78: 名無しさん 2001/07/17 07:24
何を買ってもらうのもクラスで一番最後だった。 

自転車然り、野球のバットやグローブ然り。

80: 名無しさん 2001/07/17 10:03
よそ様の家で出された食べ物を、貧乏だと思われたくないので、いまだ素直に食べられない。 

スーパーなどの試食にも、ものすごく抵抗がある。

81: 名無しさん 2001/07/17 11:57
昭和43年ごろ~、四畳半二間の借家住宅で家族5人。 

同じ組の同級生の親がこの借家の持ち主。今みたいに家賃振込みの無い時代で、親に言われて家賃払いに同級生の家行くのが死ぬほどイヤだった。 

同級生に会わないようにと心から祈りながら家のチャイムを押す。しかし彼は出てくる。

同年齢なのにどうしてこんなに環境が違うんだと悔しくも思いながら、彼に卑屈にふるまって敬語なんか使ってしまう。 

彼はどうも思ってないだろうが、自分が惨めに思えてならなかった小学生の夏だった。

82: 名無しさん 2001/07/17 12:22
>>81 
あんたの気持ちを察してやれなかったのは親の責任。

85: 82 2001/07/17 12:35
>>82 
父母共稼ぎで2人とも夜が遅い。両親は頑張って働いてくれているんだから、夕飯の支度やおつかい位は親の役に立ってると思って行ってた。

83: 名無しさん 2001/07/17 12:29
父は人に使われるのが大嫌いな超見栄っ張り男で、事業を起こしては失敗し、母は本当に苦労した。

2Kの部屋で家族5人暮らし(もちろん汲み取り便所で風呂無し)。一応持家だったが、ものすごく狭く、日当たり、風通し最悪だった。おかげで、ダニ、ゴキブリ、ねずみも頻繁に出没した。 

3人の子供まで作っておきながら、子供が嫌いの父親には可愛がられた記憶も無い。一緒に銭湯に行った覚えも無い(母親によると、オムツを代えた事も、ミルクを飲ませた事も無いそうだ)。 

私は国保にも入れられず、ヘタに病気も出来なかった。修学旅行の時みんなが健康保険証のコピーを持って来た時は、本当に哀しかった。 

大人になった時、いい父親になってくれそうな人ばかり好きになった。そして結婚し、今は優しい旦那とほどほどの生活をしている。

今は父親を許そうという気持と、やはり思い出すと許せない気持でまだ揺れている。

84: 名無しさん 2001/07/17 12:30
まだ風呂がない家、呼び出し電話の家ってある?

86: 名無しさん 2001/07/17 12:49
幼い頃に苦労された方がこんなにいらっしゃるとは、思ってもみませんでした。 

私が幼い頃(私も含めて)の同級生って幸せだったんだ…。

87: 名無しさん 2001/07/17 12:52
昭和40年代ですが、戦後すぐに建てられたバラックに住んでいました。 

8畳と6畳に7人家族(祖父母、父母、父の妹2人、自分)。祖父は寝たきりでした。床という床は全て歩くたびにきしむ、というか沈む。雨の日のバケツはあたりまえ。

テレビはなく、夜はラジオを皆で聞いていました。風呂は古新聞で炊いていました。ゴキブリホイホイをはじめて置いた時は真っ黒、蜘蛛もたくさんかかりました。家の玄関ではなぜか塩を売っていて、小学校から帰ると店番をしていました。

昭和50年に家を建て替えて、自分の部屋ができた時は涙が出るほど嬉しかった。

鈍感な性格なせいか、貧乏時代も自分に「貧乏」という自覚がなかった。

88: 名無しさん 2001/07/17 13:10
子供の頃の貧乏を思い出すと今でも気が滅入るし、気恥ずかしい。 

おやじは遊び好きの安月給の公務員。線路際の本当にボロボロの官舎住まい。電車が通ると話もできない。 

小学生の頃、友人の母親に「着たきりスズメ」と笑われた。意味はわからなかったが、嘲笑されているのだろうということはわかって悔しかった。

自転車がなくて、自転車に乗る友達の後ろを走っていた。家に電話が入ったのが小学5年の時。金が無くて「学習と科学」を買ってもらえなかった。中学の制服は、入学する時はロボコンのようにぶかぶかで、3年の時には七分ズボンのように短かった。

弁当は当然貧しく、蓋を立てて食べていた。前歯に虫歯ができても治せず、人前で自然に笑うことができなかった。 

今年家を建てて、2人の子供たちにはそれぞれ8畳以上の広さの部屋を与え、欲しがるものも大概買ってあげることができるようになった。 

おそらく、自分が子供の頃にできなかったことを自分の子供にさせてあげることによって、カタルシス
(精神の浄化)を得ているのだと思う。

91: 名無しさん 2001/07/17 14:14
>>88 
>「学習と科学」を買ってもらえなかった。
 

俺もそうだった。みんな付録の「昆虫採集セット」なんか学校に持ってきていてうらやましかった。

92: 名無しさん 2001/07/17 14:33
>>88 
>おそらく、自分が子供の頃にできなかったことを自分の子供にさせてあげることによって、カタルシスを得ているのだと思う。
 

ワシも惨めな思いはさせたくないので何でも買ってやるようにしてるつもりだが、小学生の娘が携帯ほしいと言った時はさすがにダメと言いましたね。

でも持ってるんでしょう?小学生が携帯・・・ワシの頃は中学になって初めて家に電話つけることが出来たのに! 

昭和は遠くになりにけり・・・。

93: 名無しさん 2001/07/17 16:30
昭和45年頃まで親子3人で下宿住まい。

冷蔵庫?は木製。氷塊を入れるタイプ。先生が家庭訪問に来る前に、親が慌てて電気冷蔵庫に買い換えた。テレビは無かったので、大家さんの部屋のテレビを襖の隙間からのぞいた。

やはり「学習と科学」は買ってもらえなかった。小学校の裏門に付録だけ売るおじさんが時々店を開くので、そこで付録だけ買っていた。

94: 名無しさん 2001/07/17 16:34
皆、ネタじゃないよね??

89: 名無しさん 2001/07/17 13:25
昔から今まで、ずーっと貧乏なのってどっかに問題ない? 

昔、貧乏なのはうちと同じなのに、給料日にはいいもの食って、娘に流行のおもちゃを買い与えてる家があったんだと(親から聞いた話)。 

うちは、今はそれなりの生活をしてるけど、そこんちは当時のままのボロボロの2K汲み取り一戸建てアパートに今も住み、出戻り娘が児童扶養手当て貰っている立場だってのに、うちの子と同級生の息子に、ベイブレードを毎週買い与え、プレミアで数千円する遊戯王カードも買ってやってる。 

小1のその子もいつも現金数千円を持ち歩き、金持ちだと自慢。あの育て方じゃ金銭感覚おかしくなるよ・・・。 

私は、家には無駄なお金はないんだよって言いきかせて、おもちゃも買ってあげたいけど、周りを見てあわせて買ってあげてる。 何か褒める事を見つけ、ご褒美という形で。 

それでも買いすぎだと思うけど、時代もあるしね・・・。

99: 名無しさん 2001/07/17 19:56
>>89 
貧乏が骨身に染みなかった人って、大人になっても貧乏なままなことありますよ。

うちの父の妹一家なんてそんな感じ。旦那も奥さんも共働きで、そこそこ収入あるのに、60になろうかというのに借家暮らし。こんなに広い借家に住んでいると喜んでいるくらいだから痛いよ。 

一つ年上の従兄弟がいるけど、小学生の時にFM-TOWNS他パソコン持ってたし、車も新車ばかり買い換えてね。なんかあの頃から「家」は考えていなかったみたい。

その日暮らしの酒飲みの旦那。当然貯蓄の習慣無し。入ってきたらすぐに出ていくって感じだった。借家なのに電子オルガンがあったり、パソコンがあったり、新車だったり不思議な家だった。 

昨年、結婚した従兄弟が消費者金融に300万の借金をして隠していたらしいが、払えなくなって親に泣きついた。しかしも親とて貯蓄無しだから、たかだか「300万」の息子の借金のために親戚中を借りて歩いた。ほんと、疫病神。 

俺は特別高給でもないが、それでも300万程度の金、すぐに用意できるけどな。

101: 名無しさん 2001/07/17 21:25
稼いだ金をどこに?ナニに使うか?そのエンゲル係数で人生変わるよね。

まあ、その人の価値観にもよるが、健康で食えりゃイイんじゃない?

102: 名無しさん 2001/07/17 23:05
>>101 
あと、身内や親戚、知人に迷惑かけなきゃな。 

でも、いざと言う時に結局周りをアテにするんだよな。そういう奴って。

90: 名無しさん 2001/07/17 13:53
「母親が場末のストリッパーだった」なんて兵はいないのか?

97: 名無しさん 2001/07/17 17:51
貧乏というか、私たち姉弟が病弱で治療費にお金がかかったので、共働き家庭だった。母が苦労した。だから、日曜日皆が家族で出掛けるのを羨望の目で見てた。 

父母には一線を退いた今、楽に暮して欲しいのだが貧乏癖が直らず、貯金の毎日。子供は独立してやってんだから、財産なんかいらないよぉ。楽しく老後を過ごしてくれい。

98: 名無しさん 2001/07/17 19:14
>>97 
うちは父が病弱の上に発作持ちだったので、休みの日にもどこにもいかないで家で遊んでた。旅行なんて行ったことがないし、レストランに入ったこともなかった。 

5年前に母が死んでしまい、父と俺と知恵遅れの弟との3人暮らし。いまだに何処にも旅行にいかず、友人から食事に誘われても「コンビニで弁当買えばいいじゃん」と言って避けてしまう。 

いま俺は会社を退職して家業を継いで、遊びといえばネットに興じるしかない日々を送っている。

103: 名無しさん 2001/07/17 23:11
俺も給食代が持っていけなかった。 

当時月2000円がなかったのに、今は一日2000円以上飯を食ってる。傘も4000円、シャツに1万円とか贅沢してる。 

年収350万なのにw。

106: 名無しさん 2001/07/17 23:58
母子家庭で母ひとり子ひとりだったので、小学4年生まで文化住宅(安アパート)に住んでた。 

下の親父が電波系で、物音がうるさいといつも怒鳴り込んできた。包丁を突き付けられたことも!それを同級生に見られて騒がれた。今となっては考えられない。

食べ物や衣服で悲しい思いをしたことは無いが、
度重なる母の男関係に悩まされた。一度も男が途切れず、子供は二の次だった。隣でカーテン越しにセッ○スされたこともあり、私は寝たふりをしながら涙を流していた。

学校で虐められ、家では居場所が無く孤独でした。
暴力も激しく、骨折やつねられて手には傷が耐えなかった。優しい時とのギャップが激しかったな

貧乏と因果は巡るからな。 
私も子供は産みたく無い。

お金と教育が無い親からは幸せな子供は産まれない。

108: 名無しさん 2001/07/18 00:33
>>106
がんばってきたとは思うが、ココロのキズを治してがんばれよ! 

「今は幸せ」と最後に書けるように! 

109: 名無しさん 2001/07/18 00:41
>>106 
ドラマ「永遠の仔」を地でいくようなお話で涙が出ました。辛い子供時代を送られたようで、せめて現在のあなたが幸せであれば良いのですが・・・。 

永遠の仔 DVD-BOX
石田ゆり子
バップ
2004-08-25


110: 34歳 2001/07/18 01:21
生まれた時から両親は、小さいながらも子供服や小物の縫製業を営んでいて、家も借家とは言いながら、工場設備と大きな庭がついている家に住んでました。 

建物と庭あわせて数百坪はあったでしょうか。数人の従業員もいました。当時ではかなりめずらしく家にピアノがあり、庭にはブランコがありました。それまでは結構暮らしに余裕があったようです。

小学校3年になった頃でしょうか、家の工場に発注を依頼していた工場が人件費の高騰から、生産拠点をより人件費の安い西日本や海外に移し始めました。徐々に収入が減少したようで、家からピアノや車が消えました。

小学校4年生になる時、親から「健康のため新聞配達でもやったらどうだ?」と言われ、2年間やりました。新聞屋さんも募集のチラシを入れたとはいえ、迷惑だったと思います。

1日に家の周りだけ数十件配達して、月に6千円前後の給料でした。親は千円だけ私にくれて、残りは貯金しておくからと言いながら使ってしまったようでした。

配達ルートで、とある家の人が「こんな小さい子が配達しているのは何か訳が あるに違いない」と思ったのか、私を見かけるたびに果物やお菓子をくれました。 

当時は何も分からず「ありがとう」と言って受け取っていましたが、今思い返すと本当にありがたいことだったと思います。

111: 34歳 2001/07/18 01:22
6年生になる頃、ついに工場を畳むことを両親は決心。借家も引き払い、母の実家へと家族は引っ越します。

そこで新しい仕事についた父ですが、40を超えていて、町工場時代の収入はもはや望めません。実家に入って立場の強くなった母との関係は、徐々に悪化する一方です。母の実家も裕福ではありません。 

中学生の頃、雪国に住んでいたので、体育の授業にはスキーをすることがありました。私は「全員スキーを持ってくることになっているから」と親に泣きつき、苦しい家計を省みずに新品のスキー道具一式を買ってもらいました。

ところが、同じクラスにスキーも買えない人がいて、なんと竹を真っ二つに割って、縄で長靴を固定する自作スキーを学校に持ってきていました。

私は不用意にもその話を親にしたところ、「みんなが持っているって言うから無理して買ってやったんだ。ふざけるな」と言われ、なんともいえない気持ちになりました。 

いろんなことがあって高校を卒業し、地元にとどまるのは嫌なので、東京での就職を決心し、上京しました。親はかなり反発し、引きとめようとしましたけど、ある交換条件とともに許可してくれました。

それは「20歳になったら家に金を入れてほしい」というものでした。 

112: 34歳 2001/07/18 01:22
20歳になった日の週末、実家から帰省せよとの知らせが。

帰ってみて親が言うには
「サラ金での借金の連帯保証をしてほしい」 と。金額はなんと650万円。聞いて呆然としてしまいました。両親は熱心に説得を試みます。私もこのままでは東京に戻れないのではと思い、連帯保証してしまいます。 

当時のサラ金は、今とは比較もつかないほど怖いもので、私が連帯保証人の書類を作りに行った時も別室に閉じ込められ、担当者から数時間にわたり両親が罵倒されていました。

保証人になって翌月から月数万円の返済です。私が連帯保証したことにより金利を年5%にしてもらっていたので、この程度の返済で済んだそうです。 

毎月徐々に返済していくうちに、サラ金の担当者が交代しました。代わった人は以前銀行にいた人らしく、かなりこちらに同情してくれて、今後の金利を免除してくれました。

これで徐々に残債が減っていき、わずかずつの返済ですが、あと数ヶ月で完済と言うところまできています。14年間返済を続けてきたため貯金はほとんどありませんが、ようやく一つの目標を達成しようかと言うところです。 

親からは、今でも金を無心しようと電話がかかってきます。でも申し訳ないが、私も人生の半分が終わろうと、もしかしたら終わっているかもしれませんので、親不孝ながらも後は見捨てさせていただきます。

マジでもう勘弁してほしいです。 

>>106 
>お金と教育が無い親からは幸せな子供は産まれない。 
に激しく同意いたします。

113: 名無しさん 2001/07/18 01:31
>>110-112 
でも、いい子(34歳さん)が生まれたじゃん。

でもでも、いい子だからこそ、苦しむんだよね。バカだったら同じ人生歩むんじゃ・・・?

125: 名無しさん 2001/07/18 12:00
>>112 
親が子に普請するのは考えられない。

小さい時から貧乏で、物欲にガマンする事は教えられたが、親が自分の金をアテにされた事はない。親というのは貧してもやはり子に対して威厳を保ちたいと思うが、そんなプライドは吹き飛んでしまうもんでしょうか? 

自分は育ててくれた親に対して、毎月微々ながら小遣いを渡してる。それは貧乏ながら苦労して自分を育ててくれた感謝の意でもある。
 
今、子供を持つ身ではあるが、子には絶対頼りたくないよ。だから景気悪くても仕事ガンバルよ!

114: 名無しさん 2001/07/18 02:08
世の中には、似たような人がいるもんですね。

私も毎月10万円とボーナスを90パーセント、親に持っていかれました。総額500万円くらいでしょうか、戻ってこないお金と時間です。 

一山越えたので、これからは一人で強く生きていきます。

122: 名無しさん 2001/07/18 10:22
今25歳だけど、私の実家の父はとっても苦労した。 

7人兄弟の長男で、祖父はギャンブラーで酒飲み、収入を一日ですってしまう。祖母はただはらはらと泣いているだけで、私の父がしっかりしなくては成らなかった。 

小学生の頃から新聞配達、アイスキャンディー売り。中学を卒業するまでにほとんど勉強はできなかった。そして下の妹たち3人を私立の高校まで卒業させた。その5年後には、借金なしでバラック小屋の家を建て替えたそうだ。
 
がんばり屋だと思うが、それがたたって私の学生時代はなにも買ってくれなかったし、余分なお金はないと怒鳴られた。父は貧乏性になっていたのだ。

おかげで今はまた自宅の家を立て替え、好きな土いじりをしている。それ以外はとっても質素。 

おかげで私も貧乏性。いくら貯金しても「金ない金ない」と言うようになってしまった。車も遠慮して150万くらいのだし。

127: 名無しさん 2001/07/18 12:36
素朴な疑問。

そこまで貧乏なのに、なんで子供を2人も3人も産むんだろう。家だって6畳一間とかなのに。 

いくらいい親でも、内心「ドキュン」と思わずにはいられない・・・読んでてハラたってきた。

131: 名無しさん 2001/07/18 13:13
>>127 
TVに出てくる大家族なんて、凄く苦労してるもんなあ。中には離婚をずっと前から考えてたくせに子供を作った、横浜の大家族の馬鹿夫婦みたいのもいるね。 

セッ○スとは子供を授かるための行為だから避妊しないと考えてるのか、単に避妊具なしの快感がやめられないのかな。なに考えてるんだろうね? 

外国の、家もない食事もまともに食べられないような難民にも乳飲み子がいるのに驚く。腹へっても、体が衰弱しても、アレだけはやりたくなるのか?

134: 名無しさん 2001/07/18 14:33
>>131 
>外国の、家もない食事もまともに食べられないような難民にも乳飲み子がいるのに驚く。 

強姦、売春もあり得るかと。女性の地位も著しく低いだろうし。

140: 名無しさん 2001/07/18 17:20
>外国の、家もない食事もまともに食べられないような難民にも乳飲み子がいるのに驚く。 
人間の3大欲求ですから。 

食欲、性欲、排泄。

142: 名無しさん 2001/07/18 20:13
>>140 
排泄じゃなくて睡眠じゃねーの?

144: 140 2001/07/18 21:43
>>142
ごめん、そうだった。まちがい。