【その2】
Yamato_Trial_1941

62: 名無しさん 02/02/24 02:32
日中戦争当時のスパイの素性の見分け方 。

・さじを使わず、食器を手にとって箸で飯をかきこみ、食後に箸を食器の上に載せるのが日本人。 
・食器を手に持たず、箸とさじを使って食べ、食後はテーブルの上に箸とさじを直接置くのが朝鮮人。

65: 名無しさん 02/02/28 13:26
>>62 
おお、それなら俺も! 

日本人:歩く時は右足から出す。顔を洗う時は顔を固定して手を動かす。 
中国人:歩く時は左足から出す。顔を洗う時は手を固定して顔を動かす。 

こんな意識しない所からボロが出るのか。

66: 名無しさん 02/02/28 13:36
>>65 
>中国人:歩く時は左足から出す。顔を洗う時は手を固定して顔を動かす。
 

じゃ自衛隊員は、みんな中国人なの?(笑) 

67: 65 02/02/28 13:48
>>66 
えっ?自衛隊の人はそうなんですか?知りませんでした(笑)。
  
>>65>>62と同じく日中戦争当時って事で。

68: 名無しさん 02/02/28 14:09
>>67 
自衛隊の「前へ、すすめ」の号令で最初に出す足は左足からと決まってまして、信号待ちしていて左足から歩き出す、及び1分間120歩の速歩歩調で歩いているのがいれば、たぶん自衛隊員です(笑)。

69: 名無しさん 02/02/28 14:27
>>68 
あ他にはホームで電車待ちしてる時に「休め」の体形になるって聞いた事があります。 

訓練で体が覚えてしまうと無意識に出るんですね。

70: 名無しさん 02/02/28 17:56
元自衛官の俳優今井雅之さんの話ですが、休日に同僚数人と街にナンパしに行ったところ、歩いているうちに自然に縦一列になって歩調を合わせて「行進」してしまい、私服だったのに周囲には自衛官とバレバレだったそうです。

75: 名無しさん 02/03/02 10:35
>>70 
刑務所生活が長い人も、娑婆に出てしばらくはそうなっちゃうらしい。

71: 名無しさん 02/03/01 01:44
今井雅之の話が出たので一つ。 

今井雅之が61式に載っていた時、61式に搭乗すると腰を突き出すような形になり、その中で一人でナニをしていたそうです。 

73: 名無しさん 02/03/01 13:52
妙に凄い知識持ってるなあ(感嘆)。

247: 名無しさん 02/04/27 12:26
61式戦車の90mm砲からライフルを除去すると、口径は96mmになる。

※61式戦車:
640px-Japanese_Type_61_tank_-_1
1955年に開発が開始され、1961年4月に制式採用された。採用された西暦の下二桁の年をとり、61式戦車と命名された。主砲に「61式52口径90mmライフル砲」として制式化された52口径90mmライフル砲を装備し、鉄道輸送を考慮して当時の国鉄貨車に搭載できるよう車体が小型化されている。

主砲には「61式52口径90mmライフル砲」と呼ばれる52口径90mmライフル砲(携行弾数50発)を搭載し、主砲同軸機銃に7.62mm機関銃M1919A4(携行弾数4,000発)。1974年に74式戦車が採用されるまで560輌が生産され、2000年に全車が退役した。(wiki:61式戦車)

72: 名無しさん 02/03/01 13:47
ちょっと思い出したので。 

元諜報担当で終戦直後に大陸のホテルの用心棒をやっていたイラストレーターの人(ホモ雑誌「さぶ」では林月光という名前。故人)曰く中国人は喧嘩の時、まず足が出るそうです。


63: 名無しさん 02/02/28 03:38
一冊500円する防衛庁の広報誌「SECURITARIAN」。 

しかし、市ヶ谷の厚生棟レストランの前では持ちかえり自由で、平積みされている。 

※セキュタリアン(SECURITARIAN):
1992年創刊、2006年9月10日発行の同年9月号で休刊。

74: 名無しさん 02/03/01 21:21
イギリス軍が使用した対空ロケット・ランチャー弾には、光学式の近接信管が付いてたが少々過敏で、雲でも鳥でも、少し影が差しただけで爆発した。

78: 名無しさん 02/03/02 12:56
社名の由来。  

メニコン=目にコンタクト。  
キャノン=Canon=観音。

79: 名無しさん 02/03/02 13:18
>>78 
キ「ヤ」ノンだよ。確か。

84: 名無しさん 02/03/03 12:31
オーストラリア兵の肉の消費量はアメリカ人に匹敵した。

85: 名無しさん 02/03/03 14:08
どこだかの島を攻めようとしたアメリカ軍が、守備隊の兵力を調べようと、日本軍の大便の量から兵力を判断、相当な人数と思ってそれなりの規模で攻めて来たら、なーんだと言う位の守備隊しかいなくて、拍子抜けしたというお話。 

つまり米を食う日本人は、ウンコの量がアメ公より多かったということでしょうか? まだ食料状態がよかった戦争初期の話でしょうが。

86: 名無しさん 02/03/03 14:12
どいやって大便の量調べたんだろ。

88: 名無しさん 02/03/03 14:44
>>85 
俺の読んだ話では、米軍は人数:厠の比率を知ってたとあったよ。

日本軍は厠を隠蔽して設置して無かったから、航空偵察写真で厠の数を調べて守備隊の人数を予測、攻撃の規模を決定して実際に攻めこんだら予測と大差ない人数だったって。 

だからその話は米軍が比率を確定する前の話で、大便の量じゃなくて厠の数だと思うんだか。

89: 名無しさん 02/03/03 14:54
明治31年、将校が集まったとある席でのできごと。 

とある将軍がビール注げの号令をかけると、兵卒が将校たちのグラスにビールを注ぐ。そして将軍の「ビール飲め」の号令で、将校たちはビールを一気に飲み干す。

これを10数回くりかえし、最後に残ったのが樺山海軍大将と、号令をかけた乃木将軍。 

これが一気飲みのルーツらしい。

92: 名無しさん 02/03/05 22:20
アルゼンチンとイギリス軍がライセンス生産したFALとL1A1は、元ネタは同じFAL自動小銃で、フォークランド紛争で撃ちあった。 

しかし、折りたたみ銃床のついた「パラトルーパー・タイプ」は、アルゼンチンにあってもイギリス軍にはなく、パラトルーパー・タイプを捕獲したイギリス軍は、「コンパクトで大きなファイア・パワー」の小銃をちゃっかりSASの装備に回し、対アイルランドゲリラ戦に投入している。

※L1A1:
640px-SLRL1A1

※FN FAL:
Un_FN_FAL_version_Para

102: 名無しさん 02/03/07 00:26
鈴木宗男の唯一(?)の善行として、外務政務次官時代、 杉原千畝氏の名誉回復運動を、外務省の反対を押し切って推進させたことがあった。 

この時、反対の陣頭に立っていたのが小和田恒 事務次官(当時)。つまり、あの雅子さまの父君。意外も意外な取り合わせである。

反対の理由というのが「名誉を回復させるということは、杉原千畝を訓令違反(勝手にビザを発行したこと)で追放し た外務省にミスがあったことを認めることになる」というもの。これが官僚という人 々のものの考え方らしい。 

この一件でのケンカ以来、逆に外務官僚への影響力をぐんと強めたという。

※杉原千畝と外務省:
1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザを発給し、およそ6,000人にのぼるユダヤ人系避難民を救ったことで知られるが、杉原が終戦後の1947年(昭和22年)に帰国すると外務次官から退職通告書が送付されて来た。

この通告書は日付と宛名だけが手書きで書き込めるようになっているガリ版刷りのもので、退職を自明の前提としたものであった。「杉原はユダヤ人に金をもらってやったのだから、金には困らないだろう」旧外務省関係者の千畝に対する敵意と冷淡さは一貫していた。

外務省退官からしばらくは、三男を白血病で失い、義理の妹も亡くなるなど家族の不幸に見舞われ、職を転々とする不遇の後半生を送っていた。真っ先に声をあげたのは、東京に在住していた、ドイツ人のジャーナリスト、ゲルハルト・ダンプマンであった。

「戦後日本の外務省が、なぜ、杉原のような外交官を表彰せずに、追放してしまったのか、なぜ彼の物語は学校の教科書の中で手本にならないのか、なぜ新聞もテレビも、彼の人生をとりあげないのか、理解しがたい」

 1985年(昭和60年)1月18日、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受賞。同年11月、エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑の除幕式が執り行われるも、心臓病と高齢は千畝の海外渡航を許さず、代わって四男が出席した。

1986年(昭和61年)7月31日、86歳でその生涯を閉じた。千畝の死を知るや、駐日イスラエル大使が駆けつけ、葬儀には、かつてのハルビン学院の教え子やモスクワ駐在員時代の同僚など、生前の千畝を知る三百人余が参列。

通夜には、一人の男性が新聞で知ったということで訪ねて来た。その男性は肉体労働をしているらしい様子で、紙には千円札がきちんとたたまれており、夫人に紙に包んだ香典を渡すと、名前を聞いても言わずに帰って行った。

杉原の発給したビザに救われ、その後アメリカに渡り成功し巨万の富を得た起業家・投資家のサム・ゼルは、千畝が外務省を辞めるに至った経緯を知って憤慨し、病躯をおして長文の手紙を夫人に送り、「日本に行って外務省に抗議する」旨を伝えた。
日本国政府による公式の名誉回復が行われたのは、21世紀も間近の2000年10月10日になってのことだった。

ーこれまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。

日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。

故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第ですー

 2000年10月10日の外務大臣河野洋平による演説。(wiki:杉原千畝)

109: 名無しさん 02/03/10 00:28
日章旗の日の丸は少しずれている。

113: 名無しさん 02/03/10 00:44
>>109 
日章は1999年の国旗・国歌法で左右中央と定められました。従来は、1/100旗竿側に寄せると言うことでしたが。ちなみに、旗の縦横7:10の比率も2:3になり。日章の直径は縦の長さの3/5に決められています。 

不思議なことに地色は白、日章は紅色でありますが、紅色の色調は設定されていません。

114: 名無しさん 02/03/10 00:49
1920~30年代、ドイツで大きな勢力を誇ったドイツ共産党の挨拶は、右手の握り、拳を高く掲げて、「ハイル・モスクワ!!」 と叫ぶものだった……。 

115: 名無しさん 02/03/10 01:44
>>114 
ドイツ語だったら、「ハイル・モスカウ!!」じゃないのと突っ込んでみる。

※赤色戦線戦士同盟同士の敬礼。「Rote Front!(赤い戦線!)」バージョンも。

116: 名無しさん 02/03/10 12:02
1652年、独立以前のアメリカでのこと。 

当時ニューヨークに住んでいたオランダからの移民が、イギリスと戦うハメとなった。この時、ニューヨークを守るべく要塞化されたのが壁の町「ウォール街」。 

世界同時不況を防ぐ壁となるかどうか…。 

※ウォール街:
木材などを利用して築いた防護壁は実際の戦闘で利用されることはなく、1699年に解体された。(wiki:ウォール街)

117: 名無しさん 02/03/10 12:05
児島襄「大山巌第2巻 西南戦争」(文春文庫)より。 

明治10年2月17日の鹿児島出軍の場面、降雪の中。 

「西郷はあいかわらず肥満病が治らず、睾丸も九州南西部で羅病率の高いバンクロフト系条中虫、つまりはフィラリオ病により肥大していた。その肥張した睾丸を寒気から防ぐために、ウサギの毛皮で作った袋で陰嚢を包んでいた」 

男子の本懐という感じですな。…やっぱ金玉のでかい奴は何やってもでかいです。 

126: 名無しさん 02/03/14 10:37
>>117 
大山巌、西郷従道、野津清貫、黒田清隆の4人は、薩英戦争時にスイカ売りに化けて英艦に入り込み切込みをかけようとしたが、英水兵の好奇の目に逆に怖気づいてさっさと退散。

※薩英戦争:
1863年8月15日~8月17日。国書に対する使者とスイカ売りに変装し艦隊に接近し、奇襲を仕掛けようとしたら、使者を装った一部は乗艦に成功したが、艦隊側に警戒されてほとんどの者が乗船を拒まれ、奇襲に失敗したという。戦争結果、引き分け。薩摩が賠償金を支払い講和。(wiki:薩英戦争)

118: 名無しさん 02/03/10 12:19
空自のT-4ジェット練習機は固定武装がありませんが、ハードポイント(機外兵装取り付け部)にバルカン砲ポッドを搭載して機銃を撃てるはず…でした。 

しかし実際にこれを試してみたところ、射撃の際の振動が大きすぎて機体が耐えられない事が判ったため、以後バルカン砲ポッドの搭載は諦めたとか…。

※T-4 (練習機):
640px-Japan_Air_Self-Defence_Force_Kawasaki_T-4_Aoki-1
練習機といえども有事の際には武装も施せるように出来ており、実際にT-4も試作機時代に武装ポッドによる攻撃試験が行われた。しかし試験の結果、12.7mm重機関銃程度では改修の手間に対して現代の軍用機が相手では大した打撃力にならないことや防衛環境の違いもあり、量産機は練習用に特化されることとなった。

ただしトラベルポッド(荷物入れ)、曳航標的器、集塵ポッドなどの運用は可能である。2006年10月の北朝鮮による核実験の際に、集塵ポッドを搭載し大気中の浮遊塵を採取するための任務を行っている。(wiki:T-4)



119: 名無しさん 02/03/10 12:21
ノーベル平和賞で有名なノーベル。言わずと知れたダイナマイトの開発者であるが、しかしその開発には、平和への希望が隠されていた。 

「なんでも破壊してしまう強力な爆薬を作れば、誰も恐怖のあまり戦争をしなくなるだろう」 

だが現実にはノーベルのダイナマイト開発以降、凄惨な戦いは終わらない。 現在は核抑止論によって核戦争はさけられているが、将来は果たして……。

124: 名無しさん 02/03/12 10:20
>>119 
機関銃を作った連中もそんなこと考えてたみたいです。

128: 名無しさん 02/03/14 10:40
>>124 
ホチキス(ホッチキス)ね。

※ホッチキス Mle1914重機関銃:
ホッチキス Mle1914重機関銃
1860年代にアメリカのベンジャミン・ホチキスがフランスに渡り設立した兵器メーカーオチキス社(Hotchkiss et Cie)で設計製造したもので、世界で初めてガス圧利用による作動方式を実現させた機関銃として「現在までに登場した全てのガス圧利用式小火器の共通の先祖」といわれる。

大日本帝国陸軍は保式機関砲としてライセンス生産して配備し、日露戦争に投入され、勝利に貢献した。(wiki:ホッチキス Mle1914重機関銃)

129: 名無しさん 02/03/14 10:41
>>124 
Dr.ガドリング。

※リチャード・ジョーダン・ガトリング:
彼が発明した種まき機の仕組みに基づいてガトリング砲を発明した。1857年、彼は「1人で100人分の働きをできるような機械(砲)を発明できたら、戦争に投入される兵士の数は大幅に減らせるだろうし、その結果として戦死者も減るだろうと考えた」と記している。(wiki:リチャード・ジョーダン・ガトリング)

127: 名無し1 02/03/14 10:39
ノーベルの親父は機雷を作って大儲け。 

爆薬一家です。

※イマヌエル・ノーベル:
クリミア戦争 (1853~1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、1859年に破産。(wiki:Immanuel Nobel)

134: 名無しさん 02/03/19 08:43
GRH-211-Bの電源の入れ方。最初にAのスイッチを入れ、30分ほど暖気する。 

しかるのちに、Bのスイッチを入れると、元気に受信してくれる(笑)。  

135: 名無しさん 02/03/19 08:46
東千歳のウサギさん。 

モスクワあたりまで届く、優秀なお耳の持ち主(笑)。 

136: 名無しさん 02/03/19 08:50
喜界島のウサギさん。北朝鮮らしき内緒話もバッチリよ♪ 

不審船が2隻だって事にも、そのうちの1隻は地上部隊かもしれないって事にも気づいてる♪