発掘系まとめ

10年以上前のスレをあつめています。長編・読み物系が多いです。昔懐かしいまとめ。2000年前後。あと動画!

    2001年

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    山恋

    765: 名無しさん 02/11/12 22:28
    この冬屋久島を縦走し下山中、若い小柄な単独女性とすれ違った。 

    丁度木の階段になっている所だったので譲り合い、結局彼女に先に通ってもらった。俺に気付いた時一瞬緊張して見えた彼女だが、すれ違いざま「こんにちわ、ありがとう」と、かすれがちの声で言ってにこっと笑った。前日吹雪の中歩いてきた苦労が晴れる思いがした。 

    しかし、あの酷いルートを通って大丈夫なのかな、と思いついたのは麓の温泉の中。引っかかる気持ちのまま、残る滞在期間中もう一度山へ。 

    登山口に、前回の登山口で見た俺の住む地方のナンバーの車が置いてあったので、この車が彼女のだったら、などと勝手に妄想して歩いていると、まさか! 

    途中、すぐ下の沢に見覚えのある長い髪と青いザック。自分も休憩する振りで降りていくと、彼女が湯を沸かしていた。キャンピングガスのストーブの隣で、ワイヤードリッパーにフィルターをセットしてた。 

    つづく 

    【【登山】山で生まれたほのかな恋【その5(完)】】の続きを読む

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    【その3】
    山恋

    481: 名無しさん 02/10/06 14:14
    いいなと思っていた人と二人で山行って、一緒のテントに泊まってちょっと期待していたんだけど、むこうからは手を出してこなくて、彼の方のシュラフが薄くて寒そうだったから、私のシュラフのファスナーをはずして、一枚の布団みたいにしてかけてあげて一緒に寝た。 

    寒そうだったから、私の胸の中に(ブラの中)に手を入れてあげたんだけど、それでも何もなくて???という感じ。 

    ぜんぜんそういうことに興味ないのかなと思ったら、帰り道、ホテルに誘われた。でもなんか私は昨日の一件で、その気じゃなくなっていたから断ったんだけど。 

    彼とは結局それっきりです。私がよこしまなことをしなければ、今でも良い山仲間でいられたかもと思うとちょっと残念。
    【【登山】山で生まれたほのかな恋【その4】】の続きを読む

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    【その2】
    山恋

    200: 名無しさん 02/07/26 13:13
    初めて打ち明ける某低山での昔話。  

    夕暮れのさなか、懐中電灯を点け一人で山道を下っていると、途中でゆっくりと下っている中年女性に声をかけられた。 

    「ライトを忘れてしまって…麓まで一緒に下っていただけませんか」とのこと。麓まではまだ3時間以上。他に誰もいないので一緒に下り始めた。 

    2時間程度下った頃、途中の小さな見晴らし台のあるところで「ちょっとだけ休みませんか」と言われたので俺も立ち止まり、水をちょっと飲んだりした。 

    山道は真っ暗だが、遠くの空はまだかすかに明るく、金星が出ている。その中年女性は自分のザックから夏みかんを取り出し、剥いて「よかったらどうぞ」と笑顔で俺に差し出してくれた。 

    正面から顔をよくよく見ると山本陽子似の美人。話を聞いていると、その人の旦那は山歩きには全く興味が無いらしく、いつも単独行でつまらないらしい。

    「電灯を忘れるなんて、私オッチョコチョイでしょ」と笑うものの、どこか寂しそうな横顔。 

    「早くしないと真っ暗になっちゃうわね」 
    「いえ、どっちみち明かりを点ければ一緒ですから」 

    さらに話を聞いているうちに、なんとなくいい雰囲気になってしまい、いつのまにか暗闇のなかで抱き合いながら、二人とも下半身はスッポンポン…。 

    お月さんだけが見てました。
    【【登山】山で生まれたほのかな恋【その3】】の続きを読む

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    86: 名無しさん 01/06/23 13:17
    大学1年の時に、メチャ惚れた女性F子さんが4年生にいました。 

    けどサークル付き合い以上には進展しない・・・けどある日F子さんが「妹が農大山岳部にいってるんだけど、君一緒に行ってやってくれない」って言うの。

    自分の出番が来ました!と欣喜して、馬頭刈り尾根から登って奥多摩のつづら岩で一日トレーニングという意欲的プランを立てたものです。妹から姉に俺の気持ちが伝わるかも・・・ってね。 

    妹は昼飯におにぎりチャーハンを用意してくれて美味でしたが、それは姉のF子さんが握ってくれたものでした。 

    「Sさん(私のこと)姉貴が好きなんでしょ?でもあの人T 大の彼氏ともうすぐ結婚するんだよ」と教えられました。純情な当時のわたしは、不覚にも涙してしまいましたよ。 

    あのおにぎりの味は忘れられない思いでです。
    【【登山】山で生まれたほのかな恋【その2】】の続きを読む

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    山恋

    1: 名無しさん 01/04/05 10:48
    単独でとある山に行ったとき、かわいい女の子(単独)と知り合いになり、一緒に頂上から下山しました。

    しかし、なぜか山を降りてみると、そこにはさえない色黒のねーちゃんが。 

    あのほのかな想いは何だったんだろうか。 

    そのとき聞いた連絡先には結局、何も連絡しませんでした。
    【【登山】山で生まれたほのかな恋【その1】】の続きを読む

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    【その15】
    桜花

    835: 名無しさん 2001/06/25 15:21
    昭和20年8月18日(第二次世界大戦が終わって3日目)午前8時頃、西川中尉は岩村田国民学校に遺書を投下すると、お父さんの生まれた中佐都村、お母さんの実家である御牧村(現浅科村)、 自分の母校野沢中学校(現野沢北高等学校)上空を旋回し、北に進路をとって浅間山外輪山の前掛山南斜面に激突した。 【【哀悼】戦争の泣ける話【その16(完)】】の続きを読む

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    【その14】
    桜花

    830: 名無しさん 2001/06/25 03:20
    アッツ島玉砕のときの、昭和天皇の電報の話ってどういうのですか?
    【【哀悼】戦争の泣ける話【その15】】の続きを読む

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    781: 名無しさん 2001/06/19 01:06
    「ホタル帰る」草思社 ヨリ 

    第四五振武隊隊長藤井一中尉は、特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、還らぬ人となった。

    富屋
    (特攻隊員が通った食堂)を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいたという以外にとくに印象がなかった。戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。 

    戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、自ら特攻兵を志願した。 

    藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように藤井中尉の志願は却下された。

    しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。
     
    妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。

    夫の決意の固さを知った妻は、後顧の憂いを絶つために、昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。

    自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、という遺書が残されていた。 

    血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。 


    合掌
    【【哀悼】戦争の泣ける話【その14】】の続きを読む

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    【その12】
    桜花

    742: 名無しさん 2001/06/17 09:44
    茂木三郎少尉 「特攻出撃に際して」 

    福島県出身 予科練乙飛第18期生 
    神風特別攻撃隊第5神剣隊 
    昭和20年5月4日沖縄周辺にて特攻戦死 19歳 

    僕はもうお母さんの顔を見られなくなるかもしれない。 
    お母さん、よく顔を見せてください。 

    しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
    十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。
     
    お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。 

    それが僕の別れのあいさつです。
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    【その11】
    桜花

    650: 名無しさん 2001/06/07 17:52
    沖縄へ出撃する大和には、35名の少尉候補生が乗艦していたが、作戦の重要性から考えて、有賀艦長は彼らを退艦させることにした。 

    しかし候補生たちは決死の覚悟をしていたので、なんとか沖縄まで連れて行って欲しいと、執拗に食い下がった。そこで、能村副長が彼らを説得した言葉。 

    「…誠に忍びないことではあろうが、艦長の言われる通り、いさぎよく下りることが、一番よいと思う。征く我々が国の為なら、残るお前たちも国の為なのである。大きな気持ちをもって、考えてもらいたい」

    「…勉強して、帝国海軍を背負ってたつ、立派な士官になってくれ」
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    【その10】
    桜花

    613: 名無しさん 2001/06/04 17:40
    東郷元帥、日本海海戦で負傷した、ロシアバルチック艦隊司令長官、ロジェストウィンスキーを見舞う。 

    東郷元帥 
    「はるばるロシアの遠いところから回航して来られましたのに、武運は閣下に利あらず御奮戦の甲斐なく、非常な重傷を負われました。今日ここでお会い申すことについて心からご同情つかまつります」。

    「われら武人はもとより祖国のために生命を賭けますが、私怨などあるべきはずがありません。ねがわくば十二分にご療養下され、一日もはやく ご全癒くださることをお祈りします(略)」 


    ロジェストウィンスキー(涙をにじませながら)
    「 私は閣下のような人に敗れたことで、わずかに自らを慰めます」
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    【その9】
    桜花

    479: 名無しさん 2001/05/18 02:09
    松尾敬宇海軍中佐 熊本県出身  海軍兵学校第66期 
    昭和17年5月31日歿、満24歳 

    憂国の烈士・三島由紀夫は「行動学入門」の中に、“行動の美の典型”として「オーストラリアで特殊潜航艇が敵艦に衝突直前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったがハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾を浴びて戦死したという話が伝えられている」

    「このような場合にその行動の美しさ、月の光、ロマンチックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。しかしこのような一致した美は人の一生に一度あることはおろか歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」 と記した。 

    この海軍士官こそ、殉忠菊池氏の流れをくむ熊本県山鹿市出身の松尾敬宇中佐(当時大尉)その人なのである。中佐は真珠湾攻撃に次ぐ第二次特別攻撃隊員として、遠くシドニー港の奥深く突入、壮烈な戦死をとげた。
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    438: 名無しさん 2001/05/15 02:15
    全然有名な話ではないけど聞いてくれ。 

    オレのおじいちゃんは戦争末期、南方にいた。国名は忘れたけど、とにかくジャングルのようなところで、衛生状態が最悪だったらしい。当然マラリアだのコレラだのが蔓延する。おじいちゃんの部隊も例外ではなく、バタバタと人が倒れていったそうだ。 

    ただ、その頃には治療薬も開発されていて、それを飲んで命を永らえた人も多かったらしい。治療班に手渡されていた薬で何人かの人が助かったそうな。しばらくして、おじいちゃんが期せずして高熱にうなされるようになった。病気に感染したのだ。

    一方で、おじいちゃんの部下の1人にも同じような症状が襲った。二人とも薬を飲めば助かる程度のものであったらしいが、なんとその部隊には残余薬が一つしかなかった。 

    部下は「あなたが飲んでください、あなたがこの部隊の指揮官ですから」 と、搾り出すような声で言ったらしい。立派な部下を持ったおじいちゃんは幸せな人間だったと、おこがましいけどオレは思う。しかしおじいちゃんはたった一言こう言ったらしい。 

    「貴様飲め!」 

    おじいちゃんはその後間もなくして死んでしまった。 

    この話は、つい最近死んだおばあちゃんから何度も聞いた。

    薬を飲んで生き残って帰国した兵隊さんは、その後おばあちゃんをなにかにつけ助けてくれたらしい。オレも一度だけお会いしたことがある。まっすぐで立派な男だった。おじいちゃんも素晴らしい命を救ったものだ。 

    おばあちゃんの口癖は「貴様…って、いい言葉ね…」 だった。おじいちゃんの死後、もう何十年も経つのに、毎日毎日仏壇のおじいちゃんに話し掛けていた。そして眠ったまま死んでいった。 

    明治の人間はすごい。オレはいつもそう思う。
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    【その7】
    桜花

    427: 名無しさん 2001/05/11 00:16
    女子勤労奉仕隊員の記録(ある女学生の日記)

    昭和二十年三月二十七日
    作業準備をして学校へ行く。先生より突然特攻隊の給仕に行きますとのこと。びつくりして制服にきかへ兵舎まで歩いて行く。はじめて三角兵舎にきてどこもここも珍しいものばかり。今日一日特攻隊の方々のお部屋の作り方。

    こんなせま苦しい所で生活なさるのだと思つたとき、私達はぶくぶくした布団に休むのが恥づかしい位だつた。わら布団に毛布だけ、そして狭い所に再びかへらぬお兄様方が明日の出撃を待つて休まれるのだと思ふと感激で一杯だった。五時半かへる。
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    【その6】
    桜花

    327: 名無しさん 2001/04/29 02:21
    山本五十六の参謀だった宇垣纏は、九州で神風特別攻撃隊を指揮していたが、玉音放送を聞き、部下への詫びと死に場所として、米軍占領下の沖縄へ彗星で特攻した。 

    一緒に付いて行った者がかなりいたそうだ。
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