【その9】
貧乏

590: 名無しさん 01/09/03 00:49
小3の時給食費が払えず、親父に言うと「食べるな」と言うので配膳してもらわなかった。

先生が来て、「お金は良いから食べなさい」と言うので、仕方なく食べた。 

次の日からは配膳しないとうるさいので、机において手を付けなかった。

591: 名無しさん 01/09/03 01:00 
>>590 
おかしい!払わなくてもいい制度あるはず。今は年収○○○万以下とか話よく聞く。

592: 名無しさん 01/09/03 01:56
なんか泣けてきた。 

俺んちの貧乏なんて可愛いもんだな…。

581: 名無しさん 01/09/01 01:53
昔は放し飼いの犬なのか野犬なのかわかんないけど、よく犬がウロウロしてたような記憶がある。
 
怖かったん。

582: 名無しさん 01/09/01 02:00
昔、犬のポストがあり、捨てられた犬が腐って異臭!! 

勇気を出し、友達と覗いた…。

584: 名無しさん 01/09/01 02:25
親父の給料日に肉料理が出てきたが、その日以外は野菜や魚ばかりでした。

585: 名無しさん 01/09/01 03:09
子供の頃は、当時羽振りの良かった周りの叔父・叔母たちに「お前の家は貧しいからね」、その子供のいとこたちにも「かわいそうだね」とか言われ続けた。今やそいつらは取引先の社長の借金の保証人になってしまって、自己破産寸前。
 
その頃のことがいまだに忘れられず、夫のことも紹介してないし、今は関わりあいたくないと思ってます。向こうはかわいげのない姪だと思っていることでしょう。

586: 名無しさん 01/09/01 03:56
小学校低学年の頃はとても貧しかったようだ。 

夏休み数人の同級生と公園で遊んでいたが、ひとりがアイスキャンディーを買ってきたのでみんなも買いに。お金を持って遊びに来てることに驚いた私は当然見てるだけ。別の同級生が他のお菓子を買ってきた。又みんなも買いに走る。

その時、ひとりの同級生が「これ、おまえにやる!」と食べかけのアイスキャンディーを私に。その夏、初めて手にするアイスキャンディーに飛び上がるほどうれしくなり、「母ちゃんにも食べさせたい」と思い、溶けないようにダッシュで帰宅。

喜ぶ母親の顔を思い浮かべていたが、アイスを取り上げ窓から思いっきり放り投げ激怒。「どーして放り投げるんだよーせっかく貰えたのに!」ふと見ると母親の目に光るものが。 

物心つくまで理解できなかったが、今でも息子がアイスキャンディーを食べているのを見ると思い出してしまう。

593: 名無しさん 01/09/03 04:04
貧乏過ぎて心が病んでしまう人もいるが、今、この国の人間は豊か過ぎて心が病んでしまっている人が多いような気がするな。「ありがたみ」が分からない。
 
何を「買って」も「して」も「当たり前」だからな

594: 名無しさん 01/09/03 07:25 
最近の小さい子達は、「あれ買って~(ください)」じゃなく「あれが買いたい~(から買え)」とおねだりしてるのが非常に気になります。お願いじゃなく、親に命令してるみたいで。 

買ってもらうのがあたりまえだから、ありがたみないだろうな…。

595:  名無しさん 01/09/03 16:40
オレ貧乏だったから、コロッケ1個でメシ5杯は食えるよ(当時1個15円)。 

1杯目=コロッケの衣のカスをご飯にまぶして食う。 
2、3三杯目=表裏の皮をめくって食う。 
4、5杯目=中身のポテトとご飯を混ぜて食う。 

ご飯食いは貧乏人なんだって、近所の心無い同級生に言われた。

596: 名無しさん 01/09/03 21:37
俺、生卵1個でご飯3杯たべれるぞ。

597: 名無しさん 01/09/03 22:29
おっ、俺なんか魚沼産のコシヒカリがあればお茶だけで3杯食えるぞ。

598: 名無しさん 01/09/03 23:10
>>597 
それはゼイタクってもんでしょうが!!

600: 名無しさん 01/09/03 23:33
むかしむかしのイヤな事を思い出した。 

小学校高学年の時、急性肝臓炎で数ヶ月小児病棟に入院した。朝食の配膳の時、配膳カートに子供たちひとりひとりが取りに行くんだけど、俺の食事だけ無かったんだ。 

その時の看護婦の今でも名前覚えてるけど 湯上さんて看護婦さんが、俺に「あれ~ないわね・・食事代払ってないんじゃないの・・?」って言われ、子供心になんというのか、凄いショックというか傷ついた。 

その時、初めて俺ん家の家計はどうなんだろ・・?って思った。結局食事はあったのだか、なんとも言えず、入院ってお金がたくさん必要なんだって思った。 

すみません スレからはずれてるけど・・でも、今から思えば子供の心って敏感ですね。

603: 名無しさん 01/09/04 14:48
大して豊かでもないのに、親の見栄で小・中と私立行かされてて、やっぱり周りの友達とかより、持ち物や弁当が数段劣ってるのが子供ながらに分かって嫌だった。 

一番嫌だったのは、友達の誕生会に呼ばれること。着て行く服も母親のお下がりだし、プレゼントが買えない。
 
あの頃、欲しいものは全部我慢の対象だったから、年頃になったらまっさきに風俗やって稼ぎまくりました。ブランド物も美味しい物も海外旅行も堪能できて、仕事は嫌だったけど、幸せでした。初めて心から欲望を満たせたって感じで。 

今は贅沢も無事卒業できて、ホントにフツーの暮らしをしてます。千円のランチは、ちょっと贅沢かなって思える暮らしです。

605: 名無しさん 01/09/04 17:21
親が商売やってると、儲けの有る無いが食卓で判るの嫌だったなぁ。

サラリーマンの子のボーナスで買ってもらうおもちゃも羨ましかったし。 

606: 名無しさん 01/09/04 17:25 
つらいのは貧乏からくる夫婦仲の悪さ。 

いつも子供としてはビクビクせなならんかったよ。

609: 名無しさん 01/09/04 20:56 
>>606 
激しく同意。いっつもケンカしてた。

619: 名無しさん 01/09/05 20:01
ま、とにかく夫婦喧嘩が酷かった。 

子供が止めてくれって泣いているのに「うるさい!」だもんな。中3で皆が受験で目一杯の時、俺の家じゃ夫婦喧嘩のピークが重なったよ。勉強なんか手につかなかったよ。 

ライターや灰皿が長男の俺にぶち当たるのはイイとして、弟のおでこに割れた茶わんの破片が刺さっているのに、まだ喧嘩を続けるんだもんな(お父ちゃんが食卓ひっくり返すもんで)。
 
恥ずかしいやら情けないやら、相談相手いないし途方に暮れてたよ。夫婦喧嘩は醜いよ。

そのお父ちゃんと対決する時が来てしもうて・・・見栄っ張りでウチをメチャメチャにした張本人の傍若無人ぶりに、俺は初めて真正面に文句をたれてしもうたよ。 

「お父ちゃんはまるでヤクザじゃ!」 
「なんじゃとー?」(おれを殴る) 
「ヤクザじゃ!」 
「出て行け!」 

俺は勤め先のトラックを無断で借用して、荷物まとめて出ていってしもうた。そん時22歳だったかな。写真も全部捨ててしもうた。

それから転落人生歩いてます。 

621: 名無しさん 01/09/05 21:25
金があれば夫婦喧嘩も少ないと思われ。

607: 名無しさん 01/09/04 19:12 
今日の晩ご飯は鰻だよーと母に言われ、鰻っておいしいねぇと家族みんなで食べた。大人になって、あれはアナゴだったと気づいた。
 
あと、メロンは種の所を食べる物だと親に教えられていたが、そんなことは無いと最近気づいた。

612: 名無しさん 01/09/05 00:17
>>607
子供の頃、「プリンやで~」って豆腐を口に入れられてたのを思いだした。

613: 名無しさん 01/09/05 00:52
「ライスおかわり自由」に興奮する。

616: 名無し 01/09/05 03:02
>>613 
確かに…「タダ!」「おまけ付!」とかの言葉に弱いかも…。 

ラブホとかも、時間ギリギリまで居たいもんな~(嫌な客?)。

608: 名無しさん 01/09/04 20:20
メンチカツが肉で出来てる事を知ったのは、大学生になってからでした。 

それまで、メンチカツだと思って(思わされて)食べていたものは、ひき肉がちょっと入っているただのコロッケでした・・・。

610: 名無しさん 01/09/05 00:01
超おんぼろの家に住んでいた。

むやみに可愛かっただけに、中高生の頃は同級生にや先輩達につけられる事がよくあって、「どうせなら、この家に似合う、目立たないブスになりたい!」と、心底願った。お風呂やさんへ行く途中に、友達とばったり会っちゃったりすると、すごーく恥かしかったなー。

今は美貌が幸いしていいとこの奥様におさまったけど、主人には、中高生の頃住んでいた家の話はしたことがない。

611: 名無しさん 01/09/05 00:05 
>>610 
自分で美貌って…マジネタっすか?

618: 名無しさん 01/09/05 19:35
おやつでそいつの家のグレードが分かった。 

紅茶一つとっても「お皿付き」で出された時にゃ焦ったよ。ウチのお母ちゃんじゃありえない細かい気づかいだったから。多分、俺の動揺を向こうのママは見抜いてたと思うよ。 

しばらく遊んでると、「そろそろ勉強する時間だから今日は帰ってネ」だって・・・俺が「何者」なのか自覚した時だったよ。

623: 名無しさん 01/09/09 04:27
ビートたけしがおやじの仕事の手伝いで、汚い格好で、同級生の金持ち女の子の家にペンキ塗りに行った時の気持ちは痛いほど分る。

626: 名無しさん 01/09/09 16:27 
子供の頃、うちにひな人形がなかった。貧乏で買えなかった。 

とりあえず形だけでも…と思ったのか、その時期になると母がお碗をさかさまにして、その上に目鼻口髪を書いたレモンかみかんを置いて、雛人形もどきを飾っていた。 

私が幼稚園くらいになった頃、友達の家に行くとみんな豪華な7段飾りの雛人形があった。そこではじめて雛人形がこういうものだと思った。そんなに欲しかったわけではないが、何故うちにだけ無いのか?という疑問が抜けなかった。

本当にうちにだけ無かった。親に言うと、母が千代紙などで作ってくれた。毎年それを「雛人形」として飾った。

小学生になる頃には、うちが貧乏で買えないと言うことがわかったので欲しいとも思わず、「うちはよそとは違うんだ」と思うようになった。 

中学生になる頃、母がこつこつ貯めたお金で、お内裏様とお雛様だけの雛人形を買ってくれた。私はもうそんなの欲しいとは思っていなかったので、もうどうでも良かったが、今思えば母は我が子に雛人形も買ってやれなかったのが不憫で、心に引っかかってたのかもしれない。
 
その母は4年前亡くなった。そんなことをすっかり忘れていたのだが、先日どこかの催し物で千代紙の人形展みたいなのをやっていて、ふと母の作ってくれた人形のことを思い出した。

628: 名無しさん 01/09/09 18:02
>>626 
雛人形で雛人形以上の大切な思い出を残してくれた優しいお母さんですね。 

僕も紙粘土と絵の具とニスを買ってきて、娘の初めてのひな祭りの3日前くらいから、家内と一緒に雛人形を作りました。漫画チックな出来栄えでしたが、家族3人大満足で記念写真も沢山取りました。 

因みに2回目も同じ、3回目は娘と一緒に作りたいです。

643: 626 01/09/10 16:25
>>628 
ありがとうございます。

私は雛人形よりも母の気持ちがそれ以上に心に残っています。>>628さんの娘さんもきっと将来それがいい思い出になるでしょうね。

629: 名無しさん 01/09/09 19:26
昭和40年代って、まだ底の入った貧乏があったと思う。 

うちは普通だった、スマン。

630: 名無しさん 01/09/09 23:46
S42生まれだけど小学3年まで家に電話がなかったです。他の家はあったのに…だから連絡網とかに(呼)が入ってました。恥ずかしかったです。 

4年になってようやく電話が付いて、嬉しくて友達に電話かけまくってました。

631: 名無しさん 01/09/10 00:14
S44生まれです。 

そんなに貧乏ではないと思うが、小学5年~6年頃ゲームウオッチが凄く流行したが買ってもらえず、修学旅行でみんながバス等でやってるのを眺めてた。 

あと小学6年の時、ジャージで学校に登校するのがやはり流行したが(俺んちの周りだけか)「SuperStar」のジャージがほしかったが、やはり買ってもらえなかったな。

632: 名無しさん 01/09/10 00:30 
給食のない遠足や運動会の日がつらかった。貧乏だったから弁当作ってもらえなかった。みんなが弁当ひろげて食べてる時間は、隠れるように他の場所で座ってた。
 
運動会の時はよそのうちの親が声かけてくれたけど、絶対行かなかったな。「もうすぐ母ちゃんが弁当持ってくるから」とか強がり言っちゃってさ。両親共働きで忙しくて、来てくれたことなんて一度もなかったのに。 

大人になってこの話を母親にしたら涙流して、運動会で給食がないなんて知らなかった、遠足の時は担任の先生に前もって少しのお金渡して、弁当作りをお願いしてたって。 

何十年も経ってから知った真実だった。

633: 名無しさん 01/09/10 01:10
>>632 
泣けた。今から考えたらそういう子もおったんやな。

639: 名無しさん 01/09/10 11:35 
>>632 
先生はそのお金をパクってたって訳? 

でもその「いくばくかのお金」で、お母さんがお弁当作ってくれた方が良かったのに…たとえおにぎり1個だけでも。

642: 名無しさん 01/09/10 13:17
>>632 
運動会に親来なくて、先生と教室で、先生お手製の弁当食べてる子いたなぁ。
 
やさしい先生だった。
634: 名無しさん 01/09/10 01:33
アディダスのジャンパーをみんなが着てる時に、アディダスもどき(偽アディダスと呼んでた)の子がやけに哀れに思えた。 

うちは団地で車もなかったが、着る物には不自由させなかった。

637: 名無しさん 01/09/10 02:54
>>634 
家は全く逆だったよ。 

「子供だから、服はすぐ着れなくなるから、安いので十分」という思いが親にあるらしく、結局買って貰えなかった。当時で確か上下1万ぐらい?だから小学を卒業するまで、オレだけ足が四本あるプーマだった。

けど誕生日やクリスマスにはファミコンとか買って貰えたので、そう考えると親も頑張ってくれていたなあと感謝する。 

親によって、金に力を入れる所が違うのかもね。

641: 名無しさん 01/09/10 13:12
父親がずっと病気だった為、生活保護を受けてた。

小学校に上がる時の制服もかばんも何もかもお下がりだった。下着も全部母親が縫ってくれてた。まして新しい洋服なんて夢の又夢だった。 

結婚してお金の事で主人と揉めるのは、やっぱ 幼い頃から貧乏で育ったからなんだと思う。

ほんとお金で苦労するのはもうたくさん!

647: 名無しさん 01/09/10 22:29
うちは貧乏だと親に言われてたけど、クリスマスにはホテルニューオータニのケーキ、服はファミリア、家は代官山だった。月イチでクラシックの演奏会にも行った。

今でも母はやりくりがうまかったと言いきっている。

本当に貧乏だったのか、今でもわからない。

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