人なので、何を欲しいとも、何を食べたいとも思わないで暮らしているうちに、私も大勢の子供を生み、父も母も年を取って世を去りました。そのうちに兄たちは段々と狩りが下手になってきたのか、鹿も熊も獲ることができず、ひどく貧しい暮らしをしています。

私もすっかり年をとってしまったので、子供たちに桂の木の女神へお酒やイナウを贈ることを忘れないように頼みました。

だから今いるアイヌよ、親孝行をしなければいけませんよ、と一人の老女が語りながら世を去りました。 

おわり。 

827: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/14 01:24
いい話だ。まあ俺は親孝行する気無いけどね。

828: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/14 01:56
おつかれです。 

伝説・逸話でほのぼのも良いやね。次はオカルト編をキボンヌ!

829: 好爺 03/02/14 08:59
江戸時代に、血気盛んな若者達が「夜に、百物語をすると恐ろしい事が起こるそうだ。やってみよう」 
と集まって話しだした。早くも九十九まで進んでしまった。 

「よし、次の話をしよう。その前にまず、酒でも飲もう」「そう急ぐなよ」など言いながら、順番に杯に酒を注ぎ次の話を待っている時に、一人の男が重箱の肴を、輪に座っている仲間の間を回し始めた。

その時に、「ここにも一つくれ」と、大きな手が天井から差し出してきた。
 
手の早い者が居て、抜き打ちにその手を斬った。手ごたえが全く無く、糸を斬ったようであった。落ちた後を見ると、蜘蛛の手が三寸ばかり切れていた。 

「これが、百番目の話だろう」と言い合った。

841: 好爺 03/02/15 02:20
有馬左衛門佐殿の家来の一人である、高屋七之丞という人が語った話であるが、彼が日光御普請(ごふしん:土木工事)を勤めて、江戸を目指して帰る途中に下野(しもつけ:現在の栃木県)の内、名前もよく分からない村に泊まった。
 
亭主は二十四、五、女房も二十歳ばかりで、下人もいなければ、子供も居なかった。随分ご馳走になり、夜になって眠る時に、彼は座敷側に、若党、仲間七人は次の間に寝た。夫婦は納戸に寝た。戸は離れて回り込んでいるが、壁一枚隔てた隣の部屋であった。
 

夜半頃に、屋根を葺(ふ)く板が大竹割るように鳴った。何事かと枕そばだてて聞くと、亭主がうめき出した。不思議に思い、こちら側から声をかけて「何事だ」と言ったが返事は無かった。
 

そのうちに亭主の声が、消えるようになっていった。良くない事かなと思って、下人たちを起して手燭(しゅしょく:ロウソク台)を持って、納戸を押し開けて見ると、女房が亭主の腹の上に馬乗りに上がって、臍(へそ)の下を食い破り、はらわたを取り出して食べていた。

まず後難をさける為、「隣近所を起して来い」と
下人に言いつけてから、女房に向って「これは何事だ」と言ったが、彼女は自分が何をしているかに気づく様子もなく、ひたすらにはらわたを取っては食べていた。

842: 好爺 03/02/15 02:21
…続き 

もはや、亭主は死んでいた。おそらく、鬼の仕業に見えた。 

隣の人々が集まって「まず、鬼であれ、人であれ、逃がしてはいけない。あの者を捕まえろ」と言った。そこで、たしなんでいた早縄で自ら捕まえて、下人に言いつけて戒めたが、逃げようという素振りも悲しいという素振りも見せなかった。

ただ平然と何も無かったようで、昨日見た宿の女房で、化け物にも見えずに合点がいかなかった。ともかく、一族の者も集まり、所の代官も来て、捕えた彼女を渡した。夜半から朝まで鬼とも人とも分からなかったが、やがて旅たった。 

再びその国には行かなかったので、その後どうなったかは聞いてはいない。

856: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/15 19:13
>>841>>842 
鬼は日本の伝説の横綱ですね。 

857: 好爺 03/02/16 00:56
ある墓場にて、死人の塚より夜の内三度づつ燃え上がり、塚の内より女の声にて「人恋しいや。人恋しいや」 という声が聞こえていた。なかなか凄まじく、最後まで見届けた者はいなかった。 

ある若者等三人寄り集まってこれを見届けようと、ある夜、夜半頃連れ立って行ったが、その中に大胆不敵な男がいた。

この塚に腰をかけて待っていたが、案の定、塚の中よりいかにも悲しそうな声で「人恋しいや。人恋しいや」と言ったか思うと、氷のような手で、後ろよりその男の腰をむんずと抱きしめた。

この男、元々剛の者であるので、少しも騒がずに二人の連れを呼び寄せ、自分の腰を探らせた。二人の者は大いに驚き、後も見ずに逃げ帰った。 

さて、その男「私の腰にしがみついているのは何者だ。理由を話せ」と言うと、塚の中から「さてさて、今までお前ほどの大胆な男は見たことがない」と、女の声。

「私は三条室町の鍛冶屋の女房であるが、隣の女に毒殺された。あまつさえ、21日目も過ぎていないのに、隣の女は私の夫と夫婦になって、思いのまま振舞って、思えば思うほどに無念さに、夜な夜な鍛冶屋の門口までは行ったものの、二月堂の牛王
(にがつどうのごおう:厄除けの護符)をお札として貼ってあるため、恐れて入る事が出来なかった」

「このように執念の闇に迷ってしまった。願いしたい事あるのですが、その鍛冶屋の門から牛王の札をめくり取ってもらえれば、この世への迷いも晴れます」 

女の声がしみじみ語れば、この男も不憫に思って、その鍛冶屋の家に行くと案の定、牛王の札が貼ってあった。

858: 好爺 03/02/16 00:56
…続き 

そしてその札を引き剥がし、傍らによって事の様子を伺っていると、俄
(にわ)かに黒雲の一陣が舞い降りて、その中に提灯ほどの光物が見えて、鍛冶屋の家屋敷の上より飛び入るように見えたが、「わっ」という声がふた声すると、そのまま亡者が鍛冶屋の夫婦の首を持ち帰ってきた。 

男にむかって、「さてさて長年の執念、おかげさまで晴らせて、かたじけなく思います」と言って、袋を一つ取り出して「これは、志のお礼金です。お恥ずかしい程度ですが」と言って、消えるようにいなくなった。 

この男も不憫に思って、袋を開いて見ると黄金十枚ほど入っていた。このお金で卒塔婆を立て替えて、供養して念比(ねんごろ:心を込めて)に弔った。

その後は、この塚では不思議な事は起こらなかった。

861: 好爺 03/02/17 00:46
丹波の国、野々口(京都府園部市野口)という所に、与次と云う者の祖母が百六十余歳になり、髪は甚だ白くなっており、僧に頼んで尼になった。若い時よりものびのびとしていた。 

与次も八十ほどになっており、子供も多かった。孫も多くいたが、彼の祖母は与次を未だに孫扱いしており、子供を叱るように彼を扱っていた。それでも、与次の事を思っての事だと孝行な事に養っていた。

この祖母、歳をとってはいたが、目も良く見えて、針の孔を通して、耳も良く聞こえ、ささやく声も聞こえたという。九十歳の頃、歯はすべて抜け落ちたが、百歳を越えた頃から元のように生え始めた。

周りの人たちは不思議に思い、幼い子供を持つ者は、この祖母にあやかろうと名前を付けたりと評判になっていた。

昼の内は家で麻を績み紡ぎ、夜になると行き先は解らないが家を出ていた。初めの頃はそうでもなかったが、そのうち孫も子供たちも怪しみだして、出て行った跡をついて行ったが、その祖母は振り返って 
大いに叱って、杖を突きながらも足は飛ぶ様に歩き、その行き先はわからなかった。 

身の肉は消え落ちて、骨が太く現われ、両の目は白い所の色が青く変わっていた。朝夕の食事は少なくなっていったが、気力は若い者も及ばないほどだった。

862: 好爺 03/02/17 00:48
…続き 

或る時から昼間も出て行くようになったが、孫や曾孫等に向って「私の留守の間に私の部屋の戸を開ける出ないぞ。必ず、窓の中を覗くな。もし覗いたら怨んでやるからな」と言った。家の者達は怪しく思った。 

ある日、昼出て行って、夜が更けてからも帰らなかった。

与次の末の息子が酒に酔っていて、「どうしても祖母の部屋を覗くなと言っていたが何だか怪しいなあ。今から覗くぞ」 と密かに戸を開けて見ると、犬の頭、鶏の羽、幼い子供の手首、又は人のしゃれこうべ、手足の骨などが数多く床の上に積み重ねてあった。

これを見て大いに驚き、走り出て父に告げた。一族集まって、どのようにしたら良いかと話し合っていた所に祖母が帰ってきて、自分の部屋の戸が開いている事に大いに怨み怒り、両眼を丸く見開き光り輝き、口を大きく開き声はわななき、走り出て行き先がわからなくなった。
 
その後、大江山あたりで薪を取るものが、この祖母らしき者に出会ったという。
 
白地の帷子
(かたびら)の前をはしょって、杖を突きながら山の頂へ登って行った。その速さは飛ぶ様で、猪を捕まえて押し倒しているのを見て、恐ろしさのあまり逃げ帰ったと話した。 

この姥が生きながらに鬼になった事は疑いない。

【その16へ】