切腹の作法が儀式化され、しだいに完備してくるのは江戸時代中期以降である。
つまり、武家の刑罰として切腹が定着してから、その処刑様式が工夫されるようになった。 腹を切ること自体は次第に問題ではなくなり、一種の名誉刑として形式のみが重要視された。
扇子腹などはというのがその例である。 腹を切るための小刀さえ必要とせず、小刀のかわりに三方へ扇子を置き、それを手にしたところで介錯人が首を打ち落とした。
普通、切腹人が肌脱ぎとなり、小刀を取るために手を出し、首が前にのびたところを介錯人が斬ったものだという。
つまり、武家の刑罰として切腹が定着してから、その処刑様式が工夫されるようになった。 腹を切ること自体は次第に問題ではなくなり、一種の名誉刑として形式のみが重要視された。
扇子腹などはというのがその例である。 腹を切るための小刀さえ必要とせず、小刀のかわりに三方へ扇子を置き、それを手にしたところで介錯人が首を打ち落とした。
普通、切腹人が肌脱ぎとなり、小刀を取るために手を出し、首が前にのびたところを介錯人が斬ったものだという。