炎上して沈没した加山雄三さんの船「光進丸」が引き揚げられ、火災の原因の調査へ。加山雄三さんはこの「光進丸」を改修し、再び進水させるのだろうか…(´・ω・`)…?

かつて、「紫雲丸(しうんまる)」という本州~四国連絡船がありました。「紫雲丸」は衝突事故を起こして沈没し、乗組員7名が死亡しました。その後「紫雲丸」は引き揚げられ、連絡船に復帰しました。

「紫雲丸」はその後3度の衝突事故を起こし、5度目の衝突事故では修学旅行中の小学生を中心に168名の死者を出し、沈没しました。1955年5月11日のことです。「死運丸」と揶揄されました。昭和天皇は大変御心を痛め、事故の犠牲者及び被災者へ向けて金一封を下賜しました。

その後また「紫雲丸」は引き揚げられ、「瀬戸丸」と改称されて復帰しました。「瀬戸丸」はまた衝突事故を起こしました。「瀬戸丸」は沈没せず、相手の船が沈没しました。

一連の事故は、瀬戸大橋が建設されるきっかけとなりました。(wiki:紫雲丸事故)