【その7】
Yamato_Trial_1941

219: 名無しさん 01/12/06 04:04
海上自衛隊の護衛艦史上もっとも高速なのは、最初の護衛艦である初代「あさかぜ」級(元米海軍リヴァモア級駆逐艦)。

223: 名無しさん 01/12/06 19:19
>>219 
そう言えば「あさかぜ」はトップヘビー解消の為に2番砲塔を取り外したんだったね。

※あさかぜ:最大速力37 ノット (約69 km/h)
620px-HMS_Warspite,_Indian_Ocean_1942

アメリカ海軍のリヴァモア級駆逐艦の貸与を受けて1954年に再就役させたもので、海上自衛隊初の本格的な水上戦闘艦として活躍した。重厚な火力装備のために復原性が悪く、翌1955年、52番砲(5インチの2番砲の意)の撤去やビルジキールの深さ増大などの改善工事が行われた。(wiki:あさかぜ型護衛艦)

なお、2018年現在で海上自衛隊の艦艇で最も高速なのは「エアクッション艇1号型(LCAC)」で、最大積載時(54t)で40+ノット(74km/h)、最高速度は70ノット(約130km/h)以上。
JMSDF_LCAC_2103_at_Self-Defense_Forces_Fleet_Review_2006
(wiki:LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇)

純粋な船型としてはミサイル艇「はやぶさ」が44ノット(約81km/h)。
JS_Hayabusa
(wiki:はやぶさ)

221: 名無しさん 01/12/06 06:29
プールで遊んでる時、プール内に手榴弾が投げ込まれた場合、即座にプールから上がろう。 

迫撃砲を撃たれそうな雰囲気を察知したら、木の下で伏せるのはやめよう。

224: 名無しさん 01/12/06 19:22
>>221 
>プールに手榴弾
どうなるんですか?

226: 名無しさん 01/12/06 19:59
子作りできない体になる。

227: 名無しさん 01/12/06 20:05
>>224 
プール内で手榴弾が爆発すると、水中衝撃波でプール中に入っている人は大ダメージを受けます。花火大会で特等席にいると花火の音が腹に響きますが、アレを数万倍拡大したような物を想像すれば良いかと。

恐らくですが、良くて全身打撲で土左衛門と言ったところでしょうか。

228: 名無しさん 01/12/06 20:14
>>227 
なるほど。解説どうもです。 

どうも手榴弾って言うと「火力はそれ程でもないけど飛び散る破片が怖い」ってイメージだったんですけど、火力もあるんですね。

232: 名無しさん 01/12/06 22:14
>>228 
今の手榴弾は性能が上がって、普通に使った場合、WW2の頃の60kg爆弾。
 
水中で使った場合、WW2の頃の爆雷ぐらいの威力がある。

234: 名無しさん 01/12/07 00:56
>>232 
じゃあ、手榴弾で潜水艦攻撃できるな(w。

238: 名無しさん 01/12/07 02:29
>>234 
潜水艦狩りの方法の中に、ピンを抜いた手榴弾をトイレットペーパーで巻いて固定し、それを海中に投じると、ある程度の時間で紙が溶けるので簡易爆雷にする方法があるそうな。 

脅し程度には使えるとか。

233: 名無しさん 01/12/07 00:46
家の親父が子供の頃、石川県の海岸には、海流に乗っていろんな漂流物が打ち上げられたのだが、機雷や、木箱詰めの爆発物も結構あったと言っておった。 

がきどもは手榴弾を川に投げ込んで、爆発で浮いた川魚を取っていたが、ある日風の強い日に、海岸から海に向かって投げた手榴弾が、風で押し戻されて爆死者が出たのだそうだ。

それで、学校で「手榴弾を拾わない様に」と注意されたのだと。

241: 名無しさん 01/12/08 00:47
コンドームは時限発火装置に使える。

225: 名無しさん 01/12/06 19:41
トラファルガー海戦で勝利をおさめたものの、戦死したネルソン提督。防腐のためラム酒の樽に漬けられて本国へ帰還します。 

しかし本国に帰って樽を開けてみると、樽の中のラム酒はほとんど残ってませんでした。

※ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵):
当時の海戦においては砲撃で敵艦を沈めるのは困難であり、最終的に接近戦・移乗攻撃で決着をつけるのは定石であった。1805年、トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破って勝利し、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕したものの、ネルソン自身は接近戦時に銃弾を受け死亡した。

ネルソンの遺骸は腐敗を防ぐために、乳香と樟脳(しょうのう)を入れた当時最高級のコニャックの樽に入れられ、ヴィクトリーが曳航された先のジブラルタルにてワインを蒸留したスピリッツで満たされた棺に入れ替えられ、大事に鉛で密封されて本国まで運ばれた。

翌年、君主以外では初となる国葬としてセント・ポール大聖堂に葬られた。中将からの昇進は行われずに、王として葬られた。現在でもネルソンはイギリスの英雄として称えられ続けており、ロンドンのトラファルガー広場中心にはネルソン記念柱が据えられている。(wiki:ホレーショ・ネルソン)

235: 名無しさん 01/12/07 01:02
戦艦大和の便所には、デカいチ○ポの落書きがあった。

236: 名無しさん 01/12/07 01:12
啄木は放蕩癖(ほうとうへき)があり、一月の給料を1日で使ってしまっていた。

237: 名無しさん 01/12/07 01:37
>>236 
啄木が軍事ネタか? と思ったが、あのにいちゃん、マカロフの詩を作ってるんだよな。 

これもしょうもない知識。(w

※ステパン・マカロフ:
ロシア太平洋艦隊司令長官。日露戦争中の1904年4月13日、マカロフは旗艦である戦艦「ペトロパブロフスク」に座乗し、戦艦5隻・巡洋艦4隻を率いて撃沈された駆逐艦の生存者の救援と、日本艦隊の攻撃に向かう。
日本の主力艦隊を認めると旅順港に引き返すが、座乗していた旗艦ペトロパブロフスクが日本軍の敷設した機雷に触雷し爆沈。マカロフは避難しようとしたが間に合わず、将兵500人と共に戦死した。

石川啄木は、マカロフ戦死の報を聞いて「マカロフ提督追悼の詩」を作り、翌年5月に刊行した処女詩集「あこがれ」に掲載した。この中で啄木は、

君を憶へば、身はこれ敵国の
東海遠き日本の一詩人、
敵乍(なが)らに、苦しき声あげて
高く叫ぶよ、(鬼神も跪(ひざま)づけ、
敵も味方も汝(な)が矛地に伏せて、
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。)

ああ偉いなる敗将、軍神の
選びに入れる露西亜の孤英雄、
無情の風はまことに君が身に
まこと無情の翼をひろげき、と。

と敵将の死を悼んだ。(wiki:ステパン・マカロフ)

250: 名無しさん 01/12/08 17:53
>>236 
金が無くなった啄木は金田一京助から借金したそうだ。これもどうでもいい話。

251: 名無しさん 01/12/08 17:55
>>250 
国語学者の金田一春彦氏はそんな啄木が嫌いらしい。

239: 名無しさん 01/12/08 00:36
キ-43と飛行第64戦隊。

一式戦を装備していたから隼戦闘隊と呼ばれていた…のではなく、反対に隼戦闘隊が装備していたから一式戦が隼と命名された。 

だから一式戦の変わりに97戦改が採用されていても「加藤97戦改戦闘隊」というのはありえない(97戦装備の時より既に隼戦闘隊と命名)。

※加藤隼戦闘隊(かとうはやぶさせんとうたい):
太平洋戦争(大東亜戦争)初期に活躍した日本軍を代表するエース・パイロットの一人、加藤建夫陸軍中佐率いる大日本帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊の愛称。

帝国陸軍の新鋭戦闘機である一式戦闘機(キ43)の愛称の「隼」は、一式戦をもって南方作戦で活躍した第64戦隊の部隊歌冒頭のフレーズ「エンジンの音 轟々と 隼は征く 雲の果て」から取られたものとされている。

1942年5月22日、第64戦隊が臨時に駐屯していたビルマ・アキャブ飛行場にイギリスの爆撃機が来襲し爆撃。加藤中佐機以下5機が邀撃(ようげき)するも、2機が被弾し途中帰還、さらに1機が機体腹部(燃料タンク部)に集中掃射を浴び発火。

この機体こそが戦隊長加藤建夫中佐機であり、ベンガル湾上のため帰還・不時着は不可能と悟った加藤中佐は僚機に向けて翼をゆっくり大きくふると、機を左に反転、背面飛行になって高度200mからビルマ・アンサンヨウ西方沖約10kmのベンガル湾の水面に炎を噴きながら突入、14時30分に壮烈な自爆を遂げた。38歳没。戦死後二階級特進で陸軍少将。(wiki:加藤隼戦闘隊)



242: 名無しさん 01/12/08 01:06
アメリカで建造された駆逐艦に、わざわざナチス時代の軍人の名前を冠するドイツ海軍(リュッチェンス、メルダース、ロンメル)。
 
つくづくドイツってイヤミな国だ。

※戦後、アメリカが受注したドイツの艦船の話です。

246: 名無しさん 01/12/08 02:20
>>242 
海軍軍人でそろえることができない点が、「陸軍大国」の寂しさか。

ギュンター・リュッチェンス海軍大将(ドイツ艦隊司令官)
ヴェルナー・メルダース空軍大佐(エース・パイロット)
エルヴィン・ロンメル陸軍元帥(アフリカ戦線で「砂漠の狐」と呼ばれる)

902: 名無しさん 02/01/31 22:58
エルヴィン・ロンメルの息子はフランクフルト市(だったと思う)の市長をやっていた。

※シュトゥットガルト市長。

244: 名無しさん 01/12/08 01:57
アメリカの失敗した対空自走砲「サージェント・ヨーク」は、第一次大戦で活躍したヨーク軍曹の名をとった。 

※M247サージェント・ヨーク:
584px-M247_PallMall_TN
1970年代後半から開発が開始され、長期にわたり開発が続けられたが、システムの信頼性の不備に加え、高価で複雑な対空兵器の必要性自体が疑問視され、生産が開始されたものの1985年8月27日にキャンセルされ、配備にまでは至らなかった。既に生産されていた50両は、アメリカ空軍の対地攻撃訓練の目標などに使用された。(wiki:M247サージェント・ヨーク)

243: 名無しさん 01/12/08 01:09
自衛隊隊も艦命を偉人にしたら・・・嫌だなw。

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