【その1】
Yamato_Trial_1941

61: 名無しさん 02/02/23 08:29
三菱F-1は胴体着陸禁止である。

※F-1 :
F-1_(13610307365)
三菱重工業が製造したT-2高等練習機を基に、第二次世界大戦終結後に日本が初めて独自開発した超音速飛行が可能な戦闘機。2006年3月9日に全機が退役。(wiki:F-1 )

91: 名無しさん 02/03/05 18:06
独ソ戦中、ソ連のパルチザン(ゲリラ部隊)の一部は、日本製の小銃等を使っていた。

92: 名無しさん 02/03/05 22:20
>>91 
フィンランドなどに三八式小銃が輸出されていましたから、その流れ品なんでしょうか。 

※三八式歩兵銃:
Rifle_Type_38_1
初の実戦投入は第一次世界大戦(青島の戦いなど日独戦争)であった。以降、三八式歩兵銃は日本軍の主力小銃としてシベリア出兵、満洲事変、支那事変、ノモンハン事変等で使用されている。第二次世界大戦においても日本軍主力小銃のひとつとして使用された。

総生産数は約340万挺であり、これは日本の国産銃としては最多である。また、長期間に渡って主力小銃として使用されていたため、騎銃型・短銃身型・狙撃銃型など多くの派生型も開発・使用され、外国にも多数が輸出されている。(wiki:三八式歩兵銃)

93: 名無しさん 02/03/05 23:24
>>92 
いや、ノモンハンでの鹵獲品だったらしい。

※ノモンハン事件:
1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、国境線をめぐって満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。結果、ソビエト連邦・モンゴル人民共和国の勝利。(wiki:ノモンハン事件)

94: 名無しさん 02/03/06 00:19
>>93 
僕の記憶が確かならば、一次大戦中に日本は98万挺の銃をロシアに輸出していますから、むしろその時の銃が多いかと。

230: 名無しさん 02/04/21 04:13
アメリカでは、38式歩兵銃は猟銃として人気がある。

235: 名無しさん 02/04/21 11:54
>>230 
それって単に本来の使用法に戻っただけでは?(苦笑)

231: 名無しさん 02/04/21 04:27
>>230 
欧州でも人気で、フィンランドかどこかでは弾を作ってなかったっけ?

233: 名無しさん 02/04/21 04:44
>>231 
NORMA社ですね。色々な弾薬を製造してるけど、オリジナルの弾薬よりちょっと小さくしてるとか。 

※日本国外で廃棄されず流出した三八式歩兵銃は可動状態で一定数が現存しており、多くは愛好家や博物館が収蔵しているほか、アメリカやカナダではスポーツライフルとして流通している物もある。これら愛好家向けとして実射にはフィンランドのノルマ社が製造している6.5mmx50弾が主に使用されている。

これらの一部は再び日本に戻り、競技用や狩猟用として正規に所持されているものも僅かに存在するほか、無可動実銃として処理を経て売られているものも存在する。東南アジアでは、今でも現地住民によって狩猟などに使われており、反政府武装勢力が実戦で使用している例もある。(wiki:三八式歩兵銃)



240: 名無しさん 02/04/22 05:53
38式歩兵銃が口径6.5ミリなのは、敵兵を必要以上に傷つけないようにとの人道的配慮によるが、6.5ミリで撃たれた敵兵は、すぐ回復して戦場に復帰するので戦争が長引き非人道的ということで、7.7ミリの99式歩兵銃が生まれた。

※九九式短小銃:
Type_99_Full_View_1
ルバング島で30年間身を潜めていた小野田寛郎予備陸軍少尉が手にしていた小銃としても知られる。この際、弾薬は島内に遺棄されていた戦闘機から引き上げた機関銃弾を改造して使用していた。(wiki:九九式短小銃)

95: 名無しさん 02/03/06 13:47
何と!日本軍も米軍の小銃を使っていた! 

戦争初期のフィリピン戦線。撤退するアメリカ軍を追撃していたある部隊の日本兵、弾薬蓋の中身が心細く、補給も遅い…ところへ、たまたまアメリカ兵が捨てて逃げたM1ライフルを拾い上げ、敵の銃なら無駄弾撃っても、と、思う存分撃ちまくってまた捨てたとか。 

それだけです、ハイ。 

※M1ガーランド:
Garand
スプリングフィールド造兵廠(ぞうへいしょう:マサチューセッツ州スプリングフィールドにかつて存在した国営の小銃開発施設)が開発した半自動小銃。第二次世界大戦を通じてアメリカ軍の主力歩兵銃として運用。(wiki:M1ガーランド)

96: 名無しさん 02/03/06 14:47
M1そのころ使ってたかなあ?

97: 95 02/03/06 15:17
>>96 
実は私もスプリングフィールドでなければ、BARあたりの誤りかとも思うんですが…。 

元ネタが古い「月刊GUN」の読者投稿欄、「孫が聞いた祖父の戦争体験談」ですので、正確ではないフシがありますが、あえて私も原文に沿ってカキコしました。

※ブローニングM1918自動小銃(Browning M1918 Automatic Rifle:B.A.R.):
Browning_ar001

98: 名無しさん 02/03/06 15:34
でもM1ライフルは1937年制式だから特におかしくないと思うけど。

103: 名無しさん 02/03/07 00:58
ほいでも自衛隊の人にとって、M1は使いづらいと言うのが一般的な印象だったようですね。

当時の体の小さい日本人がどのくらい使いこなせたのでしょうかね。

104: 名無しさん 02/03/07 22:33
>>103 
警察予備隊の訓練風景を写真で見る限りは、仰る通りかなり大きめですね。
 
64式小銃の開発スローガン、「日本人の体格に合った小銃を」というのも、説得力を持ってきます。

※警察予備隊:
1st_Regiment_of_NPR
1950年(昭和25年)8月10日に設置された警察予備隊には、M1カービン、M1ガーランドが供与された。M1ガーランドは自衛隊では現在でも儀仗用に使用。

246: 名無しさん 02/04/26 22:00
大東亜戦争中、IBMはM1カービン銃を作ってた。

※U.S.M1カービン:

M1_Carbine

アメリカが第二次世界大戦に参戦際、ウィンチェスター社はM1カービンをロイヤリティフリーと位置づけた上で各メーカーによる製造および契約を認め、また同時にウィンチェスター社に対して開発費用として$886,000がアメリカ政府から支払われた。

過剰生産や不足を避けるため、下請け業者による各部品の製造およびメーカーへの割当は、政府が設置したカービン産業調整委員会によって指示された。ゼネラルモーターズ等もM1カービンを製造。(wiki:U.S.M1カービン)

112: 名無しさん 02/03/10 00:41
>>103-104 
俺の親父は小柄だが、64式よりM-1のほうが良く当たるし手入れも楽で良かったといってたよ。
 
なんで初耳(驚)。

※64式小銃:
62mm小銃_(8464069407)
1964年に制式採用された戦後初の国産小銃。(wiki:64式7.62mm小銃

99: 名無しさん 02/03/06 15:48
そういう話は他にもありますね。 

インパール戦で撤退の殿を勤めた宮崎兵団長は、緒戦で鹵獲した敵の自動小銃で兵士を武装させ、そのおかげで窮地を切り抜けたそうです。 

でも「自動小銃」って何かな?ステン?トンプソン?

※トンプソンM1A1短機関銃:
ThompsonM1A1VWM

100: 名無しさん 02/03/06 15:50
>>99
イギリス相手だからステン?

※ステン短機関銃:
492px-Sten_factory_1942

101: 名無しさん 02/03/06 16:21
>>100 
どうなんでしょうね? たた、別のインパール戦の戦記には、鹵獲した自動小銃を「米国製」と書いてあったのを今思い出しました。 

外見は雑なつくりだが、機関部は非常にしっかりとした作りだったそうです。

105: 名無しさん 02/03/07 22:42
鹵獲戦車も使ってたよね。

108: 名無しさん 02/03/09 19:22
>>105 
どこかの本で、日本陸軍が南方で運用した最強戦車は「鹵獲したM-3スチュアート」 と言う笑えない話が……何処だったかな……。

1111: 名無しさん 02/03/10 00:38
>>108  
土門周平の「激闘戦車隊」にもM3に関しての記述あり。

※M3軽戦車:
M3A1_General_Stuart_Light_Tank

1942年(昭和17年)4月のフィリピン・コレヒドール島要塞攻略作戦にあたり、本土から急派された九七式中戦車改を中核として編成された臨時戦車中隊には、九七式中戦車改2輌や軽戦車4輌に混じって1輌のM3軽戦車も参加している。

Battle_of_Bukit_Timah
九七式中戦車 チハ

このうち、実際にコレヒドール島に辿り着けたのは中戦車2輌とM3のみだった。しかし予期せぬ戦車の投入によりアメリカ軍守備部隊は恐慌をきたし、結果的に難攻不落とされたコレヒドール要塞も同日中に陥落することとなった。

なお上陸地点から台上に進出する際、登板能力に勝るM3が自力で登ることのできない中戦車を牽引したというエピソードも残っている。
PhilippinesCapturedStuartTank
1942年1月、フィリピンにて日本軍に鹵獲されたM3軽戦車。(wiki:M3軽戦車)

107: 名無しさん 02/03/09 10:33
終戦間際の安達二十三の第18軍の前線部隊なぞ、服装も装備も米軍のものだった。 

米軍の幕舎に手榴弾を投げ込んだついでに兵器・食糧・弾薬をパクっていたのだが、熟練者になると爆破前にテントに忍び込んで、寝てる米兵の靴をこっそり盗んで自分のものにする者もいたという。
 
で、米軍の装備品だらけに。

※安達 二十三(あだち はたぞう):
第18軍司令官着任時、既にニューギニア方面の制空権制海権は連合国軍に奪われ補給はほぼ途絶し、隷下の3個師団および1個旅団は分断されていた。

食糧難による全軍餓死を迎えるくらいであればと行った、無謀とも言えるアメリカ・オーストラリア軍への突撃、アイタペの戦いが失敗した1944年(昭和19年)8月以降兵力温存の方針を固め、持久体勢を指令。

ニューギニア・ウェワクにおいて孤立しながらも、先住民との人間関係を重視して友好的態度を保ち、サゴヤシの幹からの澱粉採取、病人運搬法、永住農園開拓などの方式により、第18軍は終戦まで持久することになる。

降伏後には戦犯として扱われ、大部分の将兵が復員した1946年(昭和21年)1月以降もニューギニア・ムシュ島において服役を続けた。その後終身刑を宣告されながら部下の判決が全て下るのを待ち、拘留中の部下8名の釈放が言い渡されると弁護団に礼を述べた後、1947年9月10日、自決した。

作家・山田風太郎は著書「人間臨終図巻」おいて、安達に対し次のような言葉を記した。

「終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決をしたのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将官はきわめて稀であった」(wiki:安達 二十三)

140: 名無しさん 02/03/22 21:34
M3スチュアートは日本人にはでか過ぎたそうだ。

141: 名無しさん 02/03/22 21:50
M4シャーマンも日本人にはでか過ぎたそうで、陸自の部隊では「下駄を履かせる」と称して、ペダルに厚い板を取り付けていた。

※M4シャーマン:
Saint_Mere_Eglise_2006_Sherman
陸上自衛隊に供与されて1970年代半ばまで使用され、同年代末に61式戦車と交代する形で全車が退役した。(wiki:M4中戦車)