867: 好爺 03/02/18 09:12
いつの頃かははっきりしないが、出羽の国守護のある男が、ある夜の事、妻が雪隠(せっちん:トイレ)に行き暫くしてから戻ってきて、戸を立てて眠った。

すると暫くして妻の声がして、
戸を開けて中へ入って行った。守護は不思議に思って、夜が明けるまでこの二人の妻を二ヵ所の部屋に分けて色々詮索したが、どちらとも疑わしい事は何も無かった。 

どうしようと案じていたところに、ある男が「一人の女性は疑わしいところが有るように思えます」と言ったので、しつこく詮索した後に首をはねてしまった。しかし疑わしい所も何処にも無く、普通の人間であった。 

「もう一人の者が変化のものであったか」と、もう一人の方も首を斬った。これもまた、同じ人間であった。そこで死骸を数日置いてみたが、変化する事は無かった。 

これは、どうした事だろうかと色々尋ねたが、ある人が「離魂(りこん:魂が抜け出る)という病である」と答えたという。


869: 好爺 03/02/19 02:08
津の国大阪に、兵衛の次郎と言うものがいた。

色を好む男で、召使いの女に手を出していたが、本妻にばれてしまった。本妻は怒って、召使いの女を井戸の中に簀巻きにして逆様に落した。

兵衛の次郎はそのことを夢にも知らずに、月日がたち一人の男子が生まれた。寵愛していたが、ある時に病におかされ、色々養生祈念祈祷をおこなったが、いっこうに治らなかった。

その頃、矢野四郎右衛門という鍼医
(はりい)が天下無双の評判があったので、彼を招き一日、二日ほど養生した。ある夜、月の明るい頃に四郎右衛門が縁に出ていると、何処とも無くとても気品のある女性が来て、四郎右衛門に向ってさめざめと泣き出した。

不思議に思って「どなたですか」と尋ねると、「お恥ずかしい事ですが、この世を去った者です。この家の主の奥方にされた仕打ちに恨みに来ました。その子にどのような鍼を立てても治らないでしょう。急いでお帰りなさい。そうしないと怖い思いをしますよ」と言った。 

四郎右衛門は肝を冷やして「さては、亡霊か。いったいどのような恨みか知らないが、貴方のことをねんごろに弔いますので、恨みを晴らしてください」と言った。

870: 好爺 03/02/19 02:08
…続き 

「いやだ。その子を取り殺さないでおくものか」と、帰ろうともしなかった。余りの不思議さに「言ったいどのような恨みなのですか」と尋ねると、しかじかと自分のされた折檻の様子をありのままに話した。

すると、女は身の丈一丈
(約3m)ほどになり、髪は銀の針を並べたようになり、角も生えて、真っ赤な眼になり、牙が生えだした。四郎右衛門は一目見てそのまま気を失ってしまった。

主人が来て「これはどうした」と暫くしてから正気づかせて、事の仔細を尋ねたが「斯様(かよう)な姿を一目見て、夢うつつともわからなくなってしまった」と答えた。さらに詳しく尋ねると、初めから終わりまで事細かに語った。 

兵衛の次郎はこれを聞いて、どうしようかと思い患い、さらに一両日ほどすぎてから四郎右衛門を呼び、どうしようかと話し合ったが、その夜に四郎右衛門の枕元にまた女が来た。
 

「どのようにしようとかなうものか。日にち隔たるが一門眷属次第次第(いちもんけんぞくしだいしだい:家系も従者も徐々に、という意)に奥方に思い知らせん」と言ったかと思うと、屋根から大きな石が落ちてきて、彼の子は微塵に砕けて亡くなった。 

母は、月や花のように眺めていた一人子を、このような恐ろしい事で亡くして嘆き悲しんだが、それから打ち続き(長く続き)、母の一門はことごとく滅びて、遂には母も重い病につき亡くなった。

871: 好爺 03/02/20 13:26
藤原信通朝臣(ふじわらののぶみちあそん)と呼ばれた人が、常陸の守(現在の茨城県)としてその任国にあった時に、たまたま任期の果てる年の四月ごろ、風が物凄く吹いて海が荒れた晩に、某の郡の東西の浜という所に大きな死人が打ち寄せられた。

死人の丈の長さは、五丈(15m)あまりもある。
砂の中に半分ほど埋まっていたが、役人が馬の背に乗って向う側から近寄ったのが、わずかに手にした弓の先だけが、こちら側から見えた。

死人は首から上が切れていて
頭は無かった。また、右の手、左の足もなかった。鰐(わに:当時サメのこと)か何かが食い切ったものであろう。もしも、それが五体満足であったとしたなら、さぞや驚くべきものであったに違いない。 

また、うつむきに寝ていたから、男であるか女であるかもわからない。けれども、身体の格好や肌付きなどは、女のように見えた。

872: 好爺 03/02/20 13:27
…続き 

国中の人が不思議な死人だというので、見物は引きも切らず、皆々大騒ぎした。
 
また、陸奥の国
(東北地方太平洋沿岸)の海道というところにいた国司の某という人も、とんだ大きな死人が浜にあがったと聞いて、わざわざ使いの者を出して検分させた。

砂に埋もれて男女の別も
つけがたいが、多分女であろう、と見たのに対し、見物の名僧などの意見は「我等の住む世界の内に、このような巨人の住む所があるなどとは、仏のお言葉にもありませね。もしや鬼女などではありませぬかな。肌などもすべすべして、いやどうもそのような気がする」などと疑った。

ところで常陸の守は
「これはついぞ見ぬ珍事であるから、お上に左様申し上げずばなるまい」と言って今にも報告を持たせて、使いを京に上らせようとした。

しかし下についている者たちは、
「もしも報告がお上に届けば、官使がお下りの上、七面倒くさい調査があるのは決まったこと。その上、官使の一行には、たいそうなもてなしをしなければならず、いっそのこと黙って知らぬ顔をしたほうが、都合が言いのじゃないでしょうか」 と口々に言ったので、守もその気になり、報告は取りやめにしてしまった。

873: 好爺 03/02/20 13:27
…続き 

一方、この国に、某といわれる武士があった。

この巨人を見て「もしもこんな巨人が攻め寄せてきたら、何として防ぐ。いったい、矢が立つものかどうか、試してみよう」と言って、矢を放つと、矢は深くその身体に突き刺さった。これを聞いた人は「用心のいいことだ」と言って褒めた。

ところでこの死人は、日がたつにつれて腐ってきたので、あたり十町二十町
(1町=約109m)の間は人も住めず、逃げ出した。よっぽど臭かったものであろう。

この話は初めは隠してあったが、常陸の守が京に上ってからいつのまにか人に知られて、このように語り伝えられたものである。

877: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/22 22:32
>>871-873 
こっ・・・これはあのニンゲンか!?

※ニンゲン:
南極近海に現れるという白い巨大な人型の生物。詳しくは【海にまつわる怖い話・不思議な話】に。

874: 好爺 03/02/22 00:53
ある若い僧が都である娘と好い通い、深い仲になっていた。

親師の坊の仰せにて、関東へ学問に行く事になった。しかしその女性に心残りがあって、暫く仮病を使っていく日を延ばしていたが、いつまでも誤魔化す事が出来ないので、しかたなく、女にそう言って東へ旅立った。 女は恋悶え、袖にすがりつくようにして送り出して行った。

都をまだ夜の内に出て行ったが、粟田口まで来た所で空が明けてきた。 

「いつまでも、尽きぬ名残ではあるが、言いかげん人の目もあるので、この辺でお帰りなさい」と言うと、女は前後の区別も忘れて「今別れろと言うのなら、死んだほうがましです。そうは言っても付き添っていく事も出来ません。私が自分で首を切落としますので、形見に持っていてください」と言って、懐から小脇差を取り出した。 

僧もあきれてしまったが、刀まで用意していると言う事は、生きて帰らない心は本心だろうと思った。帰りなさいと散々言ったが聞き入れず、女は雪のような肌に刀を刺した。 

僧も悲しく思いながら首を打ち落とし、屍体を埋葬して、首を油単(ひとえの布に油をひいたもの)に取り包み、涙を流しながら東への旅におもむいた。

875: 好爺 03/02/22 00:53
…続き 

飯沼の弘経寺(茨城県水海道)の檀林
(だんりん:僧侶の学校)の一箇所に寮を決めて住んだ。

この僧が外に出て帰ってくると必ず女の声がして、高らかに笑う事が間々あった。隣の僧が不審に思って、隙間から覗いたが、いつもこの僧一人で他に人影は無かった。そうして、三年が過ぎた。 


この僧の母親が病気になったと飛脚にて連絡があったので、僧は取りあえず京に上った。その後、三十日ばかりして、この僧の部屋から女の声にて泣き叫ぶ事があった。各々肝を冷やし、寺中騒動して、この戸に鍵がかかっていたが、打ち抜いて中を見たが、人はいなかった。 

小さな渋紙包みの中でその声がしていた。怖がりながらも開いてみると、飯櫃(めしびつ)のような曲げ物の中に、若い女の首がまるで生きているかのようにしていた。憂いた眼が涙を流し、腫れていた。
 

人々を見ると恥ずかしそうにしおれたが、朝日を浴びた雪のようにじわじわと色が変わって行き、たちまち枯れて言った。どのような事かは解らなかったが、僧達はねんごろに弔った。 

その後、京より飛脚が来て「かの若僧、急病を患って亡くなったので、寮を明け渡します」との使いだった。各々思い合わせると、この首の泣いた日がちょうどその僧の亡くなった日だった。

876: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/22 19:48
好爺様、毎回勉強になり、かつ面白いお話を聞かせてくださってありがとうございます。

今後もいろんな面白い話を教えてください。

※好爺さんのスレ、死に関する不思議なエピソード【まとめ記事:歴史上の人物・オカルティックな死に様】にも博識の好爺のお話たくさん。

878: 好爺 03/02/23 10:35
『豊後の国何がしの女房、死骸を漆にて塗りたる事』―諸国百物語より― 

豊後の国に何がし者がいたが、この人の妻は十七歳にて、隠れなき美人にて夫婦仲は非常に良かった。この男は常々睦言に「お前が先に亡くなっても、二度と妻をもらう事ないだろう」と言っていた。 

ある時、女房が風邪をこじらせて亡くなった。

今際
(いまぎわ:死に際)の際に夫に言った事は、「私を不憫とお思いなれば、土葬や火葬にはしないで下さい。私の腹を裂き、はらわたを取り出して中へ米を詰めて、上からは漆を塗り固めて、おもてに持仏堂を作って、私をその中に入れ、鉦鼓(しょうこ:かね)を持たせて置いて下さい。朝夕に私の前に来て、念仏を唱えてください」そう言って亡くなった。 

男は遺言の通りに女の腹をあけ、米を入れて、漆を塗って、持仏堂を作り、そこへ入れた。 

それから二年ばかりは妻を持たずに念仏をしていたが、友達に無理にすすめられて妻をとったが、この妻は「事情も告げずに離縁して下さい」としきりに言った。男はいろいろ悩んだが、新しい妻は「とにかく、この家には住めません」と言って実家に帰った。 

その後、何度新しい妻を呼んでも、皆同じ事を言って実家に帰った。
 

ただ事では無いと思って、さまざまな祈祷などを行なって、又妻を呼び迎えた。真に祈祷のおかげであろうか、今度は五、六十日ほどは何事も無かった。

879: 好爺 03/02/23 10:36
…続き 

ある夜の事、男は外へ遊びに行き、妻は女中などを集め話などしていたが、午後十時ごろ表より鉦鼓の音が聞こえてきた。

皆、不審に思って聞いてみると次第に近くなって、奥の間まで来た。皆驚いて、戸に掛け金を固め、身を縮めていた。

二間、三間の戸をさらり、さらりと開け、今、最後の戸の前に来て、女の声で「ここを開けなさい」と言った。しかし、皆恐れて音も出さなかった。 

「此処を開けなければ、仕方が無い。まあ、今度は帰るとしましょう。後で参って夜のお相手をしましょう。私が来た事は決して夫には言ってはいけません。もしも語った時には、貴方の命はないでしょう」と言って、鉦鼓を打ちながら帰って言った。

あまりにも凄まじい事なので物の隙間から覗いて見ると、十七、八ぐらいの女の姿で、顔より下は真っ黒にて、鉦鼓を持っていた。 

人々は、驚き、夫の帰りを待ちかねていたが、夫が帰ってきたが、あの言葉の恐ろしさに、その夜は語らなかった。

あくる日、ただ「私を離縁させてください」と言った。夫は不審に思って「急に何を言うのだ」と問いただせば、昨夜の事をすべて語った。

880: 好爺 03/02/23 10:37
…続き 

夫はそれを聞いて「それは、狐に騙されたのだ」と、そ知らぬふりをしていたが、「どうしても、離縁させて下さい」と言うのを、色々言ってなだめていた。 

その後四、五日ほどして、夫がまた外へ出かけた後、夜半頃、また表で鉦鼓の音がしてきた。

「これは」と思って、又戸に掛け金を固めていれば、女の声にて「ここを開けなさい、開けなさい」 と言った。みな恐れて戦慄
(わなな)いたが、俄(にわ)かに眠たくなって、そばにいた女中達は前後も知らず眠りだした。

けれども本妻は眠らずいた所に、二重三重の戸をさらりさらりと開けて、
黒色に塗られた女性が、丈と同じ長さの髪をゆり下げて、本妻をつくづくと見て「あら情けなや。以前私が参った事を夫に語ってはなりませぬと申したのに、すぐに話しましたね。かえすがえすに恨めしや」と言うより早く飛びかかって本妻の首をねじ切り、表をさして帰って行った。 

夫も聞きつけ家に帰って尋ねたが、下女たちは一部始終を話した。夫は驚き、持仏堂を開けて見ると、黒色の女の前に今の女房の首があった。

夫は「さては、お前はなんと心の卑しい奴だ」と言って
仏壇から引き下ろすと、かの黒色の女房が眼を見開き、夫の喉首に食らいつき夫も遂には亡くなった。

881: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/23 16:32
自分で約束破っといて相手には卑しいとは・・・(w

883: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/23 18:31
昔も今も17歳は怖いんだな。

新釈諸国百物語 (ルネッサンスBOOKS)
篠塚 達徳
幻冬舎ルネッサンス
2006-06-29


884: 好爺 03/02/24 11:38
『嫉妬心から妻が箱をあける話』―今昔物語より― 

長門国の前の国司で、藤原孝範という人があった。

その人が下総の国の権の守を勤めていた頃だが、この人の下に荘園をまかされていた紀の遠助という者がいたが、彼が勤務を終えて、美濃の国へと帰ることになった。 

その旅すがら勢田の橋まで差しかかると、橋の上に女が衣の裾を取って立っていた。 

遠助は怪しい女だと思って通り過ぎようとしたところに、女が「もし、どちらにおいでになりますか」と尋ねるので、遠助は馬から下りて「美濃の国へ帰ります」と答えた。 

「おことづけしたいことがあるから、聞き取ってはくださいませんか」と言うので、なんとなく「引き受けましょう」と承知すると、「ありがとうございます」と言いながら、女は懐から絹で包んだ小さな箱を取り出した。
 
「この箱を、方県の郡の唐の里の某という橋までお持ちくだされば、橋の西のたもとに女官が待っているはずです。その女官にこれを渡してください」

885: 好爺 03/02/24 11:39
…続き 

遠助はそんな難しい頼みとは思わなかった。しかし、つまらない事を引き受けたものだと後悔したが、その女のありさまがどこか不気味なので、いまさら断るわけもいかず、箱を受け取りながら問うた。

「その橋のたもとにおいでの女房のお名前は。どちらにお住まいでしょうか。もし、そこにおいででなければ、何処をたずねたものか。この箱は誰から差し上げると言えば言いのですか」

「その橋まで行きさえすれば、これを受け取りにその女官が出てくるはずです。間違いはありません。きっと待ってます。ただ、くれぐれもお願いしておきますが、決してこの箱を開けて中を見てはなりませぬ」 

このように問答しているのを、遠くから遠助の供をしていた従者達が眺めていたが、女の姿は見えずに、ただ主人が馬から下り、用もないのに立ち止まって、何やら言っている様子なのを怪しいことに思っていた。

遠助に箱を渡して、女は立ち去った。

886: 好爺 03/02/24 11:40
…続き 

それから馬に乗って旅を続け、美濃の国に着いたが、不覚にもせっかくの約束を忘れて橋を通り過ぎ、この箱を相手に渡さなかった。

家に着いてから、はたと思い出し、これは気の毒な事をした、箱を渡すのをど忘れした。いずれもう一度出かけて行って渡す事にしようと思って、納戸のようなところの棚を上にそっとしまっておいた。 

ところが、この遠助の妻は並外れた嫉妬心の強い女で、遠助が箱をしまうのをちらりと見ると、てっきりこれは好きな女への土産に京からわざわざ買って来て、自分の目に見えぬところに隠したのだ、と邪推した。

そこで遠助が外出した隙にこっそり箱を取り下ろし中を開けて見ると、人の目玉をほじくり出して沢山入れてあった。また、男のマラの毛の少しついたのを切り取って、やはり沢山入れてあった。

887: 好爺 03/02/24 11:41
…続き 

妻はこれを見るなり驚きあきれ、足も立たぬほど震え出した。

遠助が帰って来るや、悲鳴をあげて呼び寄せ、これを見せたから「なんと、見てはならぬと言われたものを、困った事をしてくれた」と言いながら大急ぎで蓋をし、元のように結んでおいた。 

そこで教えられた橋まで急いでこの箱を持って行き、そこに立って待っていると、約束どおり女官が出てきた。

遠助は箱を渡して、勢田の橋で女から言われたとおりのことを伝えたが、その女官は箱を手にして「開けてみましたね」と睨んだ。 

「とんでもない。けっしてそんな事はありません」と遠助は弁解したが、女官は物凄い顔付きになって「良くない事をなさいました」と言って、ひどく立腹した様子ながらともかく箱は受け取ってくれたので、遠助もほっとして家に帰った。 

ところがその後、どうも心持が良くないと言って寝こんでしまった。妻に向って「あれほど開けないと約束した箱を、分別も無く開けるとは」と愚痴をこぼして、間もなく死んだ。

888: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/24 14:12
人のパーツの収集家かな?

889: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/25 01:14
開けたのは妻なのに。理不尽な話だ・・・。

890: 好爺 03/02/25 02:16
『産女の事』―宿直草より― 

寛永四年の春、私の里のさる者の下女が子を孕んだまま死に、産女(うぶめ)となって来ると噂になって,里の童は恐れて、柴の戸を閉め葭(よし)の簾(すだれ)を下ろした。 

私はその頃他の場所にいて、帰ってみるとこの話を聞いた。「その話が本当なら、その者が通った時に教えてくれ」と言った。 

夜の八つの頃(午前一時半頃)、私の母親があわただしく起こした。「何事だ」と言ったら「例の者が通るぞ、泣く声を聞いてみろ」と言った。 

その声を聞くと、その声は呂律
(ろれつ)のようで「わああひ」と泣いた。二声まで泣いた。平調にして頭の方は高く、後は下がって言った。泣き声は長く、一声のうち二間ほど歩いていた。 

その声の哀れさは、今も身に染みているほどだった。

891: 好爺 03/02/25 02:16
…続き 

この亡霊の夫は与七と云う者で、夜な夜な産女は与七の寝屋に行った。

与七は眠れなくなっていた。あまりに腹が立ったので、自分の柱にこの産女を縄で縛り付けて置いたが、姿は残っているかと翌日に見ると、血のみ付いていただけだった。
 
放っておいたが、絶えず来ていた。よそへ行けば、そちらの方まで跡を慕ってきた。へそくりの金にて経を読んで貰ったが、効果は無かった。暫くして与七は魂が抜けたようになってしまった。

さる者が「その男の褌
(ふんどし)をその産女の来る所に置けば、その後は来ぬというぞ。ためしてみろ」と言った。ならばと、下帯を窓に掛けて置いてみた。その夜に産女が来て去って行った。 

翌日になって見ると窓に褌は無かった。それ以来二度と来なくなった。

※産女:
死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという。子供が産まれないまま妊婦が死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある。(wiki:産女)
Suuhi_Ubume

892: 好爺 03/02/26 01:21
『産女由来の事』―奇異雑談集― 

ある人が語って曰く、京の西の岡当たりの事ではあるが、二夜、三夜、産女の声を聞いた。

赤子の泣き声に似ていた。「その姿を見にいこう」と言って二、三人、里の外に出て夜更けに佇んでいると、一丁ばかり東の麦畑から泣き声が聞こえた。

火で照らし出して見ようと七、八人を誘って、弓槍、思い思いの兵具にて、松明を持った者四、五人が手分けして行くと、麦の少ない所に物陰が見えた。もう少し近づくと人の形をして、両方の手を地面につけて、跪
(ひざまず)いていた人を見て驚いていた。

みんなが「射殺そう」と言うのを、古老の者が「射殺す事は無用だ。化生の物(けしょうのもの:ばけもの)であるから、死ぬ事は無いだろう。もし、射そこないって驚かせれば怨みをうけて、この村に祟りをなすかもしれぬ。さあ、もう帰ろう」と言って帰って来た、などと言った。この話は不思議である。

893: 好爺 03/02/26 01:22
…続き 

あるいは世俗に曰く、懐妊不産して死せる者が、そのまま野ざらしにしておくと、胎内の子供が死なずに野に生まれると、母の魂魄
(こんぱく:たましい)が形となって、子供を抱いて養って夜歩く。その赤子が泣くのを産女泣くと云う。その形は腰より下は血に浸って、力弱い。
 
人がもしこれに会った時に「おぶってください」と言われたら、いやがらずに子供を背負ってあげると、その人を裕福にするであろうと云い伝えられている。これもその真偽はわからない。 

唐の姑獲(こかく)というものが日本の産女である。姑獲は鳥である。これは「本草網目」の「鳥部」に載っている。

その文によると「一名は乳母鳥、いふ心は、産婦死し変化してこれになる。
よく人の子を取つて、もつて己が子とす。胸前に両乳あり」とある。これは人の子を取って自分の子供として、乳を飲ませて養う事は、人の乳母に似ているので乳母鳥という。 

これは、婦人は子を無くすと子を欲しがるもの、たまたま懐妊して、産まずに難産にして死んだ時には、その執念魂魄変化して、鳥となって夜飛び回って、人の子供をとる。

※本草網目(ほんぞうこうもく):中国の薬学著作
Wakan_Sansai_Zue_-_Ubume
姑獲鳥(こかくちょう)

894: 好爺 03/02/26 01:23
…続き 

又、「玄中記」に曰く、「一名を隠飛、一名は夜行遊女。よく人の小子をとって、これを養ふ。小子あるの家には、すなはち血その衣に点ずるをもつて誌(しるし)とす。いまの時の人、小児の衣を夜露(さら)すことをせざるは、この為なり」とある。

これは、姑獲鳥で夜飛んで、人の家に行って子供を訪ねると、子供の衣に夜外に置いておくと、その衣に触るために、姑獲の血がその衣につく。これを見て姑獲がきたしるしとする。姑獲は産婦が死んで変化したものであるから、その身は血にまみれている。

日本でも子供の衣を夜、外に干すのを嫌うのはこのためである。

895: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/26 01:58
好爺さん、いつもありがとうございます。お礼に私も一つ・・・。 

雄略天皇
(ゆうりゃくてんのう)が大和の葛城山に登った時、向かいの山の尾根から、天皇の行列とそっくりの行列を従えてやってくる、天皇そっくりの人物があった。お供の物の衣装から人数まで、何から何までそっくりなのである。

天皇が怪しんで
「この国には、自分以外に王はいないはずなのに、いったいおまえは何者じゃ?」と言うと、その人物もまた、天皇と全く同じことを繰り返す。 

天皇が大いに怒って、弓に矢をつがえると、先方も同じように矢をつがえる。まるで鏡に向かい合っているようなものである。しかし、この鏡のような均衡は、それまでであった。 

天皇がお互いに名を名乗ろうではないか、と言うと、先方は、
「わしは禍事(まがごと)も一言、吉事(よごと)も一言、言い分ける神、葛城の一言主大神じゃ」と言った。

天皇はそこですっかり恐縮して、自分の刀や弓矢ばかりでなく、お供の者の着ている服まで脱がせて、ことごとく、この神に献上した。大神も喜んでこれを受けた。

一触即発の危機が去って、めでたく和睦が成立したわけである。

896: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/02/26 02:03
>>895 
その話は天皇の権力を高めるための話だろうね。 

神と全く同じ性質であり、唯一違うのは神か人かだけ。 

【その17へ】