【その13】
貧乏

878: 名無しさん 01/10/08 13:52
ウチは食料品店を経営していた。八百屋とパン屋とお菓子屋が合わさったみたいな感じの。

小1までは凄く繁盛してたのだが、2年生の時に近くに西友が出来てしまい、売り上げがガクッと落ちた。よくからかわれたな。「俺達が買いに行ってやんねーと、お前の店潰れちゃうだろー」とか。 

それで、親父が近所にご用聞きに回り始めた(サザエさんの三河屋みたいな感じ)。

当然同級生の家にも行く。前掛けしてご用聞きに回る親父が子ども心に格好悪く思えて、「父ちゃん、こんなお店つぶして、父ちゃんもサラリーマンになってよ」って言ったことがあった。 

親父は「あん‥‥」と言ったきり黙ったままだった。今思うと何て非道いこと言ったんだろう。
 
とにかく、近所の人々に食わせて貰ってるみたいな感覚が嫌でしょうがなかったな。

885: 名無しさん 01/10/09 18:13 
>>878 
>近所の人々に食わせて貰ってるみたいな感覚

僕もわかる。
 
うちは小さな電気屋だった。僕も店番なんかして、その頃は「いらっしゃいませ」なんてうまく言えなくて、「サラリーマンの家だったら良かったのに」とよく思った。 

言っちゃいけないことだと感じていたので、口に出したことこそないけど。

889: 名無しさん 01/10/09 21:49
うちはテキヤだった。

祭りの季節が大嫌いだった。いつも手伝わされて、醜い喧嘩もたくさん見てきた。 運動会も一人ぼっちで、こそっと家に帰って冷えたご飯を食べた。高いと客から文句もたくさん言われたし、幼い心はひどく傷付いたのを今でも忘れられない。
 
今は親には会いたくなく、実家には近づかない。

848: 名無しさん 01/09/29 22:49
うちは、無茶苦茶貧乏だったらしい。 

いつも体操服も制服もすべてお下がり。給食費を忘れた事にしたり色々大変で、すごく私はルーズと先生に思われてた。 

でもさ、夏休み明けの不要なタオルで作る雑巾だって、雑巾にできるような余分なタオルが無かったんだよ。手縫いで作って来たのは、ミシンが無かったんだよ。私が泳げないのは、プール(一回100円)が親が出せなくて、学校の水泳の時間しか泳ぐ機会がなかったからなんだよ。 

でも自分が貧乏だったことに、最近気づいた。遅すぎ?だって、親が公務員だったし、一軒家だったから…。

どうしようもない父親が家付きの我が家に婿入りし、毎月給料を全部使い果たして、母が学研の化学や学習を配って歩くお金が一家の生活手段だったと、最近聞いた。 

これも一種の貧乏だよね??きっと。

851: 名無しさん 01/09/30 09:59 
>>848 
貧乏じゃなくて病的っていうのです。

849: 名無しさん 01/09/30 07:39
>>848 
今お父さんはご健在? 

853: 848 01/09/30 16:46 
もちろん今も父親は生きてます。
 
月のお給料を16万円しか母親に渡してない(自分で「俺は、もう公務員の給与の最高額になった 
から、あと何年勤めても給料があがらん」と言っていたので多分100万円近くもらってるはず。我が家は誰も父の給与明細を見た事がないのです)。

母は9年位スターレットに乗っているのだが、時々止まるので「月1万円位のローンを組んで、軽が買いたい」って言ったら、月々の生活費が15万円になったんだって。1万円は贅沢部分だと思ったらしい。 

やっぱりこれって病的なのかなぁ。そうだろうなぁ。

父方の祖母に、大分お金が流れてるらしいの。おじいちゃんが、これまた遊び人で給料を全部使い果たして、年金も解約して保険も解約して遊び倒して、さっさと先に死んじゃったので、とても苦労をしたおばあちゃんで、父はとっても大事にしてます。 

でも、同じ苦労を妻にさせてるとは気づいてないだろうな。 

ちなみに数年間隣の県に単身赴任をしてたんだけど、母にアパートの鍵を絶対に渡してくれなかったんだって。 

姉はそういうのを見てたから、旦那の浮気がわかったら速攻で別れてた。夫婦でいるより一人を選んだ。でも今、いい人を見つけてとても幸せ。 

母も、早く父が死んで楽になってほしいな。

852: 名無しさん 01/09/30 14:43 
貧乏を同級性にバカにされたりとかは我慢できた・・というかそんな気にならなかった。 

許せないのは心無い大人の一言。俺の家は白黒テレビ時代が異様に長かったが、近所でも白黒が2軒だけになってた頃、隣のババァに「あら、未だに白黒テレビなの。めずらしいわね」と言われてひきつった母親の顔は忘れられない。 

「いいかげんに新しいの買いなよ、今どき真空管のテレビなんか無いよ」と言った電気屋のオヤジの顔も忘れられない。 

佐○○のババァに山○電気屋!許さん。

860: 名無しさん 01/10/02 08:07
うまく言えないんですけど、うちもどっちかというと貧乏な部類だったんですけど、食事に困るというようなことはなかったし、お小遣いも平均的額を小学生の時からもらってた。 

しかし小学校3、4年の頃、時々大型スーパー内のゲーセンに父に連れていってもらっていたのですが、
ある時、ゲームが終って喫茶店に入って軽食を食べた(たぶんピラフとかスパゲティとかそんなもん)。
 
で、会計の時になって、自分の食べた分は自分で払えというようなことを父に言われ、姉と私は自分たちの代金を支払った。たぶん父は食事代がおしくなったんだろう。 

なんか、そのことがいまだにトラウマ。

862: 名無しさん 01/10/03 22:25 
>>860の気持ちはよくわかる。

子供時代のそういうこと一生忘れないんだよね。ほんとのトラウマなんだろう。親も完全な人格者じゃなくて、むしろ普通にいる気まぐれ、気分屋の人間だからと思えばいいんじゃないでしょうか。 

しかし、子供の時はそういうのショックだよなぁ。

867: 名無しさん 01/10/06 03:59
>>860さんと同じ思い出が。20年以上前のことなのに、ピザトーストを食べたことまで覚えている。トラウマなんでしょうね。
 
わたしは父のことが大好きだったけど、父は私のことが最優先という訳ではない。
 
後に両親が離婚した時も、母は慰謝料を貰えるわけでもない、蓄えもない、娘達はまだまだ金がかかる、自分にはパートの収入しかない、という状況で、「あんた達と離れるくらいなら首くくって死ぬ!」と真っ先に言ってくれた。

けど父は、「ママを大事に…離れて暮らしても親子は親子だから」と、一緒に暮らさないかと一言も言わなかったことがずっと引っかかってた。
 
でもファザコンで、父を嫌うということ自体、自分を傷つけることだから、そういうことからずっと目をそらしてたんだよね…。 

バブル華やかなりし頃、家はずうっと貧乏でした。はじけたあとのほうが一家全員稼ぐようになって、蓄えも出来て、よっぽど余裕がある。 

ちなみに、わたしは貯蓄タイプ(母や妹にあれこれしてあげられるのが嬉しい!)。妹は、収入の殆どを追っかけにつぎ込む浪費タイプ(お金は使うものだ!という主張)に成長。

868: 860 01/10/06 11:35 
>>862さん、>>867さん、理解してもらえてうれしかったです。 

小さい頃から両親がお金のことでケンカばかりしてたせいか、お金に変な執着があるみたいです。時々はおもちゃなんかも買ってもらっていたけど、自分から欲しいとか買ってって言えなかったです。 

自分が結婚する時も、相手の懐事情もなんとなく知っていたし、でもなんとなく立派な婚約指輪ってものが欲しくて、自分で買ってしまいました。

でも、一度もはめて外出したことないなぁ。お金の使い方が下手なんだろうなぁ。

890: 867 01/10/10 01:28
ビンボーだったけど、トラウマにならなかったことを思い出したので。
 
子供の頃は近所にスーパーが無くて、商店街のアーケードを抜け、家から15分程歩いて、大型スーパーまで買い物に行ってた。

母と私と妹と、ごくごくごくごくたまぁ~にそこのテナントのうどん屋に入るのが楽しみだった。私たちはねだることはしなかったけど、母がちょっと考えて「今日うどん食べて帰ろうか」と言ってくれた時はすごく嬉しかった。

天ぷらうどん180円が基本で、肉うどんが食べたい時は差額50円を自分の小遣いから出すシステム(素うどんが基本じゃないとこが、泣かすと思いませんか?)。いまでも楽しかった思い出としてたびたび話題に上る。 

父とのことがトラウマで、母とのことが良い思い出なのは、父が単に自分のお金を惜しんだのに対し、母は、自分に出来る精一杯のことをして喜ばせようとしてくれてたからだと、今思います。 

父が家を出て(養育費はくれたけど、いかにこの金を工面するのが大変だったか、説明付き手渡し。感謝はしてるつもりだけど…。それにやはりそれまでの収入より かなり減だし)、母しか働かない我が家は蓄え無しのギリギリ状態で、その頃は、近所の店にカツ丼400円を食べに行くのが最上の贅沢だったなぁ。 

これも懐かしい、楽しい思い出。

891: 名無しさん 01/10/10 19:20
>>890 
似たような思い出あるなあ。俺は神社にいつも出てる露店のヤキソバだったけど、あんまり綺麗じゃなかったベンチとかテーブルの汚れ具合まで覚えてる。 

うちも相当貧乏だったけど、母親が良くしてくれたんで、あんまり意識しなかった。それでもたまに他人の心無い言葉で子供の頃は傷ついたな。 

うちが貧乏だったいうのは子供の頃からわかっていたけど、「うちって貧乏だから嫌だ」とは絶対言わなかった。できる限りの事をしてくれているのが解ってたから。 

実はいまだにウチは貧乏なのだが(笑)、普段は親に言葉遣いがとても悪い妹も、絶対に親に「貧乏が嫌」だとは言わない。それだけでなんだか妹や家族を大切にしようという気持ちになる。 

哀しいぐらいささやかだけど(笑)。

893: 名無しさん 01/10/10 23:30
>>891 
素敵です。グッときました。

861: 名無しさん 01/10/02 21:19 
近所に昔っからの名家で、もちろん山や土地もたくさん持っていて、お金持ち。
 
そんな家だから子どものしつけも厳しく、欲しい物も満足に買ってもらえず、かなり質素な生活をしていたらしい。大人になってからそいつがぽろっと言った。

「子どもの頃、おいらの家はめちゃめちゃ貧乏だと思っていた」

866: 名無しさん 01/10/05 22:29
あたしゃ何にも買ってくれない家だったけど、遊びたいおもちゃは人んちで存分に遊んでたよ。もしかしたら遊びたいおもちゃ目当てで、男女さえ関係なく友達をつくってた気さえする。 

フラフープ、ホッピング、パカポコ、小枝ちゃんと木のおうち、ボードゲーム、テレビゲーム全般まで。 いまだに誰がどれを持ってたかを覚えている。 

そのうちの子が不在であっても、そこのうちのお母さんに話して(覚えてないけど)ひとりででも上がっておもちゃで遊んでたぞ。おやつまでもらったぞ。今考えると図々しすぎて恐ろしい。無邪気ってコワイ。 

親にモノをせがんだことなど一度も記憶にない。欲しいものは買わなくとも体験できると今も思ってる(治ってない)。

869: 名無しさん 01/10/06 15:44 
ちょっとずれてゴメンナサイ。 

埼玉に住んでいますが、婚約者の父親(銀行の支店長)に「貴方の実家は100坪位?」と聞かれました。 

家は首都圏にあり、元々土地もちでない限り、そんなに広い土地に住んでいる人はいません。私の両親は地方から出てきたことも知っています。 

家はごく標準的な家だと思うのですが、小さな頃は貧乏だ、と感じていましたので、すぐに明るく「そんなに広くありませんよ」と言えませんでした。 これってトラウマなのでしょうか? 

後で婚約者の母親は「埼玉や千葉なら100坪くらい当たり前でしょ」と言われました。

871: 名無しさん 01/10/07 01:55
>>869 
嫌な人達だね。土地の広さとか聞くか?普通。 

千葉・埼玉だって、土地持ちの農家とかじゃないと100坪以上の家なんて余りないでしょう? 高級住宅街と言われてる場所だって60~70坪がいいところ。 

婚約者のご両親はそんな事ぐらい解っているはず。暗に、「こっちの方が金持ちだからこちらが主導権を貰うぞ」って言いたかったんじゃないの? 

もし解らないで言ってたなら、それも世の中知らなすぎで、私は尊敬できないな

872: 名無しさん 01/10/07 02:51 
>>871 
たぶんその主導権を握りたい説じゃないかな。 

その場合、握りたい人に素直に握らせれば良いんじゃないかな。その時は面白くないこともあるだろうけど、結婚のあれこれなんか、考え方によっては任せた方が楽だし。 

それと、将来この夫婦のピンチがあればうちの方が積極的に買いますよ、って言ってるようなもんなんだから、良い保険だよ。後になればそれで良かったと思えるんじゃないかな。
 
うちのケースはどっちの親も主導権を握りたいもんだから、力比べ合戦になっちゃって、親戚からは馬鹿親丸出しと思われるんじゃなかろうか…。 

>>869さんは、実家の土地の坪数の件は全く気にする必要はないよ。気にしたところで、何のプラスも生みだされないのは間違いないから。

873: 869 01/10/07 09:07 
皆さんありがとうございます。 

実は婚約者とは結婚式をあげ、籍を入籍しないまま別れました。今でも付合いはあります。 

私より7つ下の彼とは11年付合い結婚?しました。私の両親はかなり年ですが、あちらは若いです。彼(元婚約者)の一族はお金持ちで、彼の家も一等地にビルやら何やらを持っています。ですから、うちは最初から主導権は放棄しています。 

彼が東京の団地内の店舗で仕事を始めました。勤務時間が長いので、その団地で生活をすることにしました。

3DKで家賃十数万のその部屋は私にとっては十分でしたが、彼のお母さんは「あんな汚くて狭い所によく住めるわね、お金は出すから、どこかマンションでも買いなさい!」そんな小さな事がたくさんありました。

悪気があって言った訳ではないのでしょうが、そういう言動が毎回私を悲しくさせました。 

別れを決めた時、父親が「うちが貧乏だからいけなかったんだな」と涙を流しながら言われた時はとてもつらかったです(今は普通だと思いますが)。私の過剰反応(トラウマ・コンプレックス)によって皆を巻き添えにしてしまったのかと。 

彼と付合いはじめの頃、お弁当を作ってあげると、とても喜んでくれました。遠足の時、セブンイレブンのお弁当だったと。毎回なわけではなかったでしょうが、記憶に残っているのでしょう。彼のお母さんは専業主婦です。

私の両親は仲が悪く、母親はいつも愚痴を私に聞かせました。でもお弁当はウィンナーや果物に飾り包丁をいれたり、かわいくしてくれました。 

母は質屋にも通った事がありますし、私はおこずかいもなかった。お年玉も半分は親にとられた。母に「お金がない」といつも聞かされていました。

古着をリフォームして素敵な洋服してくれた、というお話があったように、ほどいた毛糸でオリジナルのセーターを編んでくれたりした母には感謝しています。今でもブランドにも興味がなく、オリジナルのものに引かれます。

幸せそうな経済的に豊かでない家もあるし、不幸せそうなお金持ちもたくさんある。お金がなくても創意工夫で素敵な生活を送っている家は豊かだと思います。

皆さんの投稿を読んで、「あるある、そうそう」等と懐かしく思い、つい書き込んでしまいました。 

876: 名無しさん 01/10/08 01:37
ちょっと前にテレビで「失業率5%って、ひとクラスあたり、一人か二人の子供のお父さんに職が無いって事なんですよね」と言っていたのを思い出す。 

昔に比べて近所づきあいも無いし、他人の家がどういう状況なのかほとんど全く解らないけれど、多分、今現在困っている子供もそこそこ結構な数いると思うよ。

864: 名無しさん 01/10/05 22:11
そういえばケーキやケンちゃんこと宮脇君。大スターから一転、自殺未遂までいったどん底生活。 

今は人並みの生活をしているそうだが、まだ幼い子供には僅かな小遣いを与え、お金の大事さと計画的な使い方を覚えさせようとしているそうだ。 

TVで見てちょっと泣けたっけ。

865: 名無しさん 01/10/05 22:17 
>>864 
けんちゃんの頃は、現場では自分が天皇であることを知らずに呼び捨てにしてきた新入りのスタッフを即刻解雇にしたり、ロケ地のホテルでは競演の俳優達が普通の部屋に泊まっていても、自分だけはスイートルームを使っていた、と言ってたぞ。

※ケンちゃんシリーズ:
1969年から1982年にかけてTBS系で全国放送された子供向けテレビドラマシリーズ。子役の宮脇健が6歳~15歳まで主演した。その後、天狗は坂道を転がり落ちるように借金の保証人、スキャンダル等により芸能界から干される。(wiki:宮脇健)

879: 名無しさん 01/10/09 00:14
今から20年前。中学の修学旅行の時、カメラが欲しくて親にねだった。 

その頃ポケットカメラとか、使いやすくて安価なカメラがいろいろ出回っていた。ねだってねだって父が買ってきてくれたのは・・・質屋で売っていた、フラッシュもついていない古いカメラ。

ものすごーーーくショックだったけど、その気持ちを隠してありがとうと言い、旅行に持っていった。みんな新しいカメラ持っていて、本当にうらやましかった。 

どうしてうちだけこんな貧乏なんだろうって泣きたかった。

896: 名無しさん 01/10/11 04:07
状況的な貧乏は個人の力で改善できるだろけど、精神的なそれは解消できないんだろうな。

一気に目を通してみて、痛感しました。 

897: 名無しさん 01/10/11 05:46
俺の家もひどかったなあ。

生活保護を受けてた事もあったし、親父がしょっちゅう転職するから収入も安定してなかったみたいで、給食費とかよく滞納していた覚えがある。
 
テレビが壊れて何ヶ月も見れなかった事もあった。食卓もいつも同じような粗食ばかりだけど、身体が順応していたし。畳替えを何十年もできないから腐ってて、歩いた拍子に穴が空いた事もあった。 

小学校で地理歴史クラブというのに入ってて、「みんなの家の地図を作ろう」という事になり、班に分かれてそれぞれの家に行く事になった。みんながうちに来て発した言葉が「あっ、家が傾いてる~」。 

戦後建てられた築30年ぐらいの市営住宅でぼろぼろだったが、金持ちの奴の家と比較すると正にゴミと宝物ぐらいの違いだった。 

しかしうちみたいな貧乏でも、なんとか奨学金が優先的に受けれたり、国立大学への補助金制度などがあったりで院まで行けたのは有り難かった。金がないから、図書館で本読みあさったり勉強ばかりしていたのも結果的には役に立ったよ。

何でも買ってもらえる奴らを羨ましいと思ってた事もあったけど、貧乏を自覚していたので、全然悪い思い出ではない。

898: 名無しさん 01/10/11 06:39
>>897 
>貧乏を自覚していたので、全然悪い思い出ではない。 
そしたらココに書くなよ。