【その4】
貧乏

262: 名無しさん 2001/07/23 16:41
あの時の彼女に謝りたい。 

オヤジはドカタで飲んだくれ、アパートにも帰ってこない。母親は姉貴を連れて、愛想尽かして出ていった。給食費も教材費もくれなかったから、近くの寺に行って賽銭盗んで都合したな。 

遠足行っても弁当無くて、オレの事を好きだって女の子がパンをくれた。でも意地張って「いらねぇよ!」って、はたいて立ち去った。残された、泣いていた彼女と転がったパン。

オレは最低なクズだ。 許してくれ。

264: 名無しさん 2001/07/23 17:11
>>262 
きっと彼女はニッコリ笑って許してくれるよ。

259: 名無しさん 2001/07/23 16:11
私の貧乏体験は、子沢山(4人兄弟)で育ち、それから社宅から一戸建て(田舎)に引っ越せたんですが、その頃もつつましい生活でした。おかずは、もらった野菜や一匹の魚を、家族全員でつついて食べてました。 

サラリーマンの父が商売をしている人の保証人になって、その人が倒産、家を借金のかたに取られたのが中1の頃。毎日のように借金取りが来て、ドアをどんどん叩いて、子供たちは押入れに隠れるように言われてすごく怖かったです。

父は荒れて子供を殴るし、酒に溺れるし・・・ 移った社宅(団地)で料金滞納で電気が切られて、ろうそくの火でご飯を食べた思い出があります。 

そして何とか高校までは出してもらいましたが、その後は単身上京、新聞奨学生をして短大を卒業、何とか就職して結婚、普通の生活をしています。 

いやー、ほんと貧乏の子沢山は最悪でした。今、うちの子は一人っ子。私が病気で生めないからなんですが、子沢山=貧乏と思うとね・・・もういいかって感じ。 

子供の頃、新しい洋服を買ってもらった思い出ってない。いつも、どこかかからの妙なお下がり。今はいいですよね、ユニクロもあるし・・・
 
ほんと、昔は貧乏だったなあ。

261: 名無しさん 2001/07/23 16:39
家がぼろい市住で、みんなに「妖怪人間べム」の替え歌で、「人に隠れて住む♪俺たちゃ市住人間なのさ♪パパラッパパパパ♪ 人に家を見せられぬ、あばらのようなこの家を♪早く普通の家に住みたい!」 と歌われ、泣いて帰った。

つらかったけど、ほんとにひどい市住だった。

263: 名無しさん 2001/07/23 17:08
家は古いアパートで風呂無し、トイレは共同、もちろん呼出電話。味噌に砂糖を混ぜたのだけがご飯のおかずだったり、たまに出るもやしと豚肉の炒め物がご馳走だったなー。

靴下や下着も満足に買ってもらえなかった子供の頃を思うと、決してお金持ちではないけど、本当に今は幸せ。 

それにしても、ろくでもない父親を持った子供は悲惨です。

265: 名無しさん 2001/07/23 21:24
ここ数日のスレは、ホンとに泣けてくるね。 
みんなグレずに真面目に生きてきたよな。みんなで誉めてあげたいよ。 

267: 名無しさん 2001/07/23 22:00
35になった今でも、クリスマスの音楽聴くと、町中のショーウィンドウを叩き割りたくなってしまう。イイ服着て、両手におもちゃ(多分)持って嬉しそうにしてるガキを見ると、首締めたくなる。 

ある程度稼げるようになって、パソコンや楽器を、これでもかこれでもかと言わんばかりに買いまくった。買い物から帰って、梱包を解く顔は、ものすごく凶悪な顔をしている。買っても買っても満たされない。 

でも、そろそろそんな呪縛から「抜けて」きたかも。

268: 名無しさん 2001/07/23 22:24
>>267 
私は、ある程度稼げるようになっても、お金を派手につかえません。ガッチリ、貯金派です。

突然、まとまったお金が必要になる時の為にいつも備えていないと、眠れないほど心配です。これもトラウマってやつでしょうか?

269: 名無しさん 2001/07/23 23:20
>>268 
お気持ち非常にわかります。

私もある程度稼いでいますが、競馬やパチンコなんてとんでも無いという感じで、遊びに金使うなんて極道者のすることという考え方です。生活費の他には趣味で歴史の本を買うくらい、このPCも4年使ってます。車も6年目。10年は乗るつもりです。 

私は年収の40パーセント貯蓄していますが、>>268さんはどれくらい貯金されますか?

270: 268 2001/07/23 23:41
>>269 
「何パーセント」というのは、とっさに計算できかねますが(笑)、40パーセントよりも多いかもしれません。車は10年目、もうすぐ10万キロ達成ですが、次の車検までは、買い替えないつもりです。

ちなみに衣類も、「明日着ていくものが足りない!」状態まで切羽詰らないと、買いません。

271: 名無しさん 2001/07/23 23:51
このスレに出てくる人に比べれば、僕はまだましな方かもしれない。僕の家も貧乏だったけど、食うに困るほどではなかったから。 

僕の家も父親が問題だった。会社を転々とし、働いたり働かなかったり。世間並みに言えば、所帯を持つ資格のない男なのだろう。母が働いてなんとか生活できた。離婚も何度か考えたらしい。

大人になってから、どうして、母は父のような男と結婚したのか呆れたこともあり、怒りに似た感情を持ったこともあった。 

子供の頃は、他の家もそんなに豊かではなかったから、自分が特別貧乏だと感じたことはなかったけど、自分の家が貧しいと知ったのは大学受験の時。母に、金がないから、奨学金をもらって現役で国立に行ってくれと、強く要請された。浪人してでも行きたい大学があったが、泣く泣く諦めた。 

大学を卒業後、僕は、しがないサラリーマンになった。給料は話にならないほど安い。甲斐性がないから、40をすぎても独身。いまさら、結婚する気もない。結婚しても、かつての僕のような不幸な人間を作るだけだから。 

定職について人並みには暮らしてるけど、自分にはどこか屈折した部分があるような気がする。

274: 名無しさん 2001/07/24 02:52
水道止められるぐらい貧乏だったけど、オフクロが向日葵のように明るい女だったから、家族全員貧乏なのもネタにして、いつも大声で笑ってて楽しかった。 

寝る前に湿ったひとつの布団の中で、オフクロや兄貴たちと、必ずお金持ちしりとりってのをやるんだよー。

俺はガキだったから食い物ばっかりになるんだけど、オフクロはキツネの襟巻きとか、兄貴たちはテニスのラケットとか、俺の知らないものばかり言うんで、いつも負けていんちきだって怒ったよ。

275: 名無しさん 2001/07/24 03:35
>>274 
泣ける…。

278: 名無しさん 2001/07/24 07:05
小学校の時、親が離婚した。幽霊の居そうな借家に引っ越した。風呂は焚き火みたいなことして湯を沸かす風呂だった。大切なコロコロコミックは全て燃やされた。 

今でも残るものは、恐怖と不安とひやかし声だけだ・・・・。

279: 名無しさん 2001/07/24 07:21
アル中の父親。「行政書士」を騙って詐欺まがい。金だけとられて騙された相手から、毎日苦情と抗議の電話や訪問。騙し取った金は生活費には還元されず、すべてギャンブルにつぎこまれてた。 

母親のパートだけでは苦しく、滞納した公共料金のために、電気ガス水道電話はしょっちゅう止まってた。私の給食費もはらえない。 

まもなく父親はサラ金に手を出し、返済額は膨らむ一方。昭和50年代、規制法のできる前、取りたては非道。深夜の訪問はあたり前。
 
差し押さえも何度もされたし、小さな借家に貼り巡らされた「金返せドロボー」のサラ金督促の張り紙を、小学生だった私は泣きながらはがした。ようやく母が別居を決めたのは、私が高卒で就職した13年前。それ以来、父親には会ってない。
 
3年前、私の転居先を住民票からつきとめたあるサラ金会社から、今も逃げてる父親にかわって返済するように督促の電話がきたけど、断固拒否した。
 
冷たいようだけれど、財産放棄できる日がくるを心待ちにしている。

280: 名無しさん 2001/07/24 08:20
勉強が出来ておばあちゃんっ子の同級生(S)の家の近くの空き地で野球をした時のこと。 

自転車なんて家になかったから、友達と二人乗りで空き地に向った。Sはわがままだったけど、いろんな物を持っていたから人気があった。野球の最中ふとしたことでSと口論になり、胸倉を掴んだ。 

「おまえのと違ってこの服は高いんだ。破れたら弁償できるのか?」 

同じチームメイトまでその言葉に大喜びで笑っていた。そのころ凄く仲良く遊んでいた友達まで笑っていたのが印象的だった。 

「おまえらとは二度と遊ばねぇ!」 

俺の捨て台詞に「は~い!近寄らないで下さい」などの罵声。友達も嫌。自分も嫌。誰も近寄らないでほしかった。家にも帰りたくなかった。あんなことがきっかけで家出をしたとか言われるのも嫌だったので、結局家に帰った。 

あの頃は小学校のジャージしか着ていなかったし、天気が良くても長靴だった。

282: 名無しさん 2001/07/24 10:25
貧乏って心も荒ませるんでしょうねー。 

母親の内職の収入だけで生活してた小学校時代、情けない父親への鬱憤を、長女の私に全部向けていた母親。妹は心臓の病気、弟はやっとできた待望の男の子だったからね。 

食事抜きなんてしょっちゅう。給食だけで何日か過ごしてた。布団たたきが折れるまでたたかれて、あまりの痛さに息が出来なかったなー。母親に顔が鬼に見えましたね。それが日常茶飯事だったから、まさに幼児虐待!! 今思えば、あ~、死ななくて良かったー 。

そんな母も8人の孫ができて、メロメロ大甘のばあちゃんに変身してます。

283: 名無しさん 2001/07/24 13:08
30年代、オヤジは「彼と事業起こせば絶対に儲かる!」と言って、誰からから見ても胡散臭い友人と共同事業を起こし、そして騙されて逃げられる。 

何度も騙されるのに、「俺はあいつを信じてる」とか「裏切らない」とか言って友人を信じて疑わないオヤジに、お袋はどんなに苦労させられたろう。
 
銀行に毎月7.000円の代理返済。月給2~3万円の時代にこの金額は大きかった。昼はスーパーのレジ係、夜は飲み屋の給仕。家に帰ってくるのが夜の11時。お袋が嫁入りに持ってきた着物、全部質草に流れてしまったらしい。
 
今でも死んだオヤジを思いながらオレに語ってるよ。

285: 名無しさん 2001/07/25 03:46
みんな親が反面教師になってるんですね。 

自分の子供には同じ事(気持ち)味あわせたくは無いですよね。

288: 名無しさん 2001/07/25 22:08
「若い時の苦労は買ってでもしろ」って言うじゃない? 俺は「若い時の苦労は金払ってでも避けろ」って思う。 どうしても卑屈になっちゃうじゃない。 

学ぶ事も多いけ、ど失う物も大きいよね。

290: 名無しさん 2001/07/26 00:01
>>288 
苦労にも限度があると思うぞ。 

過剰な苦労は失うものばかり。

292: 名無しさん 2001/07/26 23:07
靴が兄貴のお下がりだったから、俺の手に渡った頃は1cmほど大きいが、捨てる前にはかかとに切り込みを入れて、無理矢理足を入れてた。 

そのせいか、今でも足が小さ目。

293: 名無しさん 2001/07/28 12:03
自分が幸せになることが、本当の親孝行。

294: 名無しさん 2001/07/28 23:21
貧乏育ちが幸せになるってのは、想像以上に大変。 

人間嫌いなので、仕事の懇親会とか立食パーティーとかホントうざい。

299: 名無しさん 2001/07/29 02:41
貧乏ではないけど、親が偏屈なので貧乏な想いをした私。
 
たいした収入があるわけではないのに、やたら自然食、健康食品に凝る母には、添加物マミレの現代のお菓子は与えてもらえず、単価の高い糞まずい自然菓子がごくまれに与えられるのみ。いつも友人に駄菓子を恵んでもらい、びくびくしていました。 

親父は道楽の造園、植木に入れ込み、余計な金を一切家族に持たせない。上の兄が交通事故で死んだ時の、相手の賠償金やら保険金も独り占め。妻の口座をしっかり管理し、少しでも覚えのない金の動きがあると、二言目には「おまえがとったのか?」と、子供だろうと妻だろうと盗人扱い。
 
こんな状況なので、下手な中流家庭よりよっぽど貧しかったと思う。 

私が就職してからも、自分はパソコンも使えないくせにノウノウと天下りして、前職よりよい給料をもらいつつ私に毎月の給料明細を要求し、ことあるごとに金を要求される生活。 

特別貧乏ではありませんが中途半端も考えものです。

300: 名無しさん 2001/07/29 05:17
>>299 
あんまり屈折するなよ。お父さん、役所勤めだったのか? あの世界は閉鎖したところだから大変みたいだ。学歴だの役職だの昇進だのと、そんなことばかりが大切らしい。 

ウチは貧乏で、肉なんて小学校に入る頃まで食事に出てこないような家だったけど、ストレートに貧乏(?)だったから親には感謝してる。高校卒業するくらいまではイヤで仕方なかったけど。 

しかし今は俺も、生活に困りさえしなければいいと考えているくらいで、あまり使わないけど、金にはほとんど執着がない。 

親父も「お前も困った奴だ。金は大事にしろよ」と言いながら、なんだか嬉しそうだ。

303: 299 2001/07/29 20:42
>>300 
私もあまりお金に執着はないほうだとおもいますが、学生時代はいつ親からの送金が気分次第で絶たれるのか心配で貯金に走り、学生にしては貯めこみすぎてしまいました。今は浪費の日々です。 

301: 名無しさん 2001/07/29 08:34
母親の育ちが複雑家庭だったらしく(母を連れて祖母子連れ再婚)、母はお金に関して亡者の如く貯め込む人だったから、幼い頃は悲しかったよ。 

両親の夫婦喧嘩もいつもお金の事で、父親は「何でおもちゃの1つも子供に買ってやらないんだ!」「だって、何時お金がいるか分らないでしょ、アナタは男だから」と、お金がある・無いでは無く、使う・使わないのケンカ。
 
私と妹は実際中学に上がるまで、誕生日やクリスマスなど一度も楽しい思い出が無い。父はプレゼントを買おうとする、母はそれを阻止しようと、夫婦喧嘩を始めるのが恒例の繰り返し。一度父が内緒で買って来た玩具を、本気で玩具店に返しに行った事もあります。
 
中学の時、両親が離婚して母親は泣くように「子供達は私について来るよね」と訴えましたが、姉妹ともに「私達はお父さんと暮らします」と言った。 

これ以上、目的も無いのにお金を使わない生活が姉妹とも出来なかった事を思い、トラウマになってます。多分、母親を見限った事にかも知れません。
 
今思えば、母親は「不安=お金が沢山あれば解消出来る」と思ってた悲しい人だったように感じます。

303: 299 2001/07/29 20:42
>>301 
本当に貧乏じゃないけど、事実上貧乏生活を強いられてトラウマになった人がいることを知り、少しほっとしました。

辛い体験をありがとう。

302: 名無しさん2001/07/29 09:54
私の通っていた中学校では、学年別でジャージの色が違うのですが、私と兄はちょうど3学年違うので、私が中学に上がる時は兄のお下がりをもらうことになりました。 

しかし、最初の体育の授業の時友達のジャージを見ると、ちょっと違うのです。すそのほうにファスナーがついていて、それをあげるとフレアーみたいになって、かっこいいやつでした。
 
私は家に帰ってそのことを話すと、わかったと母は言ってくれたので、買ってもらえるものだと思って喜んでいました。すると次の朝私が見たものは、すそに本がいっぱい詰まっているジャージでした。
 
これでみんなと同じようにフレアーになればいいかって思って学校に持っていったところ、なんと、縦に伸びてるのではなく、すそが横に伸びていました。 

母は間違って本を横に入れてしまったようです。

307: 名無しさん 2001/07/30 00:52
ああ、涙でモニターがよく見えないよ…最初の50くらい読んだだけで、胸が詰まる。 

貧乏だった人たちみな頑張りましょうね。

308: 名無しさん 2001/07/30 01:22
ひとつひとつが重過ぎで、ちょっとこれは一気に読めないよ…。

309: 名無しさん 2001/07/30 01:50
>>308 
ゆっくり味わって読みなはれ。貧乏の頭からつま先まで。心まで貧しくなる貧乏。 

父さん、明日はホームランだ。
312: 名無しさん 2001/07/30 22:42
うちは、中卒でコネで公務員(今は会社員)になった父親と高卒の母親です。
 
父親は学歴コンプレックスからか、母親の高校の卒業アルバムを見ては色々とからかっていました。こんな父親が情けなく嫌で仕方なかった。お見合いで、「公務員で安定してるから」で結婚したらしいです。
 
「離婚をしようと思った事ってある?」と前に聞いたら、「今まで真面目に仕事をして来たお父さんを一人には出来ない」と。「貴方達がいたからね」とも言ってたから、愛情じゃなくて同情だなー。 

ボロ屋で、友達を喜んで呼んだ記憶はありません。母親は、草むしり等はやるくせに、ボロ屋だったせいかインテリア等に凝る事もなく・・・ 汚いというかセンスのかけらも無い家でした。 

跡取が必要な家でもないのに、2人目が女だったという事で子供は3人。車も家族で押して勢いをつけないとエンジンの掛からないボロ軽自動車。靴下に穴が空いても繕って履いていた・・・本当に貧乏だったのだな。

こんな家が嫌で仕方なかった。公立高校を卒業して、ドキュン短大への進学を機に実家を離れました。親は選べないというけど本当だと思う。 

貧乏でも愛情タップリの家ってあるのかなー?毎日の生活に追われてて、それどころじゃないって感じの家が多そうなんだけど・・・お金が無いと生活の余裕ってありえないと思うんだけど。 

こんな私は、結婚にも出産にも憧れません。

313: 名無しさん 2001/07/31 00:33
>>312
愛はお金でかえないけれど、お金で愛は潤うとかなんとか…。

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