狼

1: 名無しさん 02/02/27 14:17 
「インドの山奥で、オオカミに育てられた姉妹が捕獲されて、結局人間には戻れずに7年で死んでしまった」 という話は有名ですが、与太との噂も。

本当のところどうなんでしょう?

・ヒトは、ヒトとして育てられないと、どうなってしまうのか。そう育てられたモノは、ヒトと呼べるのか。

2: 名無しさん 02/02/27 14:22
カマラとアマラのことか。

親父からは「本当かどうか怪しい」と聞かされた覚えがあるけど、事実だったじゃないの? 実際に写真とか残ってるし。 あと「アヴァロンの野生児」ってのもいた。 

どちらも、人間の発育に環境がどれほど影響を与えるかを示す例として、発達心理学なんかでよく使われるね。

3: 名無しさん 02/02/27 16:29
カマラとアマラで検索しら、けっこうひっかかったぞ。本もあるようだから読んでみれば? 
http://www.urban.ne.jp/home/katanaka/51.htm 
※リンク切れ。ウェブアーカイブより。

1920年10月インドのカルカッタの西南110キロのゴタムリという小さな村で、人間の化け物が狼の穴を出入りしているいう噂が立ち、やがて狼に育てられた2人の少女が救い出されました。

この村にやって来たシング牧師夫婦は、2人の子供を自分達が経営しているミドナプルの孤児院にひきとって育てました。もちろん、はっきりした年齢はわかりませんが、2才と8才ぐらいです。

アマラと名づけられた2才の子は間もなく死亡しましたが、カマラと名づけられた8才の子は、9年間孤児院で生活して、17才のとき、おしくも尿毒症で亡くなっています。

幸いにもシング氏が詳しくつけた育児日誌が写真と共に残っています。救い出したときは、顔かたちは人間ですが、すること、なすこと、全く狼で、日中は、暗い部屋で眠っています。やがて夜になると、あたりをうろつき回り、夜中には3度、狼のように遠吠えまでしました。

2本足で立って歩くことが出来ず、狼のように両手と両ひざでではったり、両手と両足を使って走ったりしていました。

シング夫妻は、この少女達を何とかして人間の子供に返してやりたいと、一生懸命に努力します。カマラは、3年ほどして、両足で立って歩くようになりましたが、急ぐときには、四本足で走り回ります。この習性は、死ぬまで取れませんでした。

シング夫人が大変努力して言葉を教えましたが、亡くなるまでに、45語しか使うことが出来なかったということです。このように、動物に育てられた人間の子どもを野生児といい、他にも数人見つかっています。

人間の赤ん坊はほかの動物と違って、育て方によってどんなにでも育て上げられることを如実に物語っています。親孝行の子どもがほしかったら、自らが親孝行をして見せていなければなりません。子どもの本当の幸せを願うなら、夫婦が心を合わせ明るい家庭を作る努力をすることが大切です。

天理教の教えの中に「親のあとを子が伝う」、また「15才までは親の心どおりの守護、15才以上は本人の心どおり」と明示されています。15才までに、子どもが自立心のもてるように育てなければ、母原病といわれる独立心や自立心の持てない大人となってしまいます。

心豊かな子どもを育てるためには、まず自らが親神によって生かされている感謝の心を養い、あたわった物を大切にし、相手の心遣いや思いをくみ取り、たすけあう精神を培うことが大切です。
カマラとアマラ1
カマラとアマラは孤児院に来てからも、ずっ
と狼の洞穴の中で仲間の狼としていたよう
に、たがいにかさなりあってねた。
(1920年 孤児院にきた年 8才


カマラと尼ら2
シング婦人の手からビスケットをもらうよう
なったカマラ。これまで人になれるのに一
年近くもかかった。(1921年 カマラ9才

・ヒトが言葉を覚える時期に、言葉を教えないとどうなってしまうのか。

74: 名無しさん 02/10/29 16:48 
ここのKRAOってのは?
ttp://www5.plala.or.jp/OBA9ANI/sideshow/gg/index.html 

※ウェブアーカイブより 
KRAO 失われた環 カラオ
カラオ2

人類と他の生物の間をつなぐ大いなる鎖の環、「ミッシング・リンク」とは、類人猿と人類との間にあったと想像され、いまだに発見されていない中間的動物のことである。

1872年にラオスで生まれたカラオは1883年にヨーロッパに連れてこられた。その特徴ある体は、物を掴むことのできる足、つややかな黒い毛で全身を蔽われ、首の後ろにはたてがみに近いものがあり、唇はチンパンジーのように突き出ていた。
 
大人になったカラオは数ヶ国後を話し、かなり上品な娘になった。バーナム&ベイリー・サーカスで活躍した後の、1926年ニューヨークで死去。はたして彼女は「失われた環」の一つだったのだろうか?…

カラオ3

カラオ1

続きは【オオカミに育てられた狼少女って実在したの?・その2】

・オオカミ少女は実在したのか?生物学的観点から分析した興味深いレポート。

173: link整理 04/04/11 23:31
野生児の事例

狼と暮らした少女ミーシャ 
ttp://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p32_3.html 

アメリカ・マサチューセッツ州に、野生児として狼と暮らした過去を持ちながら、人間社会の一員として生活する女性がいる。ミーシャ・デフォンスカ(64才)、現存する唯一の野生児だ。

彼女は第二次世界大戦の陰が忍び寄る1939年、ベルギーにいた。ユダヤ人の血を引く彼女の家族は、ナチスドイツの侵攻で例外にもれず迫害を受けようとしていた。彼女の両親は娘だけでも、と思い、ミーシャを里親に預けた。1941年、ミーシャ7才の時であった。
 
ところが、里親とは名ばかりで、彼女は日夜働かされた。しかも、ナチスに差し出されそうになり身の危険を感じたミーシャは、家を出た。両親を探そうと思って…。    

彼女は空腹のあまり農家の食べ物を盗み、追われていた。森へ逃げると、近くに狼がやってきた。ミーシャがソーセージを差し出すと、そのメスの狼は迷うことなく食べた。それから彼女は狼と一緒に行動するようになった。
 
彼女は狼が捕ってきた獲物を狼のような格好で食べ、夜には遠吠えもした。目は暗闇でも見えるようになり、耳は60m先の牛のかすかな足音も捕らえた。ミーシャの五感は、自然の中で生きるために鋭くなっていた。    

悲劇は突然やってきた。親のように慕っていた狼がハンターの銃弾に倒れたのだ。もはやミーシャにとって人間は敵でしかなかった。
 
また森を彷徨ううちに、狼の群れと出会った彼女は、再び狼と生活をすることとなった。そこで一匹のオスの狼と気が合い、群れを離れて共同生活をした。ところがある朝起きたら、その狼はいなくなっていた。それを期にミーシャは再び両親を探し始めた。  
 
1946年、警察に保護されベルギーに住む祖父に奇跡的に再会したミーシャは、11才になっていた。4年間で彼女が彷徨い歩いた距離は、5000kmにもなると思われた。残念ながら両親は既に戦争の犠牲者となっていたが、祖父との再会で徐々に人間性を取り戻していった。

彼女は奇跡的にも、現在人間社会で普通の生活を送っているのである
。  

続きは【オオカミに育てられた狼少女って実在したの?・その3(完)】