グローブ

1: 名無しさん 01/11/27 08:37 
江川が巨人に入団し、はじめての甲子園での試合前。

江川は阪神ファンが怖くて、外野でのランニングが出来ないでいた。チームにもまだ溶け込んでなく、一人で困っていた。

その時、長嶋監督が「おい江川、一緒に走ろう!」と声をかけ、外野スタンドと江川の間に入り、盾になりながら一緒に走った。

江川は泣きながら走ったそうだ。


71: .名無しさん 01/12/09 07:58
>>1
いい話だね。

2: 1 01/11/27 08:39
なんか言い話があったらお願いします。
実話で。

4: 1 01/11/27 09:06
笑える話とかでもいいです。
お願いします。

7: 1 01/11/27 14:14
なんかあるでしょ、1つや2つ。思い出してください。
お願いします。

9: 1 01/11/28 02:15
ネタでもいいから・・・ 。
お願いします。

13: 名無しさん 01/11/29 12:38 
>>9
ネタでもイイのかよ!

14: 1 01/11/29 12:41 
>>13
いいんです。
笑えるやつか泣けるやつ考えてください。

15: 名無しさん 01/11/29 12:44
真面目にいくならアルトマンネタなんてどーだ?

シリーズで、飯塚(やったっけ?)とぶつかった際に、ボールそっちのけで介抱してやってた。

あまり具体的でなくてすまん。

16: 1 01/11/29 12:48 
>>15
おぉ、いい話だ。

んじゃ星野監督ネタ。星野監督は、選手どころか裏方さんの奥さんにまで、誕生日には自筆のバースデーカードを送ってたそうだ。

20:名無しさん  01/12/01 22:38 
元マリナーズ ハビエアの森

マリナーズでの、いぶし銀の活躍で、日本のファンにもおなじみの、スタン・ハビエア。ポストシーズンでの活躍を見るにつけ、今季限りでの引退はチームメイトのみならず、多くのマリナーズファンも残念がっていることでしょう。

そんなハビエアが、故郷のドミニカで森林作りを始めています。2万エーカーの土地に700万本の木を植える計画で、2人の共同出資者とともに3300万ドル(約40億円)を投資するという壮大なものです。

実はこの事業で、1人あたりの国民総生産が日本の200分の1以下という祖国に、約500人分の仕事を創出できると見られているのです。

「この数年、調査を積み重ねてきた。この国は政情も安定しているし、成長するチャンスがある」と、すでに島の北部に土地を購入、家具などに使われる高級木材のマホガニーを植林し、将来的には重要な輸出品にしたいとハビエアは考えています。

ハビエアはメジャーに17年間在籍、父のジュリアン・ハビエアとともに親子メジャーリーガーとして知られています。決して派手な選手ではありませんでしたが、試合の中で貴重な働きを演じ、人間的にも人柄に優れ、チームの中では人気者でした。

「植林事業は長い時間と辛抱が必要だ」と語るハビエア、地味ながらも堅実に自分の役割を果たしてきた彼のプレースタイルに通じるものがあります。

「ちょっと気が早いけれど、森が高さ5~6メートルになったら、かつての同僚を招きたいね」とハビエア。私たちも「ハビエアの森」を応援したいものですね。

22: 名無しさん 01/12/01 22:46
40億・・・絶句するな。

21:  名無しさん01/12/01 22:43 
幸せな親子 レインズファミリー

ボルティモア・オリオールズのティム・レインズと、その息子ジュニア。

10月2日、ジュニアは対ブルージェイズ戦でメジャー初安打! 翌3日、オリオールズはエキスポスから父のティム・レインズ・シニアを獲得し、ここに2組目の現役親子選手が誕生しました。

父は80年代エキスポスの中心選手として、90年代に入ってからは指名打者として活躍。一時皮膚病が悪化し戦列を離れ、現役引退もほのめかしていました。

しかしシドニー五輪のアメリカ代表に入るのではという噂から再び脚光を浴び、息子とのプレイを夢見て古巣のエキスポスとマイナー契約を結んで現役に復帰しました。

父は早速この日にオリオールズに合流、いきなり対ブルージェイズ戦に親子揃って出場を果たし、1打点をマークしました。ジュニアも2安打、3得点と大活躍しました。

父は「こんなことが実現するなんて、夢にも思わなかった」と感慨深い表情・・・しかし父も素晴らしいし、マイナー契約を結んだエクスポス、息子との揃い踏みを行ったオリオールズ、父に負けないとヒットを打った息子。

メジャーの世界は確かに勝負も厳しいですが、このように夢を実現するのもメジャーなんですね。

23: 名無しさん 01/12/01 22:48
ベースボールプレイヤーの妻

日本の場合、かつては野球選手の妻と言えばスッチーが多かったのですが、最近では古田(ヤクルト)=中井美穂(元フジ)、元木(巨人)=大神いずみ(元日テレ)、石井(ヤクルト)=木佐彩子(元フジ)、金子(日本ハム)=白木清か(元テレ朝)など女子アナが多く、また芸能界でも緒方(広島)=中条かな子、石井浩(ロッテ)=岡村孝子など。

じゃぁメジャーはどうなのかというと、イチロー(マリナーズ)=福島弓子(元TBS)。 これはともかく、古くはディマジオがマリリン・モンローと結婚したのは有名です、でも幸せにはならなかった・・・。
 
最近では、日本でエピソードになった元阪神のトニー・タラスコ(メッツ・マイナー)の奥さんは、マライア・キャリーの元バックヴォーカル。

しかし最近は芸能界はあまり接触がないようで、むしろスポーツ選手と知り合うのが多く、トッド・ジール(ニューヨーク・メッツ)の奥さんは1984年のロサンゼルス・オリンピック女子体操・段違い平行棒で金メダルを獲得したジュリアン・マクナマラさん。

出会いはキャンパスであるUCLA。ちなみに最初2週間は、お互い見つめ合うだけで、声もかけれなかったそうな。そして見かねた友達が引き寄せたら、あらら相思相愛だったそうです。 アメリカでもこんな純愛物語があるんですね。

他にも、エド・スプレイグ(シアトル・マリナーズ)の奥さんは1992年バルセロナ・オリンピックシンクロナイズド・スイミングの金メダリスト、クリステン・パブさん。

こちらも出会いはスタンフォード大学で知り合ったそうです。

24: 名無しさん 01/12/01 23:06
アナウンサー泣かせの名前

「Bob Owchinko」 
1976~79年までパドレスに在籍し、その後クリーブランド→オークランド→ピッツバーグ→シンシナティ→モントリオールと86年までプレーした選手で、通算37勝60敗の投手です。 

1986年、モントリオールの試合がNHKで放送されたのですが、アナウンサーの西田さん「え~ピッチャーの・・・ごらんの投手ですが・・・」・・・かなり困ってたみたいですね。

「Phil Mankowski」
1976年から1979年までデトロイト、1980年から82年までニューヨークメッツに在籍した内野手です。なんと上のOwchinkoと同じ時期です。

この二人の対決が今年日本で放送されたら、NHKではどんな選手紹介をしたんでしょう。

「さ、1塁にPhil Mankowskiがランナーにいます、ピッチャーBob Owchinko、さかんに牽制球を投げています」

「おっ!牽制に引っかかった・・Mankowskiはさまれた、はさまれた・・・OwchinkoがMankowskiを追いかけるぅ!Owchinko、Mankowskiに触ったぁ!アウトッ!OwchinkoがMankowskiを刺しました!」 なんてね。

ちなみに当時の一部メジャヲタは、二人が日米野球で来ないかなぁ、と思っていたそうです。

26:名無しさん 01/12/04 01:23
他には?

27:名無しさん  01/12/04 08:45 
宗教観

今年の9月26日、ある一つの連続記録が途切れました。

ロサンゼルス・ドジャースのショーン・グリーンは、敬虔なユダヤ教なのですが、この日の前日まで、現役最長の415試合連続出場を行っていました。ところが、9月26日はユダヤ教の贖罪の日にあたるため、ジャイアンツ戦を欠場しました。

記録よりも宗教、この当たりで日本人とは感覚が異なる所があるかも知れません。

28:  名無しさん01/12/04 08:55 
スタバと佐々木

シアトルが発祥のスターバックス・コーヒーとマリナーズの佐々木主浩投手は、2000年に引き続き、2001年も日米の若者の夢やチャレンジを支援するSTARBUCKS COFFEE JAPAN-SASAKI 22.「CHALLENGE PROGRAM 2001」 を、今年4月米国メジャーリーグ公式戦開幕時より実施しました。

アメリカ・シアトルにあるシーフェア(SEAFAIR)委員会と神戸市の協力を得て、スターバックスは、シアトル マリナーズの佐々木選手を応援すると共に、スターバックス・コーヒー発祥の地であるシアトルとその姉妹都市・神戸市の若者たちとの交流を継続して支援しています。

2年目になる今年は、神戸市の日本人高校生をシアトルに派遣し、異文化体験をする相互機会の提供を目指していくことになっています。

「CHALLENGE PROGRAM 2001」は、佐々木選手の今シーズンの公式戦セーブ記録に対し、スターバックス・コーヒー・ジャパンが規定の金額を積み上げ、シーズン終了後に、その総額をシアトルにあるシーフェア委員会と神戸市が実施する姉妹都市交流プログラム「シーフェア・アンバサダーズ」に寄贈するというものです。

支援金の算出は、佐々木選手のセーブポイント「1」に対し100,000円。今シーズン、佐々木選手はセーブ「45」を記録しましたので、総額4,500,000円が寄贈されることになります。

30:名無しさん  01/12/04 09:27
障害を持ちながら活躍した主なメジャーリーガー

「ジム・アボット(Jim Abbott )投手」 

彼は、生まれながらにして右手がありませんでしたが、右腕に抱えたグラブを投球後に素早く左手にはめるという技術を拾得し、1988年のオリンピックチームからメジャー入りしました。

メジャーでは、カリフォルニア・エンゼルズ (現アナハイム)、シカゴ・ホワイトソックス、ニューヨーク・ヤンキース に在籍し、通算80勝(100敗)という立派な成績を残しました。


いったん現役を退いたものの、1998年途中から ホワイトソックス でカムバックし、5勝0敗の成績を残しました。1993年にはクリーブランド・インディアンス戦でノーヒットノーランを達成しています。


「カーティス・プライド(Curtis Pride )外野手」 

彼は、ボールがバットに当たった音も、観衆の声援も聴くことができません。生まれながらにして、ほとんど耳が不自由だったからです。彼は、メジャーで4シーズン在籍しました。

彼は1948年以来、メジャー至上9人目の耳に障害を持った選手です。
耳に障害のある選手も意外と多いんですね。

「ブレット・バトラー(Brett Butler )外野手」 

7ヶ月もの間、痛くて首を回せない状態が続いて、ドジャースが彼を診察させた結果、扁桃腺ガンであることがわかりました。

プラム大まで大きくなった腫瘍を首から取り除き、6週間の間、毎週5回も放射線治療を受け続け、ついに、1996年9月に
ドジャースに復帰しました。

しかし、4日後に手を負傷し96年シーズンを終え、翌97年、105試合で打率.283という成績で引退しました。

31: 名無しさん 01/12/04 09:35
同じに日に1250km離れた二つの球場でヒットを打ったバッター

事前に何も連絡なく、突然のトレード通告というのは、メジャーリーグではよくある話のようです。

1982年8月4日、ニューヨーク・メッツのジョエル・ヤングブロッド(Joel Youngblood)は、シカゴリグレーフィールドでのデーゲームカブス戦の3回表、2打点タイムリーヒットを放ち、チームの勝利に貢献しました。

試合終了直後、なんとヤングブロッドに待ち受けていたのは、モントリオール・エクスポズへのトレード通告でした。ヤングブロッドは、すぐに飛行機にとび乗り、エクスポズのナイトゲームがあるフィラデルフィアへ向かいました。

球場に到着したのは、3回の攻撃に入るときでした。途中からの試合に間に合ったわけです。エクスポズの ジム・ファニング監督は、たった今到着したばかりのヤングブロッドを代打に出し、ヤングブロッドはその期待にこたえ、見事ヒットを放ちました。

シカゴとフィラデルフィアの距離は、なんと1258km。これは、同じ日に同じ選手が異なる球場でヒットを放った最長移動距離の記録なのではないでしょうか。

36: 名無しさん 01/12/05 09:13 
>>31
これって良いのか?

間違ったら1試合多く出ちゃうぞ。

32: 名無しさん 01/12/04 09:40
某夕刊紙に書いてあったが、桑田は清原がドラフト前、休み時間に友達と「巨人くじ引いてくれたらいいんやけどなぁ」って話している姿を見て、「ふっ、巨人は僕を指名するのになぁ」と薄ら笑いを浮かべていたそうだ。

まぁネタだと思うが・・・。

69: 中牧昭二 01/12/09 01:32

34: 名無しさん  01/12/05 09:00
シカゴ・カブスの名ブロードキャスターとして、丸い顔に大きな眼鏡に、それにしわがれた声が有名なハリー・ケリー(Harry Caray)。

1976年当時は、ホワイトソックスのブロードキャスターでした。ハリーは毎試合、放送室で「Take me out to the ballgam」を歌っていました。 

ある時、ホワイトソックスのオーナー、 ビル・ベック(Bill Veeck)が、放送室に内緒でマイクをセットし、ハリーがオルガン奏者ナンシー・ファウスト(Nancy Faust)に合わせて大声で歌を歌っているところを球場に流しました。

ファンたちは、彼がたいそうなしわがれ声で歌っていることを知りましたが、彼と一緒に歌いたいと思いました。

ここから毎試合、「Take me out to the ballgame」を歌うようになり、彼のトレードマークとなった Seventh-ining sing-along(Seventh-ining Stretch) が始まったのです。

ハリーは、半世紀以上にわたりメジャーリーグベースボールのブロードキャスターを勤め、多くの家族連れや女性の足をボールパークに向けさせた功績が認められ、野球の殿堂 (The Baseball Hall of Fame)入りを果たしています。

1989年、ハリーが、野球の殿堂入りを果たし、殿堂入りのスピーチの間、彼のファンたちは、自然に 「Take Me Out to the Ballgame」を歌い始めました。本当に多くのベースボールファンに愛されている証拠だったのです。

また、彼の子供と孫もブロードキャスターを勤めており、史上初の3世代に渡ってメジャーリーグのブロードキャスターという輝かしい記録を作っています。

35: 名無しさん 01/12/05 09:03 
やっぱメジャーはプレーだけでなく、いい話もスケールがでかいね。

1994年、ハリー・ケリーのセブンス・イニング・ストレッチ(Seventh-ining Stretch)。彼は1998年に83歳で亡くなりました。


37: 名無しさん 01/12/06 09:28
マイナーリーグ

メジャーリーグの下部組織、マイナーリーグといえば日本ではなじみが余りないが、その観客数はうなぎのぼりである。1970年に約1100万人だったの観客数は、2000年には約3800万人に、今年は4000万人をオーバーしてしまった。

そのファンの関心度が高いのは、各地の地元紙が、わがマイナーチームの成績を詳細に載せていることでもわかる。

マイナーリーグのファンは言う。
 
「ベースボールは、バスケットボールやフットボールと違って、昔とルールが変わっていないから、マイナーの選手でも、その成績をタイ・カッブやベーブ・ルースと比べることができる。将来、有望な選手をいち早く見つけるのも楽しみなんだ。それにマイナーのグラウンドは、娯楽のない小さな町で、みんなの憩いの場にもなっている」

そんなマイナーリーグに、一つのチームが誕生した。 今年6月、ニューヨーク・ブルックリンに生まれた、1Aの「ブルックリン・サイクロンズ」である。 

メジャーリーグファンならお気づきだろう。ブルックリンと言えば、ロサンゼルス・ドジャースの元本拠地。そこに1Aとはいえ、44年ぶりにプロのベースボールチームが戻ってきたのだ。

ニューヨークのジュリアーニ市長は、「ニューヨークにとってどんなに意味のあることか」大歓迎。ベースボールがブルックリンに、新しい息吹を吹き込むことができるというのだ。

ブルックリンのファンが押しかけ、今シーズンは全試合満員札止め。フランチャイズ制をバックに、いかにベースボールという国技が人々の間に根付いているか、わかるエピソードである。

38: 名無しさん 01/12/06 09:44
キャンプ一番乗りのマダックス

アトランタ・ブレーブスのエースで、現在のメジャーリーグを代表する投手のひとり、グレッグ・マダックス。

彼に、たとえば「満塁になった時でも、あなたはいつも落ち着いて見えますね。ピンチになった時、どんな気持ちになりますか?」と尋ねると、こう言う。

「それは仕方ないことだ。そうした自分が悪い。なんとかしようとするのは無理なんだ。だから、ド真ん中に放るしかないんだ」

………こんなことサラッと言ってのけちゃう。で、さらに突っ込んで話を聞くと、彼はもっと深いことを心掛けていることがわかる。

「普段から、これ以上ゆっくり出来ないぐらいのスピードで生活するようにしている」

つまり、“いつも、人間が失敗するのは、慌てている時だ”ということ。だから、常にゆっくりすることで、慌てない訓練をしているということ。

ブレーブスのスプリング・トレーニングで、球場に一番最初に来るのはマダックス。朝10時開始の練習なのに、朝の7時30分にはクラブハウスに来てる。まず温水プールにつかってリラックス、ゆっくりとストレッチをする……。
 
何でそんなに時間をかけて準備するのか?

「ゆっくりするには、早く行かないと出来ないから」

単純明快!単純なんだけど、そういうところに彼の強さのヒントがあるんだろう。天才と言われるけれど、実は心に潜む、その発想がおもしろいでしょう。

39: 名無しさん 01/12/06 15:10
バリー・ボンズの68号

今年、マクガイアのホームラン記録を塗り替えた、バリー・ボンズ。彼は、9月28日に68号を放ちましたが、それは彼にとって、71本目の新記録のホームランより価値があったものかもしれません。

彼は68号を打った後、ベンチで涙を流していました。

何故か。前日、彼の友人兼ボディガードが、手術中に不慮の死をとげてしまいました。 バリーは、その日はどうしても友人のためにホームランを打ちたかったそうです。

68本目のホームランを友人に捧げることができたバリーは、友人の死を悼んで涙を流し、そして彼のためにホームランを打てたことに達成感を感じていたのです。

マスコミにおもねることをいやがり、自分への評価はすべてグランドにある、という態度をとっており、基本的に聞かれたこと以外はよけいな話をしない、バリー。

そのため、マスコミの受けは良くないのですが、9月11日の惨事(アメリカ同時多発テロ)の後、ホームランを1本打つごとに1万ドルを被害に遭った人たちへの寄付にあてるなど、本当は心優しい奴なのです。

40: 名無しさん 01/12/06 16:39
最後の4割バッター

1941年のメジャーリーグ。ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムスがシーズン打率.406をマークした。彼は大リーグ入り3年目のこのシーズン、6月には打率は.436まで達していた。

しかし、オールスター後、打率は下降線をたどり、シーズン終了まで3試合を残し、.401。
監督のクローニンは4割を守るために休んではどうかと勧めた。しかし彼は監督の言葉にこう言い放つ。

「最後までプレーしなければ記録とは言えない」

残りの第1戦で打率は.3395まで落ちる。四捨五入すれば4割だが真の4割ではない。ウィリアムスは、最終のアスレチックスとのダブルヘッダーにすべてを賭けることになった。

後年、ウィリアムスはこう語っている。

「(最後のダブルヘッダーで)私が打席に立つと、アスレチックスのキャッチャー、フランキー・ヘイズがこう言った。『今日はウィリアムズに敬遠はするなとうちのマック監督のお達しだ』」

「私はよく打つからしょっちゅう敬遠されていたんだ。ヘイズは『だけど、そう簡単には打たせないぜ』と続けた」

「その後、審判のビル・マクガバンがセンターに背を向けて、ホームプレートを払いながらこう言った。
『4割を打つにはリラックスすることだね』。永久に忘れられない一言だ。」

ウィリアムズはダブルヘッダーを通じて8打数6安打と打ちまくり、打率.406でシーズンを終了した。

彼の後に4割バッターは現れていない。

41: 名無しさん 01/12/06 16:44 
>>40
ええ話や。

43: 名無しさん01/12/06 17:13
.3395じゃあ、どう頑張っても4割にはならないと思われ。