【その8】
Yamato_Trial_1941

245: 名無しさん 01/12/08 02:07
ドイツ敗戦後のドイツ兵器がイスラエルで使用されていたのは何故だろう?

248: 名無しさん 01/12/08 17:01
>>245 
欧州各地で鹵獲、あるいは降服後放棄されていたのを「鉄屑」の名目で安く買ったから、です。 

西欧州各国はみんなアメリカの兵器を使うようになったから、規格の違うドイツ兵器は再利用もされず余りまくっていたので、とても安く買えたとか。

249: 248 01/12/08 17:04
補足: 
フランスみたいにパンテルを使ってた国もありはしますが。 

そういえば、フランス軍のパンテルはインドシナ戦争
(1946年~1954年)の時、「ソビエトがベトミン(フランス植民地からの独立を求め第一次インドシナ戦争を戦ったベトナムの独立運動組織)にスターリン3型を供与した」という情報が流れて、駐ベトナム仏軍に急遽送られたそうです。 

・・・パンテルじゃJS-3には歯が立たないんじゃないのかなぁ。

※パンテル(V号戦車パンター):
Aberdeen_proving_grounds_038
第二次世界大戦中のドイツの中戦車。フランスは第2次世界大戦後、ドイツ軍の残存車両を再生したものに加えて占領時代の工場で生産したパンターで戦車部隊を編成している。(wiki:V号戦車パンター)

※JS-3(JS-3):
640px-Iosif_Stalin_III_4
ソビエト連邦が第二次世界大戦末期開発したものの実戦投入は間に合わず、1956年のハンガリー動乱で初めてに戦闘を行った。「IS/JS」とはヨシフ・スターリンのイニシャルであり、そのためスターリン3型重戦車とも呼ばれる。(wiki:IS-3)

253: 名無しさん 01/12/08 18:13
>>249 
その話、前にフランスの模型サイトでも話題になっていましたが、米軍のM36駆逐戦車の間違いのようです。

※M36ジャクソン:
640px-M36-GMC-Danbury.0004zx4t
第二次世界大戦中に生産・使用されたアメリカ陸軍の対戦車自走砲(駆逐戦車)(wiki:M36ジャクソン)

254: 名無しさん 01/12/08 18:18
>>253 
M36でスターリンⅢと撃ち合うの? 

パンテルでするよりやだなあ…。

※ベトナム民主共和国の独立をめぐってフランスとの間で戦われたインドシナ戦争では、フランス側をアメリカが支援、ベトナム側をソ連が支援した。

929: 名無しさん 02/02/05 12:40
ユーゴの内戦ではT34/85だのM36ジャクソンだのが実戦で使われていた。

931: 名無しさん 02/02/05 14:35
>>929 
それどころか、恐らく砲塔が破損したT-55にM-18ヘルキャットの砲塔を載せた車体なんてモンが作られたりしたらしい。



257: 名無しさん 01/12/08 18:55
イスラエル空軍がメッサーシュミットを… 
ttp://www.warbirds.nu/truth/avias199.html 
※ウェブアーカイブより

1948年のメッサーシュミット

チェコはドイツに併合後、Ar96等の練習機中心の航空機の生産を担って来ましたが、戦局の逼迫により、実戦機であるBf109のチェコでの生産が計画されます。プラハ周辺の工場群で生産されたBf109のコンポーネントはAvia社の工場で組み立てられる計画でしたが、実際に生産機が供給され始めたのはプラハ陥落直前の1945年3月のことでした。

そしてまもなく第三帝国の崩壊、終戦となり、チェコは独立を取り戻しますが、一旦滅んだ国を再建する為には自国の再軍備と、経済の復興が必要でした。

そこで目を着けられたのがチェコ国内に残されたドイツ軍用の兵器生産設備と予備部品の山なのです。これらを利用すれば容易に再軍備が可能で、しかも同じ様な境遇にあるヨーロッパの小国に輸出し、貴重な外貨を稼げるかも知れない、といった希望が全ての始まりでした。

一旦事を決めるとチェコは即、実行する国の様で、まず、設備を整えたまま終戦を迎えたBf109の生産ラインの復旧を考えました。チェコ国内のドイツ軍補給拠点に残された部品類は言うに及ばず、様々なパーツ、機体そのものの収集は東欧全土に及ぶ規模で行われ、最終的には概ね500機分に相当する部品の集積となったと言われています。

そしてそれらを再組立し、チェコスロバキア製戦闘機、または戦闘練習機として生産し、オリジナルのBf109G-14相当の機体をAviaC-10として、複座型練習機仕様のG-12相当の機体はAviaC-99として製造され、各国への輸出が大いに期待されたのですが、それが、その、何とこれが、売れない。

ちっとも売れない。そう、タダの一国も振り向かず、タッタの一機も売れなかったのです。在庫として既に20機以上が倉庫に眠っているというのに…。

しかし、よくよく考えて見れば、売れる筈もありません。そもそも第二次世界大戦直後の世界戦闘機市場にはBf109という、名声はあるものの、基本設計のやや古い機体より、更に高性能の機体がそれこそ二束三文で売りに出ていたのです。

着想が良く、実行力も立派にあったのですが、マーケティングが致命的に悪いという、失敗するベンチャー企業の見本の様な結果に当局はショックを受けた様ですが現実というものは更に厳しく、悪い時には悪い事が、弱り目には祟り目が付き物で、またもや厄介な問題が発生します。それはエンジンの供給でした。

もともとBf109G型はダイムラーベンツDB605A系エンジンを搭載していましたが、このチェコスロバキア版であるM605の生産が部品不足により停止してしまい、今後の生産の目途も立たないという事態となってしまったのです。ただの一機も売れないままにエンジンが無くなってしまうとは…。

普通、やめます。私だったらやめます。もう、この辺で、戦闘機をやめて洗濯機を造るのが常識ある工業国なのですが、チェコという国は先にもお話しました通り、マーケティングはカラキシですが、独自の発想と工夫には非常に長けたベンチャー企業(失敗するタイプの)です。とりあえず正面に立ちふさがるエンジン供給という大問題に敢然と取り組み、とにかく、たとえ造っても一国も振り向かず、一機も売れないチェコスロバキア製メッサーシュミットの生産を再開する努力を始めてしまいました。

さあ、エンジンは何にするのか?高価な西側製エンジンは買えません。いくらチェコでもそれでは商売にならないことが理解出来ました。ではソ連製エンジンはどうか?いいのがありそうですが、ああ残念、売ってくれません。ではどうするか?チェコスロバキア当局は、この問題に対してまるで最初からそうする積もりであった如く、以下の方策を打ち出します。

それは何故か豊富に存在していた爆撃機用のユンカースJumo211FのBf109への移植でした。このエンジンも、実は使い道などまともには考えていなかったのですが、何分こういう国ですので、捨てるにはもったいない高性能エンジンとその部品はとにかく集積されていたのです。

さて、この、少し大振りでなおかつ重いエンジンを小さなBf109に搭載する為には機体にかなりの改造が必要となりました。まず、プロペラはJumo211Fに合わせてVS11の幅広ブレードが使われます。でもこのプロペラはスピナが細く、ブレードが中心近くまで太いのです。

困りました。私ならやめて呑みに行くか、パソコン消して仕事に戻りますが、チェコはやめません。そして何と勇気あることに、細くなったスピナに合わせて機首を無理に一段絞り込むという設計変更を実施します。

そう、世界は広いもので、飛行機趣味も長くやっていると、こういう「スピナに合わせて設計した機首」という珍しい物にも出会えますので皆さんも、たとえ会社は辞めてもこの道楽だけは細々と続けて行きましょう。

次に問題となったのがエンジンマウントでした。G-14/AS以降のBf109は大型のDB603用のスーパーチャージャーをDB605に装着したDB605AS系またはDB605Dを搭載した為、左舷のエンジン架がそれを逃げて上方に湾曲しているので、機首上面の機銃口付近から操縦席直前まで、大きくなだらかな膨らみが機首を覆っていました。

一方、Jumo211Fの場合はエンジン架はそこそこ真っ直ぐなのですが、そもそもエンジン架そのものが機首に納まらないのです。こうなって来ると従来型の膨らみは用を為しません。

そこで、機首にはG-6、G-14の標準であったMG131の機関部だけを逃げた肉まん状の膨らみ二つに戻り、その膨らみから機首先端に向けて一直線に、はみ出したエンジン架の上部そのものの形に突出させるという荒技でクリアすることとなりました。

機首上面でこんなあり様ですので機首下面も推して知るべし、というもので、倒立V型エンジンのカムカバーが機首の先っぽではみ出してうまく納まりません。そこで、G-10やK-4といったDB605D搭載機にあった機首下面の小突起が再現され、そこにはJumo211Fのカムカバー先端がピッチリとはまっています。

実は機首の問題はこれだけではありまぜん。重いJumo211Fを搭載した為に何とか鼻を軽くしようと試みたのか、あるいは単に部品が無かったのか、考えられませんが空力的洗練の為なのか、Bf109の機首下面のアゴ型オイルクーラーが何処かへ消えています。

もっとも、初期型の数機は機首下面のオイルクーラーは一応装備していたと言われていますので、当初はそのままで行けたらそれで通すつもりであったのかもしれません。

一般に細かいことは気にしないタイプである私は、このオイルクーラーが消えている事に気付くのに二年、行方を探して更に五年の歳月を無為に費やしてしまいましたが、最近ようやく、このオイルクーラーの行方が判りました。

そうです。消えたオイルクーラーはJumo211Fへ換装の為に引き払った同軸機銃の機関部があったエンジン後方のスペース付近を居抜きで借り、場末ながらも店を出していたのです。熱交換器と名前を変えて…。

両翼付け根下面のラジエーターからの冷却水がここを通過してエンジンに向かうついでにオイルも冷やしていたという訳でした。ですからS-199には機外に露出したオイルクーラーは無いのです。

こうして、独特の精悍さを備えた戦後型チェコスロバキア製メッサーシュミットBf109、その名もS-199(当時はC-210と呼ばれた)はロールアウトしたのです。1947年4月のことです。

出来上がったS-199はG-14後期型(胴体左舷の無線機点検ハッチの位置からG型が基本と判る)の特徴を備えた通好みのディティールとして木製の大型垂直尾翼(あとでわざわざ木で造るのが面倒になったのか、金属製に変更された)、低圧タイヤ(これも後期型はMig15によく似たホイールに変更されている)。

エルラ・ハウベ(俗に言うガーラント・フード。しかし、これも後期生産型からは左右と上方に膨らんだ枠の無いセミバブルキャノピーに変更されており、この型のキャノピーは後方にスライドして開閉される)。

また、プロペラ軸内の機銃が搭載できなかった代わりに両翼下にMG151/20のガンポッドが標準装備(翼内にも7.92mm機銃が各一門搭載可能)、胴体下面にはドイツ機ファンにはお馴染みのETC-500ラックを介して増槽、爆弾の懸吊可能、そして照準器はあのRevi16というオマケ満載状態の魅力的な機体となり、戦後のマニアをよがらせる結果となりました。

また、燃料系は胴体後部にあった円筒状のMW50パワーブースター用の水メタノールタンクも通常の燃料タンクとして使用され、その代わり使用燃料は95/135オクタンに指定されています。チェコの燃料事情は末期のドイツ空軍より遙かにマシというか、常識的な状況だったということでしょう。

機体の塗装は、上面下面共にダークグリーン(ドイツ空軍のドゥンケルグリュン82だとする説もあり)一色塗装か、または明るめのグレイグリーン(同じくグラウ02、いわゆるRLMグレイ)一色塗装の二種類があり、ドイツ的な色味を残しながらも、まるで戦車の様でかなり異質な印象があります。デンマーク空軍が装備したJ35ドラケン等がこんな感じでしょうか。

新生チェコスロバキア空軍に装備された機体は主力戦闘機として1950年代にソ連製ジェット戦闘機の導入が始まるまでチェコの空を飛び続けることになります。総生産数は450機にのぼり、平時の戦闘機生産数としてはかなりの実績と言えます。

まるで運命から見放されたが如き苦境に陥ったチェコスロバキア製メッサーシュミットですが、捨てる神あれば拾う神あり。製品力が無いときは営業が全て。歴史の陰に隠れてチェコの航空機産業のエージェントは世界に飛んだのでしょう。祖国の復興と発展を賭けて、どこかにきっとある隙間市場を見つける為に。

そしてようやく一国だけ見つかったのは当時建国したてで「独立戦争中」の新興国家イスラエルでした。政治的な制約から西欧の新型軍用機を大量購入できないイスラエルは、アラブ側連合軍に対抗する為に是非とも航空戦力の拡充が必要な状況でした。

しかし、手に入らない。西側諸国は売ってくれない。ソ連も売ってくれる筈もない。そんな苦境に立つイスラエルにただ一国、密かに手を差し伸べ、交渉を開始したのがチェコスロバキアでした。

秘密裏に進められた商談は一気に成立。1930年代に設計された、代用エンジン搭載の応急戦闘機が一機につき190,000ドルで売れました。支払いは当然現金で決済された模様ですが、詳しいことはサッパリ判りません。

しかし、ただひとつ言えることは、この当時、たとえばノースアメリカンP-51Dならばその半額どころか、政治状況によってはタダでも手に入ったのですから、チェコスロバキアも随分と足下を見た商売をしたものです。こういう商いは恨まれますから、皆さん、やっちゃ駄目ですよ。

また、想像に過ぎませんが、もともとイスラエルの商談があったからこそS-199の開発が行われた、というかC-10以来の計画のかなり初めの方からイスラエルとの下交渉が存在したのかも知れません。それはさておき。

イスラエル向けS-199は世間をはばかってその名を練習機C-210と名を変え、この20mm機銃二挺、13mm機銃二挺、7.92mm二挺爆弾250kgを搭載可能の世界で最も重武装の「練習機」はチェコからC54で分解輸送され、その第一陣4機がイスラエルに到着したのは1948年の3月のことでした。

到着した機体は待ち受けていたAvia社のエンジニア達の手で組み立てられ、武装が取り付けられ、スピットファイアやマッキMC205等が待つ中東の空で、対地攻撃に空中戦にと活躍することになります。

イスラエル空軍は戦争の終了間際にP51やスピットファイアが導入されるまで、C-210を重用し、C-210は事実上の主力戦闘機の地位を占めています。忘れてはいけません。S-199はBf109と違い「戦争に参加して勝ったことがある」戦闘機なのです。

では、最後にAvia S-199のデータを書き記すことにいたします。

Avia S-199
全幅9.924m
全長8.94m
翼面積16.5平方m
空虚重量2,750kg
全備重量3,317kg
エンジンユンカースJumo211F(M211F)1370馬力
最大速度460km/h~480km/h
急降下制限速度600km/h
最大巡航速度440km/h-1,000m 400km/h-5,000m
上昇時間5,000m-7分30秒
実用上昇限度9,000m
航続距離860km(300リットル増槽付)
着陸速度 190km/h
武装MG151/20 MG131 MG17 各二挺 爆弾250kg

無線装備その他はBf109G-14に準じた(というか独軍装備そのものを搭載したと思われる)かなりのレベルでの充実を見せている。偵察用写真装備もまた独軍と同様の装備が可能であり、実施されている。


エンジン換装とガンポッド搭載による速度低下もさることながら、着陸速度190km/hというのが効きます。複座練習型のC110やCS-199が当初から生産された理由はこの辺にあったのでしょう。

以上の如くS-199は非常に魅力的なマニア好みの戦闘機ですが、しかし、チェコがこの機体を1948年当時の金で、一機190,000ドルで販売した経緯もまた人生に於いて勉強になるというものです。

政治状況があったのでしょうが、ドイツ製の戦闘機でも気にせず使っちゃうのがすごいよなあ。切羽詰まった人たちの発揮する合理性ってやつか。

※メッサーシュミット Bf109(オリジナル):
640px-Bf109_messerschmitt
(wiki:メッサーシュミット Bf109)

※アヴィア S-199(チェコ製):
Avia_CS-199_Trainer
(wiki:アヴィア S-199)

258: 名無しさん 01/12/08 18:57
>>257 
あれは、チェコスロヴァキアが金に困っただけだよ。 

しかも、糞戦闘機だったから早く処分したかっただろうし。

256: 名無しさん 01/12/08 18:55
ユーゴの内戦では、大戦中のT34/85やM36が実戦で使われていた。

これがホントの「ロストワールド」。

※ユーゴスラビア紛争:1991年~1999年。

282: 名無しさん 01/12/09 23:30
ヒムラーは趣味で(前は本業だったこともあるらしいが)、鶏の飼育をしていたが多忙の為世話ができず、みんな死んでしまった。

※ハインリヒ・ヒムラー:
アドルフ・ヒトラーの側近。ドイツの戦況を絶望視して独断でアメリカ合衆国との講和交渉を試みたが失敗し、アドルフ・ヒトラーの逆鱗に触れて解任された。その後は逃亡を図ったが、エルベ川を渡った後の1945年5月22日にイギリス軍の捕虜となり、翌日の5月23日に自殺した。(wiki:ハインリヒ・ヒムラー)

260: 名無しさん 01/12/09 00:51
スターリングラード戦で捕虜になったドイツ軍兵士の中に、鉄血宰相ビスマルクの孫が居た。

252: 名無しさん 01/12/08 18:00
海上自衛隊の女性自衛官はWAVESと言わずWAVEと言うのは、WAVESのままだと言われた女性が怒るからってホント?

※Women Accepted for Volunteer Emergency Service