1998年と2008年に韓国で行われた国際観艦式では何の問題もクレームもつかなかった自衛隊の旭日旗が、2018年になって突然韓国側に旭日旗掲揚の自粛を求められ、自衛隊は参加を取りやめた。

2011年、戦後66年間何の問題もなかった旭日旗が、突然韓国国内において問題化される原因となった瞬間の映像。

7年前の2011年1月25日のアジアカップ準決勝、日本対韓国戦においてPKを決めたキ・ソンヨン(奇誠庸)が猿真似パフォーマンスを行い、韓国メディアの取材に対し、試合の前から用意していた猿真似だったと語った。

奇は自身のツイッターで「観客席の旭日旗を見て涙が出ました。私も選手の前に大韓民国国民です…」と発言、観客席の旭日旗に腹が立ったことを理由に、故意に上記のパフォーマンスを行ったことを主張。

しかし、実際に観客席に旭日旗が掲げられていたというソースは確認されていない。この試合を取材していた産経新聞のカメラマンは「日本側の応援席で旭日旗を見た記憶はありません。断言はできませんが、少なくとも目につくような大きさの旭日旗は見なかった」と証言している。

これが何よりも先に韓国国内で騒動になったため、日本のメディアでもこの騒動が報道された。日本サッカー協会(JFA)は、大韓サッカー協会(KFA)に対し、奇への聞き取り調査を依頼した。

この調査に対し、「あのパフォーマンスは日本人に対してではなく、セルティックでプレーしていて相手のサポーターから韓国人ということで猿呼ばわりされている。そういう差別発言をする人たちに向けてやったんだ」と、旭日旗に関する発言を翻した。

この騒動は日韓間にとどまらず、奇がプレーしているスコットランドやその他海外の国々にも飛び火した。イギリスのタブロイド紙ザ・サンは「Cheeky monKI(生意気な猿=奇)」と銘打った記事で痛烈に批判した。(wiki:奇誠庸

その後も説明が二転三転し、とどのつまりは「日本人を侮蔑しようとして猿真似したら、海外とか人種差別行為を監視する団体が出てきて思ったより騒がれちゃって、苦し紛れにウソついて旭日旗のせいにした」ということでしょうか…韓国ではこうして旭日旗問題が創られた…たったの7年前のお話…。

太平洋戦争が始まるはるか前の1910年(明治43年)、日本は朝鮮半島を併合し、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。

大戦末期、朝鮮半島出身者も十数人が特攻に出撃し、散って行った。当時は日本人ではあるが、卓庚鉉(タク・ギョンヒル:日本名 光山文博)陸軍少尉は朝鮮出身ながら特攻に志願し、出撃の前日ににアリランを歌い、日本人の仲間と共に沖縄周辺洋上で散華…。

彼の守りたかったものは何だろう…彼は今の未来をどのように想像していたのかな…。【まとめ:戦争の泣ける話 その14 光山文博少尉のこと

なお、この試合は2-2の同点でPK戦にもつれ込み、3-0で日本が勝利…その後、日本優勝…(´・ω・`)…。