【その11】
貧乏

740: 名無しさん 01/09/17 13:13
1962年生まれですが、家に電話がはいったのが小学5年の時でした。

それまではクラスの連絡網に(呼)がついていて恥ずかしい
思いをしました。 


742: 名無しさん 01/09/17 15:34
1968生まれですが、家に電話がついたのは小学5年の時でしたよ。それでもまだ(呼)になってる友達が2人ぐらいいたかな~。今や家族5人で4人が携帯持ってる生活ですけどね。

私は東北の出身なんですが、妻は東京の人間でして、やっ
ぱり私の話は全く実感がないということでした。地域差なんでしょうね。 

うちは3歳まで水道がなっかたし、洗濯機も幼稚園入るまでなかったですしね。屋根も外壁もトタン張りで、冬は家の中に雪が吹き込んだり・・・。 

それが普通でしたから、辛かったと思うこともないし、いい経験をしたとも思いませんね。

743: 名無しさん 01/09/17 15:58 
うちも電話をひくのが遅くてみじめだった。 

地方都市の農村で、「有線」というごく狭い範囲でのみ通用する電話のようなものがあったから、有線から友達のうちの電話にかけることができたのだけど。 

747:名無しさん 01/09/17 18:12
疑問なんですが、電話が(呼)だった家ってのは、近所の電話がある家に頼んで使わせてもらうってことですか?近所の人が拒否したらどうなっちゃうんですか?

748: 名無しさん 01/09/17 18:20
>>747 
私の家の場合は大家さんの所に電話を借りにいったから、拒否なんてしなかったよ。昔の人は助け合い精神が大切と考えていたから、 拒否はしなかったと思うけど? 

でもその反面嫌われたら大変。村八分されちゃうから、その地域では生きて行けない。

753: 名無しさん 01/09/17 19:09 
>>747 
私のところは官舎住まいだったので、隣のお宅にお願いしていました。それでももっぱら受信で、電話をお借りして掛けるということはなかったと思います。 

掛ける時は歩いて3分ぐらいのところの公衆電話まで行っていました(今そのことを思い出しました、冬は寒かった!)。

749: 名無しさん 01/09/17 18:24
>>747 
電話(呼) 
私の家・・・電話あり 
となりの家・・・私の家の電話番号(呼) 

どこの家でも電話は居間に設置されていると思いますが、我が家は玄関にあります。

750: 名無しさん 01/09/17 18:28 
昔の日本映画でもあるよね。 

「ちょっと電話借りに来ました」「あら、どうぞ」なんて感じでね。

751: 名無しさん 01/09/17 18:35
>>750 
そうそう!一々お金渡さないし、向こうも受け取らない「お互い様」という気質が昔の人にはあったよね。
 
そう思うと昔のビンボーはそれなりに良い事も学べたが、今現在ビンボーだとかなりつらい物がありそうだ。

744: 名無しさん 01/09/17 16:08
70年代に都内足立区の公団住宅から、港区に。団地に住んでた頃はみんな同じようなものだったけど、港区に来たら生活にかなりの格差がありました。 

ある日、友達の家に呼ばれて行ったら、2間の傾いた木造住宅。で、おやつに、その子のお母さんが小麦粉ねって、お醤油のおつゆに入れたスイトン(?)作ってくれたのに食べられなかった。他の子達が食べようとしなかったから。 

今思うと、胸が痛い。ごめんなさい。

758:  名無しさん 01/09/18 02:52 
1958年生まれ。

私のうちは金持ちでもなく貧乏でもない普通の状態だったと思うけど、自営業なんで、両親共にとにかく朝から晩まで、月曜から日曜まで働いていた感じ。 

大阪の万博に行ったのが、生まれて初めての家族の泊りつき旅行だったけど、電車に乗った瞬間に、父も母も爆睡したのを、妹と二人でちょっとせつない気持ちで見てたのを覚えてます。よく働いていたよ~、ほんと。 

貧乏な話もナットクできます。農家は割とゆとりがあるような感じがしてたけれど、そうじゃないうちで、ほんとに貧しい友達のうちがあった。お風呂がなくって側に寄ると、臭うような子とかいた…。 

少しづつ豊かになりはじめていた時代だったから、あの子たち、余計に辛かっただろうなあ、と思う。
 
この板読んで、泣いてしまう時があります。

759: 名無しさん 01/09/18 03:01
俺昭和49年産まれで、みんなの話すごくわかるんだけど…。

ハンパに都会で、ハンパに近代で辛かったよ。電話引いたの昭和60年代。はっきりいって、みんなが貧乏だった時代の人が羨ましいですよ(笑)。この時代、電話が無い家庭なんて皆無。小中9年間併せても、学校で俺だけ。 

あんまり気にしないようにはしてたし、不自由感じさせないようにしてくれたから、そんなにトラウマにはなっていないけれど。 

村上春樹のノルウェイの森で、貧乏なのにお嬢様高校に進学しちゃった女の子が「金持ちだけが、今お金無いの、って言える。私は、今お金無いの、とは言えない」 っていうシーンがあるんだけど、俺もいまだに人に「ちょっとお金貸して」とは言えない。 

他人とお金の話ができない。なんだか、はしたないような後ろめたいような気持ちになる。

766: 名無しさん 01/09/19 13:43 
知り合いの話。 

妹と二人、親戚の家に預けられていて、食事は別のテーブルで、別のものを食わされていたんだって。

767: 名無しさん 01/09/19 14:34
そういえば小学校時代は毎日同じ服着て学校行ってたっけ。
 
貧乏かどうかわからないが、夏も冬もずーっとトレパンはいてるヤツいたな。

768: 名無しさん 01/09/20 10:15
しっかし貧乏って相対的なモノなんだなーって実感します。 

ウチの親は銀行マンでしたが、小学校からずっと都内のボンボン私立校通いだったため、いつも「貧乏な思い」をしていました。小3の時、ウチに遊びに来た友達に「うわっ、せまーい」と言われたのが未だにトラウマとなっています。

ちなみに彼の家は1000坪以上の敷地に離れ2軒+茶室まである大邸宅でした。(23区内で!) 

大学も日本有数のボンボン校だったため、周りがみな大学祝いにBMW、ベンツ買ってもらっている中、親のグロリアを半鬱状態で転がしていました。

772: 名無しさん 01/09/20 14:33
>>768
まあ、相対的ということではいえるかもしれないけど、やっぱ他の人のシリアスなレスと比べると、ちと違うような感じがするな。 

「持ち物の質の差」と「持ち物の量の差」っていうかなあ。うまく表現できないけどさ。

774: 名無しさん 01/09/20 15:06
自分が標準のもの持ちで、も他人が自分より沢山ものを持っていれば、相対的に自分が少なくみえるってことだよね。

775:名無しさん 01/09/20 16:00
俺は付き合う友達は、自分の家のレベルより下の奴を選んでいたよ。 

ちょっと優越感も感じられるしね・・・自分の家の暮し向きがよくなると、付き合う友達も変えていた。いやらしいガキだったと自分でも思うけど、バカにされたくなかったし。 

厨房の頃、昔仲良くしていた女の子をちょっとした諍
(いさか)いから、みんなの前で貧乏であることを馬鹿にしたことがある。ほんの数年前までは同じような暮らしで、家にもよく遊びに行ったのに・・・。 

彼女は親の事情もあってずっと苦しい家庭だったようだ。なんであんなことを言ったのか、今でも後悔している。

776: 名無しさん 01/09/20 16:15
>>775
あるよねーそういうの。俺も反省してる。 

俺も通っていた公立中学が市営団地の真ん中にあったものだから、一軒家の住宅街から通っていた奴等は彼らに対して、なにかしら優越感をもっていた。一人部屋もってるなんて話すと羨ましがられて、得意になった覚えがある。

親の家なのに自慢していたのが恥ずかしい。

777: 名無しさん 01/09/20 16:50
トラウマといえばバースデー・ケーキ。 

5つの頃、父親が結核で入院してて祖父母のもとに預けられてたんだけど、「今日で5歳になるんだ!」と遊び友達に話したら「お誕生日にはケーキにろうそくたてて」とか教える奴がいて、でもじいさんばあさんの用意したご馳走には当然ケーキなんかなくて泣いたよ。 

明治30年代生まれのじいさん達にとって、ご馳走って赤飯や鯛のおかしらつきなわけよ。 

今だに誕生日っていうとバースデー・ケーキ注文しちゃうんだよね。無いと寂しい。

778: 名無しさん 01/09/20 18:13
小学校は制服があったんだけど、女の子でとってもみすぼらしい制服の子が一人いた。お母さんが亡くなっていたことも関係してたと思う。 

修学旅行の前にうちの母親が、クラスの子には内緒でこっそりうちに呼んで、その子にいとこのお下がりの制服をあげた。その子は気を使って、私にまでお礼を言った。

その時私は何を思ったのか、「いいよ。うちにはいくらでもあるから」って言ってしまった。その子は何も言わなかったけど、母親の顔がひきつってた。

その子が帰ってから、「なんてこと言うんだ!」って母親に平手打ちをくった。母親も幼い頃貧しかったからだと思う。 

今でもとても苦い思い出だ。

781: 名無しさん 01/09/20 18:47
>>778 
子供の教育もキチンとできるし、人の痛みも解ってるいいお母さんだね! 

782: 名無しさん 01/09/20 20:21 
>>778 
似たような経験有り。俺は言われたほうだけど(笑)。
 
よく遊んでた幼馴染の家で言われて、その親御さんに幼馴染にはぶっとばされてたな。俺はあんまり気にしないタイプなので、「俺の貧乏の事で、もめるなよなー」とか思ったな。 

でも、今でも覚えてるって事は、気にしてはいたのかもしれない。 

781: 名無しさん 01/09/20 18:47
私も苦い思い出をば…。 

高校の体育祭の盆踊りの時浴衣を着るのだけれど、A子(仮)が長じゅばんのようなスケスケの物を着ていた。

友達が「○○先生の事好きだからわざとあんなの着てるんだよ」 という話しを鵜のみして、ワザとA子に「ブラ透けてるよ」とかからかったり「嫌らしい。そんなんで気に入られようとしてるんだ」ってコソコソ言っていた。 

卒業後人づてに聞いたんだけど、A子はお母さんが早くに亡くなられてて、その浴衣はお母さんの形見だったらしい。 

その時、皆が何言ってたか知っていて辛かったけど、お母さんの形見の服は流行遅れで着られないから、その浴衣を着られて嬉しかったんだって。 

お母さんも若い頃コレを着て盆踊りを踊っていたんだなと思うと涙が出てくるけど、お母さんと一緒に踊っているような気がしてたって。そういえば、写真では目をしかめながらも嬉しそうに踊っているA子が写っている…。 

今でもその写真は凝視出来ない。事情を知らずとはいえ、本当に反省している。

783: 名無しさん 01/09/22 00:36
小4の時、同級生(大人しくて可愛い子)の父親が交通事故で亡くなった。 

その2ヵ月後、彼女と母親がうちの玄関に立っていた。 

「傘直します。直す傘はないですか?」
 
昭和40年代半ばの出来事。

784: 名無しさん 01/09/22 00:56
>>783 
言葉に詰まるな。

787: 名無しさん 01/09/22 01:15 
昔は今と違って女は働く所がなかったからね。夫を亡くした奥さんは大変だったろうね。 

なんだかシンミリ・・・。

789: 名無しさん 01/09/22 02:51
私の本籍は、○○県○○郡○○村大字○○xxx番地。家は茅葺き、間取りは今風に言えば6DKプラスアルファになるのだが、とにかくボロかった。 

で、東京に来て知り合った友だちの家が港区南青山x-x-x。2LDKか3LDKのマンションで、遊びに行った時には、「うわー、せめー!よくこんなところで19年間も暮らしてたなぁ、かわいそう!俺なら、とっくに気が狂っている」と思った。

791: 名無しさん 01/09/22 10:46
>>789 
>俺なら、とっくに気が狂っている 
なんかワラタ

793: 名無しさん 01/09/22 12:26
>>789 
仕事で、地方都市のいわゆる「ワンルームマンション」に住んでいた時に、同僚のおうちに招待されて行ったんですが、玄関に入ると広い土間で、ほとんど私のワンルームマンション全体と同じ広さがあったので、びっくりしました。

絶対的な貧乏ではないけど、現代の相対的に貧乏な労働者諸君、って自分が思えた。

790: 名無しさん 01/09/22 03:48 
母ちゃんが入院。父ちゃんは失業中だったと思う。だって、あの時はいつも家にいたもん。 

で、私は冷や飯を自分で弁当箱に詰めて幼稚園に行ったのを覚えている。おかずはなし。冷や飯だけです。でも弁当の時間には、周りの友だちのおかずを無理矢理ぶんどっては、弁当箱の飯を食っていたのを思い出した。

私は、とても(精神的に)強い幼稚園児だったようです。

792: 名無しさん 01/09/22 11:22
>>790 
今は精神的に強い大人になりましたか?

796: 名無しさん 01/09/22 16:10
水道光熱費を惜しんでか、なかなか風呂に入ることができなかった。

一番辛かったのは、髪が脂っぽくなってきちゃって、それが最高に不潔っぽく見えること。いつもさらさらの髪をしている子が、うらやましかった! 

やっぱり頭を脂ギッシュにしてる子がクラスに一人か二人いて、あー、あの子も風呂入れてもらえないんだな、って思ったりして。 

さらさらヘアの子は、すごく親から大切にされてるって感じで、うらやましかった。劣等感で、あまり喋ったり出来なかった。だからベトベトヘア同士、よくつるんでたよ。

みんな成績悪くて、先生にもにらまれてた。

797: 名無しさん 01/09/22 16:14 
髪の毛結んでたから、前髪だけ毎日洗ってたよ。全体は3日に一度くらいかな? 成績良かったから、表立って悪口いわれなくて・・・。 

高校に入って、「大学にいくお金がない」と言われ、ショックだった。

798: 名無しさん 01/09/22 16:21
小学校低学年の時に、友達が親の財布から1000円札を1枚盗んできて、駄菓子屋でおごってもらった。
 
あまりの驚きと恐怖に震えながらもお菓子の欲望には勝てず、結局いろいろおごってもらった挙句、お土産として50円玉を1枚もらった。その日の夜は罪悪感に苛まれ、ろくに眠れなかった。その日のことがトラウマになり、夜にはよく地獄に落ちる夢をみた。
 
その友達はその後万引きで捕まり、担任の教師に皆の前で吊るされた。自分もその時のことがばらされるのでは?とドキドキした。が、結局無事だった。ほっとした。 

1年後には、1度悪の手に染まった自分にあきらめを感じたのか、自分でも万引きを始めた。夜の怖い夢は終わらない。数年後、万引きも飽きて止めた。

それ以来万引きは一度もしていない。

799: 名無しさん 01/09/22 16:50
>>798 
最後のくだりがなかったら可愛かったのに(笑。



800:名無しさん  01/09/22 17:11
子どもの頃、お小遣いをもらえなかったので、お金の使い方とか大切さを知らない大人になってしまった。とにかく浪費家というおうか、計画性がないと言おうか。 

サラ金に150万ほど借金をした時にとても後悔し、何年がかりで無事完済した。苦しかった。 

自分の子どもには、ちゃんと1000円でも2000円でもいいから月極でお小遣いをあげて、予算内で1カ月を乗り切ることを教えようと思う。

801: 名無しさん 01/09/22 17:19
あ、そうか。お小遣いがないから使い方がわかんない、ということもあるんだね。
 
なんかここのスレ、自分が見えなかったことを、沢山見せてくれるね。今になって「あ、そういうことだったのか」って思って、涙したりして。 

うちはごく平均的な家庭だった。「みんな持ってるから、買って~」「だめだ。じゃあおまえは皆が死ぬと言ったら死ぬのか」という会話が、ギャクではなくごく一般的に行われていた程度。

802: 名無しさん 01/09/22 17:36
中学生の頃に米飯給食ってあったでしょう? 家から持ってくるやつ。
 
自分たちの学校では木曜日だったんだけど、うち麦飯で、しかも透明のタッパーに入れてくので外から丸見えで、すごく恥ずかしくて隠すようにして食べてました。 

今でも、あの時の取り残されたような気持ちが蘇ってきます。

803: 名無しさん 01/09/22 18:14
今は麦飯のほうが高価なのよね~。

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