大戦末期、もはや大型艦による作戦は燃料不足で実行不可能となり、空母「葛城(かつらぎ)」は戦争中殆ど外洋へ出ることもなく瀬戸内海で待機し、戦争終了後の後半1年は復員輸送艦としてラバウルや南洋諸島まで度々航海するという、皮肉な艦歴を持つことになった。

1946年3月に広島県大竹港沖に空母「葛城」が帰還者を乗せて到着。大竹港は地方引揚援護局の一つで、帰還者輸送船は1947年1月までに約200隻の色々な船舶が入港し、約41万人が帰還したという。

広大な格納庫が、乗船スペースに充てられたが環境は拙劣であり、格納庫への仕切りなどの設置による居住区への改装、それにともなう飛行甲板への通風孔の設置(格納庫には窓がないため)等の改装が行われた。

輸送可能人員は約3,000名から5,000名余。「葛城」は特別輸送艦として最大の大きさを持っていた。