注水で坑内を冠水させ、現在ようやく収束のめどがついてきた夕張石炭博物館火災…幸い人的被害はなかったものの、夕張市の観光資源である博物館の火災は市にとって大きな痛手…かつて夕張では炭鉱火災が発生し、人がいる坑内に注水せざるを得なかった事故があった…。







北炭夕張新炭鉱ガス突出事故… 1981年10月16日、坑口より約3000メートル(海面下810メートル)の掘進作業現場付近で大規模なガス突出事故が発生、坑内には838人が入坑しており、その後入坑した救護隊により33名が遺体で収容されたほか、坑内で10名の死亡を確認。しかしその後火災が発生し、入坑した救護隊と生存が確認ができた者との連絡が取れなくなった。



事故発生から6日目の10月21日、会社は59名の安否不明者の生存は絶望的と判断、不明者家族への説明会で当時の社長ら幹部は注水への同意を要請。不明者の家族は「命をよこせというのか」と激怒したが、社長は「お命を頂戴いたします」と発言。翌22日には幹部らが不明者宅を戸別訪問し、この日までに全家族から同意書を取り付けた。

10月23日は注水に先立ち9時30分に救護隊員が入坑し、注水地点の傍らに菊やグラジオラスの花束を供えた。13時30分にサイレンが鳴らされるとともに関係者が黙祷。その後59名の安否不明者がいる坑内に川から引かれた水が流し込まれた。夕張市内でも市役所や学校などで一斉にサイレンが鳴らされ、全市民が黙祷したという。

注水によりようやく鎮火した坑内では排水後に遺体の収容作業が再開されたものの、注水で資材が水没していたり坑道も歪むなど荒れ果てていたため、遺体収容・確認作業は難航。最後の遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年(昭和57年)3月28日であった。最終的な死者数は93人にのぼった。(wiki:北炭夕張新炭鉱ガス突出事故


三省堂書店オンデマンド彩流社 昭和小史北炭夕張炭鉱の悲劇
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