【その14】
貧乏

920: 名無しさん 01/10/13 03:44 
子供の頃、隣の家が街一番の開業医の家だった。

子供2人が自分と同級生で、いつもお菓子やケーキを持ってきてくれた。同級生の子供はおもちゃも沢山持っていた。自分は隣の家に遊びに行き、おもちゃを貸してもらうのが楽しくてしょうがなかった。 

でもその子に良く意地悪をされて、貸してもらえなかった。ウルトラマンの戦隊スーツケースが欲しくて欲しくて、貸してくれと泣いた。 

その夜、母が隣の家に行っておばさんに何処に売ってるのか聞きに行ってくれた。そしたらおばさんは1つそのケースをくれた。とても母が不憫だった。 

隣の家のおばさんは親切で綺麗で、色々おもちゃをくれたやさしい人だったけど、本当は嫌いだった。
 
書いていたら涙が出てきた。

923: 名無しさん 01/10/13 13:27
>>920 
私も友達に開業医の子がいたんだ。 

その子の家は階段から赤い絨毯が敷き詰めてあった。おもちゃは外国製で、リカちゃんとかは持ってなかった。
 
一番ビックリしたのは、夫婦の寝室の見た事も無い大きなベッド。ムーディーな照明。大きな宝石箱。その宝石箱の中を見せてもらったら、大きなダイヤとかの指輪が沢山あった!その後、その寝室に入った事がばれて鍵がつけられてしまった。

「アメリカホームドラマの世界」ってこんな感じなんだろうなぁと思った。 

家は一家5人川の字で寝ていたので、子供と大人が別の部屋に寝るのが不思議で、何故かその家の空気は親子関係がクールで淋しい感じがした。
 
でもリッチでも別に淋しい家庭ではないのだけどね。これは貧乏人の僻みでしゅね。

902: 名無しさん 01/10/11 11:53 
私が小学生の頃家の風呂は五右衛門風呂だったので、板から落ちるんじゃないかといつもビクビクして入ってました。しかも家から100mほど離れた所にあったので、暗くならないうちに入ってました。
 
トイレも離れてたので、怖くて仕方有りませんでした。もちろん汲み取りで、サンダルを落とした時は虫取り網を使うなどして必死でした。 

自転車も、みんな5段変則とかの格好良いのに乗ってたのに、私は祖父のボロボロの錆びたデカイ車輪の自転車に乗ってました。でも手放し運転は誰にも負けなかったので、近所の遊び仲間内ではヒーローでしたね。
 
おもちゃなど買ってもらえるハズもなく、年中その自転車で遊んでました。

915: 名無しさん 01/10/12 22:09
>>902
私も小学の頃、五右衛門、汲み取りでした。 

自転車も落ちてた白いママちゃり。友達に見られると恥ずかしかったなぁ。 

服も同じものばかり着ていて、クラスの人に馬鹿にされたこともあった。親にお金頂戴とも言えず、消しゴムを万引きして捕まり、母を泣かせたこともありました。

903: 名無しさん 01/10/12 00:10
衣食住で氏ぬことはなかったので(でも衣と住は超お粗末だったが)贅沢な事だけど、お稽古ごとに憧れたなー 。

小学校中学年くらいにもなると、みんなどこかで習ってるんだよね。ヤマハとかお習字とか・・・なんか別世界知ってるみたいで、うらやましくてならなかった。自分は何も出来ないっていうのもくやしいし、バレエ教室を窓の外から見てたりしてた。 

なので勤めてからは、仕送りはほんとケチって、たまにはばっくれたりもしながら、色々習い事して楽しかった。 

結婚してからはもう一銭も親に送っていない。てゆうかそれを機に疎遠にした。

916: 名無しさん 01/10/12 23:37
習い事・・・私の育った地区は田舎でしたから、贅沢、派手と偏見を持つ人もあったようです。 

その地区でも有名な倹約一家の子供は、習い事をしている子にはすごく冷たく意地悪ばかりしていました。特にピアノを習ってた私とYちゃんにはキツかった・・・。 

習い事は贅沢、派手も彼女に言われたことだけど、家でそう教えられていたのかも。 
 
>>903さんの読んでちょっと思い出しました。

910: 名無しさん 01/10/12 18:50
親が共稼ぎで、貧乏ではなかったけど贅沢はなかった。ただ、姉のお古着るのがイヤだったなぁ~。
 
いつも素敵な服着てて、大きい家に住んでて、かわいくて、洋子とか真理子なんて名前で、ピアノ習ってる子が死ぬほどうらやましかった。

919: 名無しさん 01/10/13 02:43 
>>915 
私もいつも同じ服着てた。たまに新しい服着るとクラス中の視線集めて、「あ、新しい服買ったんだね」とみんなに言われて恥ずかしかった。

924: 名無しさん 01/10/13 15:37
私の家は、炭坑街のはずれで商売をしておりました。

そういった町のこと、流れ坑夫の貧乏人ばかり、貧乏が当たり前で貧乏人が大きな顔をし、金持ちの子ほうがつまはじきでした。その状態が変化したのはテレビの登場でした。 

当時テレビは高価なもので、一町内に2~3台しかありませんでした。放送が始まると、近所の大人子供はテレビのある家へおじゃまします。お茶、お菓子なども振る舞ってくれました。明日も見たいがため卑屈にならざるをえません。その時、貧乏人と金持ちとの格差に気づきました。 

朝6時30分から夜11時まで働く私の卑屈な原体験です。

928: 名無しさん 01/10/13 22:27
昔、バナナが好きな時に食えなかった。一山幾らになった今でも残せない。 

瓶のジュースは親戚の宴会でしか飲めなかった。今でも瓶のジュースは残せない。 

メロンなんかも風邪を引かなきゃ食えなかったね。カルピスもそうだ。 

今でも良く風邪を引くのはそのせいかな。

929: 名無しさん 01/10/13 23:23 
子供の頃、バラックの様なボロ家に住んでた。わざわざ同級生が集団で見に来た。表立って言われた事ないけど、みんなが「あの子の家貧乏だよ」って言ってるの知ってた。 

結婚して子供が生まれた。私のような思いは絶対にさせたくない。 

だって、ほんとミジメだったんだよ。

935: 名無しさん 01/10/14 02:20
自分が今住んでいるのは東京都某区の巨大公団、昭和44年築。 

ほとんどが一区画約40平米で6畳+4.5畳+4.5畳台所+風呂トイレといった間取り(現在は徐々にリフォームされ1DKになってきてる)。当時はこれに家族4人、5人というのが当たり前だったんだろうね。
 
今でも大人4人で住んでる人もいるけど、駐車場の車が結構高級で驚くよ。今は多少貧しくてもいい車に乗れる時代になったんだね。

936: 名無しさん 01/10/14 02:28
小学校の頃、両親の内職の手伝いをさせられました。 

ビニールにシリアル番号を押すんだけど、ほんの少し位置がずれてもお金が貰えないって・・「ほらっ!もっとキレイに押しなさい」って母親に言われながら。「これ1枚が5円になるんだよ」って呟いた、父親のちょっと複雑な顔が忘れられないです。 

その父も既にこの世にはいません。

942: 名無しさん 01/10/14 10:20
ここを見て自分が貧乏だと気づきました・・。
 
当方19歳女子。親に頼りたくなくて学費と家賃半額以外の仕送りを拒否し、自活しています(実家は中の上位)。
 
自分では普通に食って生活していけてるつもりだったんですが、今の食生活=大きな袋で50円のおからで人参かあぶらあげだけの具の卯の花大量に作って冷凍して、半月位かけて食べる、とかしいたけ買ったら一回一個だけ買って残りは干し椎茸にする。

テレビは電気代勿体無くて2週間に1回番組厳選して見る、とか親が過保護で付けたエアコンをこの夏一回、しかも一時間しか使ってなかったとか・・(36度超えた日)。
 
そういえば一人暮しになって半年、7キロ痩せた・・。ひじきとかもやしとかこんにゃくとかばっかり食ってるからだと思ってたけど・・・やつれたのかもしれない・・。 

ここの生活の工夫を参考にさせていただいてます。 失礼しました。

944: 名無しさん 01/10/14 11:52
>>942 
スレのタイトルを良く読めば?「今の私の貧乏自慢」じゃないぜ? 

食うもの食わずで頭までやられたか?

946: 名無しさん 01/10/14 14:59 
>>942 
つうか、学費と家賃半額は出してもらってる、っていうんなら、既に親に頼ってるんじゃん?

学生なんだから、出せる親なんだったら全部出してもらって、健康を維持できる食生活を送って、勉強に専念した方がよっぽど理に叶ってる、と思うのは私だけ? 

「それじゃ気が済まない」っていうんなら、卒業後働いて親に返せばいいんじゃないかな。

943: 名無しさん 01/10/14 11:32
>>942 
食べ物だけはもうちょっと何とかしましょう。 健康第一、体が資本ですから。

948: 名無しさん 01/10/14 20:49
貧乏な人が多くてとても心強いです。

うちも貧乏なんてもんじゃなかったよ。生活保護スレスレの生活だったけど、生活保護の人よりはるかに貧しかった。母親が一人で頑張って、3人兄弟をよく育ててくれたと思う。

母は身体が弱かったが、とにかく仕事をしないといけないという責任感でいろんな仕事をやっていた。肉体労働現場や食堂、事務員など解雇と再雇用の繰り返しで何とかしのいでいた。最底辺の町営住宅に住んでたけど、ぼろぼろの家で友達がよくバカにしていたっけなあ。 

俺は長男で、中学進学と同時に新聞配達か何かやろうと思ったら、「あんたは学生なんだからしっかり 
勉強したり友達と遊んだりしなきゃダメよ」、絶対にバイトをさせなかった。

修学旅行のお金も、足りないのが分かっているのにちゃんと行かせてくれたし、どんなに貧乏でも子供たちには不自由をさせないという母の姿勢にはとても感動した。

高校・大学は奨学金がもらえたのでかなり余裕ができたし、バイトもやるようになって経済的にも楽ができると思った。

家に逆に仕送りしたら、「もうお金は送らないで。バイトを辞めて勉強しなさい」と手紙がきた。それでも妹たちの為にと仕送りを続けていた。 

大学卒業後、帰省した時に母が俺が逆仕送りしていた通帳をスッと出して、「これは返します。社会人なんだからお金をとても大事にしなさいよ」と言ってくれた。

俺は泣いたよ。妹たちも大学を卒業して就職したり結婚したりしているが、この通帳だけはまだ手付かずでそのままになってる。

949: 名無しさん 01/10/14 22:10
>>948
え~母ちゃんやなぁ。ワシまじ感動したわ。

あんたはホンマ幸せモンじゃ!母ちゃん大事にしいや!

950: 名無しさん 01/10/14 22:46 
>>948
うん、ええ話や~。

「ボロは着てても心は錦」を身を持って示してくれた立派な母ちゃんだね!

952: 名無しさん 01/10/14 23:35
>>948
なんか目と鼻の奥の方がジ~ンときた。

俺も親孝行しよう・・。

955: 名無しさん 01/10/16 15:53
>>948 
おかあちゃんの愛って、ホント強くて大きいですね。 

小学校の頃、家族でおかずのコロッケ分けてもワシと姉は2個で、母は1個。チャーハン作っても、「あんたら多いのん食べや」 と言って半分位の量しか食べん。
 
「おかあちゃんもたくさん食べなあかんで~」て言っても、「おかあちゃんは子供の時、せんど食べたからもういいんや」と言って食べない。決して太ってはいない母に、ホンマに死んでしまうじゃないかと子供心に心配したものだ。 

子供に大きい方のサバ焼きを渡してしまう自分に、母を思い出す今日この頃・・。

958: 名無しさん 01/10/18 16:50
楽しく読ませてもらいました。 

ところで、貧乏な人に限って逆に見栄っ張りなところってありません?昔も今も。見栄が張れるくらいなら貧乏とは言えないのか分からないけど。

959: 名無しさん 01/10/18 17:28 
>>958 
「ボロは着てても心の錦」って感じで、精神的に強がってしまう所はあるのかな? 

私はお金持ちと話しをしていても、経験して来た事が違い過ぎて共感出来ないので、話しが盛りあがらない。「フーン」って感じで、世界観が違うなぁぐらいにしか感じない。その事がお金持ちには「見栄っ張り」と思われてしまう事があるかもしれない。
 
でも、お金が有るからって、精神的に楽な生活とか限らない場合が有るという事は良く解かった。 

代々からの良家の人達は「のほほ~ん」としていて、貧乏話も「外国の生活」みたいな感じに受け取るらしく、悪気や他意がなく結構キツイ事言う。それがまた視点がずれていて面白い。 

でも自分はズレズレだと言う事が解らないから、どうしても回りに「天然」と思われている。 

他意や悪意があってキツイ事をいう人は、親の代で金持ちになった子供とかで、親から「貧乏は罪悪」という価値観を教えられている人だったりする。 

貧乏人同士で話しが盛りあがると「貧乏自慢」で見栄を張る人が居る(笑。

961: 名無しさん 01/10/22 22:40 
米が配給だった時代、10円玉を何枚か握り締めてその日の米を買いに行ってた。
 
あの時代は都会で生きていくのは大変だったんだなーと、今にして思う。

962: 名無しさん 01/10/24 14:40
>>961
その日の米って泣けるね。 

配給制を体験してるとは相当な世代だ。お疲れ様です・・。

963: 名無しさん 01/10/24 14:57
もう時効だろうから話すが、中学生の頃・・・昭和44年頃かな、母親がPTAの役員だかをやってた。 

その日の食費もままならない状態だったので、集金した会費を一時使わせて貰ったことがある(もちろんあとで返したが)。

964: 名無しさん 01/10/24 21:23
家の窓がアルミサッシじゃないのが死ぬほどやだった。
 
とにかく古い家だけには住みたくない。服や持ち物は安物で構わないけど。

965: 名無しさん 01/10/24 23:27
ここにいる人から見たら甘いと思うけど、家にシャワーがついてなかったのが辛かった(風呂はついてる)。今シャワーなしの生活なんて考えられないもんなー。豊かになったね。

968: 名無しさん 01/10/27 20:58
>>965 
俺んちは現在シャワーがないんだが。

966: 名無しさん 01/10/27 14:32
10年位前貧しかった時、LEEってロゴの入った4000円のトレーナー買ったら、すっごい怒られた。「何でこんなの買ったの」って。「トレーナー4000円ってあんたわかってる」って。 

それがトラウマになって、今でも服買うのは何か躊躇が入る。買わず帰ってもんもん悩んで再び行って 
買ったりする。

970: 名無しさん 01/10/28 00:02
小学校の帰りの会の時、毎回給食費の支払いの催促のプリントを渡された。 

子供心に貧乏だと言う事が解っていたので、親に何かを買ってくれと言えなかった。自転車を買ってくれると言われて、喜んで自転車屋まで行ったが要らないといってしまった。 

外食をした記憶がない。出前はいつもかけうどんだった。それが一番安いものだと知ったのは、18歳になってそば屋で働くようになってからだった。 

今は2人子供がいるが、そういう思いはさせたくない。

971: 名無しさん 01/10/28 05:01
>>970 
いい話ですね(泣・・・。

972: 名無しさん 01/10/28 05:08
自分が苦労したからといって、子供が欲しい物は何でも買ってあげたりすると、これまたロクな人間にはならないからサジ加減が難しい。

973: 名無しさん 01/10/28 07:50 
>>972
それでも貧乏の苦さは味あわせたくないですね。 

子供らには「貧乏は大変だが、恥ずべき事ではない」と教えとりますが、やはり甘くなってしまいます。おかげでわたしのPC、バイク、CDコンポもろもろ子供達のおさがりばかりです。

 また、長男が高校の時、「3000円以上の物は俺の家宝だ」と言ったことがありました。 

どっかで価値観を教え間違ったかなと心配しとります。

977: 名無しさん 01/10/28 21:57
厨房の頃、クラスの名簿を見ると必ず1人か2人は○○荘というアパートに住んでいた。 

それが必ずしも貧乏の証拠ではないが、今の厨房の中には少ないだろう。

978: 名無しさん 01/10/29 02:46
幼稚園にも行かせてもらえませんでした。
 
小学校の時はいつも同じ服。中学入学直前になっても制服を買ってもらえず、泣いたことを覚えています。なんとか入学式には買ってもらえました。 

高校の時、修学旅行費を払えなかった。でも学校は行かせてくれました。卒業式の日、卒業証書をもらえなかった。旅費を払えなかったから。 

実家にはかなりの借金があったようで、卒業と同時に逃げるように家を出ました。 

今は、昔のことなど忘れたように両親とも付き合っていますが、昔のことを思い出すと悲しい気持ちになります。

974: 名無しさん 01/10/28 09:10
厨房や消防の頃、「俺ン家って貧乏だな~」とか「どーせうちは・・」とか、言葉に出さないまでも思ってた事があるのだが、今、親の少し丸くなり始めてる背中を見ては「なんだかんだ言っても一生懸命に育ててくれたよな~」と思う。 

そりゃあ流行のおもちゃとかをポンポン買い与えて貰っていた訳じゃないが、うちの親自体は、あまり出世や権力とかから離れた場所に居たいタイプの人間なので(自然とお金からは遠ざかる)、そんな中では割りとまっとうな暮らしをさせてくれたな…。

だからあの頃「貧乏、貧乏」とひねてた自分を少し後悔。



引用元:http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/middle/995264702