【その1】
悲惨な死に方有名人

25: 名無しさん 06/01/28 23:21:46
ちょっと微妙だけどアイルトン・セナ。
 
いろんな意味で衝撃的だった。

26: 名無しさん 06/01/29 02:47:35
>>25 
即死だったんだっけ? 何日か生きてたかな?

32: 名無しさん 06/01/29 11:10:57 
>>26 
即死ではない。けど何日も生きてもいない。 

ただ思うに、あの悲惨さは、中継スタイルが呼び起こしたようにも思う。 フジテレビ地上波でのF1中継はリアルタイムではなく少しだけ遅れて、深夜帯でやっている当時はまだ721
(当時のフジTVのCS放送)みたいなもんもなかったので、それが普通のことだった。 

で、あの日は中継の直前のニュースの最後のほうで、既にセナがクラッシュしたと予告。 

それを受けてF1中継も、確かOPからとんでもないことになったなんて感じの現地サーキットからの生中継映像から始まって、とりあえずという感じで、セナがコーナー飛び出して行くまで行われたレースの模様を放送した。 

そしたら、その録画中継の最中に速報テロップが入った。セナが死亡した、と。

直後、再び現地からの生中継映像に切り替わった。確かアナウンサー、コメンテーター、リポーターの3人が悲痛な表情でコース脇で立って、状況を説明した。というか、なんとかしてこの現実を受け入れなくてならないと必死だった。 

何とも言いようのない悲痛な空気が、真夜中の俺の部屋にも広がったよ・・・。

51: 名無しさん 06/01/30 00:20:03
>>32 
セナの死は当時小学低学年だったあたしもショックでした…兄の影響でF1見てて、セナはちょっと尊敬してた人だったので…。クラッシュのシーンがもう切ないです。

※アイルトン・セナ:1994年5月1日、サンマリノグランプリで事故死。享年34歳。
 

347: 名無しさん 06/02/10 01:10:58
セナが事故った時、古館が「あっ、今、少し動きました」みたいなことを言いやがった。俺はそれを真に受けたから、命は助かったかと思ったよ。
 
アナウンサーのくせにいいかげんなこと抜かしやがって・・・。

349: 名無しさん 06/02/10 08:27:25
>>347 
94年サンマリノGPの実況は「すぽると」やっている三宅アナ。

擁護するわけじゃないけど、三宅アナは見たまんま伝えたんだと思うよ。放送は録画だけど、実況は生でやっているわけだからね。今思い起こせば、「あっ、今、少し動きました」の時に絶命したんじゃないかな。実際心配停止状態だったわけだし。 

誰だったか忘れたけど、元F1ドライバーが自身の子供と見ていた時にそれを見て、「セナは死んでしまったよ」と子供に言ったらしい。わかる人にはわかるんだろうな。 

あのGPは予選からひどかったからな。ラッツェンバーがーが亡くなって、バリチェロも大クラッシュ。スタート直後のクラッシュで部品が飛び散り、それが客に当たって、大ケガ。

※ローランド・ラッツェンバーガー:
1994年サンマリノGPにおいて、4月30日の予選二日目でのタイムアタック中、ビルヌーヴコーナー手前でフロントウイングが脱落しコントロールを失い、マシンは310km/hでコンクリートウォールに激突した。病院に搬送されたものの、頚椎骨折、内臓破裂などでほぼ即死の状態だった。33歳没

サンマリノGPでは、予選1日目にルーベンス・バリチェロが大クラッシュで鼻骨を骨折、決勝ではアイルトン・セナの死亡事故を含む複数の事故が発生し、呪われた週末と言われた。(wiki:ローランド・ラッツェンバーガー)

350: 名無しさん 06/02/10 10:47:33
確かに94年サンマリノは予選から変な雰囲気だった。 

まだコクピットにいた時に頭が動いたのは事実。そのあとマーシャルが車から出して仰向けにした時、メットを取らなかったはずだから、頭相当やられてたんだろうと当時思った。 

体に大きなダメージなさそうに見えたけどヘリで運んだ後、血だまりできてたな。

351: 名無しさん 06/02/10 10:59:31
>>349>>350 
当時の雰囲気を思い出しましたよ。

352: 名無しさん 06/02/10 12:12:52
確かセナの死因は、フロントサスペンションのアッパーアームの砕けたカーボンが、メットを突き抜けて頭蓋内に到達した事による死だから、即死のはず。 

その事実が明確になってからは、その辺のパーツは飛散防止のためコードが付いてる。最近の車体はタイヤの一人旅もなりにくい構造。 

セナ事故現場でその後施された処置(血液による気道閉塞を解消するために胸部切開、出血)なんかは、その場で出来うる事を淡々とやっただけらしい。

コクピットのセナの頭動いたのは間違いないよ。

※1:00~セナのヘルメットに注目。
 

354: 名無しさん 06/02/10 12:26:54
どゆことだ?痙攣かな?

355: 名無しさん 06/02/10 13:04:18
>>354 
息絶えたんだよ。 

当時は首と頭を固定するHANS(ヘッドアンドネックシステム)なんて無かったから、まっすぐ向いていた頭が横へ倒れるように動いたんだ。未だ鮮明に覚えている。

356: 名無しさん 06/02/10 13:16:42 
>>355 
前に動いたはず…確かにHANSはその後だ。思い出したありがと。 

即死ではなかったような…生命維持装置をつけているって初めは言ってた気がする。 脳死状態だったってこと?

357: 名無しさん 06/02/10 13:48:30
>>356 
そう脳死。>>352にあるように、とりあえず気道を確保・生命維持装置等の処置はしたが、手の施しようのない状態だったそうだ。 

ラッツェンバーガーもそうだった。こっちは脳髄液が出ていたらしい。たしかヘルメットを外された時の画像が出回っていたようだけど。

358: 名無しさん 06/02/10 14:20:16
まったく詳しくなかったが、偶然セナの事故の時見てた。 

確かに首が動いたね。無知だったので、あ、命は大丈夫そうだなーと思ってたら、解説者が何も言わずに泣き出して、これはやばいんだ・・・と思ったなあ。

※事故発生から数分後、セナの身体は車から引っぱり出された。救命スタッフがセナを救護している様子は、上空のヘリコプターから全世界にテレビ放送されていた。

映像を詳しく見ると、医療スタッフがセナを手当てしている現場の地面に大量の血液が付着しているのが認められた。セナの頭部には目に見える損傷があり、救護にあたった医療専門家にはセナが重篤な頭部外傷を負っていることは明らかだった。

医療スタッフが人工的にセナの呼吸を維持するため、現場で緊急気管切開が行われ、空気の通り道が確保された。現場で気管切開手術をセナに施したのは、彼の友人でもあり、世界的に著名な脳神経外科医であるシド・ワトキンス教授だった。ワトキンスは後に、以下のように報告した。

「彼は穏やかな表情をしていた。まぶたを引き上げて瞳孔を確認すると、脳に大きな損傷があるのがわかった。私たちはコックピットから彼を引き上げ、地面に寝かせた。そうしているときに、彼はため息をついた。私は信心深い人間ではないが、その瞬間に彼の魂が旅立ったのだと感じた」

この時点では、死亡原因は判明していなかったが、ワトキンスはセナが死亡していると判断していた。後の調査では、衝突の瞬間に跳ね上げられた右フロントホイールがコックピット内部に侵入し、セナのヘルメットの右前部に激突したと考えられている。(wiki:アイルトン・セナの死)

33: 名無しさん 06/01/29 15:29:24
マリリン・モンロー。

全裸でマフィアに殺されて自殺に見せかけられる。

※1962年8月5日、彼女はロサンゼルスの自宅でバルビタール(睡眠薬)の過剰投与により死亡。享年36歳。モンローの死には、

ケネディ大統領と不倫関係にあったこと、さらにケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあったことが暴露された上に、お互いを紹介したのが、ケネディの大統領選挙の際の支援者でマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナと関係の深いシナトラであったことや、これらの関係を知った当時のFBI長官が、ケネディとモンローのみならず、ケネディとマフィアの関係についても度々忠告していたことから、さまざま陰謀論が提唱されている。(wiki:マリリン・モンロー)

34: 名無しさん 06/01/29 16:02:52
ブライアン・ジョーンズ。

※1969年6月8日、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーはメンバーを伴い、当時ストーンズの幽霊メンバーともいえる立場だったブライアンのもとを訪れ、ストーンズから脱退してもらうよう頼んだ。

ブライアンは100000ポンド(当時のレート、ポンド円約1000円の固定相場。日本円にして約1億円にのぼるが、消費者物価指数を加味すると約4~5億円)の一時金と、ストーンズが存続する限り年20000ポンド(同じく消費者物価指数を加味すると8千万から1億円)を受け取るという提案を呑み、脱退に同意した。

記者会見でブライアンは「ストーンズの音楽は俺の好みではなくなってしまった。俺は自分に合った音楽をやっていきたい」と語った。

脱退から間もない7月3日午前0時ごろ、ブライアンが自宅のプールの底に沈んでいるのが発見された。検死では、「アルコールとドラッグの影響による不運な出来事」と結論付けられた。27歳だった。(wiki:ブライアン・ジョーンズ)

35: 名無しさん 06/01/29 19:16:23
野口英昭。

36: 名無しさん 06/01/29 20:15:36
>>35
LDの野口さん。素人目に見てどうみても他殺なように思うんだけど、遺書も見つからないのに、警察はたぶんその線で捜査してない… かなり悲惨だ。

※ライブドアに家宅捜索が入った2日後の2006年1月18日、沖縄のカプセルホテルで睡眠導入剤を飲み、首の両側、両手首を切り、腹も切り、血まみれになったサッカーシャツからホテルのガウンに着替え、最後に非常ベルを押して自殺。享年38歳。(wiki:野口英昭)

38: 名無しさん 06/01/29 20:20:05 
キレンジャーの役者、自宅で首吊。 

名前は忘れた。

194: 名無しさん 06/02/05 00:59:50
>>38 
畠山麦さん。

43: 名無しさん 06/01/29 21:15:27
>>38 
まじ? 知らんかったよ・・。

※1978年7月13日、ドラマ「特捜最前線」の撮影期間中に、出番を残したまま自宅で首吊り自殺。34歳没。(wiki:畠山麦)

40: 名無しさん 06/01/29 21:00:27
松嶋ともこ。 

ライオンとヒョウとトラに一斉に襲いかかられるなんて・・・。

※松島トモ子:
1986年1月28日、テレビの撮影で訪れていたケニアでライオンにかじられる。10日後の2月7日にヒョウにかじられ第四頚椎粉砕骨折するも生還。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表された。なお、存命中。(wiki:松島トモ子)

41: 名無しさん 06/01/29 21:03:37
蘇我入鹿。 

日本史の教科書に載るぐらい悲惨な死に方。

※好き勝手やりすぎた蘇我入鹿は645年7月10日、中大兄皇子、中臣鎌足らにより宮中で暗殺された。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。(wiki:乙巳の変)

47: 名無しさん 06/01/29 22:50:10
神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ1世。
 
十字軍の遠征の途中で川に落馬し、甲冑が重すぎて溺死した。

※諸説があり、フリードリヒ1世は卒中のために溺死したとも、暗殺されたともいわれる。

48: 名無しさん 06/01/29 23:11:52
モーツァルト。 

死に方というか、葬られ方? 共同墓地。

49: 名無しさん 06/01/29 23:50:28
アマデウスのラストで、なんか棺からボテッと白い布にくるまれた死体が落とされて、上から石膏がかけられたシーン見た時は、軽く欝になった。

50: 名無しさん 06/01/30 00:06:06
平将門。
 
首を切られ、その首が叫びながら空を飛んだ。

※討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何か月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたという。

また、将門のさらし首は関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、途中で力尽きて地上に落下したともいう。この将門の首に関連して、各地に首塚伝承が出来上がった。(wiki:平将門)

52: 名無しさん 06/01/30 00:20:14
世良修蔵。 

耐震性偽装マンションの設計士・姉歯秀次の先祖にあたる仙台藩士・姉歯武之進に、手紙の中で仙台を馬鹿にしたからと因縁をつけられて捕縛・斬首されて、その首は玉虫左太夫によって糞壺漬けにされた。 

三国志の時代の中国っぽい話だが、爺さんの爺さんが生まれてたかもしれないくらいの、つい最近の日本の話。

※世良修蔵(1835年8月8日~1868年6月10日)幕末の長州藩士。

53: 名無しさん 06/01/30 00:57:00
浦辺粂子。
 
天ぷら油の火が着ていた服に燃え移り、火だるまに…。

※1989年10月26日、自宅で湯を沸かそうとした際に和服の袂にコンロの火が引火、全身に大火傷を負い火だるまとなって自宅前の道路で倒れている姿を発見され病院へと緊急搬送された。全身の70%にやけどを負っていたという。87歳没。(wiki:浦辺粂子)

54: 名無しさん 06/01/30 01:07:43
韓国の閔妃。
 
日本軍に急襲されて殺害された後、石油をかけられて焼かれた。

※乙未事変:
1895年10月8日、李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃(びんひ:明成皇后)が、三浦梧楼(陸軍軍人)らの計画に基づいて王宮に乱入した日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使らに暗殺された。43歳没。

金辰明(韓国の小説家)「皇太子拉致事件」では日本人が妃を「死姦」したと記述し、石塚英蔵報告書を根拠とする実話であるとしているが、本物の石塚書簡には記載がなく、金によるフィクションであることが判明している。

また、同小説には「秘密外交文書電報435号」と称する架空の文書が書かれ、ここには閔妃暗殺の詳細として「日本の浪人が明成皇后の死体を屍姦し、死体を焼いて証拠隠滅した」という内容があるとされているが、現物の電報第 435 号(極秘扱)は「中山書記官より広田外務大臣宛電報」(昭和8年10月14日付)であり、事件と同時代の文書でもなく、また小説に出てくるような記述は一切ない。(wiki:閔妃)



54: 名無しさん 06/01/30 01:07:43
マクシミリアン。
 

メキシコの皇帝になったフランス人だが、メキシコが独立した際、フランス軍に置いてきぼりにされ、処刑された

※1867年6月19日、34歳没。

59: 名無しさん 06/01/30 23:00:26 
松永弾正少弼久秀。 

日本人初の爆死。

62: 名無しさん 06/02/02 00:09:08
>>59 
松永の死様は見事だったと思うが、信長に情けをかけられたのを拒んで火薬入りの壺に自ら点火、周囲には自分で壊した趣味の茶道具。

さすが戦国の大悪党だけあるw。

※松永弾正少弼(だんじょうしょうひつ)久秀:
1577年11月19日、信長は久秀が立て籠る信貴山城(しぎさんじょう)に大軍を送り込み、名器・平蜘蛛茶釜を城外へ出すよう求めるも、久秀は「平蜘蛛の釜と我らの首と2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにする」と返答し、平蜘蛛を叩き割り、火薬に火を着け爆死した。(wiki:松永久秀)

60: 名無しさん 06/01/31 04:49:35 
ボニファティウス8世。 

アナー二事件で捕らえられ憤死。

※アナーニ事件:
「教皇が宗教上・世俗上の最高権の保持者である」と宣言したボニファティウス8世は、フランス国王フィリップ4世と対立し、生まれ故郷の山間の小都市アナーニに逃げ込んだが、フランス軍に捕らえられた。68歳の教皇はこの一連の事態に怒りと失望で傷心し、3週間後に死亡した。(wiki:アナーニ事件)

61: 名無しさん 06/02/01 23:51:58
豊田商事のボス。

※1985年6月18日、金のペーパー商法を行っていた豊田商事会長の永野一男が、マスコミが集まっていた自宅マンションで殺害された。32歳没。

返り血閲覧注意